秦氏と徳島
中国ばかりやっていて逆に日本が見えてきた。ハプロの見方で系統について慣れてきてる。O2a2b1(M134)中国にアリガチな系統。だが慣れてくると、これ基本チベット族に見えてくる。派生として満州系。ある意味ツングースも含めた遊牧系。中国はどうも周で完成した感じがある。だから周前の中国人は四夷に見られてしまう傾向がある。
夏の系統がすべて伝説どおりだった可能性は笑ってしまう部分がある。バラバラだから滅茶苦茶だといわれていたが、りょうしょ文化を軸に夏を見ると大体当たってる。内モンゴルに流れた系統に王族の系統が居た可能性は高い。ここから匈奴とのかかわりが出来る。青銅器や途中のクーデターで関わった系統がキョウ族の可能性が高い。
越王も夏の後継の可能性が高い。そしてちとずれるが、三星推文化もりょうしょ文化後のO1系の拡散と関係してそうだ。すべてが的外れじゃないから混乱したような話になってる。ただ一人の王がどこへ行ったか?そういう話じゃないと思う。それならそもそも越王は途中の王族の末裔になる。
徳島でM134がやたらと高く出る。O2系としては珍しくも無い。だが、それがM134だけに偏るというのは珍しい。これに関しては、おそらくO2a2b1a1a(M133)始皇帝系じゃないか?と見ている。この辺り詳細な最新データが是非欲しいのだが。この系統にまとめてぶち込まれてる気がする。
以前から秦氏は始皇帝の系統だと言われてるが、明確にハプロが調査されてない。秦氏が増えた県として有名な県。名字で調べてくれないので、無理矢理県で調べてしまったところが有る。元々新羅から来てるので、満州系じゃないの?って話しにもなる。だがここに秦人が居たのは有名で新羅は秦人の国とすら言われている。
私は新羅は別系統のO1B2かな?と見ている。O1b2a1a3(CTS10687)この系統の特徴はツングースじゃなくてトルコ、モンゴルに多い。シベリアもそう。ようはシベリアから騎馬民族に広がったと成る。私がこの系統が沿海州に移住した系統じゃないか?と見てる点。そうなるとやっかいなのが、この系統日本に無い。沿海州から日本に来た集団ってのでずれてしまう。
普通に半島人に多い、O1b2a1a2a (L682) こっちも北方民族に広がってる。沿海州は普通にこっちかな。新羅が統一したときに遊牧民に流れたのかな?と見てる。L682は普通に半島全体に広がっていて、CTS10687これは新羅の地域に偏っている。
話がずれてしまった。忌部氏徳島古臭い日本と関わっていて、出雲とかもそうだと思う。尾張氏など珍しくて、時代を超えて古臭い土地が武家時代も関わったってあまり無い。徳島は何か古い時代にかなり意味がある地域。その癖D系が低い。その癖C1A1とか、NOとか奇妙なのが多い。
忌部氏はO1B2じゃないかな?と見てる。47ZかL682か?分からないけど。結構O1B2がしっかり出てるから。それに忌部氏淡路島とかも関わっていて、やはり水と関係した人達なんじゃないか?と見てる。そうすると信長も自動的にO1B2になる。ただ信長は藤原氏を名乗っていて詐称っぽいのを何度もやってる信長だがこれはある程度信憑性が合って過去に忌部氏関わっている。
奥州藤原家のように藤原の某を、忌部氏の娘の夫にして藤原家をなのるって話しになる。どーせ織田になってしまうのでこの辺り天皇は知っている可能性があった。どっちみちO1B2じゃないか?となってしまうので、信長の系統は忌部氏のハプロを調べるのには向いてないと思う。
秦氏はM133だと思ってたけど、意外にも誰も調べられてない。名家として残ってないのも問題なのかと思う。佐藤さんなんてハプロを調べると高い確率でO1B2になるらしい。多分秦性もM133になる可能性がある。ただ一応M134のデータにはなってるので分からないけど。
ついでにNOについて、満州にすごく低いけどちらほらでる。どうしても47Zはきついかな?と思うけど。L682なら沿海州のシニガイ文化の頃の集団が来ていた可能性がある。徳島は古い古代王朝に関係する系統が多いんじゃないか?と見てる。
以前書いたけど、けっし8代といって神話として初期のまともに扱われない天皇の流れがあって、私はこれある程度意味があるんじゃないか?と見てて、九州の分家、負け組みなどのイマイチな系統が近畿に新天地を求めて旅立ったって見てて。ただそれなりに名の知れた系統だとは思ってる。3種の神器のこだわりがあるから。
名家の末っ子、神話どおりになる。または状況が悪くなった負け組み。多分阿波、淡路の秦氏は後なので忌部氏がその王様だったと見ている。自分より同格が初期の神武天皇の頃から較べたら上の王様。こういった人間を従えてのし上がっていたのかと、その過程を国産みの順番としたとの説があるから。
徳島のハプロを見ていると、これ何かしら弥生時代の強い勢力だった可能性を感じるってハプロになってる。渡来系として早くから発展していた可能性を見てしまう。それと言うのも、岡山で一番古い水田が見つかっていて、おそらく船で九州をすっとばしてここに渡来人が来た可能性がある。
他にも沿海州からの影響が日本海側にそれっぽい土器の痕跡が合って、これがシニガイ文化になる。縄文時代にすでに四国中国で大陸文化の影響を受けた独自の発展をしていた地域がある可能性があって、その候補として、吉備、出雲、阿波って地区はちょっと九州とは違う勢力だったんじゃないか?って可能性。
今回秦氏しかいじれなかったけど、徳島の特異性や、以前触れた中国のO1Aの特異性など気にはなっている。もし岡山に偏っていたら、台湾諸島文化じゃなくて、越人の直接移民を考えてしまっていたと思う。ただばらけていたので、それなら瀬戸内漁民文化で越人に特定はできないなと。江南の米を直接持ってきた可能性を考えてしまったから。漁労だけだと越人に特定できない。
そういえば秦氏=ユダヤ人説で良く言われてるけど、はっきり言うと下らない。でも秦氏が西域の出身だったのは今となると良く分かる。そこから西洋系の流れの混血を考えてしまうのは仕方ないのかも。秦にコーカソイドが居たのと、秦人が深くコーカソイドと混血していたのは全く違う話しだから。
キョウ族=異民族ってイメージが強くて中国でコーカソイド扱いされたのがあると思う。それに過去遊牧民がC系が目立ってなかったので、コーカソイド的ってイメージが強かったのがある。こういう影響で秦=コーカソイドって連想が多いけど、多分無い。混血も多分ほとんどして無い。これだけはっきり秦氏っぽい県だと分かると、ここでHLAハプロを調べたら秋田よりはっきり出ると思う。
それともハプロだけで血が薄れてしまったかな?と言うのもある。だってそもそも中国で薄まってるのが分かるから。何かしら西方の風習を文化的に受け継いだなら否定できないので、ユダヤっぽい何か?あるのかもしれないけど。そういう所から来たのは確か。