溺れた人魚2
力尽きる1日前
「もう、いいよ。幸い先生の家族は気づかなかったようだし。僕はこれ以上二人に悪印象を植え付ける訳にはいかない。ソフィアは誰にも言わないで二度としないで」
放棄して諦めたルアーノの言葉にソフィアは頷く。元々気付かれなければルアーノにも言うつもりは無かったのだ。
ルアーノは理解は出来ないが、兄妹に不幸になって欲しい訳でも将来二人の傍にいる事でルーカスが守って来た領民から自分が反感を買いたくない。からとソフィアの行為を飲み込む。
「アーサーもだぞ、まったくこんな時に何の本を読んでるんだ。」
「あー絵本。」
「絵本?」
ほら、とソフィアとルアーノに見えるように広げられたその絵本には白髪の魔女が描かれていた。
それはアルミリオン王国に広く普及している本で魔女に呪われた王子が呪いを解くために魔女を倒す為の旅に出る話だった。
「あの女の人が叫んでた魔女ってこの魔女の事?」
「先生の妹さんな。そうじゃないかと思って見てた。」
「実際、似ているの?」
実際に見ていないルアーノが兄妹に聞くと二人は揃って首を振る。
「シスターはもっときれいだったよ。」
「こんなに、しわしわでは無かったな。」
「そうなんだ、でもまあこれ最古の魔女リズの話だろう?」
二人が見た魔女とは別人なんじゃないかと話すルアーノに二人はわからない、と首を傾げる。ソフィアはしゃがれた白髪の魔女と自分の顔を並べ似てる?と兄達に問う。
「そっくり。」
「目つきの悪さとかは、アーサーの方が似ているんじゃないかな?」
自分で聞いたのだが、仮にも年老いた老婆に似ている事をどちらも否定するどころか肯定するとは、とソフィアは眉間にしわを寄せる。
「結局魔女はどうなるの?」
戻らなくなるぞと眉間をつつくアーサーの手を叩き、ソフィアが絵本をパラパラと捲る。
ルアーノは最後のページで旗を掲げる王子の姿に魔女の最後はもう少し前じゃないかとソフィアの持つ絵本を数ページ戻す。
「王子に捕まって火あぶりだって。」
ルアーノとソフィアが見つけるよりも早くアーサーが答えを言う。
ちょうど、そのページに行きついたソフィアがひえっと情けない声を出す。子どもの本にしてはハードなその描写の魔女だけ目が開いていた。
その瞳の色は赤くやけに鮮やかに色付けされており、灼熱の炎に焼かれ苦痛に染まった表情をしていた。
これが、本当ならばシスターの魔女が太陽の型の象徴である炎に嫌悪を示したのも頷ける。
「王家の家系はずっと太陽の型なんだよね…?」
「そうだけど、うちの領地にも太陽の型は結構いるよ。」
「魔女ってなんの型なんだ?」
「シャルロッテみたいな感じじゃないかな?大地の型だけど象徴の植物や水じゃなくて人魚の回復魔法だろう?」
ルアーノの回答に納得したようにソフィアとアーサーはあーと唸って「熱いかな?」「痛いだろ。」と焼けた時の事を想像する。
ツアーノの言う象徴とは型ごとの得意とする魔法で他の型の人間も使えない事はないが威力半減と言った所だ。
太陽の型は炎と光。大地の型は植物と水。重力の型は飛行と風。時間の型は予言と回復。といったように得意な魔法が違う。時々血族によってぶれるその能力は通常の型の人間が得意とする魔法よりも強力で時間の型の回復魔法も人魚の血族の回復魔法を上回ることは無い。
それに、付随して元来の型の魔法も得意として使えるものだから力があり戦争の時代に武功をあげたとして領地を治めている事が多い。
時間の型の予言は占い交りの不確かな魔法で先の未来を見ようとすればするほどブレて確実性がなくなっていく事から回復を極める者が圧倒的に多い。
その代わり、予言者として成功した者は代々主に仕え歴史を動かしてきた。アーサーとソフィアの両親もその口で行き過ぎた力ゆえに恐れた者たちから事故に見せかけられ殺されたが、二人がそれを知る事は無い。
終戦時に敵であったウィークレイ皇国の民に受けたその仕打ちを公表することで、やっとの思いで終わらせ結んだ和平が壊れる事を恐れた現国王が隠蔽した為ウェンズリー夫妻ですらその事実を知らないでいる。
三人の住むアルミリオン王国はそんな戦争の記憶がまだ新しい国であった。
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「それで、傷を負ったのはどのおバカさんかしら。」
美しい黒髪を靡かせ、冷めた漆黒の目を三人に向ける少女。
