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其々の行き先

 仕官先を求め故郷の潁川を離れた郭図、郭嘉、郭援、荀彧。


 表向きは仕官する先を決めていない郭図。


 しかし、彼は既に河北で一大勢力となっている袁紹の下に行く事を決めている。


 郭嘉も自身の仕える先は決めており、この旅は実質、郭援と荀彧の為にしているモノだった。



「うーん、張邈殿と劉岱殿はないな。悪い御仁では無さそうだけど、なんつーかパッとしないよなぁ……」



 ポリポリと頭を掻きながら郭援がゴチる。


 郭図一行は潁川を出ると北上。


 陳留太守の張邈、撲陽太守の劉岱と顔を合わせたものの簡単な挨拶を済ませるだけに留まっていた。



「どちらも広く名の知れた方々ですが、正直大業を成せる人物には見えませんね」


「どう見ても小物じゃない。張邈は優柔不断、劉岱は口先だけよ」


「二人とも容赦がねぇなぁ」



 辛辣な評価を下す女性陣を相手に郭図が苦笑する。


 張邈は聡明で義侠心溢れる気骨の士と名高く、劉岱は漢室の流れを汲む人物でり、温厚で人望の厚い人物として有名であった。


 そんな二人をバッサリと切って捨てるのだ。


 郭嘉と荀彧の理想とする主君は余程の完璧超人でなければ務まりそうにもない。


 人間誰しも欠点のひとつやふたつ持っていて当たり前。


 その足りない部分を補う為に臣下がいる。


 少なくとも郭図はそう考えている。


 尤も、今の彼が求めているのは能力がある君主でもなければ人格の優れた君主でもない。


 朝廷との太い繋がりがある君主だ。


 それを踏まえると【汝南袁氏】と言う四世三公の名門に生を受け、天子と真名を交わした『袁紹』は郭図にとってはこれ以上にない君主である。



「なぁ兄貴、次はどこ行くよ?これ以上北に行くなら黄河を渡んなきゃなんねーけど」


「じゃあ渡るか」


「……兄貴、本気で言ってるのか?」


「ん?そうだけど?」


「「………………………」」



 黄河を渡る。


 この時点で郭嘉と郭援の二人は郭図がどこへ向かおうとしているのかを察した。


 河北最大の勢力である袁紹の元に向かうつもりでいるのだと。



「や、止めようぜ兄貴……。どこに行こうとしてんのか察しがついちまったから言うけど、袁紹だけは止めといた方が良いと思うぞ?碌な噂を聞きやしねえ」



 慌てて郭図の前に回り込んだ郭援がまるで通せんぼでもする様に両手を広げた。



「まぁ、確かにあの御仁は黒い噂も多い。でも今のオレには袁紹殿以外は考えられないなー」


「なんでだよ……」


「なんでって言われてもなぁ」



 郭図とて袁紹の噂は知っている。


 賭博場に入り浸り湯水の様に銭を浪費していた頃によく聞いていた話だ。


 朝廷の各所に賄賂をバラ撒き、宮中の腐敗を加速させている元凶の一人とまで言われているのが袁紹である。


 外戚の何進に接触し、宦官勢力との対立を煽っているとの噂も流れている。


 袁紹と言う人間は確かに黒い噂が絶えない。


 しかし、それは袁紹の一面に過ぎない。


 何故なら袁紹が拠点とする冀州ではその評価が一変するのだ。


 善政を敷く類稀なる為政者や義心溢れる人徳者などの好意的な意見が多いと聞く。


 元々は汝南袁氏の出である袁紹が冀州と言う遠く離れた地で、余所者であるにも拘らずこれだけの声望を集めている。


 実に不可思議な事だ。


 郭図は流れる袁紹の噂はどれもが真実であると予測している。


 朝廷で賄賂をばら撒き、外戚の何進と接触し宦官勢力との対立を煽る。


 都周辺で流れるそんな袁紹の悪評。


 本人が意図して流れる様に仕向けなければそんな噂が流れるなどあり得るはずがない。


 素直に面白いと思った。


 そして、郭図にとって袁紹と言う人物は実に都合の良い存在でもあった。



「……オレと彧は色々あって都には入れない。朝廷にこれ以上に無く太い繋がりを持つ袁紹殿の存在はオレに必須なんだよ。

 それに、オレが動くのに都で流れている袁紹殿の悪評は良い隠れ蓑になるしな」


「兄貴が動くって事は、攸と繇の兄さんの為って考えて良いか?

