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龍虎

 玉環が池に落ちた日から数日後、近所の人々が噂話をしていた。

「今度の武術大会には玄宗様の飼っている龍が人の姿をしてやって来るらしい。」

「小龍か。」

「いや、今回来る方は成龍と呼ばれているみたいだ。」

「小龍殿と言えば虎を捕まえては皮を剥いで喰うと言われていたが、成龍と言うからにはもっと凄いのか?」

「来れば判るさ。」

「気を付けろ。玄宗様が飼っているんだ。時には人を捕らえ喰らうかもしれん。昨日は楊玄琰の娘が溺れかかったらしいが、その時玄武が現れたらしい。」

「あそこの末娘は可愛いからな。それこそ玄武じゃなくて、成龍が捕って喰おうとしたんじゃねえのか?」

「成龍はもう来ているのか。」


 楊家でも武術大会の話が出た。噂では今回、皇帝の分身の龍が来ると言う。その龍見たさに親戚一同集合したのだ。

〈龍…そうなんだ、あの人は龍なんだ。〉

 話を聞いていた玉環は素直に信じ込んだ。

〈龍だから鳥も虫も逃げないんだ。水の中を自由に泳げるんだ。武術大会は絶対あたしも付いて行く。もしかしたら、もう一度会えるかもしれない。〉

 あの人にもう一度会える、玉環は淡い期待を抱いた。玉環は母に頼み込んだが、女の子が行っても仕方が無いと言われた。玉環は父の傍に行き

「玉環も行くんだ。絶対行くんだ。」

と駄々を捏ねた。父親は笑いながら〈仕方ないな。連れて行くか。〉と言った。


 武術大会の日になった。 観覧に行った親戚の中で玉環以外の子供はみんな男の子だった。

 大会がはじまった。開会の式辞は幼い玉環にすれば退屈な内容だ。落ち着かない玉環に父が言う。

「じっとしていなさい。自分から行くと言ったんだろう。」


 暫くすると演舞や模範演技が始まった。演舞は型に始まり、剣や多節棍の演技、組手と移っていった。強面の男達の撲り合いを想像していた玉環は拍子抜けした。無理を言って連れて来ては貰ったのだが、本当は観るのが怖かったのだ。興味があるのは成龍と言われる男だけだ。会場では俳優のような男女が演舞を続けている。それは玉環から見ると武術ではなく華麗な舞だ。綺麗に踊っているだけで勝敗を決する事とは無縁の動作に感じられた。

 自分と自分の動きを美しく見せるように舞っている男女の姿を見ているうちに〈可愛く見せるんならあたしだってできるぞ。〉と玉環は心の中で呟いた。それでも演舞が終わると拍手喝采である。玉環が考えていた武術と違う。退屈は吹き飛んだのだが〈何か違うなぁ。〉と思っていた。


 試合前の最後の演舞となり成龍なる人物が紹介された。会場に現れた成龍を見た観衆はこの小柄な男が強いとはにわかには信じがたい様子だ。でも玉環の視線は成龍に釘付けとなる。数日前、紛れも無く池に落ちた自分を助けてくれた男だった。男は兵法と武術を学ぶため日本と言う国からはるばるやって来たと説明された。日本と言う国は玉環が初めて聞く名前だった。どこにある国だかさっぱり判らないが、玉環にとっては男の生い立ちや出身地などはどうでもよかった。成龍が目の前に存在しているだけで満足だ。


 解説が続く。最後の演舞は試武形式で行うということだった。成龍の対戦相手が紹介された。范と言う成龍より大柄な男だった。玉環は従兄弟の兄弟喧嘩を思い出した。身体の大きい兄の方が小さい弟を一方的に殴る蹴る光景である。

〈そうなったら嫌だなあ。〉と玉環は少し不安になった。


 成龍は范を見て即座に戦術を考えた。范は胡人の血が混じっているようだ。特に上半身は瞬発力が有りそうな体型をしている。まずは動き止めなくてはならない。范の突進や攻撃を左右の動きで回避しながら脚への攻撃、特に下段の蹴りを放つべきだと判断した。相手の体力を消耗させ、機を覗っていくつもりでいた。


 試武が始まると結果は瞬殺だった。威圧のつもりなのか両腕を振り上げ突進して来る范は隙だらけだった。成龍は范の右側に軽く踏み込むと、上段の右回し蹴りを放った。足の甲が范の顎を捉え、一瞬で巨体は床に横たわっていた。実戦向きではない上段の蹴りがこうも簡単に決まるとは相当舐められていたのだろう。成龍は少し落胆した。

