5:乙女ゲームの主人公
婚約者になったのだから学園でも一緒にランチをしようとユリウス様に誘われ、昼休憩に中庭までやってきた。
中庭には緑の鮮やかな芝生が広がっている。
広々と開放的で、間隔を開けて金属製のテーブルセットがいくつも置いてあった。
今日は天気も良く、涼やかな風が頬を撫でていく。外でランチをするのはさぞかし気持ちいいだろう。
いつもは人の少ない場所で手早く済ませ、長い昼休憩を図書館で過ごしていた私には新鮮だった。
ユリウス様はまだ来ていないようだが、おそらくユリウス様の従者が先に来て準備をしているだろう。
キョロキョロとあたりを見回していると、不意に剣呑とした声が聞こえた。
「──ユリウス様にベタベタしてるんじゃないわよ」
「そうよ。聖女なんて呼ばれて調子に乗ってるの?」
「礼儀作法も知らない平民のくせに」
ユリウス様の名前に、ついそちらに視線がいってしまう。
すると中庭の隅で、数名の女生徒が黒髪の女生徒を取り囲んでいるのが見えた。
黒髪……?
もしかしてゲームの主人公の雪乃?
乙女ゲームの主人公、雪乃は日本から転移してきたという設定だ。黒髪という特徴は一致している。
しかしここからだと顔がよく見えない。
そして私はハッとした。
今のやり取りがゲームでもあったと思い出したのだ。
確か、雪乃が悪役令嬢の取り巻きに因縁をつけられるシーン。
やり取りはエスカレートして、取り巻きの一人に突き飛ばされてしまう、というものだ。
思い出した瞬間、ドンッと音がして、黒髪の女生徒が勢いよく突き飛ばされるのが見えた。
そこまではゲームと同じ。
しかし突き飛ばされた先にはゲームと違い、金属製のガーデンテーブルがある。一瞬で血の気が引いた。
「──危ないですわっ!」
雪乃は無防備な背中からテーブルに激突してしまいそうだった。しかもテーブルには茶器やお湯の入ったポットが置いてある。
激突すれば、ただではすまない。
「間に合ってくださいましっ!」
私は咄嗟に両手を突き出す。
雪乃とテーブルの間に、風の魔法で壁を作った。
風の壁はクッションのように、雪乃をふわっと受け止める。
間に合った……!
ホッと息を吐き、改めて彼女の姿を見る。
黒絹のような艶やかなロングヘアに小動物的な愛らしい顔。そして、ただ可愛いだけではない、凛とした眼差しをしている。
間違いなく、ゲームのスチルで見た主人公そのままの姿だった。
風の壁に受け止められた雪乃はきょとんとしたように目を瞬かせている。
どこも怪我はしていないようだ。
雪乃の無事を確認すると、私はカツカツと靴を鳴らしていじめっ子の方に向かった。
「あなた方、なんてことをなさいましたの!?」
悪役令嬢仕草により、勝手にふんぞり返った私は、いじめっ子の令嬢たちにビシッと指を突きつける。
今までの私であれば、こうして立ち向かうことなんて恐ろしくて出来なかっただろう。しかし、この口調であれば、不思議と恐怖心が軽減する気がする。
「あなた方の浅慮で、彼女が怪我をするところだったんですのよ! しかも寄ってたかって、卑怯にもほどがありましてよ。恥ずかしいと思いませんの?」
「で、ですが……」
「お黙りなさいっ!」
自分でも驚くような大きな声が出た。
いじめっ子たちもビクッと震えて口を閉じる。
「わざとでなくとも、危うく怪我をさせようとしたことを謝罪なさいまし。あなた方は礼儀作法がどうとか言っていたけれど、本当の礼儀とはそういうものではなくって?」
そこまで言って、ふと、いじめっ子たちに見覚えがあるのに気づく。
なんの偶然だろうか。かつて図書館前で私を転ばせた、あの女生徒たちだったのだ。
以前は私を転ばせて笑っていたというのに、今は互いの顔を見合わせながらゴニョゴニョ言い訳めいたことを呟いている。強気で対応するだけで、言い返せなくなってしまうとは。本当は群れなければ生きていけない弱い人たちだったのだろう。
「どうかしたのかい?」
と、その時、ユリウス様がやってきた。
いじめっ子たちは天の助けとでも思ったのか、目を輝かせる。
「ユリウス様、助けてください!」
「急に因縁を付けてきたんです!」
「私たち、いきなり怒鳴られて」
いじめっ子は私を指さしてそう言った。
まあ、と私は口を開けた。
いじめだけでなく、罪を私になすりつけようとしてくるだなんて。プライドのかけらもないらしい。
「違います。私がこの人たちに突き飛ばされたのを、風魔法で守ってくれたんです!」
そこに雪乃が割って入り、そう証言してくれた。
「そう言っているけれど?」
「う、嘘です! 二人で仕組んで私たちを嵌めようと……」
「そう。残念だけど、校舎からやり取りは見えていたんだよ。君たちが雪乃を突き飛ばしたのも、エリーシャが風魔法で助けたのもね」
ユリウスの冷え冷えとした視線がいじめっ子たちに向けられる。こんなに冷たい目をしたユリウス様は初めてだ。気温が数度下がったように錯覚する。
直接その視線を受け止めたいじめっ子たちにはどれほどの恐怖だっただろうか。
「ひっ……」
「雪乃を突き飛ばしたこと、それから、僕の大切な婚約者に罪をなすりつけようとしたことも、謝ってくれるよね……?」
「も、申し訳ありませんでしたっ!」
彼女たちは真っ青で謝罪の言葉を絞り出すと、半泣きで走り去った。
「すまない、駆け付けるのが遅れてしまって。雪乃に怪我がなくてよかった」
ユリウス様がそう言って雪乃に微笑みを向ける。胸にズキンと痛みが走った。
──そうだ。ユリウス様には聖女、つまり雪乃と恋人という噂がある。
乙女ゲームでも、主人公と攻略対象のキャラなのだ。
実際にこの目で見ても、二人は仲が良さそうだし、お似合いに見える。
胸が痛くなるほどに。
今までの臆病な私なら、何も聞けず、見て見ぬふりだったかもしれない。
けれど、今なら、悪役令嬢の勢いで聞けるかもしれない。
私は胸の前で手をぎゅっと握り、ユリウス様に切り出した。
「ユリウス様、お伺いしたいことがございますの。よろしくて?」
「なんだい?」
「ユリウス様に恋人がいるって噂を耳にしたことがございますの。相手は聖女と呼ばれる方だと。その噂について、どうか真実をおっしゃってくださいまし!」




