郭図と言う男
荀彧・郭援と分かれた郭図。
道中、ちょっとした寄道も許されず郭嘉に引き摺られる様にしてなんやかんやと冀州の南皮に直行。
その表情は不貞腐れているが、荀攸を救うと言う目的がある為、あくまでこの表情はただのフリである。
小言を言われぶー垂れてはさらに小言を言われる。
きっとこれが郭嘉に対する郭図なりのコミュニケーションの取り方なのだろう。
はっきり言って面倒臭い男である、
「手土産のひとつやふたつ持って行った方が良いと思うんだけどなぁ……」
「そんな物は必要ありません」
礼儀として土産は必要と主張する郭図。
しかし、そんな郭図の主張をバッサリと切り捨てる郭嘉。
「いや、でもさぁ……」
「はっきり言いますが、その辺りの店で適当に選んだ物などは袁紹どのが相手では逆に失礼に当たりますよ?名門袁家の抱える財の前では郭家と荀家を足した所で高が知れているんですから」
「手ぶらで行ったら門前払いされそうじゃん?」
「贈るのは物でなくとも良いでしょう。袁紹どのが欲しい物は従兄どのの頭の中にいくらでも詰まっているでしょうに」
「嘉はオレを買い被り過ぎだぁ。オレ程度のヤツに考えられる事だぞ?そんなもん高が知れてるって。袁家には文武問わず人が多い。袁家にいる連中と比べたらオレはそこいらで燻ってる有象無象と変わらんよ」
道中で言葉を交わす中、郭嘉は頭痛を堪える様に額に手を当てた。
郭嘉からすれば従兄であるこの男は自身の評価が余りにも低い。
人間性には色々と問題はあるが、そんなものは些細な物と思える程の奇才の持ち主。
それが郭図に対する郭嘉の評である。
過剰な自信を持っているよりは良いのだろうが、自身を有象無象と同じとするのは如何なものか。
郭嘉は知っている。
郭図が持つその才を。
故郷である豫州・頴川にある陽翟県。
豊かな比較的治安の良い所ではあったが、世の乱れに呼応する様に増えた匪賊の影響が全く無かった訳ではない。
時折、賊が襲撃してくる事があった。
それを事あるごとに県令が討伐したのだが、これに郭図が従軍していた。
自ら志願し討伐隊に加わったのだ。
そして、これが郭図の初陣でもあった。
この時の郭図は十代半ばの少年であり発言力は皆無だったのだが色々と口を挟んでいたらしい。
但し県令は子供の言う事と真面に取り合わなかった。
地元の名士の一族である郭家の人間であるが故に無下には出来なかったが、如何せん若すぎた。
実戦を経験した事もない初陣の小童が何を言っているのか、と言うのが当時の県令の心内だろう。
結果、賊討伐は難航した。
それでも県令は郭図の言葉を容れる事は無かった。
『お主が余計な口を挟むからこうなるのだ』と。
それが郭図の思惑の内である事も知らず。
県令は無能では無かったが、筆を武器とする文官だった。
だからこそなのだろうが、知らず知らずの内にその思考を郭図に誘導されていたとは思わなかったに違いない。
これにより結果の伴わぬ討伐隊を相手に賊は調子に乗った。
陽翟の兵は弱いと。
格好の狩場があるとして豫州周辺に跋扈していた賊は集結。
陽翟県を蹂躙せんと大挙して押し寄せた。
この賊の動きを郭図は密かに許昌太守の陰脩に流しており、賊の動きを警戒していた陰脩は直ちに挙兵。
賊を討ち滅ぼさんと動いた。
陰脩が兵を動かした事で陽翟県令もこれに参加。
郭図も従軍した。
しかし、ここで予想していない事が起きた。(郭図を除いて)
賊も馬鹿では無かったのだろう。
陰脩が率いる本隊と激突した賊は囮だった。
討伐軍本隊を誘き寄せる為に賊の大部分を囮とし、別働隊を以て陽翟の街を襲撃したのである。
これを知った郭図は陽翟の街を守ろうと県令から兵を借り様としたが拒否され、陰脩に掛け合って三十名ほどの兵を借りて陽翟の街を襲撃した賊に攻撃を仕掛けた。
この時、陽翟の街に守備の兵は少なく劣勢であった。
何しろ非戦闘員の者たちまで駆り出さねばならなかったのだから。
