全てをこの渦の中に置いていきたい
ファンタジーの世界を彩る重要なものに「魔法」という概念がある。
これは特定の呪文、いわゆるスペルを口にすることで発動する超常現象だ。最近は「詠唱破棄」なんかもあるが。
そして現実世界、いやアニメ界にも特定のスペルを発することによって起こる現象がある。いわゆる「お決まり」というやつだ。
「パンツはどこだ!」と発することによって起こる現象。すなわち、
「んきゃー----っ!
もう! もうもうもうっ! ばか~~~んっ!!」
浴室の扉が「カラッ」と開き、『猫乃木まどろみ』が物を投げてくる。
それより早く俺は一つ目のミッション、「電源ボタン」を強く踏んだ。
ここで『猫乃木まどろみ』が投げたものが何なのかは賭けだ。
1、手桶などを投げて来た場合は気絶エンド。ただ俺のサイズでは気絶どころか死亡。
2、シャンプーなどを投げつけられ、当たる前に中身がぶちまけられる仕様。そしてそれによって派手に転び抱きつく、乳を鷲掴みにするなどのラッキースケベエンド。これもまた1と同じく死亡確定だ。
3、そしてタオル等が飛んでくるパターン。ここで重要なのはタオルと思いきや、なぜか下着が飛んでくるという、ラッキースケベの簡易版エンド。
『猫乃木まどろみ』が俺を殺さないルールがある以上、ここで飛んでくるのは3。この際、それが何なのかはどうでもいい。
「よしっ!」
二つ目のミッション、「スタートボタン」を踏みつけて跳躍。そしてすぐに三つ目のミッション、投げられたタオル(と信じたい)ものにダイブして全身でキャッチ。
ギィイイイヤッッアアアッ!!
『メガドラゴン』が猛り狂い、激高する。
この『メガドラゴン』、攻撃パターンはだいたい決まっている。距離や対象の行動で「物を投げる」「ファイヤーブレス」「直接攻撃」。
そして必殺技の「メガアタック」。これは通常攻撃と違い「対象を強敵認定」して初めて発動される。重要なのは「強敵認定」であって、必ずしも強敵になる必要は無い。「強敵っぽく」なればいいのだ。すなわち俺が大きくなればいい。
スリッパを装備して飛んだように。そして今回はタオル(より小さい気がする……)を身にまとって飛ぶように。
ようは「大きなもの」が動けばいい。
「来いよっ! メガドラゴン!!」
俺は奈落の底のように大きく開いた穴、洗濯機の中へとダイブした。
『メガドラゴン』が眩い光を放つ。直後に襲ってくる衝撃波。
「グアッ!」
全身が軋む。骨がどこかしら折れた気がする。だが気を失うわけにいかない。
電源、続いてスタートボタンを押したことによって起動する洗濯機。大瀑布よろしく大量の水が頭上から注がれる。
ギィイイイヤッッ
「に、逃がすかよ!」
俺は体中の痛みを無視し『メガドラゴン』に飛びつく。
「メガアタック」。なんのこっちゃない、ただの体当たりだ。……まぁ設定はどうやら音速のようだが。
でも設定上、発動直後の奴は直近にいる。吹き飛ばされなかったのはすでに底についていたからだ。ありがたいのは洗濯機の底にはすでに洗濯物が放り込まれていたことだった。これが二つ目の賭け。「メガアタック」の衝撃が吸収され、ダメージは多少なりとも軽減された。
降り注ぐ水の中、ショートソードを『メガドラゴン』の背中に突き立てる。
硬い、まだ柔らかくはなってない。だがここがやつのウィークポイントなのは知っている。翼の付け根が一番弱い。作ったからこそ、一度もげたからこそ知っている。
暴れる『メガドラゴン』の翼にしがみつきながら何度も何度もショートソードを突き立てた。
『メガドラゴン』の片翼がもげる……
これでもうこいつは飛べない。
「ははは……、これで俺の勝ちだな……」
突如、轟音と共に水がうねりをあげる。洗濯機が回り始める。
濁流にのまれながら、そして『メガドラゴン』の悲痛な咆哮を聞きながら、俺は意識を手放した。
夢を見ていた。
小学生の頃の夢だ。日に日に生意気になっていく二つ下の妹。小突きあい、押し合いながら洗面所で歯を磨く。遠くから「遊んでないで早くしなさいよ~」という母親の声。
遊んじゃいない。
いや、あの頃なんて毎日が遊んでいたようなものか。
幻想、虚構、妄想。
そういったものが現実と共存していた。そこに境目は無かった。作ったドラゴンは確かに飛んでいたし、俺は剣士だったり魔法使いだったりした。
冷めた目で見ていた妹だってそうだ。世界観が違うだけで空想がそこら中に溢れていた。
そして……、
大人になるにつれ少しづつ少しづつ、現実が濃くなっていく。
俺は何かを忘れていく。何かを、気が付かないうちに失っていく。
「忘れるということは殺すということ、死ぬということ」
じゃあなんだよ? 忘れるなと言いたいのか?
喜びや楽しいことばかりじゃない。現実は。悲しいことも辛いことも、怒りも喪失感も虚無感も無力感も。
眩い光が襲う。
襲ってくる衝撃に全身をこわばらせ身構える。だがそれは来なかった。
勝負は……、ついたということか。
つまり、
「さっさと次に進めろ、クソ野郎」
光を手で遮り緩慢に起き上がった。
まだまだ序章。休む暇もなく第3ラウンドが始まる。
『メガドラゴン』
小学生のころの夏休みの自由研究で作った粘土の怪獣。
気が付けば母親に捨てられていた。




