第六話
七月も中盤に差し掛かり、日光が燦々と言うよりじりじりと、学園中に降り注いでいる。夏休みを目前に控え、運動部達は暑さを吹き飛ばすように声を張り上げて今日も練習に励んでいる。そんな外界から窓ひとつ隔てた模型部室内では北国の女王からの賜り物である2機のサーキューレーターがその職分を存分に発揮していた。
その部屋の中で独り『青島文化教材社 1/12 HONDA モンキー』の箱を見つめて三枝景正はその謎多き依頼について思いを巡らせていた。
箱を開けるとランナーが3つでパーツは少ない。ただ素組して塗装するだけなら訳もない。態々制作代行を頼むまでも無い筈。そして手付金で置かれた2000円。塗装や工作の指定は無しに完成品のクオリティ次第の報酬。これに『期限は問わない』という条件。
――つまり、試されているということか。
三枝はひとりごちる。
過去の模型部活動記録の中に先輩の手による『青島文化教材社 1/12 HONDA モンキー』の作成記録が記されていることは記録の編纂に明け暮れていた三枝は勿論知っている。
偶然か否か。もし、記録があることを知る人物とすれば、依頼人は教師か、もしくは模型部OBか……
思案の中にいた三枝を吹き飛ばすが如く、豪快にドアが開かれた。
「Hey!マサ!Clientを連れてきたヨ!」
「こんにちわ!」
ヴィヴィと、高等部1年を示す赤のリボンを弾ませた女生徒が同質の笑顔を向けていた。
『重装機兵カグツチ』
遠い未来、人類が宇宙まで生存圏を拡大させた世界。国家、企業間の争いは法の下に整備された限定的な戦争をもって解決されることになっていた。その限定戦争で活躍する傭兵団のひとつ『スレッジハンマー傭兵公社』の男たちの戦いを描く3DSFロボットアニメである。
女生徒にアニメ雑誌の記事を見せられ、説明を受ける三枝。すでに自らの任務は果たされた、と我関せずで自分のワークスペースに篭るヴィヴィ。
――つまり、このロボットを作れと?
手垢のついたヨレヨレの記事に描かれた『カグツチ』とルビの振られたロボットを指さす。
「ロボットじゃなくて、タクティカル・ギアです!戦術装置ッス!」
まさかそこを否定されるとは思わなかった三枝は、内心怯んだ。
「カグツチかっこいいですよね?!最近のロボットアニメにありがちな、線の細いモヤシメカとは一線を画した無骨なシルエット!」
ロボットはよくわからないが、線の多い面構成はタイガー戦車に似た印象を受ける。
「それに必殺技なんてナンセンスなんてもんはありません!リアルな兵器、そしてバカみたいにでっかい盾!どうです?!男児たるものこうあるべきなんすよ!!」
腕を振り上げて熱弁する女生徒。男児云々はよくわからないが熱意は伝わってきた。
そういえば名前を聞いていなかった。
「あ、アタシっすか?東山 潤っす。1-Bで軽音部っス!」
東から握手を求められる。自分の容姿体格に怯まない女子は模型部員以外で久しぶりだったので若干躊躇したが、応じた。
「それで、依頼なんすけど、1個小隊分作ってほしいんスよ。5体。本当は偵察指揮車も作ってほしいんスけど、キット化されてないから、まあいいかなって。勿論、隊長機と量産機の識別帯の塗り分けはしてほしいッス!惑星B787防衛戦の時のカラーリングが好みっすけど、あ、資料もってきますよ!それで――」
――待て。5体って、1体いくらするのだ。
「知らんす」
知らんのか。
「プラモデルは高科模型店で注文します。その内届くと思いますので、到着次第着手してくださいね。え、一緒につくる?ムリっす。アタシ、部活とバイトで忙しいし、今度出るブルーレイも買わなきゃだし夏のワンフェスもあるからッスねー。え?受けてくれないんスかー!えー!なんでッスかー!?」
怒涛の勢いの東山を静止させて、三枝は語る。
――説明が難しいが、想いを込めないと、作品に対して失礼だと思う。戦車や船舶とは違い、そのロボット、ああ、タクティカル・ギアにはキャラクター性があるのだろう。自分にはその『装甲機兵カグツチ』に対して思い入れが無い。やはりその作品を愛する君が作った方が――
「そうっス!その通りっス!流石模型部部長!解りました!」
沈んだかと思いきや急浮上する東山の感情の波にまたも内心怯む。しかし、わかってくれたようで良かった。
「明日テレビとブルーレイとプレイヤー持ってきます!これらの提供を報酬ってことで一つよろしくおねがいするッス!」
は?
