闘争本能が本能だというのならそれはどこに向ければいいのか
ガキンチョの頃によく遊んだ近所の公園。あらためて見ると公園というよりは緑地に近い。いくつかの遊具とベンチ、そして草原と小山とたくさんの木々。
その小山の上に立つ犬。
小柄で、遊んでくれるのを待っているようにこちらを見下ろしている。
「小梅……」
見間違うはずがない。間違いなく『小梅』だ。
実家で飼っていた。やんちゃで人懐っこくて、よくここで散歩がてら遊んだ。
高校に上がり実家を離れ、それからしばらくして亡くなった。老衰だったと思う。最期は眠るように息を引き取った、と母から聞いたのを覚えている。
生きているはずがない。そんなはずはない。
でもそこにいるのは『小梅』で、ここでは現実だ。
「殺せるわけが……、ねぇだろうが」
俺は持っていた拳銃を手から離し、落とした。
『小梅』は死んでいるのかもしれない。俺だって死んでいる。でもこうして二人ともここにいる。『小梅』は俺が作り出した妄想、記憶かもしれない。『ベネッツ』や『メガドラゴン』のように。ただそこに現れただけの偽物かもしれない。
でも、だからと言って! 殺せるわけがないだろうが!
「あれれぇ~、せっかくの武器なのにぃ」
怒りにカッとなり『猫乃木まどろみ』を睨む。
そんな俺の怒りなど何事でも無いかのように『猫乃木まどろみ』はベンチで足をブラブラとさせる。満面の笑みでさらに言葉を続ける。
「試合放棄わぁ、できませんよ?」
ワンッ!
視線を戻すと、尻尾を振りながら小山から駆け下り『小梅』が俺の元へと走ってきた。迎え抱きしめようと腰を下ろし両腕を広げる。飛び上がり頭から突っ込んでくる『小梅』。
その勢いに俺はそのまま尻もちをつく。
「ツッ!!」
突如、右上腕に痛みが走る。
牙を剥き出し、低い唸り声を上げながら噛みついてくる『小梅』。
遊びじゃない。甘噛みなどではない。確かにこういう「戦いごっこ」みたいなことはした。してきた。でもそんな生易しいものじゃない。本気で『小梅』は俺を襲っている。
忘れたのか、俺を。わからないのか、俺が。
忘れたのは、俺なのか? わかっちゃいないのは、俺の方なのか?
鋭い痛みとともにパニックが頭の中を駆け巡る。『小梅』を見る。視線が合わない。その目はまさに獣のそれ。俺は……、俺を敵認定か。
赤い首輪に書かれた「小梅」の文字が、涙で滲む。
食い千切らんと首を振ってくる前に、傷が深くなる前に俺は左手で鼻っ面、『小梅』の目元を覆うように掴んだ。
噛みついた牙が緩む。そのまま上顎に指を差し込み引き離す。
『小梅』はボールを投げて取ってくる、持ってくるような犬じゃなかった。投げたボールは独り占め。ひたすらかぶりつくタイプだった。
だから俺は、遊ぶときはもっぱら「戦いごっこ」だった。その最中、『小梅』がヒートアップし過ぎて力加減が強くなる時もあった。だから自然に俺も対処法を学んだ。
犬は視界を奪われると行動不能になる。一時的にパニックになり闘争本能が落ちる。
距離を取り、態勢を直す『小梅』。
一時的に削いだ闘争本能だったが、それで無くなることはなかった。立ち上がった俺を威嚇し、次のチャンスを伺うように低く唸る。
視線を外さず、横目で落ちている拳銃を見た。
「撃てば一発で終わりますよね~~~♪」
クソが。
俺は落ちている拳銃を思いっきり蹴飛ばした。
その勢いに『小梅』が飛びのき、さらに距離を取り警戒する。
俺の次の行動を警戒しつつも、依然と闘争心、獣としての本能は全開だった。
「来いよ! 小梅ッ!!
遊んじゃるよ! かかってこいッ!!」
俺は態勢を低くし、両椀を大きく掲げ構える。
めい一杯に目を見開き、溢れる涙で視界が遮られないように睨む。
かつても口にしたであろうセリフ。あの時は笑いながらだった。『小梅』だって笑いながらだったんじゃないだろうか。俺も楽しかった。『小梅』も楽しかったよな? 俺たちは真剣に「戦いごっこ」したんだよな? 真剣に遊んだんだよな?
『小梅』は犬としての本分、獲物を狩るという闘争心の邂逅。
それを焚きつけつつ、やっぱりそこに在ったのは模擬戦。遊びの延長だったはず、そうだったはずだ。
でも……
これは、今は遊びじゃない。自分が生きるため、相手を殺すため。
少なくとも『小梅』は本気だ。俺を殺しに来る。体格の差はあれど、喉元に噛みつかれたら多分俺は終わる。爪よりも何よりも、その牙が本気を出したなら凶器以外の何物でもない。
噛まれた右腕が痺れる。その腕を前へと防御のように掲げ、にじり寄りながら距離を詰める。『小梅』が左右へとステップを踏み、吠える。俺を威嚇する。
こちらからは仕掛けない。敏捷性では勝てない。仕掛けてくるタイミングを見ることに全神経を傾ける。
ガァウッ!
飛び掛かってくる『小梅』、狙いはわかっている。
犬は思ってるほど口は開けない。必然的に嚙める範囲は絞られる。つまりは末端。腕や足などの四肢。だから俺は噛ませるために右手を差し出した。
わかっていれば対処も出来る。噛みついてきたところへジャブを打つように押し込んで勢いを制し、すぐに腕を引く。
「ツウッッッ!」
噛みついてきた牙が俺の腕を掠り、切り裂く。
痛みに堪える。人間が獣よりも不利なことは体毛が無いこと。そのかわり有利なことは服を着ていることだ。腕を引けば空振りする。そして噛んだそれは、犬には引き抜けない。
素早く鼻っ面を左手で掴み、痛む右手で『小梅』を抱き込む。
「ごめんな、ごめん……」
逃しはしない。
俺は大好きだった『小梅』を強く抱きしめた。