姿勢正しく椅子に座り三人に向かい合うシャルロッテ・セーユングファーその人であった。
教えを乞う事になったロビンと領主ゼーユングファー夫妻に挨拶を済ませた三人の中で目を背けながらそっと手を挙げる一人の兄と一人の妹。
唯一、無傷若しくは精神疲労程度のルアーノが苦笑いを溢す。
「アーサーは軽傷だ、ソフィアを先に診てやってくれないかな。」
「あら、アーサーが重傷でも私はソフィアを先に診るわ。」
そう微笑むシャルロッテにアーサーは中指を立てルアーノに叩かれる。
「泳げない金魚が、はよソフィアを治せ。」
「アーサー!」
「あら、いいわよルアーノ、癪だけど泳げないのは本当だもの。」
「はあ、ごめんね。シャルロッテ頼むよ。」
「ええ、ソフィアが終わるまでそこの人魚よりも小さな兎野郎も大人しくしてなさい。」
誰が!とアーサーが喚くよりも早くルアーノがアーサーの口を塞ぐ。
「事実だろ!落ち着け。ソフィアほらもう行って。」
人魚の回復魔法を見られるのをシャルロッテは嫌がる。本人曰く腕に浮き出る鱗を見られたくないとの事で治療される本人も目をつむる。
アーサーは一度治療中にそれを見てしまってからシャルロッテとの仲が悪く、シャルロッテも治しはするがアーサーにだけは目隠しを強要していた。
別室に移動してソフィアは目を瞑る。
背の部分の衣服がまくられることで空気が当てられひんやりとする。手当はしてあるが癒えていない傷の酷さにシャルロッテは少し狼狽えるが、傷に手をかざす。
ソフィアは見る事の出来ない背でパキパキとシャルロッテの両腕と頬に鱗の出る音を感じ、冷える背には傷を避けるようにしてシャルロッテの熱をもった手の平がそっと当てられる。
じんわりと傷の痛みが引くのを感じるソフィアの後ろでシャルロッテが口を開く。
-「ナッシュ先生の事聞いたわ、ごめんなさいね追悼に行けなくて。」
「いいよ、シャルは別にそんなに先生と話したことないでしょ。」
「それでも、何度かお世話になったわ。」
「そうだねえ。」
「背中の跡が少し残るかもしれないわ。気になるようだったら形を変える事くらいは出来るわ。」
「さすが魔女。人魚の回復魔法をも超えるんだね。」
「え?」
あ、っとソフィアが口を塞ぐが時すでに遅しで、聞き逃す事の無かったシャルロッテが更に狼狽える。その、様子をソフィアが目にすることはないが動揺しているのが背中に当てられた手から伝わっていた。
「…いいわ。落ち着いて話せるようになったら話してちょうだい。」
シャルロッテは弁解をしようとするがシャルロッテが治療中のためオロオロとするソフィアをみて聞きたくなった気持ちを押し込めた。
シャルロッテ達は森で先日の雨による土砂崩れ及び、魔獣の襲撃としか聞いていない。確かに森には魔女の区域であるレスト区域があるがソフィアの言った感じだと魔女に直接受けた傷のように聞こえた。
事実そうなのだが、ソフィアはいくら親しくしているとはいえ対策もない今、そう簡単に口にしていい事ではないとルアーノに口を酸っぱくして言われていたのに口を滑らせた事に落ち込みを見せる。
「そんなに、落ち込まないでちょうだい。ソフィアがきちんと隠そうとしているだけでもすごいわ。」
「それ、慰めてるの?貶してるの?」
「…どっちもね。」
「どっちもかー」
むっとしたらいいのか、嬉しく思えばいいのか悩むソフィアにシャルロッテはクスクスと笑う。
「傷跡はどんな形がいいかしら。憎たらしいから笑えるくらい可愛くしちゃいましょう。」
「そのままでもいいよ?」
「そう?お花がいいかしらね。」
「話聞こえてる?」
「あら、ユリウス兄さんの名前を書いてほしいって?そんな、そんなに私の家族になりたかったなんて知らなかったわ。ちょっと難しいけれど頑張るわね。」
「花でお願いします。」
ソフィアそんな事をされてしまってはユリウス以外にはお嫁に行けないとぞっとして即座に頭を振った。
シャルロッテは半分本気で自身の兄のあずかり知らぬ所で責任を取らせ、ソフィアを迎え入れようと考えていたが流石にどっちも可哀想だと大人しく傷を癒していく。
「さあ。あまり乙女の肌を出しておくものじゃないでしょうし、これでいいわね。」
そういってシャルロッテはまくり上げていたソフィアの衣服おろす。
「背中どうなったの?」
「鏡が無いと自分では見られないと思うわ、治療に使う部屋は鏡を置かないようにしているのよね。私の部屋にあるからもってくるわ。」
「え、いいよ。帰ったら見る。兄さんの治療もあるでしょ、呼んでくる。」
