雨の兎3
「ヒントは精霊です。」
(駄目だ分からん。球体もだせないし。)
ナッシュのヒントにソフィアは天を仰ぐ。
アーサーはそんな妹を一瞥すると、ルアーノに声を掛ける。
「分かったか?」
不意に掛けられた問いかけに少し悩みながらも口を遠慮気味に開く。
「…下級の精霊に頼むのかな。精霊は周りの魔力を吸って力を保っているから魔力のないリズの境界に行く事は中級以上の精霊じゃないと出来ないし。そもそも近づくのも嫌がる…と思う。」
不安がちにそう答えるルアーノにナッシュは笑って見せる。
「付け加えると精霊は魔力のみの存在だから嫌がるなんてものでは無くて、下級の精霊からしたら命の危機なのですが、おおむね正解ですよ。」
ほっとしたように息を吐くルアーノにアーサーはよく知っていたなと感心の目を向ける。
ソフィアも同じようにルアーノを見るが、同時に自分の出来ない事知らない事をする従兄にほんの少しの劣等感を感じる。
年齢も違うのだから当たり前と言っていい事なのだが、一つ上のルアーノとアーサーとは常に同じように学んできたはずだったのに何故こんなにも違いがでるのかと頭を悩ませる。ここで、この感情が努力につながればいいもののソフィアという人間は諦めが早く努力もしない良く言えば切り替えが早く、悪く言えばただの根性なしであった。
とは、いえ人間には得手不得手がある。事実ソフィアにはルアーノには無い魔力がある、魔法の成長スピードは年齢に大きく比例する事はがあり子供の時期は特に、一年の差が大きくでる。ソフィアがあと一年たてば魔力の差もありルアーノが作った球体よりも大きな魔力の塊を生み出せるようになるだろう。
それは、努力ありきだが魔力の放出に関してはどんなに才能がない者でも魔力さえあれば15歳までは魔力量によって一定の成長具合を見せるのが常識とされている。
それを知らないソフィアは少しモヤモヤしながらも、ぐっと噛みしめ左手で自分の首を撫でる。一連の動作が終わった時には、劣等感のモヤモヤも魔力の塊が出せない若干のイラだちも綺麗さっぱり忘れるのがソフィアの常であった。
本人も自覚していないその仕草を認識するのは長く隣にいたアーサーとルアーノで、気づかないナッシュは説明を続け、三人もそれを聞く。
「森に行くまでに、契約する時間が今日はありませんから私の精霊を森についたら出しましょう。夜ではないですが、精霊の事を学ぶのにも丁度いいでしょう。」
そうしてナッシュの指示にしたがい三人は馬車へと乗り森へと向かう。
アーサーとソフィアにとって雨の日以来の白い森は雲に覆われた空の下で見たときよりも神秘的に映った。レスト区域とは別の意味で純粋に魔力にあふれた森は人間と契約していない下級の精霊が淡くひかり多くキラキラとしていて、クスクスと精霊の笑い合う声が聞こえる。
ナッシュとその精霊の後を追い少し深みに入ると雨の日では結局見る事の出来なかった兎をあっさりと見かけた。
「すごく、簡単に見ちゃったね。兎。」
「だな。ルアーノが見せてくれたのとは違って白いしな。」
そうコソコソと話す兄妹にあれだけ人に心配させといて呑気なものだと、ナッシュとルアーノは呆れる。
歩き続けると精霊たちの数が減りナッシュの精霊も次第にナッシュに常に触れているようになった。
ふと、空気が重くなり三人を先導するナッシュの歩みが止まる。
「先生?」
ソフィアがどうしたのだろうとナッシュの後ろから出て先を見据えるとそこには光の見えない夜が広がっていた。
「あそこの夜がレスト区域です。森の中でも比較的浅い位置ですからレスト区域の中心と遠く危険も少なく、魔力の濃度も薄いと言われています。それでも、テーム区域とは比べ物になりませんが。」
白い森の中で突如として広がった闇。くっきりと分かれた先の夜は不気味で先ほどまでは減っていた物のいたる所にいた精霊たちも完全に姿が見えない。ナッシュの精霊でさえも姿こそ見える物も光は弱弱しく怯えるようにナッシュの傍を離れないでいる。
ナッシュが精霊に声をかけると精霊はあっという間に消えていった。
