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「……蓮の、気持ちはよくわかった。だけど、だけど――――お母さんは蓮が異世界に永住することを、認めません」
「…………は、なんで?!」
蓮は私の答えを聞くと目を見開く。
「な、何でだよ!何で、何で母さんは許可してくれないんだよ!」
「……蓮が、頑張ろうとしてる気持ちも汲んであげたいし、本当は応援してあげたい」
「だったら!!」
「でも!!!お母さんは貴方に傷ついてほしくない。苦しい思いをして欲しくないの。……ねぇ、お母さんの気持ちもわかるでしょ?」
私がそういえば、蓮は顔を歪ませる。
私は――自分のエゴを息子に押し付けてしまうとわかったが、私が出した答えは『異世界への永住を却下』。蓮のことを思うのならば、子どものことを思うならば会えなくなる可能性があるとしても、許可を出すべきだったかもしれない。
だけど、どうしてもできなかった。
それは私が、子離れが出来ていないからかもしれない。
けれど、考えて欲しい。大事な大事な子どもが、死ぬかも知れない場所に進んで行こうとしているなら、止めてしまうのが普通ではないだろうか。
今だ明確に自分の気持ちを言葉にすることは出来ていないが、蓮は私が決定を覆すことがないとわかったのだろう。何も言わずに立ち上がると、キッと私を睨みつける。
「最っっ低だな母さん。母さんは異界の人たちが死んでもどうでもいいってことなんだろ!」
「なっ!?そ、そんなわけないじゃない!」
「だったら、何で俺の永住を却下すんの!却下するってことはあっちの人たちが死のうが苦しもうがどうでもいいってことだろ?!」
「っ、蓮!いい加減にしなさい!」
とんでもないことを言ってくる蓮に対して私は思わず声を荒げてしまう。
蓮はそんな私を見ると鼻で笑って言葉をつづける。
「別にどうでもいいよ、母さんなんて」
「……っ、はぁ?」
「母さんの許可がなくたって、別に異世界に永住できるしな。俺はせめて報告でもって思って言いに来ただけだし。これで義務は果たしただろう。俺がどこに行こうと、母さんたちに顔を見せなかろうと、二度と俺のこと何て気にしないでくれる?」
「あんた……何言って……!」
「もう、うんざりなんだよ!」
蓮は私の胸ぐらを掴むとはっきりとこう言った。
「何をするにしても、報告させるなんて……今時じゃあ、ねぇんだよ。母さんがしてることは毒親と変わんねぇよ!」
「……ぇ」
蓮はそう言うと私の胸ぐらを離し、リビングを出ていこうとする。
私は乱暴に離された衝撃でテーブルに手をつくことしかできなかった。
そんな時、蓮がリビングを出ていことする前に突然リビングに人が入ってくる。
「……っ、みふゆ!蓮が戻ったって…………えっ?何この状況?あっ、蓮!」
入ってきた人物は私の旦那であり、蓮の父親である零だった。
蓮は帰ってくると思っていなかったのか、零の姿を見ると小さく言葉をこぼす。
「……と、うさん」
「お帰り、怪我はないかい?心配したんだよ」
「……ねぇ、よ」
「はぁぁあ……そっか、よかった……ところで、二人は喧嘩したのかい……?」
どうやら、仕事を切り上げて走って帰ってきたようだ。蓮に近付いてきた零の額には薄っすらと汗が滲んでいる。
蓮の無事を確認した零は、ほっとした表情を見せるが、私が何も言わないことに首を傾げて聞いてくる。
蓮は何も答えないまま、そっとドアに手をかけるがつかさず零に止められる。
「蓮。何があった?それと、どこに行こうとしてる?」
「…………」
「……久しぶりなのに、そんな態度はあんまりじゃないかい?今の状況を説明してくれる?」
零にそう問われれば、蓮はおずおずと今起きたことを簡単に説明する。零は蓮の説明に「うん……うん」と頷きながら聞いていた。
一通り説明を聞くと「そっか。そんなことがあったんだね」と優しく答え言葉を続ける。
「蓮も、大変だったんだね。……でも、だからってお母さんの気持ちを汲んでくれないのはあんまりじゃないか?もう少し話し合ったほうがいいと思うよ?」
零はそう言うと、「ね?」と言って蓮の腕をつかむが、蓮は零の手を弾く。
「っ、ざけんな!どうせ父さんは母さんと同じように、俺に許可出さねぇんだろ!」
「いや、別に父さんは……」
「はっ、嘘だね!父さんは母さんが言えばその通りにするだろ……!」
蓮はそう言うと、零の言葉を待たずにはっきりとこう言った。
「こんな家、帰ってくるんじゃなかった!母さんたちになんか、会うんじゃなかった!」
「こら蓮」
「っ」
蓮の声は今まで以上に大きい。
零はそんな蓮の態度に対しても特に困惑することもなく冷静に呼びかけるが、私は冷静ではいられなかった。
「蓮、今の言葉は撤回しなさい」
「嫌だね、俺のことなんかほっとけよ!」
蓮が零にそう言い放った瞬間、私は思いっきりテーブルを叩いてしまう。
――バンッ!