「想いを込めたい…素晴らしい!その作品に向き合おうという姿勢!不肖、東山潤、感服いたしました!あ、テレビとプレイヤーは提供しますけどブルーレイは貸出ッスからね?ああ、テレビとプレイヤーはウチ、最近買い替えたんで丁度捨てるかどうかってとこだったんスよ。気にしないでください!」
待て。誤解が生じている。それに君は寮生じゃなく実家通いなのか。ならばなおの事――
「じゃあ明日っスね!失礼するッス!」
可愛らしい八重歯を見せて笑う東山は、そう言い残すと凄まじい勢いで走り去っていった。
「面白い子ね」
怒涛の勢いと突然の大量受注に呆然としている三枝に傍観していたヴィヴィが声を掛ける。微笑みながら。
「それにしてもマサ。アナタいい事言ったわね?」
いい事?
「そう、想いを込める。To embrace。タイセツな事」
そう言って西新井と同質の、宛ら嬉しそうな、無邪気な笑顔を見せるのだった。
――もー、プラモデルが1個5000円もするなんて思わなかったッスよー。全部で25000円っすよぉ。でも先輩がきっとすっごいクオリティで作ってくれると思って涙を飲んだッス。泣いて諭吉を切ったっスよ。あ、それでコレ、アニメ12話と、OVA全6話と劇場版ッス。あ、OVA1話から見た方が良いッス。1話みたら、それからアニメ12話、そしてOVAの残りと来て、そして劇場版。いっすね?ちゃんと見てくださいよ?プラモデルは発注しときました。2,3日で着くみたいッス。ああそうそう、資料なんスけど、コレ、この色で塗って欲しいんスよ。惑星B787防衛戦、そう、これッス。OVA4話ッス。このときのハンスとクローサーが、もー!あ、テレビとプレイヤーはコレっす。繋げ方わかんないんでその辺はヨロシクっす。出来たら電話くださいッス。先輩ガラケーなんスかー、ウケますねー…っとはいコレ番号っす登録しといてくださいよ。んじゃそういうことで、アスタラビスタっすー!
と、前回にも増して怒涛の勢いで現れて怒涛の勢いで去っていった東山を見送ってから暫く、ようやく『重装機兵カグツチ』の視聴を始める。
「――へえ、人物までCGなのね」
映像を見ながら感心した様子でキャロルが言う。
機械音痴の三枝が無事、テレビとプレイヤーのセッティングを終えることが出来たのはキャロルの協力あってこそだ。
「CGアニメはPixar一強だと思っていたけれど、なかなかやるわね」
技術を称賛するキャロルであったが、三枝はその重厚なロボットの躍動と人物間のドラマに心奪われつつあった。
民衆の娯楽として確立された限定戦争で、まるでスポーツのスター選手の如く活躍する傭兵たちはクローン技術によって戦死することを許されていなかった。劇中で『狗』と呼ばれる彼等は、傷つき倒れる度に新しい自らのクローンが自分に取って代わり、戦いに明け暮れることになる。しかしクローニングも万全ではなく、言うなれば『復活』の際、記憶の一部を失う可能性があるというものだった。
そして、彼等の搭乗機である『カグツチ』
限定戦争に協賛する企業から実戦試験運用を依頼された新型のタクティカル・ギアで、物語は主人公の『ハンス』とその『カグツチ』が『スレッジハンマー傭兵公社』に訪れるところから物語はスタートする。
ハードなSF設定を土台に描かれる、楽観の中にも悲壮感を漂わせる『狗』達と、彼等が乗り込む巨大ロボットの物語は1話を見終わった時点で三枝の心を強く惹き付けた。
――面白い。
素直にそう思う。キャロルが居なければ26インチのテレビに文字通り噛り付いていたところだ。
スタッフロールを見終えて、さて、次、というところでまたもけたたましくドアが開けられた。
