16:ユリウス視点:滑稽な偽物
「ユリウス様、ようこそいらっしゃいましたわ!」
出迎えるエリーシャを一目見た瞬間、別人だと気づいた。
ピンと伸ばした背筋やツンと上げた顎の角度、声のトーン。ごく僅かだがいつもと違う。
そして何より、目を見ればわかる。まったくの別人だ。
本物のエリーシャの目には、新緑のような煌めきがある。
瞬きやまつ毛の動かし方にさえ、もっと思慮深さが感じられる。そして頬には恥じらいと、花びらのような唇には可憐さが。
とにかく、本物のエリーシャはもっと可愛い。
これは、エリーシャのフリをした別人──おそらくはエリアンナだろう。
エリアンナの同じ色の瞳には、濁った欲望が渦巻いていた。
物真似は上手いかもしれないが、あくまで表面だけ。ドス黒い内面から漂う特有の臭さはどれだけ隠したところで隠し切れるものではない。
「ユリウス様? いかがなさいまして?」
「いや、僕が贈ったドレスを着てくれたんだね。エリーシャによく似合っているよ。つい見惚れてしまってね」
僕は何事もないかのように微笑んで見せた。
リーシャという愛称で呼ぶのではなく、あえてエリーシャと呼ぶ。ドレスだけでなく大切な思い出までこの女に穢されたくはない。
当然、愛称のことなど知らないエリアンナはおかしく思っていないようだ。
エリアンナがエリーシャのフリをする理由はどうせ、王子の婚約者という立場が欲しくなったのだろう。
そして既に入れ替わっている以上、目の前にいないエリーシャの身が危険に晒されている可能性が高い。
今すぐにエリーシャはどこだと問いただしたい。
しかし、エリーシャは人質になっているも同然だ。
この屋敷内に閉じ込められているか、それともどこかに連れていかれたかもわからないのだ。どこにいるか判明するまで、今はまだエリアンナを油断させておく必要がある。
もしもエリーシャの身に何かあったなら。
最悪の想像をしただけで、心臓が凍てつくような心地がした。
エリーシャを失いたくない。
エリーシャを愛しいとは思っていたが、それだけではなかった。もう彼女は僕にとって、なくてはならない人になっていたのだと、今さら気がついた。
なんとしてでも、無事に取り戻さなければ。
僕はエリアンナとなんでもない会話をしながら、従者に合図を送る。
「ユリウス様、ご歓談中に申し訳ありません。公務のことで確認事項がございまして」
従者はエリアンナに悟られないように話を中断させてくれた。
「せっかくエリーシャと話しているというのに。すまない、エリーシャ。少し待っていてくれるかい?」
「ええ、もちろんですわ!」
エリアンナから距離を取り、従者に嘘の公務の指示をしながら、暗号でエリーシャのことを伝える。
「かしこまりました。では、公務の準備の件はそのように。お邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「ああ、そっちの準備の方はよろしく頼むよ」
これでエリーシャがどこかに連れて行かれていても、人をやって追跡してくれるだろう。問題は屋敷内に閉じ込められている場合だ。
おそらく、入れ替わりは屋敷ぐるみでの犯行だ。エリーシャは家族だけでなく、使用人からもいい扱いは受けていなかった様子だし、この屋敷の使用人すべてがエリアンナの息がかかっている可能性が高い。助け出す前にやけになった使用人に口封じされては取り返しがつかない。
一秒でも早く救い出したいが、とにかくエリーシャの身の安全を最優先にしなければ。
配下を集め、エリーシャの居場所を特定次第、一気に制圧するのだ。
腹の中の煮えたぎる怒りを堪え、エリアンナに微笑みを向ける。
「待たせたね。でも実は、エリーシャと長い時間一緒にいたくて早く来たんだ。歌劇が始まるにはまだまだ時間がある。よければ屋敷の庭でも案内してくれないかな?」
「まあ、そうでしたの? ではご案内いたしますわ!」
まだ気づかれていないとタカをくくっているエリアンナは、滑稽にもエリーシャの物真似を続けている。
まず庭をと言ったのは、外から屋敷の窓を見るためだった。もし屋敷内に閉じ込めているのなら、場所は限られてくる。
庭を見学する振りをして、不自然にカーテンが閉められた窓はないかをチェックするのである。
エリアンナが色々話しかけてくるが、おかしく思われない程度に返事をしていると、屋敷の床下の基礎に換気口があるのを見つけた。この位置なら、おそらく地下室の換気口だ。地下室も可能性が高い場所だ。
「エリーシャ!」
換気口から僕の声が届くかもしれない。不自然に思われない程度に大きな声で呼びかける。
エリアンナは自分に呼びかけられたものだと思い込んで振り返った。
「はい、なんですの?」
「この花はなんていう花かわかるかい?」
誤魔化すため、適当に換気口近くの花に目を留めたフリをする。
「さあ、雑草ではありませんの?」
まったく興味がなさそうだが、エリアンナは換気口があることに気づいていない様子だ。
「エリーシャ!」
「はい?」
今度は、エリアンナの足元を指差す。
「今、君の足元に毛虫がいたよ」
「きゃああっ! やだ、やだあっ! どこ!? ユリウス様っ、ま、まだ毛虫いますっ!?」
そう言えば、エリアンナは飛び上がって悲鳴を上げた。もちろん嘘。ただの意趣返しだ。
エリアンナは驚きのあまり、エリーシャの真似をするのも忘れている。とんだ大根役者だ。
「ユリウス様!」
と、その時、従者がこちらに走り寄ってくる。
「エリーシャ、すまないが、また公務に関しての相談があるようでね」
「そ、そうですの」
エリアンナから距離を取り、従者の報告を聞く。
「先程の件ですが──」
屋敷からエリーシャが連れ出された様子はないようだ。
ではまだこの屋敷内にいるという可能性が高まった。そして、屋敷の周囲の包囲も済んだ。
──さあ、あとは、本物のエリーシャを救い出すだけだ。
まだ思惑がバレていると気づいていないエリアンナに、ニッコリと微笑んで見せた。