シャルロッテが止まる間もなくソフィアは部屋を出る。
「兄さん、次。ちゃんと目隠しするんだよ。」
「わかってる。それより、具合はどうだちゃんと治ったのか。」
「…もちろん。人魚の魔法だよ?ほら、シャルから布預かって来たから。」
心配するアーサーにソフィアは誇らしげそう言って、ほら、と黒い布を目に当てる。
少しのけぞりながらもそれを受け取った立ち上がり、アーサーは治療部屋の前で目を覆ってドアをノックする。
シャルロッテがドアを開けアーサーの手を取ってゆっくりと部屋の中へ消えていく。
「お疲れソフィア。アーサーが心配だってうるさかったんだ、治ったようで良かった。」
「兄さんだって怪我しているんだから安静なのに。ルアーノ兄さんこそお疲れだね?」
「まったくだね。シャルロッテに治して貰わなくでも元気だよ、あれは。」
「ミリアに怒られて剣が触れないからイライラしてるんだよ。」
傷の癒えた軽いからだで両手を組んで伸びながらソフィアは笑う。
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「はくしゅんっ。」
「…体型に合った可愛らしいくしゃみだこと。ダーリア」
「うるさい。寒いんだよ、祈るな。」
「あら。魂持っていかれちゃうわよ。」
「それが本当なら、俺はもう魂なんて残ってないから大丈夫だ。」
「可愛く無いわね。」
言葉にいらっとしたアーサーが目隠しをはずして文句を言おうとするのを、シャルロッテが結び目をぎゅっと引っ張って止める。
「イタズラもほどほどにしないとソフィアに嫌われるわよ。」
「…しょうがないだろ。むずむずするんだよこの布。」
かゆそうにするアーサーにシャルロッテは外してやろうかとも思うがこの男には前科があったなと考え直す。
「深い傷はそんなにないからすぐに終わるわ。我慢しなさい。」
「はあ。そうかよ。そういえば、ソフィアの傷はちゃんと治ったんだよな。」
「ソフィアはなんて?」
「もちろんだってよ。」
「そう。そうね、治ったわよ。痛みはもう無いはずだわ。」
「そうか。ならいいんだ。」
理由は色々あるだろうが痕の事は伏せた方がいいのだろうと察したシャルロッテは話を合わせる。
今言わなかったところでアーサーがあの痕見る事は無いだろうと考えての事だった。
事実、背中の一部に残ったそれは、露出の多い服でも着なければ見える事は無いだろう。
ソフィアが将来誰かと婚姻を誰かと結ぶ事になったらその相手には見せるだろうが、そもそも魔女の色を持つ者を受け入れる時点で痕を気にするような人物では無いだろう。それぐらいには魔女の存在はおとぎ話のようでも色を取り込むには周りの目に弱い者には耐えられないだろう。
もし、自身の子がその色を受け継いだ時その子を魔女の子ではなく愛せるか。
もし、ソフィアやアーサーの様に膨大な魔力を持って生まれた時守り切りれるか。
兄妹の両親は少なくと愛してはいたが、二人が自立するその時まで傍に居て見守る事は出来なかった。命をとして守ったというのは聞こえは良いが兄妹にはその先がある、その先にウェンズリー夫妻がいたから良かったものの結局はどちらも魔力溜で負傷している。両親が生きていればそんな事にはならなかったのではないか、というのは関係したウェンズリー夫妻もルアーノもアーサーもソフィアも一度は考える事になるだろう。
少なくともアーサーは考えていた。
ルアーノが自分の魔力溜に巻き込まれ妹が記憶を失って思い出した時。「死んじゃったんだね」と言った妹を見て、自分だけでは抱えきれないと。どうして両親は死んでしまったのかと。
けれど
「ソフィアが俺を背負うって言ったんだ。」
「あら、情けない兄ね」
「そうだよな。ソフィアが背負うなんて思わないくらいに強く、重くならないといけないんだ。」
「だから、私が治してあげているじゃない。人魚の回復魔法を、それもこの血統きっての天才の魔法を受けられるなんて幸栄に思いなさい。すべてはあの子の為よ。」
アーサーの体から完全に痛みが引く。
立ち上がるアーサーと結び目を持ったままのシャルロッテ。引っ張られ手を離した拍子にアーサーの目から目隠しが取れてしまう。
取れた目隠しを追って振り返るアーサーの目に陶器の様に滑らかだったはずの両手と頬にウロコの張るシャルロッテが写る。
「あ、悪い。」
赤面したシャルロッテが治ったばかりの体のアーサーに新たな傷をつくるのは変えられない3秒後である。