雨の兎
タイトルが決まらないまま進んでいます。
分厚い雲に覆われて月の光も届かない真っ暗な夜の教室に彼女は横起っている。
今年は使われなかったのだろう、椅子と机が積みあがっている空き教室の床で冷たさと馬乗りになった男の重みを中で彼女は顔を苦しそうに歪め、真っ直ぐに窓の外を眺める。
実際苦しいのだろう、男の手は彼女の細い首に食い込んいる。
女に馬乗りになっている興奮からか、それとも人を手にかけている興奮からか男は欲のまま腰を振る。
彼女の身体もそれに合わせてずりずりと床に擦れ、背中と後頭部に痛みが走り制服のスカートもズッと上がるのと同時に苦しさとは別に嫌悪から彼女の顔は一層歪みを深める。
「…ああ。ごめん、泉。すぐに、すぐに楽にしてやるよ。」
そう言って、男は泉と呼ばれる彼女の首にかける力をぐっと増す。
泉の口からは言葉は紡がれず、求めてしまう空気も通らず。ただ、窓に向けていた視線を鈍行に男の瞳に移す。
垂れる髪の合間に見えるその瞳が泉には、非常灯だけが光るこの空間の中でも酷く狂気的に光って見えた。
(願ったのは自分でも、自分を殺す男は怖いものなんだなあ)
沈むような苦しみの中で泉はふと見えていた光を失い、事切れる。
淀む、冷めた空気の中で唖然と自分の手を見つめすすり泣く男だけが空間に残った。
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アルミリオン王国のウィークレイ皇国の国境の森で雨の夜に迷子だった二人の兄妹が大人たちによって発見された。妹を背負った兄は見知った顔を見ると安心して膝から崩れ落ちた。
アルミリオン王国の領地に位置する白の領地の領主であるウェンズリー家の屋敷で少女は目覚める。
「ヒュッゲホッケホッ!」
勢い良く半身を上げ苦しさから急に解放されたように咽た、少女を驚いた様子でみやるアーサーが支える。
「ソフィア。大丈夫?」
灰色がかった乳白色の髪を揺らし、銀朱色の瞳を見開く少女より少し背格好の高い少年であるアーサーは自身の妹である少女ソフィアの背を摩り次第に驚きよりも心配の表情を顔ににおわす。
アーサーは現状を把握できずにいまだ呼吸を整えようとするソフィアの背をトントンと叩きながら落ち着いてと声を掛け続ける。
そうしながらも傍にある呼び鈴を鳴らし、部屋の外へソフィアが目覚めた事を知らせる。
呼び鈴は小さくリンと鳴くと環を広げ、連動した使用人のミリアの持つ呼び鈴を大きく鳴らす。それに、気が付いたミリアは医師の手配を済ませてからソフィアの部屋へと向かう。
「アーサー様、よろしいですか。」
ノックの後に了承を得る言葉にアーサーは招き入れる事はせずに扉へ軽く開ける。
「今、少し落ち着いた。少し様子が変なんだ伯父様たちとルアーノも呼んで来てくれないか。」
ミリアは部屋の奥にキョロキョロとあたりを見渡すソフィアを確認すると、医師が一時間後に来る旨と小さめの水瓶とコップを渡し、アーサーの言葉に従い主人たちを呼ぶべく下がる。
ミリアが小走りに向かうのを見送って、預かった水瓶の水をコップに移しソフィアへと手渡す。
「…ありがとうございます」
そう言って少し戸惑う様子を見せながらも、コップの水を飲むソフィアを見ながら首をひねる。
ソフィアは森に行った際に雨に打たれ風邪をひいて寝込んでいた。アーサーは誘った事を後悔し丸1日目を覚まさない妹についていたのだが、急にむせながら起きたと思うと混乱した様子で辺りを見回す妹に困惑していた。
しまいには、実の兄に敬語で礼を言う。自分と似た容姿をした紛れもない妹のソフィアなのは間違いないのだがどうにも違和感がぬぐえない。
そんな事をアーサーが考えている間、ソフィアもまた困惑していた。
(凄い、見てくるし。目つき悪いし、ここは何処だ。)
悪口も混じっていたが、きちんと困惑もしている。
心配そうに背を摩ってくれたり叩いてくれたり、水をくれたりと介抱して貰っている割に失礼であるが。
「えっと。私はソフィア?」
「え。ソフィアはソフィアだよね?」
そんな馬鹿なやり取りで分かるのはソフィアに記憶の無い可能性で、その後、二人の従兄にあたるルアーノがやってくるまで二人はじりじりと困惑を極めて見つめ合っていた。
