眠りにつくという表現はあながち間違いじゃない
「は~い! 起きて下さ~い!」
聞きなれた声に俺の脳みそが急激に覚醒させられていく。それは深い眠りから強制的に起こされる感覚と同一のものだった。「暗い水底から一気に引き上げられるような感覚」と表現すればいいだろうか。釣り上げられた深海魚の気持ちがわかる瞬間だ。
けたたましい目覚まし時計の音に起こされるよりはましだったが、無理やり覚醒させられたせいか心臓が早鐘を打つ。
「ここは……、どこだ?」
眼球だけで周囲を見渡す。見慣れない世界。自分の部屋でも知っている場所でもない。明らかに異質な空間。
上体を起こすために触れた床の手触りに違和感を感じ見下ろす。古い石畳の上に俺は寝ていた。見渡す限り周囲には何もない。壁もない。無いなりに地平線的なエンドラインがありそうなものだが、それは霞がかって見えなかった。同じように天井、いや空も霞に覆われている。
「ここは~、えっとぉ。
俊祐さんの言葉でいえば『死後の世界』ですですぅ~」
目の前に、ここ最近見たアニメの中でイチ推しのキャラ、メイド風ネコ耳娘が立っていた。
「ふざ……けんな」
気持ち悪い。
アニメの実写化というのはよくある。よくあるが、アニメそのまま実写化、いや実体化するというのはありえない。まるで俺自身がアニメになったようではないか。その嫌悪感にここが現実じゃないことを嫌でも認識させられる。と同時に自分自身の体の感覚に、これが現実だと実感する。
「ふざけてないですぅ~
あっ! そうですよね?? 簡単には死を受け入れられないですよね?
俊祐さん?」
「そうじゃねぇ! 俺を下の名前で呼ぶな、気持ち悪い」
「ひどいですぅ~!」
まんまアニメキャラだ。
死後の世界とやらに来て、俺の望みが叶ったように見せかけてそれは余計なお節介。そんなことを望んじゃいない。
ただ嫌でも『自分が死んだ』ということを理解する。それだけここは異質だ。そういう意味では、こいつが一助となっているのは確かだ。
「じゃあぁ~。本多くん、って呼びますね?」
「名前を呼ぶ必要ないだろう……、二人しかいねぇんだし」
周囲を見渡すもこいつしかいない。こいつと俺しかいない。
会話の中で一々名前を呼ぶ必要性を感じない。
意識を失う前と言えばいいのか、死ぬ前と言えばいいのか。
俺はその直前の状況を思い返す。そっか、そうなのか……
「死んだんだな、俺は」
「はい!」
推しアニメキャラ、『猫乃木まどろみ』が柔らかく微笑む。
上体を起こしただけの俺の傍らに、女の子座りで腰を下ろして小首をかしげる。
「んで?」
「んで??
あ~、そうですよね! この後の展開ですよねっ!!」
音もなく巨大な門が、あの遺跡やらファンタジーに出てきそうな巨大な門、扉を閉ざした門が地面からせりあがって目の前に出現する。
ゴゴゴゴゴ、だとか効果音もなく。ファンタジー的な荘厳な音楽などもなく。
「これが天移門ですぅ~
死んだ方はここを通って、次の世界へと行っていただきますぅ~」
「はっ、地獄とか天国とかはどうしたんだよ」
「それは架空の存在、空想の産物ですね!」
「お前が言うな」
まぁ確かに、面倒なことも余計なこともなく、端的でいいじゃないか。
死んだ、次の世界へ行く。実にわかりやすい流れだ。
「また生まれ変わるってことか。現実世界に」
現実世界に心残りだとかそういうものが無いわけじゃない。逆に現実世界に絶望していたわけでもない。どうせ今までの記憶やらはなくなるのだろうし。生まれ変わって一からやり直す、というよりは別の人生だ。
「う~ん、ちょっとニュアンスが違うかもしれません。
異世界といえば異世界でしょうか? 別の世界ですし」
「異世界? なんだよ異世界転生ものか」
「受け入れが早くて助かりますぅ~! 本多くぅ~ん!」
ファンタジーかよ!
「ははは、異世界転移とか転生して俺無双! ってか」
「どうでしょうね? 記憶の持ち込みON・OFFの選択は出来ますけど、あまりそういう方はいませんよ?
それに、無双って。くすっ!」
「冗談に決まってるだろうが!」
笑いやがって。別に期待して言ってねぇじゃんか!
思い付きで自嘲気味に言っただけじゃねぇか、真に受けやがって。
若干の苛立ちを覚え、視線を自分の手に逸らした。
自分が置かれている状況を考える。
記憶を持ち込めるのか。次の世界に……。
そのメリットは何だ? 記憶? 技術? 知識?
確かに今までの経験なんてのは役に立つかもしれない、行った先でも。もちろん必ずしも経験が先の世界で通用するとは言えないが。
しばし悩む。
「……、別にいいや。俺も記憶持ち込み無しで。
早いとこやってくれよ。
ん? 送ってくれ。か?」
そう言いながら俺は立ち上がり、門の前に立った。
見上げるほど大きな門、ピタリと閉ざされた扉。荘厳さというより威圧感を感じる。
「えへへ。
でもでも~、その前にやることがあるんですよぉ」
「なんだよ、なんか書類の手続きとかあんの?」
呆れながら俺は振り返る。やれやれ、事務手続きとかやっぱあるんか。
こちらへニコニコと笑顔を向け、『猫乃木まどろみ』は言った。
「天移門をくぐる前にぃ~、
七人、殺してもらいますね! 本多くぅんっ!」
その張り付けたような笑顔。
そんな表情に似合わない言葉が、静寂した世界に響き渡った。