 ……ここには俺たちしかいない。そろそろ話してくれても良いんじゃねーのか」



 今までにない剣幕で郭援が郭図に詰め寄った。



「いや、参ったなぁ……。ここで来るか」



 困った様に視線を逸らした郭図。


 その先には困惑している荀彧と、何も言わずメガネの淵を手で押さえている郭嘉の姿があった。


 荀彧は郭嘉と郭援が未だ何も聞かされていなかった事に驚いているのだろう。


 郭嘉はメガネが光を反射しており、その表情から何を考えているのかは分からなかった。


 返答に窮する郭図であったが、そんな彼を前に業を煮やしたであろう郭援が動いた。



「なあ、俺と嘉はそんなに信用出来ねぇか?どうなんだ兄貴。答えろよ」



 怒りと哀しみ、やる瀬の無い憤り。


 そんな感情がない混ぜになった表情で郭援が郭図の胸倉を掴む。


 郭図は言葉に詰まっていた。


 郭援や郭嘉を信用していない訳では無い。


 しかし、それを自身が語ってしまっても良い物なのか分からないのだ。


 それで傷付くのは己では無く荀彧なのだから。



「またダンマリかよ……!!」



 ぽつりと溢れた郭援の言葉。


 その声は震えていた。


 郭図も郭援の気持ちを察しているのだろう。困った様な表情をしている。



「なんとか言えよ!!」



 郭援は涙していた。


 彼も理解しているのだ。


 郭図が言わないのではなく、何か理由があって言えないのだと。


 それでも兄弟同然に長い時間を共に過ごしてきた間柄だ。


 少しでも力になりたいと言うのが本音だった。


 だが、



「悪いな。でも何も聞くな」



 やはり郭図は何も言わなかった。



「……そうかよ。もう知らねえ!クソッタレ!」



 郭図を突き離し肩を怒らせグズリながら歩き出す郭援。



「……待って」



 その背に荀彧の声が飛んだ。


 この一連の流れの原因が自身にあると彼女は理解していた。


 郭図が自身の心を案じ何も言わずにいてくれた事はとても有難い事だった。


 しかし、それ原因で兄弟同然の二人の関係に亀裂が生じてしまうのは荀彧としても不本意。


 郭図だけでは無い。


 荀彧にとって郭援や郭嘉も大切な幼馴染だ。


 今までは人目を気にしていた為、これまで知りたくても聞いて来なかったのだろう。


 郭援や郭嘉が気を遣っている事は荀彧が誰よりも理解していた。


 だが、これ以上黙っている事で不和に繋がるのであれば全て話してしまった方が良いだろうと判断した。


 そんな荀彧の胸中を察したであろう郭図が慌てた。



「まて彧!早まるな!」


「良いの。双輝だってもう気付いてるわよ。何も言わないけど、稟だって分かってるでしょ?」


「まあ、薄々ですが」


「気付くなって言う方が無理なのよ。それは由輝だってわかるでしょ」


「それはそうなんだが……」


「大丈夫。双輝だってバカじゃないわ」



 荀彧は郭図が何を懸念しているのかを良く知っていた。


 それは郭援と鍾繇の関係に起因していた。


 郭援は鍾繇の姪を許嫁としている。(※史実では鍾繇の姉の子)