「え。なんで見つめ合ってマウンティングとってるの。」
扉を開け二人の様子にルアーノがそう溢すとアーサーがぐりんと身をよじってルアーノに駆け寄り肩を掴む。
アーサーと同じかそれよりも少し細い背格好の少年であるルアーノはその衝撃で一歩下がる。
「ルアーノ!ソフィアが!ソフィアが私はソフィ?って変なんだ、ついに馬鹿が脳にまで発展したんだ多分!」
「なによそれ!私がいつも馬鹿みたいじゃない!」
「僕にはいつも通りに見えるけど。」
困惑して肩を強く掴むアーサーとそれに抗議の意を吠えるソフィア、それに呆れるルアーノの図はいつも通りの流れでルアーノには一見して変化は感じられなかった。
「うーん。ソフィアは自分がソフィアだって分からないの?僕たちの事も?」
「そ、そう!そうなの…。あ、いやでも。私がソフィアだっていうのは言われれば何となくしっくりくる感じはあるんだけど…。です。」
言葉尻に向かって段々と自信を無くすソフィアの様子に三人とも同じように首を傾げてしまう。
「僕たちは家族だ。無理に言葉に変な気はつかわなくていいよ。」
「俺は、ソフィアのお兄ちゃんなんだけど…。分からないか?」
アーサーとルアーノの言葉に二人の顔にソフィは曖昧に苦笑いをする。
家族だと言われればそんな気もするし、兄だと言われればそうなのかと納得できそうな不思議な…というかてきとうな思考状態なのである。
事実、ソフィアは言われた事は対外鵜呑みにする息でふっと飛ばせるような信念しかもたない性格ではあるので二人の兄と従兄も本当に分かっていないのか、それとも風邪の影響で頭が混乱しているだけなのか判断しかねているのだ。
「取りあえず、父さんたちが来るのは時間がかかるみたいだし医者が来るのも一時間近くかかるんだろう。ソフィアは何が分からないか分かる?」
ソフィアの座るベッドにルアーノとアーサーも腰かけ、重みに少しクッションが沈む。
アーサーはソフィアの顔を覗き込むようにしてどうなんだ。と顔色を伺う。
「え。っと。私はソフィアで、アーサー…さん?「お兄ちゃんと呼んでくれ!」」
「アーサー、そんな可愛げのある呼び方で呼ばれた事なんてないだろう。」
昔一度呼んでくれたんだ!と喜びの思い出を思い出すアーサーを横目にルアーノはため息をつく。そのまま、ソフィアに兄さんと自信がルアーノ兄さんと呼ばれていた事を説明しながらも、思ったよりもすんなりと飲み込むソフィアに安堵を覚える。
「思ったよりも落ち着いているみたいで良かった。」
それでも、人の名前から分からないのであれば質問させるのは酷だろうとルアーノが三人の関係性から話していく。
「まず、ソフィアとアーサーは兄妹で僕とは従弟妹にあたる。ほら、髪の色が僕と君たちとじゃ違うだろう。」
自身のブロンドの髪をつまんでルアーノがソフィに見せる。目の色も、と自身と青い瞳と向かいのアーサーの銀朱色の瞳のを指さしで比べて見せる。
そこで、やっと自分の色を知ったという様にソフィは肩の丁度下で切りそろえられた乳白色の髪をつまんで眼前に持っていきじっと見つめる。
「この屋敷には、ソフィアとアーサーと僕。それに、後で来るだろうけど父さんと母さんでしょ、後は使用人の皆だけど僕らの面倒を見てくれているのはミリアが主かな。
父さんはこの白のウェンズリー領地の領主をやっていてちょっと偉いね。ほら、窓を見てごらん白い森にがずっと連なっているでしょ、そこまでが僕らの国でソフィアは一昨日アーサーと二人でそこの森に行っていたんだ。」
雨に打たれて風邪ひいて二人して帰って来たけどね。そう付け加えるルアーノの口調は優しげだが、顔は微塵も笑ってなくソフィアとアーサーが二人してヒェと情けなく息を引く。
ソフィアが起きた時に頼りがいのある空気を醸し出して介抱していたアーサーは何処に行ったのか。
「それについては父さん達にしっかり謝る事だね、ソフィアはともかくアーサーの事僕はかばわないからな。」
「ごめん。俺が悪いから…。」
「何を、私は何をしたのに、兄さん…。」
「え。いやちょっと兄ちゃんと一緒に内緒でフェルナーデの森に行っちゃったみたいな?」