「――もう、いい加減にしてくれる?ワタシはやんないって言ったらやんないの」不機嫌な様子でづかづかと入室するヴィヴィ。
「そう言われても困ります。もう予定は組んであって――」見たことのある気弱そうな女子。生徒会広報の北野辺だ。
「ねえヴィヴィ、もう1回、話だけでも聞いてあげて?」続いてこちらも見たことがある薄幸そうな女子。確か、絵画部の部長、西野だ。
穏やかではない。アニメのディスクを持つ手も止まる。何事かと注視する三枝とキャロルに気付いたのか、北野辺と西野は同じタイミングで会釈をした。
「いいこと?『Artを教える』なんてことワタシどころかカミサマにだって出来やしないの。なんでそんなことがわかんないの?」強い語気で語る。
「ですから、フォーサイスさんには子供たちの前で絵を描いてもらって……」必死で食い下がる北野辺。
「見世物になれってこと?ジョーダンじゃないわ」うんざりする、とジェスチャーを見せる。
「あの……三枝君、ちょっと、いいかな?」
西野に手招きされて室外に出る。室内ではまだ言い争いは続いている。
「ええと、何から説明したらいいのかしら――」
西野はぽつぽつと語り始めた。
毎年恒例の『夏休みこども美術教室』今年の講師役は、すでに世界的に有名な現役女子高生アーティストであるヴィヴィアン・フォーサイスに決定していたものの、それを当人に伝えるのが遅くなったことが発端である。生徒会広報と絵画部部長も「まさか断られはしないだろう」と甘んじていた点も多いにあった為、既に『夏休みこども美術教室』のポスターは学園内に留まらず近所中に貼り出されており、世界的アーティストを一目見ようと応募が殺到している。そんな中でヴィヴィアンに断られれば、主催である生徒会広報と絵画部の沽券にかかわる――という事らしい。
『芸術家ってやつは…大体どこか変なところがあるからね』
三枝はいつか聞いた加茂下の言葉を思い出していた。
「――それで、お願いなんだけど」
西野に目を向ける。手を叩いて頭を下げる西野。長い髪からいい香りが零れた。
「ヴィヴィを説得してくれないかな?お願いします!」
模型部室内は既に大方の決着はついているようで、「あの、でも、だって」とたどたどしく口にする、以前のように生徒会広報の矜持のみに支えられた涙目の北野辺と、それを、腕と足を組んで大いに見下している金髪の怪人が居た。今まで見た中で一番の不機嫌だなと、三枝は思った。
「少し、良いか?」
三枝が訊ねる。猛獣がゆるりと首を向ける。
「あら、マサ?カオリにカイ、カイ……?――なんだっけ?」キャロルの方を向く。
「懐柔?」補助が入る。
「カイジュウでもされたのかしら?」
補助が入ったにもかかわらず難しい日本語を使ったことでドヤ顔が現れる。
「そうじゃない。誤解をしているのではないか、と思う」
「ゴカイ?ここは3階よマサ」キョトンとする。
構わず続ける。
「ヴィヴィ、君は自分の芸術観や技法を子供たちに伝授してほしい、と、頼まれたものだと誤解しているのではないか?」
「What?」
「彼女達が君にお願いしたいのは『美術を教える』のではなく『美術の楽しさを教える』ことなのではないか、と思うのだ」
ソーナノ?と2人の方を振り向く。コクコクと頷く2人。
「君の美術に対する想いの深さは知っている。だからこそ、絵を描くことはかくも素晴らしいことなのだ、ということを教えてあげてほしい」
ううむ、と腕を組んで考えるヴィヴィ。
「これは一流の画家である君だからこそ出来る事だと思う。自分からもお願いしたい」
きっと素晴らしいイベントになるだろう。三枝は過去を振り返りそう思う。思わず拍手を鳴らしたくなる、あの色彩の奔流を、皆にも見せたいと思った。