郭嘉はこの賊の襲撃時、城壁で負傷した兵の傷の手当てをしていた。
多勢に無勢。
陽翟が落ちるのは時間の問題かと思われた。
そこに郭図が少数の兵を伴って現れ、賊の後方から攻撃を仕掛けたのである。
その時初めて郭嘉は知った。
郭図が持つ圧倒的な武力を。
後方からの奇襲だったとはいえ、この一戦で郭図は陽翟の街を襲撃した賊のほとんどをあっという間に蹴散らしたのだ。
郭図が手にした槍を振るう毎に軽く十人以上の賊が宙を舞っていた。
そして陽翟前に群がっていた賊を叩きのめすとそのまま取って返し、陰脩が率いる本隊と交戦している賊へ突撃しこれも撃破したのである。
後に郭嘉が知ったのは、郭図が賊を集めて一気に殲滅する事を目論み、県令を掌の上で良い様に転がしていたと言う事だった。
『県令殿は真面目な方だ。初陣のオレの言が容れられないのは分かってた。血気に逸った阿呆とは言え、郭家のガキに死なれたら面倒だって思うのをちょっと利用した』
とは郭図の言葉である。
統治する上で地元の有力者たちと確執が出来て困るのは県令である。
実戦を経験し、人と人が殺し合う事の怖さを知れば落ち着くだろうと考え、県令は賊討伐での動きが慎重な物になった。
これに対し郭図は突飛な進言を繰り返す事で県令の行動を制御していたである。
そして賊討伐が終わると郭図は県令に全てを話し謝罪した。
で、当然叱られた。
偶々上手く行ったから良いものの、陽翟が落とされていたらどうするつもりだったのだ、と至極真っ当な事を言って窘めた。
よく叱られただけで済んだものである。
いや、逆に目の前で賊本隊が郭図に蹴散らされるのを見ていたのだから、寧ろその武力を前にして臆する事無く叱れた県令を褒めるべきか……。
しかし、
『陽翟は許南の要害です。攻城兵器も持たない賊が陥とせる訳もなし。統率された軍であればともかく、奪う事に味を占めただけの奴らですし。
それに獲物を前にした狩る側ってのは逆に狩られるなんて考えてませんからね。後方から襲われれば混乱して蜘蛛の子を散らします。実際にそうなりましたし。
唯一誤算があるとすれば、県令殿から兵を借りられなかった事くらいですかねぇ?』
そう言って笑う郭図を前に県令は言葉を失ったと言う。
反省の色が見えない事にであろうか?
それとも自身に視えるものとは違うものが視えているらしい阿呆の頭の中身に対してなのか。
どう言う意味で言葉を失ったのかは県令にしか分からぬ事である。
ただ、この事を県令は上司である陰脩に報告した。
これを知った陰脩は郭図に将才ありと見た様だ。
尤も、県令から報せを受ける前から陰脩は郭図を推挙するつもりだったのだが。
眼前で賊を蹴散らすのを見ていれば当たり前だとは思う。
そしてこんなそんなあって郭図は元から名が知られていた荀彧、荀攸、鍾繇と共に推挙されるに至ったのである。
尤も、陰脩は郭図を『武官』として推挙したのだが、まさか『文官』になるとは思わなかったであろう。
あれから年月が経ち、郭図がどれほどの成長を遂げているのかは傍にいた郭嘉でさえ分からないのだ。
ただ、『郭公則』という男は普通ではない。それだけは確信していた。
取り敢えず、一般的な常識や理屈が通用しないのは間違いないだろう。
過去を振り返り郭嘉は思う。
もし自身が同じ場所に立っていたのならばどうしていただろうかと。
現在の自分であれば間違いなく当時の彼と同じ事を考えるだろう。
永遠と散発的に襲ってくる賊を相手にするくらいであれば一気にまとめて殲滅してしまった方が効率が良い。
尤も、郭図と同じ事が出来るとは思っていない。
智謀で負けるつもりはないが、武に関しては完全にお手上げである。
「やっぱり手土産はいるだろ」
そう言ってブー垂れている男を見る。
何故こんなにバカなのだろうか。
郭嘉はため息を点いた。
「いえ、要りません。ほら、早く行きますよ」
ブーブーと吐き出される言葉を切り捨てると、郭嘉はその手を取って引き摺る様に歩き出すのであった。