 会場が凍りつく。少しの間ではあったが物音一つ無く静まりかえっていた。

 玉環は

「うわぁ、すごい。」

と立ち上がった。

 大会の主催者側の一人が成龍に近寄って話しかけた。もう一試合戦ってくれるようにとの依頼である。あまりの呆気無さに観衆が成龍の試合を観たがっている。断るわけにはいかなかった。成龍自身も実戦経験は多い方が良いと考えていたので承諾した。


 次の対戦相手は劉と言う男だった。成龍より少し痩せていて手足は長いが体重は同程度である。力より技を駆使するだろうと判断した。この手の対戦相手は柔軟性のある攻撃や変則的な攻撃に気を付けなくてはならない。只、先入観に拘り過ぎるのは危険なので取り敢えず試合が始まったら相手の出方を覗ってみようと考えていた。成龍は軽く柔軟体操をした。劉は物静かな男のようだ。目を閉じたまま試合が始まるのを待っていた。

 成龍は呼吸を整えた。前の試合は抑揚の無いまま瞬時に終了してしまったため、再び集中力を増して次の試合では相手の流れに引き込まれないようにするのである。


 試合が始まった。成龍と劉は右の拳を軽く合わせると打撃系の間合いを取った。成龍が間合いを詰めると劉はその分下がり間合いは一定のまま暫くが経過した。成龍は抑揚を付けて間合いを詰めると右の下段の蹴りと左の中段の蹴りを放ち、更に踏み込んで左右の突きを数発打ちこんだ。劉は成龍の蹴りを下がりながら受けた。右の下段の蹴りは左足で、左の中段の蹴りは身体を左に滑らせ衝点を逸し、左右の突きの連打は両腕で防御した。

 観衆の大半は成龍が押しているように見ていたが、有効打はまだ無かった。逆にこの攻撃を繰り返すと成龍が先に疲れ動きの鈍くなった処を反撃される公算が大きい。

 劉は成龍の仕掛けて来るのを待っている。最小限の動きで有効打を狙っていた。交差法である。

 成龍は打撃と突きの連続技を繰り返していた。短距離を全力で走るのではなく、中距離を走る感覚で仕掛けた。攻撃は速さも力も試合開始時と変わらなかったが、顔面を防御している両腕は少しずつ下がった。

 間合いが縮まりつつも成龍と劉は打撃の間合いで攻防を繰り返した。何度目かの攻防で成龍は防御の両腕が下がったまま間合いを詰めた。成龍の防御の両腕が下がったのが好機と判断した劉は右の拳を放った。

 成龍はこの瞬間を待っていた。劉の拳を指一本程の僅差で躱しながら左の拳を劉の顎に打ち込んだ。顎を打ち抜かれた劉の両腕はだらりと下がり身体は棒のように倒れた。

 観衆から拍手が起こる。玉環は今の成龍が竜巻のみたいに思えた。池で玉環を助けてくれた成龍が静であるなら今の成龍は動であった。玉環は自分が観衆の知らない成龍を知っているのだと少し自慢気だった。


 武術大会は勝抜戦へと進んだ。玉環は成龍の出てこない試合など興味も無かった。観戦している両親や親戚の目を盗み主催者と来賓が座っている席へと向かった。この席に成龍も座っている。

 成龍は一人の男と話していた。男の名は陳と言った。

江川魚(ごうのかわな)殿、今直ぐに一手合わせて貰えないものかな。」

 玉環は男の名前が江川魚だと知った。「今ですか。唐突ですね。」

「そう。今です。」

「どうしてですか。」

 川魚は尋ねた。

「私は武術馬鹿でね。貴方の試武を見ていてじっとしていられなくなった。これは建前ですが。」

 陳は笑いながら話を続けた。

「本音を言うと、貴方との戦いを他人に見られたくないのですよ。私は蜀州で最大の道場の師範です。地元では負けられません。勝つにしても綺麗な試合をしなければならない。だが、貴方と戦えば技だけでは無く心理戦も必要になる。泥々とした試合になるでしょう。こんな試合は弟子達に見せられない。情けない話ですが地位を守るのは悲しい事です。敢えて恥を忍んでお願いするのは貴方なら判ってくれると思ったからです。そして貴方と今日手合わせしないと私はきっと後悔する。」

 川魚は陳の向上心に共感した。

「構いませんよ。やりましょうか。」

「裏の林の中に行きましょう。みんな試合に熱中していて人はいないでしょうから。」


 陳は蜀の虎と言われる男だ。龍虎の戦いが今始まろうとしていた。

 二人の話を聞いた玉環は怖くなったが、同時に見たくもあった。席を外すと言って出て行った二人の後をこっそり付けた。川魚が龍となり陳が虎となって戦うんだろうか。玉環はそれでも川魚を見たかった。