「学びの時間にね。」
「わあ…」
フェルナーデの森とは先ほど言っていた国境沿いの白い森だろう。学びの時間には具体的にはソフィアには何か分からなかったが、言葉の通りの意味なのだろう事は予想がついてしまうので随分とやんちゃをしてしまった事がわかる。
二人は常習犯という訳ではなく、伯父の家でお世話になっている事もあり普段はまあ、真面目に学びの時間を過ごしていたのだが。一昨日に関しては有り体に言えばサボリで、ルアーノが先日狩って来た兎を見に行く社会科見学という体で二人はまだ、子供だけでは行ってはいけませんと言われていたその森に最悪の雨の日に向かってしまったのだ。
なぜ、そんな事をしてしまったかと言えば二人からすると見たかったからの一言に尽きるがいかんせん今までそんな事をしなかった二人が居なくなった心配で屋敷の大人総出で捜索にでた森の中で迷子になっている所を発見されたのだ。
発見された時点でソフィアは疲労で虚ろなのと、アーサーに関してはソフィアを負ぶっていたため体力の限界からか発見してもらった安心感からか保護された際に気を失ってしまっている。ソフィアが丸一日間目を覚まさなかった事もありアーサーも今まで不問にされていたのだ。
(何が何だかわからなかったけど、少しずつ思い出してきているのかもしれない。)
家族の事、領地の事、寝込んでいた原因をルアーノに聞いている内にポツポツと奥にあったソフィアの記憶が浅瀬に浮かんでくる。
いまだ、だから雨の日はなどと言い合う兄達を眺めながらもソフィアは頭痛の音が環を広げるのと同時に記憶を起こしていた。少しずつ頭痛の音も大きくなって両手を耳に当て目を閉じる。
雨の中、兄と森で迷った記憶。
ルアーノや、アーサーと遊んだ記憶。
ミリアに貰った領地のお菓子の味の記憶。
土砂が崩れ馬車が揺れ、冷たくなった両親の記憶。
両親の笑う顔。
冷たい床の記憶。
「…フィア。ソフィア!」
「えっ。」
ソフィアが焦ったその声に顔を上げると酷く心配の色みせる表情のアーサーがいた。そのまま温かみを感じた方向に視線を向けると耳を押さえていた片手の手首がアーサーに握られ離れていた事にも気が付かなかったという様子で掴まれた手首に驚く。
「大丈夫?ソフィ、僕ら一気に話をし過ぎたよね。」
申し訳なさそうに眉を下げソフィアを伺うルアーノに笑ってソフィアは返す。
「ううん。大丈夫お陰でだいぶ思い出したみたい。死んじゃったんだね。」
そう泣きそうに言葉を紡ぐソフィアにハッとしたようにルアーノはバツの悪そうにそうだねと言って俯く。反対にアーサーは掴んでいたソフィアの手首を離し両腕でソフィアを抱き寄せる。
「大丈夫。兄ちゃんがいる。ルアーノだって、伯父さんや伯母さん、ミリアだって今回ソフィアの事凄く心配してくれたんだ。父さんと母さんはもういないけど一人になった訳じゃ無い。大丈夫だ。」
(ああ、こうやって抱きしめてくれるのも懐かしく感じる。)
両親を亡くしたのは同じはずの、アーサーは兄だからと毎度そうやって慰める。二人の両親は家族で馬車に乗って居る時に土砂崩れに巻き込まれて命を落としている。二人はそれぞれ両親に守られ傷は負ったもの命は助かった。
「アーサー、ミリアが医者を連れて来た。」
「分かった。ソフィアゆっくりやすめよ。治ったら兄ちゃんと一緒に怒られよう。」
ルアーノとアーサーがそう言い残し部屋を去るのに変わり医者とミリア、少し遅れてウェンズリー夫妻がやってくる。
その後ミリアと共に入って来た医者に、記憶に関しては生活に関して問題ない所を見ると高熱で脳の回路が絡まっていたのだろうと診断された。
魔法のあるこの世界では、度々子供が上手く魔力を放出できずに一時的に障害を起こす事がある。元々魔力が溜まっていたところに風邪も重なって今回は一時的に記憶が飛んでしまったのだろうと。
「直ぐに、記憶が戻っている所を見ても、そう問題はないでしょう。2.3日安静にして何も問題なければ普段通り生活して大丈夫ですよ。」
ウェンズリー夫妻にそう説明する医師の言葉にホッと胸をなでおろす、その夫妻の姿にソフィもまた、覚えている事に胸をなでおろすのだった。