 つまり、鍾繇は郭援にとって義理の叔父であり、郭援は鍾繇をよく慕っていた。


 都から郭図、荀彧の二人を逃した鍾繇だが、その後は何の沙汰も無いまま音信不通となっている。


 都に潜伏し機会をうかがっているのか、それとも囚われの身となってしまったのか、それすらも分からぬ状況であった。


 事情を知れば荀彧が傷付くだけでは無く、郭援が都へ乗り込みに行くのでは無いかと郭図は考えていたのだ。


 だから郭図は故郷に戻って以来、その胸の内を隠し穀潰しを演じていた。


『都の連中が適当過ぎて一緒に働くのとか無理』と言う理由をでっち上げて。


 荀彧の心が癒えるのを待ち続けていた。



「彧、無理はしなくて良いんだぞ?」



 郭図とて荀攸を助けたいと強く思っているだろうに、それでも荀彧の心を気遣っている。


 だからこそ荀彧はこのままではいけないと心を奮い立たせた。



「私は大丈夫よ」



 そう言って荀彧は全てを語った。


 自身が拐かされそうになった事。


 郭図と荀攸に助けられた事。


 それを糾弾した荀攸が獄に繋がれてしまった事。


 捕らえられそうになった時に鍾繇に助けられ逃して貰った事。


 都に残った鍾繇の安否が不明な事。



「だから攸と繇の兄さんは帰って来なかったのか……」


「玉蘭の事なので宮中で睨まれ禁に処されたのではと推測していましたが、状況がそれ以上に悪いとは……」



 話を聞き全てを知った郭援と郭嘉の表情は冴えない。


 自分たちが想像していたよりも荀攸や鍾繇の置かれた状況が悪かった為である。


 郭嘉の言う『禁』とは党錮を指す。


 簡単に言えば禁錮刑なのだが現代とは違い、追放、または出仕を禁じられる。


 尤も、中には異議を申立て本当に獄に繋がれてしまう者もいた。


 郭嘉や郭援が想像していたのは処分を受けた荀攸がそれを不服とし、撤回を求めた為に獄に繋がれたと言う物だった。


 だが、荀彧の語った話では蹇碩と言う宦官による私刑である。


 郭図や荀彧だけでなく、荀家に属する者が何も言わなかったのはこの為だ。


 下手に動けば荀攸は蹇碩に殺される。



「荀爽殿が侍中の何進殿に掛け合って命までは取られなかったみたいだが、何処に囚われているかまでは分かっていないらしい。

 繇が無事であれば色々と動いてくれているんだろうが……」



 荀彧の話を補足する様に言葉を繋いだ。


 全て知った郭嘉と郭援は悟った。


 何故、郭図が袁紹を選んだのかを。



「だから袁紹なのか……。天子と真名を交わしたってのが事実なら確かに攸を助けられるかもしれねぇ」


「荀爽さまが何進に玉蘭の助命を願ったのであれば、宦官勢力と何進の対立を狙っていると言う袁紹はこれ以上に無い人選ですね」


「だろ?まあ、オレとしちゃあ彧を襲った野郎をぶち殺した曹操ってヤツも捨て難かったんだけど、政治的な力を加味すると袁紹殿が一番なんだよなぁ」



 大宦官であった人物を祖父に持つ曹操も郭図の選択肢にはあった。


 しかし、個が持つ権力としてはやはり袁紹が他の追従を許さぬ程に大きかった。


 それだけの話。


 況してや、袁紹は宦官勢力に敵対的である。


 郭図がどう裏で動こうと袁紹と言う存在が全てを覆い隠すであろう。


 それは曹操には出来ない事だ。


 曹操であれば宦官のネットワークに介入する事は出来るだろうが、蹇碩に近付けるかは不明瞭と言わざるを得ない。


 何故なら、曹操の祖父である宦官だった曹騰は現在宮廷で権勢を奮う十常侍や蹇碩が台頭する以前の人物で既に故人である。


 多少なりに接触はあったであろうが、清廉潔白と称された人物であり、権威欲の権化とも言える現十常侍や蹇碩とは相容れなかったのではないかと推測された。


 つまり曹操の持つ宦官ネットワークは曹騰が築いたものであり、十常侍や蹇碩の勢力とは別勢力と考えられた。


 この時点で郭図の中から曹操に仕えると言う選択肢が除外。


 袁紹一択となった訳である。



「宦官の情報網に食い込めるってぇのはそれなりに魅力的ではあるんだけど、蹇碩のいる派閥とは別だろうしなぁ……」



 そう言って難しい顔をする郭図であったが、



「なら、私が曹操の所に行くわよ」


「……なぬ?」



 荀彧の言葉に目が点となった。


 彼女が心配で共にあろうと連れ出したのに、当の本人が別行動すると言い出したのだから当然である。



「由輝が袁紹を使って攸の情報を集めるなら、私が曹操の持つ宦官の情報網を探った方が効率が良いもの。

 心配してくれてるのは分かるけど、攸と繇の事を考えたらこの方が良いでしょ?

 それに私のせいで由輝が動けなかったのだし、これくらいはしないと……」


「そりゃあ、そうしてくれると助かるっちゃあ助かるんだが……大丈夫なのか?」


「平気よ。子供じゃないんだから」



 心配する郭図を前に荀彧は苦笑する。


 自ら立つと決めた彼女の意志を尊重しつつも、気になって仕方がないと言う顔の男。


 自身を妹分と宣うこの男は彼女にとっても確かに兄であった。


 まあ、少々過保護な部分が見え隠れするが。



「そうか……。なら頼めるか?曹操はいま故郷の譙県に戻ってるって話を聞いた」


「譙県か……戻らないと行けないわね」


「なら俺が彧を送るかね。流石に一人で行かせる訳にも行かねーし」



 荀彧が曹操を訪ねる事となると郭援が同行すると言う。


 女の一人旅には危険が伴うので当然の判断だろう。



「すまん援。彧を頼む」


「任してくれ兄貴。彧を送り届けたら俺もそっち行くから口添えよろしく」


「ああ、分かった。嘉はどうする?」


「私はこのまま従兄どのと同行します。寄道されては敵いませんから」


「……信用ねぇなぁ」



 郭嘉は郭図と行動を共にする様だ。


 シリアスな展開になっていたのでアレだが、郭図と言う人間は本来気まぐれで少々だらしのない男である。


 ついでに博徒である上、分の悪い賭けを好むと言う困った野郎でもあったりする。


 何処のナンブさんだろうか?


 郭嘉が信用しないのも無理は無い。


 恐らく郭図を放置した場合、袁紹に会う前に財布をスッカラカンにするだろう。


 尤も、郭嘉が口煩くなったのは郭図が都から帰って来てからである。


 それ以前は荀攸がこのだらしない男をとっちめていた。


 荀攸と言うストッパーがいない為に郭嘉が口煩くなったのだ。



「信用して欲しいのであれば行動を改めて下さい」


「……検討するわ」



 多分この男は変わらない。



「稟、由輝のことを頼むわね」


「はい。珪花も道中お気をつけて」


「ええ、ありがとう」



 こうして彼らの行き先は分かれた。


 郭図は袁紹の元へ。


 荀彧は曹操の元へ。


 この時の郭図は知る由も無かった。





 荀彧が曹操に心酔し、とある男に出会う事でやたらと逞しくなり、年頃の女の子が口にするのはどうなんよ?とツッコミを入れたくなるくらいの罵詈雑言をきぃきぃと喚き散らす様になるなどとは……。

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