銃弾は虚空へと放たれ得るものも無く
犬の「噛みつく」という攻撃は脅威だ。その牙もさることながら、嚙む力は人間の4~5倍以上と言われている。肉食動物なのだから当然といえば当然。
だが開く力、口を開ける力は強くない。首さえ振らせなければ片手でも押さえつけることができる。
そして、ネコ科の肉食動物と違い武器はその牙しかない。イメージではネコ科のように爪も武器になりそうなものだが、ネコ科と違って手首が回らない。引っかいたりホールドするための鋭い鉤爪は無い。
俺は『小梅』を抱きしめるように覆いかぶさり地に押しつける。
逃れようともがく『小梅』を両足腿で挟み、体重をかけて動きを制す。
「ごめん……、ごめんな、ごめん……」
嗚咽交じりに呟く。目をつぶり『小梅』と共に闇へと堕ちる。身体を沈める。
時折抵抗は示すものの、暗闇に閉じ込められた『小梅』の力は弱い。
こんなに小さかったっけ。あぁ、俺が大きくなったからなのかな?
あれから何年経ったんだろう。お前が亡くなってから何年が経ったんだろう。
もっと遊んでおけばよかったな。いじわるしなきゃよかったな。
ごめんな。ほんとにごめん『小梅』
死んだはずなのに。俺も『小梅』も死んだはずなのに。
心音が伝わってくる。身体の中心から伝わってくる。
息づかいが聞こえる。苦しそうな息。抑える左手に伝わる体温。
その毛の感触……。
どれぐらいこうしていたのだろう。
どれぐらいの間『小梅』を抱きしめていたのだろう。
ずっとずっとずっと。俺は祈るように、願うように。
贖罪の言葉をつぶやき続けていた。
ごめん ごめん…… ごめんごめんごめん…… ごめん……
母から電話で『小梅』が亡くなったと聞いた時も泣いただろうか。
一種の諦めや、喪失感や。「いつか来る日」を理解して、ただ当たり前に受け入れてしまったのではないか。「眠るように」という言葉に慰めと仕方がないという諦めのもとで、俺は感情を殺したのではなかったろうか。
失う、失った。損なう、損なった。
俺は俺の意志で、『小梅』を亡くしたのではないか。受け入れたのではないか。
すべての後悔や償いが涙となって、声となって。
その背を撫でるように、俺は『小梅』の首輪に手をかけた。
もがき苦しむ動き、息づかい、死を抗う全て。
全てを受け入れ、全てに謝罪し、俺は『小梅』を殺す。
生きたい。生きたかった。
そういう生への渇望が俺の中へと伝わる。
いつまでうずくまっていたのだろう。
いつまで地に伏し、縮こまっていたのか。
もうその手の内に『小梅』はいない。その温もりも息づかいも生命の鼓動も無い。その毛並みの感触も強さも可愛さも何もかもが消え失せ、そこには無い。
『猫乃木まどろみ』が何かを言っていたのは知っている。
クルクルと俺の周りで踊っていたのは知っている。囃し立てるように、次を促すように、俺を問い詰めていたのは知っている。
こいつは、これは。
俺の心を折るのが目的か。
心を折り、責め立て、自壊させるのが目的か。
「ごめん、な。」
そう最後に呟き、俺はゆっくりと面を上げる。
視界に入るそこは草原ではなかった。最初の石畳だった。
その石畳の先に黒い塊を認める。
ギュッと目をつぶり、視界を遮っていた涙を落とす。
膝立ちで進みながらその黒い塊、手放した拳銃を再び俺は手に取った。
膝立ちのままそれを見下ろす。
「あはっ! 死にたくなりました?」
「なってねぇよ……」
死にたいぐらいの空虚感。死にたいぐらいの喪失感。
でも俺は死を選ばない。それよりも強い感情が沸き上がっていた。
「ふふふ! そ~~~ですよね~~!
すでに死んでるんでしたね♪」
「あぁ、そうだな」
腰に手を当て、上体を横にかしげて得意のポーズをとる『猫乃木まどろみ』
満面の笑みで俺を見つめる。
「殺したいぐらいだ」
ダン! ダン ダン ダンッ!
『猫乃木まどろみ』のその顔に照準を合わせ弾丸を放った。
全弾打ち込んでやりたかったが、二発目からは撃った反動で手が跳ね上がり上空へと弾丸が飛んだ。そして肩が外れたのが分かった。痺れるような激痛。だが今の俺にはそんな痛みなど「痛み」に入らない。
「やる気がないのかと心配してましたけど~
これなら心配はいりませんね! うふ!」
「チッ」
まるで一粒の砂糖菓子でも摘まむように弾丸を持ち、それにキスするジェスチャーを取る『猫乃木まどろみ』。どうせ殺せないだろうとは思ってはいた。うっ憤すら晴らせない。この理不尽に怒りをぶつけることすらできない。
俺はだらりと外れた腕を、銃を下ろした。
「さ~て、さてさてさて! じゃ~武器選び、ですねっ!
それは~、お気に召さなかったみたいですし~」
「これでいい……」
「ん?」
背後を向け、盛大に両腕を振り上げた『猫乃木まどろみ』が不思議そうに振り返る。一々取るその決めポーズに怒りが増す。
「これでいい! ささっと次へ進めろ!」
「あは~! も~、もうもうもう!
本多くんったら、せっかちさんなんだから~!」
ゆっくりと照明が落ちていくように辺りが薄暗くなっていく。
それと相対するように次の舞台が朧げから形を成していく。
「サービスで肩は直しておいて、あげますね♪」
壁? 窓? これは……廊下か?
キャハハハハ! という甲高い笑い声に見送られながら、その風景、その情景を記憶と結びつける。
ここは……、中学校か……
そこはかつて俺が通った中学校の廊下。
夜の学校だった。
『小梅』
主人公が小学生時代に飼っていた犬。老衰で亡くなった。
雑種、オスの中型犬。