「レスト区域の中にははいりません。リズの境界とテーム区域の濃度の差を利用します。言ってしまえば魔力濃度の大幅な違いを感じたりする事で魔力があるという感覚を知る訓練ですしね。私たちは普通から回りに魔力があるのが常の状態ですから、魔力に慣れています。感覚が分からない内は魔力が徐々に体内で溜まっても気付かない事が多く、君たちくらいの子が魔力溜になる事が多いのです。」
それでも、早い段階で訓練を行えばいいと言事でも無く、先人の経験則ではあるが12歳未満の段階で行うと頭と体の成長が未発達すぎるせいか身に付かない事が多くあった。
ソフィアは12になったばかりで、本来は魔力量を考慮した上で一月後にナッシュは予定していてそれでも十分に間に合うはずだったのだが森に行ったときにレスト区域に近づきすぎたのだろう免疫が下がっていたこともあり魔力溜を併発してしまった。
アーサーとルアーノに関しては兄妹の両親が亡くなった直後の事でナッシュもまだ先生として着く前の魔力溜の事件だった為、異例とされており。その際にルアーノは魔力操作を一度は失敗したがその後ナッシュが付くまでシスターの元に通い上達。アーサーもそのおかげで魔力を貯める事なくルアーノに解消して貰っていたため、ソフィアの訓練に合わせる事になり見送られていた。
「先生、レスト区域が急に見えるようになったのはなんでですか?」
ソフィアはそういうと少し後ろに下がり再度レスト区域があるはずの方向を見るが夜は見えず、代わりに空気が軽くなり白い森の続きが見える。
「それがリズの境界に入ったかどうかの目安でもあるのですよ。見えたり見えなかったりするのは魔女リズの能力の一つである認識阻害の影響ともいわれていますが詳しい事は分かっていません。
もう一度こっちに来てみてください魔力濃度の違い、どう感じますか。」
そう手招きするナッシュにリズの境界に入っていたのかと三人はわずかに驚きながらもテーム区域とリズの境界をいったり来たりする。
「空気が重くなったり軽くなったり…かなあ。」
「えっ、匂いが違うんだけど。」
「僕はリズの境界に居る方が寒い気がするかな。」
ソフィア、アーサー、ルアーノと順に言う言葉の違いに三人は顔を合わせて疑惑の目を向け合う。
ナッシュは少し驚きながらも大丈夫だよと笑い、三人を自分の元へ呼び寄せる。
「そうか、君たちは時間の型でしたね。基本的には感覚は型で決まるのですが時間の型は他の三つの型のどれかと同じ感じ方をするので分からないんですよね。」
因みに、重力の型が重み、大地の型が匂い、太陽の型が温度である。
ナッシュはいま、感じた感覚を大事にしてくださいねと言い三人の前に手の平を出す。
「この手を見ていてください。」
そういったナッシュの手の平にゆらゆらと藍色の魔力が炎のように光る。
(先生と目と同じ色だ…)
「きれい。」
「ありがとうございます。今日はこの状態を維持できるようにしましょう。ルアーノはすでにやった事あるとは思いますが今日は温度を意識してやってくださいね。あと、周りに魔力がないリズの境界内だと魔力の流れが悪くやりづらいと思うのでそちらも。」
「先生、私は軽くなるように意識すればいいですか?」
「正解です。手の力は抜かずに重みだけを無くすように意識してください。反転する意識なので少し難しいとは思いますが一度出来ると体を軽く出来るので楽になりますよ。あとはテーム区域から手だけをリズの境界に入れてみてください。」
ソフィアは言われた通りに夜が見えない位置まで移動し、手に重みを感じる位置まで差し出す。
(なんだか何か持ってるみたいで気持ち悪いなあ。)
「ソフィア持っているものを離してみてください。」
無い物を離せと言われてもと思いながらもソフィアは何度か物を離す動作をする。すると徐々に手が軽くなり体内の魔力の流れが分かる様になってきた。完全にリズの境界に入っている手とテーム区域にある体の重みが同じになった所でバッとナッシュに目を向け、声を上げる。
「わっかりました!」