 二人は龍にも虎にもならず人間(ひと)の姿のまま向かい合った

「お願いします。」

 陳が言う。

「こちらこそ。」

 川魚が答える。


 いきなり陳が攻撃をしかけた。拳撃も蹴りも速い。川魚は下がりながら交わしていった。最初の速攻を交わし損ねれば打ち倒される。陳はこれまで殆ど最初の一撃で相手を倒したのだった。

 玉環には川魚が劣勢に見えた。陳の強くて速い攻撃を辛うじて避けているだけに見えるのだった。

川魚(せいりゅうさま)、負けちゃうの。〉

と心配でしょうがなかった。

 だが、陳が何度攻撃しても川魚はかわした。陳の打撃は池の辺の蜻蛉みたいに川魚の身体を通り抜けた。

 川魚と陳の間合いは少しずつだが縮まっていた。互いに相手の動きを読めてきたためより有効打を決めようとしていたからだった。陳は打撃だけで無く組み付いて力任せに押し倒そうとする気配もある。陳は組技も得意であった。だが、これまで殆どの対戦相手を打撃で倒していたため実線では使用したことがない。組手で高弟相手に使う程度だ。川魚は陳の打撃から組技へ移る際の少しの隙を狙った。次に陳が攻撃を仕掛けたた瞬間、川魚は陳の腕を掴むと一瞬で捻り倒し腕十時固めを決めた。

「参った。」

 陳が叫ぶ。川魚は陳の腕を離した。

「やはり組み技で来ましたか。私の予想通りでした。川魚殿は打撃を組技で押さえる(すべ)も私以上に研究しているようですな。」

 陳はそう言って近づいてきて、川魚に手が届く距離になると下げたままの右手の親指・人差し指・中指を合わせた。

 気づいた川魚はすかさず間合いを広げる。

「失礼しました。流石、川魚殿だ。」

 陳はそう言いながら蟷螂(かまきり)のような構えで型を演じた。

「先生こそ、お見事。蟷螂手ですか。私は蛇の鎌首で稽古してますが、蟷螂手の方が実戦的ですね。毒針を掴む動作を蟷螂の動きと偽れば稽古を見た者は針打ちの鍛練とは気付かない。」

「川魚殿は本当に勉強家だ。暗器(あんき)もよく研究しておられる。」

「でも打撃のみでは貴方に勝てなかったかもしれないです。陳先生。」

 川魚は答えると陳が言う。

「実力が僅差の場合に打撃戦が長引くと、双方が疲れ間延びしてしまいます。途中一打が決まり決着が付く事もありますが、武具を使用せずに戦うのであれば打撃が最良とは言い切れません。悲しい事に師範と言う立場上綺麗に戦い勝つのが必須。取っ組み合いで馬乗りになり、子供の喧嘩のようには戦えません。効率の良い方法ですけどこのような姿は弟子達に見せられない。今日は誰にも見られていないので、組技で攻める事も考えていたのですが川魚殿に先を越されてしまいましたよ。」

「一人観客がいたようです。」

 川魚は玉環を指差した。玉環は二人が気付いているとは思ってなかったので〈どきっ。〉としたものの〈見つかっちゃった。〉と言った表情で二人の方に歩いて行った。

「知り合いですか。」

 陳が尋ねた。

「この近くに住んでいる子のようです。数日前、池に落ちたので掬い上げました。無邪気で仔猫のような子です。」

 川魚は玉環を猫に例えた。玉環は〈あたしは猫じゃなくて楊玉環だぞ。〉と心の中で呟いた。

「このお兄ちゃんは龍のように強いねぇ。」

 陳が玉環に話しかける。

 玉環は今の試武を見て龍と虎の絵巻を思い浮かべた。

 龍が虎に絡み付いて締め上げている絵だった。

〈貴方はやっぱり龍なのね。〉

 玉環は嬉しかった。


「今日は本当に充実した日でした。あなたの最後の反応と言葉で、私は小龍殿がどのように虎を仕留めたか解ったような気がします。」

 陳が言うと川魚は

「おそらくあなたの想像通りだと思います。」

と答えた。この会話は玉環には全く理解できなかった。

 陳は川魚に

「今日はありがとうございました。」

と言うと、玉環に

「早く会場に戻るんだよ。」

と言って自分も会場に向かい歩き始めた。

 川魚も玉環を見て頷いた。

 玉環は川魚の目を見つめた。龍の目だった。

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