万能包丁が全てに万能とは限らないらしい
「ふっ、くくく…… うふっ、くははははっ!」
俺は『猫乃木まどろみ』を緩慢に押しやり、その場に立ち上がった。
「うぉっと、本多くぅ~ん! いや隊長、たいちょおぉぉうっ!
もう狂ってしまったであります、かぁ??」
蔑んだ目で、そんなセリフを吐く某アニメキャラを見下ろす。ノーモーションから蹴飛ばす。質量の無い鞠のように転がる様を見届ける。
「ぎゃわわぁ~~~んっ!」
あぁ……、
どう考えたって「現実世界」では聞かないセリフ、いや人の声を介した効果音。
やった俺が言うのもなんだが、蹴りつけた罪の意識が半減、いや10分の1ぐらいには軽減される。もちろんこれまでの鬱憤を晴らすためにやったわけじゃない。
身を再び壁という死角に降ろし、様子を見る。
ケツを丸出し、もといパンツを丸出しに天へと向けて静止する『猫乃木まどろみ』。流石はアニメキャラ。そういうところは抜かりはない。
もっともその姿で萌えるとかはないが。
1、2、3。
転がった奴が狙撃されることはない。
もちろん「NPCが狙撃されない」というのは考慮に入れなければならないが、奴が認識されないものでない限り、ここで狙撃されるかされないかは判断材料の一つだ。
「ひどいですぅう~」
『猫乃木まどろみ』が大粒の涙を両手でこする演出はどうだっていい。未だにそれ以外の気配や殺気が無いことの方が重要だ。
俺はいっそうの確信を得る。
相手は『ベネッツ』にして『ベネッツ』ではない。
俺が憧れた、実在で故人の『ベネッツ』ではない。俺が作り上げた『ベネッツ』だ。
どうりでこの遺跡に見覚えがあるわけだ。
もう数年前のことになるが、俺はとあるFPS(3次元シューティングゲーム)にはまっていた。その時に作ったキャラクターが、好きだったロックバンドのボーカルを模した『ベネッツ』だった。
つまり、相手は「人」ではない!
「くくく。なんだよ、ゲームかよ」
まぁアニメキャラが出てくるんだから、そういうパターンもあると気が付くべきだった。「人を殺せ」という重圧から解放され、ほっと一息つく。
先ほど立ち上がり大声を上げ、『猫乃木まどろみ』を転がした。
しかし相手は無反応。普通のやつなら撃ってくるか何かしらのアクションを起こす。だが『ベネッツ』が、いや、かつての俺の戦い方を模倣しているのなら『ベネッツ』は動かない。初手である程度銃撃し、相手を刺激した後は様子見に徹する。
相手が攻撃に出たならば撹乱し、隙をついて狙撃。相手が待ち伏せタイプ、防衛に出たなら死角、死角へと回り込みながら距離を詰め、一気に仕掛ける。
基本的な戦い方はステルスタイプだ。
まだ相手を直接見たわけじゃない。本当に俺が作った『ベネッツ』なのか確認したい。だがステルスされるとそれは難しい。まぁ見つからない時点で『ベネッツ』だと断定して動くしかないわけだが。
とはいえだ……
相手が『ベネッツ』で、殺すのもゲームの延長だとわかったとはいえ、無謀にも俺が所持しているのは包丁一本。
FPSに銃器無しで挑むのは頭がいかれている。銃器に性能の差はあれど、リロードさえすれば弾は無制限だ。ゲームの性質上、銃器を所持しないで遊ぶやつはいない。
「これはハードモード、いやちょっと無理ゲーじゃね?」
すでにこの居場所はばれている。
俺が攻撃してこないから『ベネッツ』はそろそろ行動を開始する。じわじわと回り込むように、蛇が獲物を狙うかのようにステルスで距離を詰めてくる。
作戦を考えるにしても何にしても、この場にいるのは危険だ。銃器がない以上、弾幕を張っての防衛も撤退もできない。
すぐに移動を開始した。すでに捕捉されていると仮定すれば振り切れるとは思えないが、少なくとも『ベネッツ』が仕掛けてくる範囲に入るのは伸ばしたい。
それに戦うにしても逃げるにしても、フィールドを把握しないことには始まらない。
「おい」
本格的に始まったからか、『猫乃木まどろみ』の姿が見当たらなかった。
居たら居たでウザいし、目立つ追従者は邪魔になるからいらないが、情報がないのは今の俺にとって不利だ。呼びかけてみたものの返答もない。
……、
くっそ。名前を呼べってことか。
「おい、猫乃木まどろみ」
「なんですかぁ? 本多くぅ~ん!
えへへ、やっと名前を呼んでくれました、ねっ!」
うわぁ……
気持ち悪いっ!
姿は見えないが、『猫乃木まどろみ』の声だけはあった。
「直接脳に響く」という感じではなく、なんというか耳元でささやかれている感じで、息が耳に吹きかけられているような感覚。悪寒が走る。
いや、これは耐えるしかない。そうだ考え方を変えよう。そうだ、『猫乃木まどろみ』の声優と電話で喋っていると考えよう。それならその、ちょっといい体験ではないか。
「フィールドを把握する方法はないのか」
「ありますよん! スマホの地図アプリと連動してますから!」
はぁ? なんでこういうところは現代的なんだよ?
そもそもGPSってこの世界が範囲に入ってるわけ? あの世なのに?
一時的に身を隠すによさげな場所を見つけ、そこへ滑り込む。
周囲を警戒しながら俺はスマホを取り出した。
待ち受け画面が『猫乃木まどろみ』になっていた。
チッ、
余計なことするな! 気持ち悪い!