「――Okey!そーいうことならやってあげなくもないわね!」
暫し考えた後、にやりと口角を上げ、腕を組んで立ち上がる巨匠。ぱあっと笑顔を咲かせる北野辺と西野。
「そうと決まれば、用意してもらうものがあるわね――」
北野辺と西野にあれやこれや伝えるヴィヴィ。メモを取り、甲斐甲斐しく頷く2人。
三枝は一件落着を見届けたので『装甲機兵カグツチ』のブルーレイに手を伸ばそうとしたところ、呼び止められた。
「じゃあ、マサ、明後日の13時にカイガブね。キャロル、アナタも手伝って頂戴」
「――は?なんで私が」
「キャロル、ワタシには優秀なInterpretationが必要なの。You ok?」
ヴィヴィは興奮してくると脳の翻訳機が機能不全になることがある。それを見越しているのだろうか。
しかし、何故自分が――
「あら、アナタが居ないと始まらないわ。Artってものがどういうものか、教えてあげなくちゃネ!」
肩を叩かれる。
手伝うのは吝かではないが、なんだか釈然としないまま、三枝は頷くのであった。
夏休みに入り、運動部の練習は益々苛烈さを極めるようになる。日の出から日暮れまで汗水を垂らした去年の夏を振り返り、在りし日の郷愁が三枝の胸を過る。
三枝が絵画部を訪れた時には既に席は埋まっており、立ち見も溢れる程の人だかりだ。『夏休みこども美術教室』と銘打たれるだけあってメインは小等部の生徒達であるが、保護者と思しき大人の姿が立ち見の人垣を作っていた。
「来たわね景正。ヴィヴィは?」
いや見ていない。
「――なにやってんのよあの子。集合時間が開始時間だなんて思わないわよ普通」
1時を過ぎてお行儀よく待っている子供も徐々にざわつき始めた。北野辺と西野を見ると顔がみるみる青ざめている。
確かに、あの奔放なヴィヴィアンのことだ。気分が乗らないとか、かったるいとかいう理由で突如予定をキャンセルすることも予想できる。
どうしようどうしよう、と北野辺が西野に泣き付かんばかりになった時、勢いよく引き戸が開かれた。
「Thank you for waiting!」
珍しく絵画用エプロンを付けたヴィヴィが弾けんばかりの笑顔でやってきた。
「Okey,じゃあ始めましょうか!」
軽い自己紹介を終えて早速キャンバスを用意する。布が掛けてあるところをみれば完成品だろうか。三枝はなにか嫌な予感を感じた。
「さあミンナ?この絵を見てどう思う?」
布が取り除かれて、以前、三枝が描いた静物画とも印象画ともつかない、なんとも言えない下手糞な一枚の絵画が衆目に晒された。
「――ヴィヴィ!?」
普段寡黙な三枝も流石に慌てた。三枝景正にとってそれは消したい過去なのだ。
静かになさい、というようなジェスチャーで三枝を制するヴィヴィ。ウィンクをする。
「さ、この絵を見て何を感じるかしら?なにが感じ取れるかしら」
挙手を促す。子供の一人が手を挙げる。
「怒ってるみたいな、気持ちを、かんじます」
Oh.good!そうね。他には?
他の子供が手を挙げる。当てる。
「焦ってる、みたいな、急いで描いたみたいなかんじ」
Yes!そうね、これを描いた人は焦っていたのかしら――。さ、他には?
「迷っている」「哀しいきもち」
つらつらと、あどけない子供たちが当時の三枝の心境を吐露する。
「景正。貴方なんて顔してるのよ」
キャロルに怪訝な顔で覗かれた。大丈夫だ、と言うが、内心は慙愧の念に耐えかねている。
「OK!」パチン。手を叩く。
「さ、この絵を描いたArtistがココにいまーす。これを描いたときの気持ちを語ってもらいまショウ!」
笑顔で紹介される。語ってもらいましょう、て何だ。
「えー……」壇上に促されて、衆人の目が集まる。何を語れというのだ。当時の気持ちを?