思ったより音が大きくて、零が遠慮がちに「……みふゆ?」と聞いてくるがそれどころではない。
私はズカズカと立ち上がり蓮の方まで行けばはっきりと目を見る。
「な、なんだよ」
「……いい加減にしろよ」
「は、はぁ?」
私が言い返すとは思っていなかったのだろう。蓮は狼狽える。
いつもの私であれば、何も言わずにただ黙っていただろう。しかし、私はもう我慢の限界だった。
「さっきからああ言えばこう言う、何なんだよ」
「な、何なんだよって……!」
「じゃあ、好きにすればいいじゃん。初めっから私達の所に帰ってこないで、ずっとあっちに入れば良かったじゃん。何で帰ってきたわけ?」
「な、に言って」
「あんたがそう思ってんだったら私だってあんたのことどうでもいいわ。そもそも聞く気ないなら聞くなや……あんたこそ、二度とお母さんの前に姿見せんなよ。後は勝手にしろ」
私は蓮にはっきりとそう言い放ち、その場から離れ2階の自室に向かう。
途中で後ろから「ちょ、みふゆ?」と呼びかける零の言葉が聞こえたが、聞こえない振りをし自室に入る。
何度か深呼吸を繰り返すが怒りが収まらない。それに、怒りだけではなく私の心にはいろんな感情が渦巻いていた。蓮に対しての罪悪感。親としての不甲斐なさ。自分の気持ちばかり優先してしまう怒りなど、色々なものが渦巻く。
すると、流石に耐えきれなくなったのかポロッと涙が溢れてくる。
「ぅぅ……」
ぐちゃぐちゃになった感情が苦しくなった私は、タオルケットを被り、無理やり感情を抑えるため寝ることを決意した。
(私は、悪くない)
目元辺りが何だか冷たい気がするが、私は目を閉じた。
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一方、リビングに取り残された蓮と零は動けずにいた。――いや、正確には蓮が動けなくなっていた。
ここ最近、母親であるみふゆに怒られていなかったため、あまりの驚きで動けなくなっていたのだ。
零はそんな蓮を見かねて優しく声をかける。
「……蓮、もう一回だけ父さんに説明してくれる?蓮の帰ってきた時から、今に至るまで。出来れば詳しく説明してくれると嬉しいな」
「ぁ……うん」
蓮は零にそう問われると、先程の話した内容より詳しく説明した。
自分がどう帰ってきたのか。自分が母に言ったこと。それから自分がこれから異世界で永住したいこと。異世界についてなど色々と。順序が入れ替わりながらも蓮は赤裸々に説明した。
蓮が一通り説明を終えると、零は微笑みながらゆっくりと蓮に伝える。
「まずは、父さんの結論から言おうか。父さんは、別に蓮が異世界で永住したいってことには反対しないよ」
「……えっ」
思いがけなかった父の言葉に蓮は目を見開く。
それもそのはず。
零という男は、基本的にみふゆの言うことすべてに賛同する男だからだ。
これは家族全員が知っている事実。
それなのに、珍しくみふゆの意見ではなく、己の意見に賛同してくれたため、蓮は目を見開いたのだ。
そんな蓮の様子に零は困った様な表情で答える。
「まぁ、正直なところ母さんがあそこまで拒否してるなら、僕も賛同したいところだけど……蓮は自分でそうしたいって、考え抜いたんでしょ?」
「……」
蓮は声には出さなかったが力強く頷いた。
「だったら、父さんは反対しない。やりたいことが……目的があることは良いことだからね。だけど――」
零はそこで言葉を区切ると優しい表情で蓮を見つめる。
「母さんのこと、そんなに責めるのは少しいただけないかなぁ。蓮が、子どもたちがいなくなって一番探していたのは母さんなんだ。ずっと、ずっと怪我はしてないのか、事故にあってないのか気にかけていたんだ」
「……」
「それだけは、覚えておいて」
「………………」
「母さんに何も言わずに無言で異世界?っていうのに行っても良いけど、蓮は後悔しない?」
「…………」
蓮は零の言葉に視線を落とす。すると、零はそんな蓮の頭にぽんっと手を置いた。
「もう一回、ゆっくりと考えてごらん。母さんことは父さんに任せて、ね?」
「……うん」
「じゃあ、話は一旦これで終わり。今日は――って、さっきはどこに行こうとしてたんだい?」
「ぁ……友達の家に、泊まりに行こう、かなって……こんな状態だと、話もできないから、頭を冷やすためにも……」
蓮は視線を落とし、しどろもどろになりながら答える。
零は蓮の言葉を聞くと「そっか。明日は帰ってくるのかい?」と問いかけた。
蓮は少し考えたあと「帰ってきたいとは、思ってる」と素直に答える。
「じゃあ、明日帰っておいで。それまでには母さんをなんとかしておくから」
「……うん」
「あぁ。友人の家に泊まるんだったね。着替えは持ってくのかい?」
「あー……今2階には、行きづらい、な」
蓮が肩を落としてる様子に零はいつも通りの声音で会話をする。
「そっか。……なら、お金はこれぐらいで大丈夫かい?」
「…………ごめん、ありがと」
「どういたしまして。ついでに父さんが使ってないこの財布を持っていきなさい。あと、着替えもそうだけど、友人の家にお世話になるんだからきちんとするんだよ?」
「……うん」
2階に行きづらいと行った息子のために、零はテキパキと小さなカバンと財布を蓮に手渡し玄関まで見送る。
「車に気をつけてね、いってらっしゃい」
「ん。いってきます」
蓮は零に軽く手を振り、友人の家へと向かった――。




