野分の翌日
江川魚は唐で成龍と呼ばれていた。交易船の乗組員の一部が影真備と呼んだが、日本に戻る頃には皆が川魚と呼んだ。船長の海雀も川魚としか呼ばなくなった。
この意味を知った雀童子は震え上ったた。
川魚を影真備と呼んでいた人足が一人残らず辞めていった。だが辞めたと言うのは表向きであり、何故突然居なくなったのかを童子は偶然知った。
童子が事実を知った夜、海雀が言った。
「語られぬ事実は存在しないに等しい。」
童子にそう語る海雀の表情はこれまでで一番怖かった。
この世には触れてはならない事があるのだと童子は知った。
清原諾子は幼い頃から好奇心旺盛だった。語部に伝説や伝承を尋ねては聞かせて欲しいとねだった。
大仰に語る年老いた男もいれぱ怯えながら僅かしか語らない老女もいる。
大仰な話は川魚の正体が龍だとか人の姿の時は鬼の術を使うとか、果ては吉備真備が桃太郎で鬼を退治した後こに手下の鬼を従えその一人が川魚だとか様々だ。
怯えて語るのを躊躇う者は鬼に喋った事を知られてしまうと攫われて喰われてしまうとか、逃げようとしても龍の巻いた巨大な蜷局からは出られなくなるから等である。
話はそれなりに面白いのだが諾子が興味を持ったのは川魚の恋花だ。
江ノ川の上流龍ヶ渕に川魚の恋い焦がれていた少女が落ちて溺れかかった。その時、龍が風を鎮め淵の底から浮かび上がり少女を背に乗せた。その龍は川魚だったと言うのである。
清原元輔娘にはこの話と楊玉環が玄武に助けられた話が重なってしまう。
川魚が助けた少女は鮎と言う名であった。川魚は鮎の前では決して龍にはならないとも聞いた。
ある日、川魚と鮎が山菜採りに山に入った。二人は夢中になりついつい山ノ神の領域に踏み入ってしまった。醜女である山ノ神は鮎の可愛さが憎たらしくなった。狼の姿で飼っていた配下の神々を大神に戻し二人に差し向けた。川魚は人の姿のまま大神と戦って大きな傷を負ったと言う。
諾子は〈好きな人が龍でも鬼でも私は好き。正体を隠さなくていい。怪我しないで。〉と幼心に思ったものだ。
その後、川魚が熊を倒した話を聞いた時は〈こっそり龍になったからかしら、周防で野分の後に大きな木が倒れたり草花が押し倒されているのは龍が通ったのかしら。〉と勝手に想像した。