泡沫を残した
重々しく打ち寄せる波が、浜辺に飛沫を残しては、去っていく。支子の色にも似た砂の上で儚く、その泡は消えてしまう。
真っ青な水平線だったはずがいつの間にか、茜色の絵の具が零れたみたいに一面を紅潮させていた。焦げてしまいそうなほどに。
「あ、いた」
ふと、蹲るヒナの背後で高い声がした。物寂しい浦でそれは、濤声にかき消されることなく届いて。
ヒナは目をこすってから振り向いた。カオリは、
「どうしたの、こんなところで」
つっけんどんとまでは言わないが、ずけずけとスニーカーのままヒナに近づく。途中、ジーンズの裾をまくって、躊躇いもなく隣に腰を下ろした。
「――フラれた」
緑の黒髪が、弧を描いて靡く。
「……そっか」
ひとつ、息を吐いたカオリは、スニーカーと靴下を脱ぎながら後ろに手を突いた。
「まだまだこれからだよ」オレンジ色の空を見上げて言う。「むしろこれから」
カオリの、首のあたりで切り揃えられた黒髪が潮風に揺られて。
「……うん」
もうひとつ、元気のない生返事でヒナは頷く。
「そぐわないかもだけどさ」
ざぁ――っと引き寄せられる波の音が響いた。少し間が空いて、
「女の数も、男の数も、星の数だけいるって言うじゃん」
こくり、とヒナは頷いた。
「でも、星には手が届かないっても言うよね」
またこくり、と。
「それってさ、うちらを星に喩えてるからだよね」
……こくり。
「多分、人間って星じゃないよ」
しめやかに、カオリはため息の交じったような声音でそう呟いた。そのまま、カタカナのホの字――否、大の字に、仰向けになった。
突然にカオリが倒れかかって、思わずヒナはカオリを振り向く。
……屈託のない、笑顔に。その白い歯を真っ赤な夕空に見せて、いるようだった。綻んだカオリに釣られてか、ヒナもどこか笑窪が浮かび上がりそうで。
「――じゃあ、私たちって、なに?」
半分意地悪で、もう半分は興味で訊いた。
「うちらは、……うちらだよ。星でもないし、ちっぽけな存在でもない」
「んー、何なんだろうね、人間って」とカオリ。
「私は」と、ふいに口を衝いて出た。「世界で一番でたらめな生物だと思う」
「でたらめ?」
「うん」
行先を見失った一羽のカモメが、海の上を右往したり左往したりしている。
「今までで、一回も矛盾したことがない人間、なんていると思う?」
三角に座ったまま、ヒナはもっと足を体に寄せて、砂浜に寝そべったカオリに問うた。
「まあ、うちが小っちゃいときなんて、嘘ばっかりついてたし……意外と自分でも気づいてないかも――」
「そう。そうなんだよ」
言下にヒナは、少し取り戻したような明るめの声で続ける。
「でも、それは幼いときだけじゃないと思うんだ」
「今も、ってこと?」
「うん」と首を縦に振るヒナの表情が、徐々に、季節の秋と似合わないものになっていく。
「例えば、先生が『人によって態度を変えるのはやめなさい』って言ったとして」
と、言いながら、次の言葉やシチュエーションを探るように水平線を見渡す。
「本当は、先生は、自分の嫌いな人に対してあからさまに嫌な顔をしたり、成績の優劣とか、見た目の好みで人を判断するなって言いたいんだよね」
「うん」
「でも、『人によって態度を変えるな』っていうのは、目上の人にも、友達と同じように接しなさい、とか、それか逆かな、そんな感じのニュアンスもあると思うんだ」
浜の遠くの方で、暗緑色のビンが流れ着いたらしかった。
「だから、それって矛盾してるよね」
「あぁー。なんていうか、自家撞着的な」
「そうそう」と首肯するときにはもう、晴れ晴れとした顔付きだった。まるで蟠りが、込み上げて口から出て行ったみたいに。
「そういう、細かい自家撞着って、自分自身すら気づかないことが多いだけで、実際にはうんとたくさんあると思うんだ」
「――だから、人間はでたらめなのか」とカオリが締めくくる。大の字から人の字になっていた。仰向けのまま腕を組んでいる。
おもむろに、体を起こして、
「そう考えたら、星って几帳面なんだ」
背中に付いた砂に構いもしないで、不安定な砂場を、素足のままに立ち上がる。
「もう、夕方だけどさ、あと少ししたら夜になって、もう少ししたら朝になるんだよね、絶対に」
「そうだね」と言いながらヒナも腰を上げた。
「けど」ヒナが、相好を崩しながら付け加える。「星って楕円軌道だから、案外適当なのかもね」
「ははっ、確かに」
夕陽に向かって笑い合う二人の遥か頭上で、仲間を見つけたらしきカモメが白い翼を羽ばたかせる。
すると二人は、水平線まで走り出した。
遠くて遠くて掴めない水平線に。
海の向こうからやって来たビンに、赤ワインが入っていた。行ったり来たりする波に打ちひしがれないそのビンの背景に、睦まじく、二人の少女が水を掛け合っている。
ヒナは、海水に頬を濡らしていた。