雨の兎6
「ごめんね、シスター。帰らなきゃ。」
夜の手の拘束を破りソフィアがナッシュの元へ駆ける。
駆けた勢いのまま唖然とする魔女をよそにドームの外へ出る。夜の手なんか気にしていられない、何処まで追ってくるか分からないそれでもあそこにいるよりはマシだと信じて三人はレスト区域から出ようと外へ向かう。
抱えられたアーサーは時々強い魔獣の魔力を匂いで感じては方向をナッシュに伝える。
「なあ!先生変だよ!手が全然来ないんだ!あと、抱え方がどうにかならない!?お腹痛いんですけど!」
「そのまま諦めてくれたらいいのですが。」
「そんな簡単だったらとっくに帰ってるよ、先生!兄さんの早く走れないんだから我慢してよ!」
「その変な強さで兎を走って追いかけきゃ、俺が止められてたんだけどなあ!?」
「うっ」
「二人ともそれ以上、先生の精神抉らないで貰えますか。」
アーサーにも教えていれば、ソフィアに教えていなければ、自分がもっと目を向けていたら。
ナッシュに後悔が襲うが反省する暇もなく魔獣が襲ってくる。ナッシュは気力だけで走っているようなものだった。避けきれない魔獣の攻撃で傷も増えている、周囲の魔力を使って走っているからレスト区域を出れば足は止まってしまう。
それを分かっているから夜の手は追って来ないのかもしれない。
「先生、あそこから精霊が居ない!」
ソフィアが指すのはレスト区域とリズの境界の境目で。外はもう暗いらしくはっきりと境目が見える訳ではないが明らかに精霊が減っていた。
「ソフィア、一度とまったらアーサーを引っ張れますか。」
「え、たぶん大丈夫ですけど。」
「じゃあお願いします。そのまま走ってくださいね。それで、精霊が一番減ったラインでちょっとジャンプしてください。」
そう言うとナッシュは走る速度をいったん落としてアーサーを下す。ソフィアはアーサーの手を取って走る。ナッシュも一度振り返って夜の手がないのを確認すると二人を追う。
「え、うわっ。ちょっと待てよ!」
「兄さんいつジャンプしたらいいと思う?」
「え?じゃあ1.2.3でいいんじゃないか!」
アーサーは速度がついていける程度に落ちているものの、急に引っ張られるように走らされて投げやりにそう答える
「先生!1.2.3でジャンプですよー!」
「はいはい。」
ソフィアが後ろを走るナッシュに呼び掛けるとナッシュが手を振ってこたえる。
「いーち、にー、「シールド」
さーああああああ!?」
「うわああああ!?」
さんでジャンプした二人の背中が壁に押され、二人はその勢いでレスト区域をからリズの区域のテーム区域付近まで吹っ飛び転がる。
「アーサー!ソフィア!」
外で待っていたルアーノが声をあげる。増援に行こうとしていた師団の団員をその声に反応して二人を受け止める。
“あら、まあ嫌いな太陽の子だけで我慢してあげるわ。”
飛んできた二人を非難させようと師団の手によってテーム区域に入る直前にその声を聴いた二人は自分たちを飛ばしたナッシュの方に走ろうと足をあげる。が、師団の団員に止められる。
「なっ、何処に行く気だ早く非難するぞ!リズの境界ではまだ危険だ!」
「待って、先生が!」
「先生!だめだ、魔女が!」
「ソフィア!先生を引っ張ってくれよ!」
二人を非難させてようと師団の団員の手の中でアーサーが泣くように悲願する。ソフィアがその声にこたえるようにもがきながらも胸を淡く光らせようとするが今までの疲労からか上手く出来ない。
(なんでっ、今なのっずっと出来ていたのに!)
