6:悪役令嬢も悪くない……かもしれない?
「わ、わたくし……ユリウス様のためなら、身を引く覚悟も……ございますの……」
言いながら、じわっと涙が浮かんでしまう。
こんなつもりじゃなかった。
冷静に話し合い、穏便に婚約を解消してもらうつもりだったのに。
だって本当は、ユリウス様と婚約解消なんてしたくない。
破滅もしたくないけれど、思いを寄せていた人のそばにいられることは、それだけで幸せだったから。
今までなら押し殺せた感情が、この口調のせいか、我慢が難しくなってしまうのだろうか。
「ち、違うの、私たちは……」
「申し訳ございませんわ。わたくし、ユリウス様の口からはっきり聞きたいのです!」
私は涙を落とさないよう、必死に瞬きをして堪え、ユリウス様を見上げた。
「どうか、正直におっしゃってくださいまし!」
そう言った瞬間、温かいもので包まれる。
いや、ユリウス様に抱きしめられたのだと、少し遅れて気がついた。
「エリーシャ、心配させてしまってすまない。こちらから説明しておくべきだったのに。雪乃はあくまでただの友人だ。エリーシャにだけは誤解してほしくないから、はっきり言うよ」
ぎゅっと抱き寄せられ、耳元でそう囁かれる。ユリウス様の体温、そしてシトラスのような爽やかな香りに、頭がクラクラしてしまう。
ようやく離されても、あまりの衝撃に呼吸することも忘れてしまいそうだった。
「婚約者である君がいる限り、僕は他の人に目はいかない。エリーシャ、君だけだと誓おう」
ユリウス様に顔を寄せられ、私はヒュッと息を呑んだ。
「君のことが大切なんだ。この気持ちは今だけじゃない。結婚後にも第二夫人や愛妾を持つつもりもない。君が望むなら、制約魔法で僕の行動を縛ってくれて構わないよ」
顔が近い。長いまつ毛の本数まで数えられそうなくらい。
「い、いえ、そこまでは望みませんわ! で、ですが、ユリウス様がそこまでおっしゃるのでしたら信じましょう」
私は照れ隠しに横を向く。心臓はなかなか大人しくなってくれない。
「そう? ふふ、頬が赤くなってる。可愛いね」
ユリウス様の白い指が私の頬をそっと撫でる。
心臓がばっくんとさらに激しく音を立てた。
ゲームのシナリオと全然違う。
ゲームなら、ユリウス様は悪役令嬢の私を好きにならない。雪乃のことを好きになるはずだ。
私の口調はてっきりシナリオの強制力のようなものかと思っていたのだけれど、違うのだろうか。
「ひゃあ……見てるこっちがドキドキしちゃう……」
そんな声に私は我に返った。
雪乃がいるのをすっかり忘れていた。
雪乃はやり取りを興味津々に見ている。
恥ずかしさに顔の熱が一気に高まり、今ならお湯沸かすことさえできそうだ。
「あ、お邪魔をしてごめんなさい。お礼を言いたくて。助けてくれて、ありがとう」
お礼を言うために、律儀に待っていたようだ。
「きちんと名乗ってなかったよね。私は咲宮雪乃。ここじゃない別の世界から来たの。噂になってるから、聞いたことあるんじゃないかな」
「え、ええ」
とてもよーく知っている。噂ではなく、ゲームで、だけれど。
「私は元の世界に帰りたいんだ。それで、男の人に言い寄られると色々と困るというか。ユリウス様の近くにいると、異性避けになったものだから、つい甘えてしまって」
雪乃は言葉を濁したが、確かゲームでは恋愛フラグを立てなかったエンドでのみ、元の世界に戻れるのだ。彼女はそれを狙っているのだろう。
「婚約者のあなたに誤解させるようなことをして、ごめんなさい。もうしないし、噂も私からちゃんと否定するから」
雪乃はペコッと頭を下げる。長い黒髪がサラサラと揺れた。
まっすぐで気持ちのいい子だ。こんなに可愛くていい子なのだから、攻略対象のみならず、言い寄る異性は多いことだろう。
「……顔をお上げになって。元々、噂はわたくしと婚約する前ですもの。あなたにもご事情があったと理解いたしましたわ。それに恋人ではないとはっきりしましたもの。これ以上咎めることはいたしません。それでよろしくて?」
「うん、ありがとう。えっと、名前……」
雪乃は首を捻り、小声で「悪役令嬢エリーじゃなくて……」と呟いている。
やっぱり、彼女にもゲームの記憶があるようだ。
「失礼。わたくしからも名乗らせていただきますわね。エリーシャ・アーレントですわ! エリーシャ、とお呼びになって。わたくしも雪乃と呼ばせていただける?」
「う、うん」
「それからユリウス様、今日のランチにわたくしの友人を誘っても構わなくて?」
「もちろん。すぐに雪乃の分も用意させよう」
「え?」
目を丸くした雪乃に、私は微笑む。
「わたくしたち、名乗りあったのですし、もう友人でよろしいのではなくて? それともお嫌かしら」
「まさか、嬉しいよ! ふふ、ユリウス様がエリーシャを大切にする気持ち、わかるなぁ。素敵な人だね!」
「そうだろう? 雪乃にそう言ってもらえて嬉しいな」
「ま、まあっ!」
私は顔が真っ赤になるのを感じる。
私はユリウス様と、そして初めての友人とともに、楽しいランチタイムを過ごしたのだった。
屋敷に戻ってからも楽しい時間を過ごした余韻に浸っていた。
「ちょっと、エリーシャったら。なによ、ニヤニヤしちゃって」
エリアンナは私を見て、白けたような顔をしている。
「何かご用ですの?」
「その変な口調も! 変なものでも食べた?」
「エリアンナには関係ありませんことよ。ごめんあそばせ」
「なによ、気持ち悪っ! あ、もしかしてユリウス様に嫌われて、おかしくなっちゃったとか?」
エリアンナの嫌味も全然気にならない。
あとで両親に言いつけられるかもしれないが、その時はその時だ。
不思議だ。
強い言葉を使うだけで自分まで強くなった気がしてしまう。
ずっと萎縮していた私を、悪役令嬢口調が補ってくれるのなら、案外悪くないのかもしれない……なんて思ってしまったのだった。




