のんびり死体と新しい竿
のんびり死体は帰りの車中で考えていた。
というか、メソメソしていた。
「サビキの竿、折れちゃったよ。」
値段的には仕掛けも、リールも入って1980円という、最低価格であろう竿。
安っぽい塗装が数か所剥げて、ガイドだって何か所も接着剤で付け直した竿。
価格で言えば、使い捨てと言われてもおかしくない。
けれど彼は、僕の戦友であったのだ。
だから、そのまま家に帰らずに、釣り具屋に行って、折れた竿の修理を聞きに行った。
こういうのって、値段の問題ではないのだ。
たとえ、1万円くらいかかるといっても、直そうと思っていた。
気に入った道具というのは、そういうものなのだ。
しかし、店員さんは、のんびり死体の気持ちはわかってくれないようだった。
「竿は折れるものですよ。それに、こういうのはちょっと直すのは・・・。」
変わった客だなぁといった顔をしたままで、そのまま去って行ってしまった。
直すこと自体が無駄ということなのだろうか。
まぁ、のんびり死体は、奇行も多いがいたって常識人である。
コストパフォーマンスとか、安いものにお金をかけてまでという、そういうことも理解はする。
理解と感情は、異なるものだ。
なんとなく、店員に反骨心を持ち、そこそこいい竿のコーナーに行く。
次に選んだ竿は、有名な釣り具メーカーの竿である。
ダイワ様のサビキにおすすめの竿だ。
お値段だって、1万円位する。
レジで会計を済ませて、車に積み込むと、缶コーヒーを片手に、空を見上げて思う。
彼がくれた勝利に、メソメソとした態度は良くないのではないか。
クーラーの中のサバだって、報われないのではないか。
缶コーヒーを、ダストボックスに入れて、家に帰る。
サバは頭と内臓を取り除き、冷蔵庫にしまっておく。
お風呂に入って、ノンアルコールビールを飲むと、そのまま眠ってしまった。
夢を見たような気がする。
あの竿で爆釣で、僕が笑っている。
空はどこまでも青く、限りなく広がっている・・・。
翌朝目が覚めて、釣り道具を眺める。
やっぱり折れている。
相棒から、リールを取り外すと、それは釣り竿から、ただの棒になったようで、切なかった。
新聞紙にくるんで、ガムテープで巻いて、手をあわせる。
「ありがとう。お疲れ様。」
そう言って、ゴミ捨て場にもって行った。
朝ご飯も食べぬうちに、新しい竿にリールを取り付ける。
長さは180センチ。
なのに恐ろしく軽い。
竿先が、しなやかにみょんみょんと音を立てて動く。
ガイドなんかはピシッとしていて、やっぱり前の竿との違いは明確である。
嬉しいと、切ないの入り混じったままで、のんびり死体はいつまでも竿先を、みょんみょんうごかしていたのでした。