魔女の傍にいる時でも出来たのだ、師団の団員に掴まれているからなんだとソフィアは心叫ぶ。
「離して!先生の所に行かなきゃ!」
「何を言っているんだ!早く離れるぞ!」
「ソフィアを離せよ!」
「アーサー?ソフィア?先生は?」
二人の叫びにルアーノもナッシュが居ない事に気が付く。ルアーノがまだ、戻って来ていないのかと二人の向かおうとする先に目を向けると衝撃音と共に生暖かい何かが頬にぶつかる。
それは、アーサー、ソフィア。師団の団員達も同じで皆唖然と動きを止める。
全員が同じ方向を見上げる先には夜の手に心臓を貫かれたナッシュが浮いていた。
ずるっと夜の手が抜けるとナッシュの体が落ちる。
声の出ないそれぞれの中でアーサーだけが、血の匂いを追ってきたのだろうナッシュの亡骸に群がろうとする魔獣に気付き師団の団員の剣を奪って駆ける。
遅れ、師団の団員が気付いた時にはソフィアもナッシュの元へ向かっていた。団員には聞こえないが戻って来たのかと笑う魔女の声と共に二人のもとへ夜の手が伸びる。
「先生!せんせい!」
魔獣と夜の手を斬ってソフィアとナッシュを守るアーサー。
ソフィアは意味も無くナッシュへと魔力を注ぐ。
慌ててアーサーに加勢する団員とアーサー、ソフィア、ナッシュをルアーノと団員がテーム区域に引きずる。
アーサーとソフィアがテーム区域に出ると夜の手の攻撃は止まる。
「嫌だ!嫌だ!先生!」
「ソフィア。」
「いやだ!だめだよ!」
「ソフィア。」
「せんせい!」
「ソフィア!!!」
ナッシュの亡骸に魔力を送らんとするソフィアをアーサーが引きはがす。
ナッシュの血で染まったその手でソフィアの顔掴む。いつも、叱って言い聞かせるようにそれが、自分の役目だからと。兄然としようとソフィアの顔を覗き込むようにして口を開く。
「ソフィア。先生は死んだ。死んだんだよ、俺達のせいだ。」
「わ、わたし、あ、でも、だって」
アーサーが顔を掴んだ時にソフィアの頬に付いた血がジュワジュワと蒸発するようにして消えていく。
ギリギリ魔女に持っていかれる事の無かったナッシュの核だけがその場に残り藍色に光る。
ルアーノがそれを拾うと二人に握らせる。
「先生は確かにアーサーとソフィアの為に死んだかもしれない。でも、それはレスト区域からの手と先生の力不足のせいで、力不足の先生に一人に頼むしかなかったのは領主の家たる僕らのせいだ。」
「何が言いたい。」
「責任の所在は、恨むべきところは、そこかしこにある…。
だから、忘れようとしないでくれないか。」
そう言ってルアーノがぐっと噛みしめ左手で自分の首を撫でようとしていたソフィアの手を握る。ソフィアの目が開かれる。忘れる為の一連の動作。無意識の自己防衛であるそれだが、ルアーノはどうしてもやって欲しくはなかった。
困惑するソフィアに追い打ちをかけてそれに誘導するアーサーもそのまま許すことが出来なかった。
「些細な事はいい。それでも、これは忘れちゃいけない、忘れさせちゃいけないんだよ。アーサー」
「わたし…。忘れようなんて…」
(していない。)
その言葉がソフィアの口から出される事は無かったがルアーノはそれでいい。忘れないでと、核を強く握らせる。
ナッシュの死を飲み込めない三人の子供を気遣いながらも師団の団員は帰りの馬車に乗りこませる。街道の途中どこからか聴きつけたのだろう女の叫ぶ声が聞こえ馬車に石が投げこまれ窓ガラスが割れる。
割れたガラスで頬に傷を負うソフィアに女の声が明瞭に届く。
「謝れ!謝んなさいよ!兄さんが死んだのはあんた達せいだ!魔女の子!兄さんを返せ!その不気味な白い髪が何よりの証拠だろう!降りて謝れ!魔女の子!」
「…先生。妹居たんだな。」
そう溢すアーサーがソフィアの頬に滲む血に布を当ててやる。
街の警備の者が女と争う声が聞こえ遠ざかっていく。
馬車に同席していた師団の団員が一言ソフィアに謝ると揺れる馬車の中で散ったガラスを集め袋に入れる。
「なんで、謝ったんですか。」
「守る為に同席しているのが私ですから。完全にガラスが取れた訳ではないので余り動かずに屋敷に入られましたら衣服を着替えてください。」
ソフィアは何気なくした問にナッシュに良く似た口調と良く似た瞳の藍色でそう答える団員に一瞬ナッシュの面影を見るが顔が全く違う事に気が付くと、そう、と一つ頷いて顔をそらす。
事実、ナッシュの藍色はこの領地に多い色で団員はなんの関係もない男だった。
ソフィアは妹だと言う女の嗚咽交りの叫びに自分は今まで涙を流していないなと胸に手を当てて考える。
あまつさえ自覚は無かったが、忘れようとさえしようとしていたのだ。魔女の子もあながち間違っていないのかもしれないと開いたガラスの所為で風に揺れる自身の髪を見てソフィアは女の叫びを噛み砕く。
屋敷に戻った三人を最初に出迎えたのは顔をいつもより暗くした、ミリアだった。
団員の言いつけ通り衣服を着替えた三人をアリシアが抱きしめる。
「母さん…。先生が。」
「聞いたわ。」
「「…」」
「疲れたでしょう。ルーカスは、今日は帰らないからおやすみなさい。ナッシュの葬制は明後日よ。魔核はその時に遺族の方に返す事になっているわ。」
「はい。」
「いい子ね。それまでは許されているわ大事に持っていなさい。」
ぎゅっとナッシュの核を握るソフィアの額にキスを落とすとアリシアは部屋に戻るように三人をただした。
ソフィアは部屋に戻ると握り閉めた‘二つの核’を眺める。
差して差のないそれを見比べて少し淡い藍色の核を引き出しにしまう。
濃い藍色の核の方は手に取り口元に持っていき飲み込んだ。
「っう、あー。ちょっと痛い。大丈夫かな、これ。」