前に、ヴィヴィの助けになれるのならば力を尽くすと言ってしまっていた。
――全く、芸術家という奴は度し難い。辱められる事への覚悟を決める。
「始めまして。高等部3年、三枝景正です」
それから、三枝は語った。柔道に掛けた12年を。そして怪我をして夢が断たれた事。加茂下に手を引かれ様々な部活を体験してみたこと。自分のやりたい事、できる事が見つからず焦っていた事。その最中、怪我をしたことへの後悔が何度もあった事。自分を置いて先に行ってしまう柔道部の仲間達の事。自分はこんなことをやっていていいのかという迷いがあった事。
つらつらと白状し終わって、ヴィヴィを見る。優しい、慈しむような眼で三枝の絵画を見ていた。
「Thankyou,Clap Your Hands!」
ぱちぱち、と疎らな拍手が鳴る。慰めの様に聞こえて、三枝は居た堪れない心持である。
「解った?キモチってのは作品にコモるの。マサ……サエグサくんは、初めてフデを持って、自分の気持ちをCanvasに込めたの。Technicなんて無いもの。ただただ、Pureな気持ちを絵に込めたの。とっても、素敵な作品だと思うわ」
愛おしそうに三枝の絵を撫でる。
「さあ、次のお話ね。じゃあ気持ちを込めるのはどうすればいいのかしら。はい、アナタ」
…いっしょうけんめいに描く?
「No,ちょっと違うわね、はいアナタ。わかるかしら?」
……わかりません。
「Okey!答えを教えてあげる!」
用意されていた大き目のキャンバスに向かい、何故か絵具で自身を彩色し始める。楽し気に。鼻歌を歌いながら。
チューブから直接手に取り、荒々しく、様々な色を、胸に、手に、顔に、塗りたくる。
場がどよめきはじめる。奇異なるものを見る目。
そして――ビタン!キャンバスに自らをスタンプした。
キャンバスには魚拓のように、様々な色で彩られた人型のシルエットが現れる。
――エプロンの意味が全くない!三枝等4人は同時にツッコミをいれた。心の中で。
子供たちの笑い声が聞こえ始めた。
「――わかったかしら?」
問いかけながらキャンバスの絵具を塗り広げる。
「楽しむこと。哀しむこと。怒る気持ち、寂しい気持ち。全部のEmotion、カンジョウは作品にこもるの!」
語りながらも、人型のシルエットはどんどん形を、色を変えてゆく。
「だから、思いっきり楽しむの。思いっきり怒ってもいいわ。哀しいときは泣きながら描くの。寂しい時は叫びながら描くの!」
様々な色彩がヴィヴィアンの指で、手のひらで、前腕で、キャンバス上で混ぜられ、伸ばされる、拭われる。あの時見た色彩の奔流。
「ニンゲンのEmotionを思いっきりぶつける!それがArt!それがゲージュツなの!」
そして極彩色の、楽しそうに両手を振って笑う天使の姿がキャンバスに描かれた。
割れんばかりの喝采と拍手。
ドーモドーモと手を挙げて答えるヴィヴィアン。
「さ、次はアナタたちの番!」手を叩く。
目配せされ、北野辺と西野の手で巨大な紙が床に広げられる。
「皆で楽しい気持ちで描いてみて?楽しくない子は楽しくない気持ちで描いてもいいわ!とにかく色を走らせましょう!」
始めは遠慮しがちな子供たちではあったが、1人、また1人と絵具を手に取り、広げられた紙に様々な色を乗せてゆく。
子供たちの楽し気な表情を見とめ、ヴィヴィアンはキャロラインに向き直る。
「さて、キャロル、いいかしら」手を引っ張る。
「え、なによヴィヴィ、ちょっと!」慌てるキャロル。
「Interpretation。ツーヤク、お願い。」つまり、今から脳の翻訳装置を動かすことが困難になる、ということだ。
子供たちが塗料で汚れる様をハラハラと見つめる親たち。中には強引に止めようとする親もいる。そんな親たちの前に2人は並ぶ。
「rest assured. Since it is a special water-based paint, it will become beautiful if it is washed.」
ヴィヴィに先程までの陽気で楽し気な表情は無く、真剣な、敵意すら滲む顔で言った。
