幻想と現実の間に揺れ
「バカ野郎。嘘つくんじゃねぇよ、スナキヨ」
俺は思いっきり壁を殴った。
それで壁が壊れることも、何かが解消されることも無いことは知っている。
ただ殴った手が反動で痛いだけだ。だが俺はその反動、痛みを求めてやっていた。それをわかっていた。知っててやっていた。
思い出した。
あの時の『スナキヨ』はこんなに冷静じゃなかった。いつものように柔らかくも穏やかでもなかった。怒っていた。そして感情が溢れ出して泣いていた。
あの合唱コンクール練習の後半。やる気のないヤンキーグループ、オタクグループ。そのやる気の無さに諦めた真面目グループ、追従するほかのグループ。個々が突出し「負」に伝播し砕けてた。全てがばらばらだった。一致なんてしてなかった。
本人は歌っていない。指揮者だから。
だから誰よりも聞いていた。感じていた。理解していた。
誰よりも怒っていた。誰よりも哀しんだ。
それでいいのか、僕らのクラスは、僕らは! と。
だから俺も小山田も、他の誰もが最大限に叫んだ。
お前の気持ちがわかったから。お前に対して、聴衆に対して、世界に対して叫んだ。俺は、俺らはクソじゃない。俺らは生きている! 俺らは!!
その感情は『スナキヨ』によってまとめ上げられたと思う。でもあの合唱コンクールの当日は、個が過ぎた。「俺を認めろと」という感情が走りすぎた。
そうだな、お前の言う通りだよ『スナキヨ』 合唱は個じゃ成り得ない。合わせなきゃ完成しない。
でもあれは、「個」を叫ばしたは、それを堂々と楽しく優しく唄わせたのは、お前が全身全霊込めて指揮し、まとめ上げたからだろう?
お前は男とか女とかじゃなく、『スナキヨ』として俺らを引き付け一つにしたじゃないか。俺は、俺らはそれに応えただけだ。
殺せるわけないだろ、その気持ちは。
「おちゃらけたり強がったりするけど、
やっぱりシュンちゃんは優しいよ、根っ子の部分がさ。
死そのものがターニングポイントになりえるけど、でもやっぱり通過点の一つだと思うよ? 循環サイクルの一つの形」
『スナキヨ』が教壇までゆっくりと歩む。
「卒業と同じだよ。中学校を卒業してさ、次の世界に移った時に生まれ変わったような、進化して新鮮な気分にならなかった? 良くも悪くもさ、今までとは違う世界じゃなかった?」
確かにそうかもしれない。
色々なタイプの奴がいて色々なグループがあるクラスだったけれど、でもやっぱり仲の良いクラスだったと思う。全員ではないのかもしれないけれど、「卒業したくない」「みんなと離れたくない」と思ってるやつが多かった気がする。
でもその反面、俺は……
ほとんどの奴が地元のいくつかの高校に進学したのにもかかわらず、俺は進路を「地元から離れること」を前提に進学した。地元や仲間が嫌いだったとかじゃない。ただ安寧にするのが嫌で、新しい世界を求めて外へと出た。
「僕は僕の、イレギュラーだった役割を終えただけ。
死んで卒業しただけだよ」
「じゃあ……、
じゃあなんで再び俺の目の前に現れて、生きかえって「殺してくれ」なんて言う!」
「生き返ったわけじゃないよ、シュンちゃん。
これはさ、同窓会ってところかな? 二人だけだけどね」
振り返り優しく微笑む。
「仮初めの再会。
でも、ここから再び続くわけじゃない。一時の夢みたいなものだよ。
思い出を懐かしんでるだけ。
あぁ、懐かしいな、こんな世界があったんだったな、そこに居たんだな、って。
夢なんだから、いつかは覚めなきゃいけない。
そしてね? 再会するのも再び前へと進むのも、条件は最後に「僕を殺すこと」
ただそれだけだよ」
「スナキヨ……
お前は俺の、俺の記憶から作り出された幻想じゃないのか?」
ふふ、
短く『スナキヨ』が笑う。
幻想ならいい。幻想だったなら俺は『スナキヨ』の言う通り「思い出」を殺してるだけだ。自分の記憶が生んだものを消去してるだけだ。
だってそうだろ? 『小梅』は俺が作り出した幻想なんだろ?
お前はお前じゃなくて「幻想」なんだろ?
「うん、幻想なんだから僕を殺しても大丈夫だよ。
だから安心してほしいな」
じゃあなんで、なんでこんなにもお前はリアルなんだよ!
その言葉に騙されたくない。でもそうあって欲しい。じゃないと俺は『小梅』を殺したことになる。記憶でも幻想でもそれは変わらないけれど! でも死には苦しみが伴う。悲しみが伴う。後悔が必ずある。やってしまったことは変わらない……じゃないか。
幻想と現実の間に揺れ、罪悪感や喪失感、それを否定や肯定やらが頭の中を駆け巡る。もはや迷走。前へと進む目的すら見失っていく。
何を俺に求める? 何をしろという? なぜだ?
「はぁ、シュンちゃん。
君の優しさは君自身を苦しめてるのかもね?
優しさってさ、君自身が傷ついちゃダメなんだよ」
「それと、……お前を殺すこととは何の関係もないだろ」
「そこがシュンちゃんだよねぇ」
『スナキヨ』が今までの雰囲気を一変させ、すぅっと温度を下げる。
「ねぇところでシュンちゃん。
シュンちゃんってさ、こういう子が趣味だったっけ?」
何を言い出すんだよ、お前は。
そう思い、はたと視線を合わせた『スナキヨ』は、
侮蔑なのか怒りなのか呆れなのか、見た記憶の無い、
ひどく冷たい目だった。