「おっ早いですね。次はどちらかに完全に居る状態で出来るようになりましょう。少し難しいですよ。」
「はい!」
出来るようになったのが嬉しいのか上機嫌でリズの空間に完全に入り同じように魔力を集めようとするが、ナッシュの言葉通り難しかったらしくスンと真顔に戻りリズの境界とテーム区域の境目に戻る。
この調子だとすぐルアーノ兄さんに追いつくわ!などと舐めプな考えをしていたソフィアだが、世の中はソフィアが思うほど甘くないのである。
アーサーはと言うと上達するソフィアと元々出来るルアーノを横目に一人戸惑っていた。
「えっ、先生。俺の匂いってどうすればいいんですか…」
「あはは。大地の型の匂いの感覚は難しく苦手な人が多いんですよね。リズの境界からテーム区域に移った時はどんな匂いでしたか?」
「どうって…。いつもの匂いだなって。」
その答えにナッシュは困ったように笑い、それにアーサーは不安を覚える。
これに関してはアーサーもナッシュも悪く無く、大地の型の人間は匂いの感覚で魔力操作を表現、再現する人間が少なく、他人に説明する際もこうグワッととか、グッととか、能動的な人間が多いためナッシュも教える度に苦悩しているのが現状であった。
ナッシュがそれを伝えると別の事での身に覚えがあるのかスッと目をそらすアーサー。
そもそもアーサーは魔力を使うのを避けてきた節があるため余計に感覚がつかめないのである。魔力を使おうとするとルアーノの不自由な左手が頭をよぎる。
それを知っているナッシュも魔力に集中するこの訓練にアーサーを参加させるべきかの迷いはあったが、一生ルアーノに魔力溜を解消してもらう訳にもいかない。付け加えるとアーサー個人の魔力量の多さから見てもナッシュは魔法を使えないのは勿体無いと思っていた。
「アーサー、無理にとは言わないです。でも、出来るようになりたい気持ちがあるなら少し頑張ってみましょう。」
「俺は…」
俯いて考えるアーサーの答えをナッシュはじっと待つ。
「ねえ!兄さん!見て、少し光る様になったのよ!」
少し離れた位置からまだ境目に居るのだろう、片手を前に差し出してもう一方の手でアーサーに手を振るソフィアが居た。
喜んで無邪気に笑うソフィアを精霊たちが囲んでいて、キラキラと光っていた。見に来てとアーサーを呼ぶ声に応じてソフィアのもとへ駆け寄る。
「見て、少し光ってるでしょ。兄さんと私の目の色よ。」
「うん。きれいだな。」
そうでしょと笑うソフィアの手の光はナッシュやルアーノよりもずっと小さく弱弱しい物だったが確かにそこにあった。
「これで私もきっと兄さんを背負えるようになるわ」
その言葉にばっとアーサーはソフィアの顔を見る。風邪ひいた時に背負ってくれたでしょ?と付け足す妹は、アーサーにとって守らなければいけない重みから守りたい支えに変わった気がした。
ちっぽけな妹は両親が死んだ時から何も変わっていない自分とは違い成長していたのかと思うとアーサーは少し恥ずかしくなった。
「いつもこれくらい努力してくれたらいいんですけどね。どうしたのですか?今日は。」
「なになに、ソフィアもうそんなに出来るようになったの?僕、追いつかれるかなあ。」
「先生酷い!いつもは、ちょっと調子が出ないだけですよ!そんなに大きい魔力の塊持ってルアーノ兄さんも絶対思ってないよね!?」
「ねえ、兄さんもなんか言ってよー。私、成長したよね!?」
ナッシュとルアーノにしれっとけなされたソフィアは少しムッとした顔でアーサーに助けを求める。
「うーん…兄ちゃん妹におんぶされるのは嫌だなあ。」
「え、それどっち?成長した?成長したって事でいいんだよね!?」
曖昧に笑うアーサーにソフィアは肩を掴み揺らす。それをナッシュが訓練続けますよと言って引きはがす。
「先生。俺は出来るようになりたいです。」
そうナッシュに言ってアーサー決意を決め訓練に励んだ30分後、飽きたソフィアが兎を追いかけるのを見て絶対に背負われる事は無いなと呆れの目を向けるのはいつも通りの日常であった。