所詮はさなぎから孵らない僕だったから
「もみじ……さん?」
待って、待ってくれ『もみじさん』
此処は、ここは……
「死」という概念。もしそれが人の記憶から消えることを指すのならば、『ベネッツ』や『メガドラゴン』のような架空の存在は俺の妄想から「生まれた」と言えるし、俺の記憶から忘れ去られたことが「死」と言えるのかもしれない。概念として。
でも現実は違う。生物としての「死」というは俺如何に関わらず存在する。俺の概念に関わらず事実、現実、世の中の、あぁ、世界の流れの中に。
いくら俺が忘れていなくとも、記憶の中では「生きている」と言おうとも、やはり「死」はそこにある。『小梅』『スナキヨ』『親父』
記憶の中では忘れられない。俺の中では生きている。でもみんな現実には死んだことを俺は知っている。
そう、俺が此処に来なければ会えなかった。「死」が俺と彼らを引き合わせた。
だから、だからこそ認めたくない。
貴女が、『もみじさん』が……
認めたくない、此処にいることを。
それ以上は言わないで、ねぇ? どうかそれ以上の現実は……
「お互い、死んじゃったんだね」
「あぁ! あぁぁっ! ああぁぁぁぁあああ!!」
なぜだ、なぜ此処に『もみじさん』がいるんだ!
なぜ貴女は生きていないんだ! どうして俺の前に現れるんだ!
いやだ! いやだいやだいやだ!!
貴女は、『もみじさん』は死んでちゃいけない、此処に居ちゃいけない!
貴女は俺の幸せの象徴だ! 生きていて、今尚生きて幸せじゃないといけないのに!
俺の淡い恋慕なんどは他所に、俺と『もみじさん』とは本当の姉弟のような関係だった。その文学に対する姿勢や博識を尊敬していたし、そこから導き出される人生観や倫理観。そういったものに俺はいつも助けられていたし、導いてもらえていた。くだらない人生相談にいつも乗ってもらっていた。本当に姉弟の関係のようだった。
俺の就職が決まり、そして無事に大学を卒業した時には我が事のように喜び祝ってくれた。新たな船出を優しく送り出してくれた。それはつまり俺と『もみじさん』の別れ、物理的な距離感や時間的概念や精神的な別離。そういったものを意味していた。でもそれでもなお、貴女はちゃんと俺の背中を押してくれた。
逆に言えば俺にとっても同じだった。
貴女、『もみじさん』からの卒業。そう、貴女の幸せを祈るからこその別れだと認識していた。
それは勿論、俺の中の帰着。勝手な理想の決着だったとしても。
崩れ落ちる俺。泣き崩れる俺。
情けなく地に伏す俺に『もみじさん』がそっと歩み寄るのがわかる。
でも俺は顔を上げることはできなかった。部分的に機能してる理性、脳は認識する音や気配を事実として処理し俺に伝える。でも残りの大半、心はついていかなかった。受け入れることを否定し、感情の奔流に身を委ねていた。
『もみじさん』が僕の傍らで腰を落とす衣擦れが耳に届く。
柔らかく背に置かれる『もみじさん』の手の体温。
質量を感じる。存在を感じる。
もう一方の手が髪を優しくすく。
優しくゆっくりと、僕の髪がすかれる。
「……だって、もみじさん、だって
どうしてここに居るんですか! なんで死んでるんですか!
娘さんが生まれたよ、って言ってたじゃないですか!!
死んじゃダメじゃないですか、死ぬときじゃないじゃないですか!
ぼく……、僕は嬉しかったんですよ
だってもみじさん、幸せだって言ってたじゃないですか
良い人が見つかったよって、結婚するんだって……
生涯を共にできるパートナーが見つかったって
だって……、だってだってだって!
いやだ! いやです! いやですよこんなの!
だって理不尽じゃないですか!
なんで? どうして! こんなの無いじゃないですか!」
おかしい、おかしいじゃないか!
僕らは死んでるのに、死んだのにここにいる!
『もみじさん』の体温を、質量を、存在を感じているのに!
「わかってます、わかってますよこんなの!
僕の我儘で身勝手な妄想、欲求ですよ!!
押し付けがましいあれですよ!
でも、でもでもでも!
だって、もみじさんは……
幸せになって、幸せになってくれなきゃ……」
僕の身勝手な理想論の押し付けだと。
僕の叶えられない欲求、好きだけど、好きだからこそ。
僕の一番の望みは僕自身が叶えることではなく、貴女を幸せにするのが僕であることではなく、貴女が誰かの手とかなんとかそういうことではなく純粋に幸せになるならば僕なんて僕という存在なんて些細な存在であって些末なことであって只本当に貴女が幸せなら僕は幸せだから理想だとか幻想だとか妄想だとかそういう僕の身勝手な押し付けだとかいうことは本当に重々理解はしていますが
だってだってだって!
僕の中はぐしゃぐしゃだった。
僕はただそのことを受け入れたくない子供。未熟なただの肉塊。
虫けら以下の、成虫に成りそびれた、
さなぎのまま殻の中に閉じた、中身は空っぽな存在。
「うん、そうだね。」
死してなお、暴言妄言を吐く俺を、
『もみじさん』が優しく髪を梳く。
泣き叫び、崩れ落ち、
いつまでも殻に閉じこもる子供の背に、貴女は温かく手を差し伸べる。