「――安心してください。特殊な水性絵具なので洗えばきれいになります」
ヴィヴィの様子を察して、慌てて翻訳するキャロル。
それからヴィヴィは語り始める。キャロルの堪能な語学力を通じて。
「―――――」
「あなた方、保護者の方々にお願いがあります。あの子たちの可能性を潰さないでください。」
「以前、この絵画部で絵を描く小等部の生徒を見たことがあります。彼の絵には何の感情も無かった。詳しく聞いてみれば親に言われて仕方なくやっているのだ、と」
「技巧を身に着けても、それを芸術に昇華することが出来るのは感情です。あなた方、保護者の方々には、この子達の人生を実り豊かなものにする義務がある」
「だから是非とも、無理に押し付けるのではなく、この子たちが心豊かに成長できますよう、配慮をお願いします」
「美術館巡りも良いでしょう。ラスコーの洞窟壁画をお勧めします。少し遠いですが」
「絵画に飽きたようなら彫刻でも音楽でも、野球でもアメリカンフットボールでも構いません。子供たち自らが一番やりたいことをさせてあげて下さい」
「――So.plastic model might be good?」
「――そう、プラモデルもいいかもしれませんね」
ヴィヴィが三枝にウィンクする。キャロルはヴィヴィを睨みつける。
「And please praise as much as possible. That will be the most nutritious of those children's hearts」
「そして、できるだけ褒めてあげてください。それがあの子達の心のなによりの栄養になります」
「――Thankyou」
とヴィヴィが締める。
顔を見合わせる保護者達。覚えがあるのか顔を青ざめさせている保護者も居るのがわかった。
キャロルの疲弊は見るからに大きそうだが、言いたいことを言ってスッキリした表情のヴィヴィは子供たちの元へ駆けて行った。
「……お疲れ様」キャロルに声を掛ける。
「――ほんっとあの女、育ちが悪いったらありゃしないわ!今年一年分のオブラート全部使っちゃったわよ!」三枝にのみ聞こえる音量で不満とストレスをぶちまけるキャロル。
ヴィヴィと子供たち、それに強引に加えられた西野と北野辺が絵具まみれではしゃぐ姿を見て、三枝景正は、改めて金髪の怪物、ヴィヴィアン・フォーサイスに対する敬意を深めるのだった。
彼女の芸術観は、所詮、彼女一個人の考えだ。
ヴェートーベンもモーツァルトも、幼少期の厳しい教育がその才能を培った。
私もそうやって教育された。厳しい教師達に、手を叩かれた。罵倒された。それに耐えることが一流への道だと信じていた。
育みである自分が、ヘースティングス家の名に報いる為に、自らを律し、必死で学んだ。
弦楽器を。吹奏楽器を。ピアノを。音楽の才無しと言われてからは、静物画を。抽象画を。彫刻を。自分の才能を必死で探し求めた。
そして諦めた。優秀な兄姉達と比べられる事から逃げた。才能がないのだと自らを諦めた。
それでも、もし、彼女のような教師に巡り合えていたら――――
「Hello?どしたのキャロル。ココロ、ココニ、ナラズ?マラズ……」
心ここに在らず、かしら。なんでもないわ。
「そ。ねえ、これからブシツに行くでしょ?『カグツチ』の続きが見たいわ!」
「この恰好でか?」
結局子供たちと一緒に絵具まみれになった景正が言う。
ついでに私も絵具まみれだ。
「どうせオフロに入るなら今でも後でもイッショよ!」
スキップするヴィヴィアン。歩調を早める景正。それにつられて、私の歩調も少し早まる。
「ねえ、タイチョーとハイレディンどっちが勝つと思う?」
「それは隊長だろう」
「ワタシ、ハイレディンの方が勝つと思うわ。Coolだし、Sexyだもの。ねえキャロル?」
なんで私に同意を求めるの。どっちでもいいわ。
「ワタシ知ってるわ。興味なさそうなアナタが、ハイレディンが出る度に目で追ってるの」
マズい。バレていた。顔が紅潮するのを感じる。夕日に照らされていてよかった。
悪戯小僧のような笑顔も紅く彩られていた。私は不覚にも、美しいと思ってしまった。