力量の差を覆すためには賭けるか駆けるしかないという
地の利を読む。
戦いにおいて当たり前に重要なことだ。
こと俺がやっていたFPSは、その影響が大きく出るゲームだった。
もちろんそれなりに課金もしたしハマっていただけに経験値、回数を重ねた経験が戦いを有利に運んだことは間違いない。でも上位ランカーに名を連ねることが出来たのは、いかに戦う前に地の利を読み頭の中に叩き込めるか。それに力を注いでいたからだと思う。
毎回ランダムに地形は変わったが、戦う準備段階でフィールドの詳細が展開されるシステムだった。
そしてフィールドの特徴、遺跡だったり廃工場だったり市街戦だったり。そういうフィールドに現れる構造物は固定されていた。ただ高低差や配置がランダムというだけだ。
このゲームを制するにおいてフィールドを把握するというのは必須条件。
あぁ、わかっている。
そうは言っても、いくら地の利を生かしたとしても「銃器対丸腰(包丁)」では勝ち目はない。マイナスを出来るだけゼロに近づけるだけでしかない。
それに……
「地の利を読むことに力を注ぐ」というのは俺だけじゃない。『ベネッツ』も間違いなく地の利を読んで行動してくる。
だが、それが唯一、俺が『ベネッツ』よりも有利な点なはずだ。
「逃げてばっかりいてぇ。あたし、面白くないなぁ」
「うっせ、冗談じゃねぇ。
包丁一本で立ち向かったって犬死にするビジョンしか浮かばねぇよ」
耳元で囁く『猫乃木まどろみ』に反論しつつ、逃げながら勝ち筋を考える。
包丁一本で銃に挑むほど俺は愚かじゃない。
かれこれ30分近く逃げ回っているのではないか。それだけ逃げられたのは相手が『ベネッツ』だからだ。
そう、『ベネッツ』だから行動パターンや選択するであろう追跡ルートを読むことが出来た。なにせ俺が操作しているのだ。紛らわしいので言い方を変えよう。「過去の俺」が操作しているのだ。
その裏をかくというよりは、当たり前に自分が選ぶであろうルートから外れるように逃げればいいのだ。
そして理解する。こいつは成長しない。
なんだか「自分が成長しない」と自虐的にディスってるみたいで嫌になるが、そうじゃない。『ベネッツ』は『ベネッツ』のままであり、あの頃のままだということだ。
そしておそらく『ベネッツ』は知らない。戦っている相手が中の人、俺自身であるということを。行動を読まれているということを。
精々「逃げるの上手いな、こいつ。つか戦う気ないの? え? 鬼ごっこ?」ぐらいにしか考えていないだろう。そしてこれが吉に転ぶか凶に転ぶかはわからないが、そろそろ飽きてくるはずだ。
だがこれは大きなアドバンテージだ。
俺は俺から逃れるように『ベネッツ』から逃げる。
『猫乃木まどろみ』から言われるまでもなく、これで五分五分。勝利条件は満たしていない。勝ち筋を見出すためには『ベネッツ』を、いや「過去の自分」を知り、見つけるしかない。
まして逃げるだけならいいが武器の差が大きいのだ。
「過去の自分か……」
誰に言うとなくつぶやく。
俺は過去の自分より成長しているのだろうか。
走ってはいる。(今も) 頑張ってはいる。(今まさに)
でもなんだろう。成長している、成長してきた実感がわかない。まるで「吊り下げられた人参を追う馬」のようだ。
走っているのは確かなのだ。しかし全くゴールに近づいた気がしない。本来の目的である人参は得られてはいない。いくら走っても。
たとえその「人参(目的、目標)」の実態がわからなくともだ。そもそも手に入れていないのだから実態など確認のしようもない。
アンダーに入っている。
いけない。ここで鬱に入っている場合じゃない。
今の目標を見失ってはいけない。
「賭けるしかないか……
ははは、賭けると駆けるね。で、あれば行先はあそこか」
俺は頭の中でマップを展開し、目標地点への最短ルート、かつ『ベネッツ』に捕まらないルートを思い描く。
考えすぎていたのか『ベネッツ』から狙撃される。
幸い被弾はしてない。だが向こうもしびれを切らしてきたのは間違いない。
しびれを切らして無謀に挑ませる手もなくはない気もする。が、いかんせんこちらは包丁しかない。銃を所持しているならともかく、今の力量で包丁を投擲したとて当てられる気もしない。
ある意味、これはお互いに持久戦。根気勝負な気がしてきた。
目標地である巨大神殿の遺跡。
そこで活路を見出すしかない。それ以外にこの武器の性能差を埋め、勝つ手立てが思いつかない。
巨大神殿の前に立つ、これまたこのフィールドのシンボル的な巨大女神像が朧げに見えてくる。
「なんとかたどり着いたか……」
だが俺を迎えたのは、
巨大な『猫乃木まどろみ』の石像
ほんとさお前、どんだけ目立ちたいの?
今更だけどさ、俺の推しから大きく逸脱しましたけど?
もう最下位まで転落しましたが? やめてくれる? そういうの!