第三話
「――模型製作代行、なんてどうかしら」
放課後、2人きりの模型部室で、畏まった様子の三枝に模型部の緊迫する財政難について相談されたキャロライン・ヘースティングスは、暫し考えた後、その聡明さをもって答えた。
と、申しますと?身を乗り出して尋ねる三枝。
「以前、興味があって、モデラー、というのはどういう存在なのかを調べてみたの。するとどうも、プラモデルやフィギュア、ガレージキットの製品を買ったはいいものの、作っていない、部屋の片隅や押し入れに放置してある――という場面が往々にしてあるらしいのよ」
理解に苦しむ。と三枝。私もよ、とキャロライン。
「購入した時点で、欲求がある程度解消されてしまっているのだろう、と推測するわ。まあ、貴方のように寮暮らしで制作環境が整わない、とか、己の技術に一抹の不安を抱えているが故、とか、部活動や勉学に明け暮れて時間が確保できない、とか。色々と要因もあるのだろうけれど」
キャロラインの言葉で腑に落ちる。
「そこで、貴方が彼らの不動在庫を処理するの。貴方は模型とマージンを得て、客は完成品を得る。どう?」
名案に思えるのだが、その――金をとるのか?
「当然よ。塗料や、その他の消耗品もタダじゃないのでしょう?」
しかし、と口を噤む。自分のような未だ初心者レベルの技術で金銭を要求していいものか。
「勿論、ミスはしてはいけないわ。ビジネスだもの。でも不安なら……そうね、最初は格安で、消耗品の代金でトントンの低価格で請け負ってみてはどうかしら」
適度なストレスは技術の向上にも繋がるわ、と語る才女。
三枝は得心した。先日の、キャロルのヴィヴィに対する怒りの原因が、彼女のこういった価値観に基づくものから来ていることを理解したのだ。
良い仕事には良い対価をもって答えるべき、と彼女は考えている。
故に、己の一流の仕事を放り投げるように無償提供したヴィヴィアンに対して怒っていたのだ。
三枝が、ヴィヴィの愛国心からの行為だ、と共同制作者の肩を持つことで納得させることはできたが、価値観の相違を目の当たりにした出来事であった。
「どうやら製作代行をやってる業者も居るようね……相場はどれくらいなのかしら……」
私物のノートパソコンを叩く。機械音痴の三枝はそれだけで彼女に尊敬の念を抱いてしまう。
キャロライン・ヘースティングスの知識欲は目を見張るものがある。三枝は思う。
アルベルタより少し高いくらい程の身長の小柄な体格で、インド系の血が為したのであろう褐色の肌、軽くウェーブの掛かった、短く整えられた黒髪に、知性を感じさせる目元。女性らしさの中に、瑞々しくピンクに潤う小さな唇はあどけない少女を連想させた。
大人としての魅力と年端もいかぬ少女性が絶妙なバランスで両立している。初対面の時に三枝景正がキャロラインから受けた印象はそれだった。
そして今この時も、知識才穎、語学力堪能の彼女から現在直面している問題の打破に対し、最適解とも思える答えを受け、三枝は畏敬とも形容できる感情を深める。
「ま、やるだけやってみましょう?協力してあげる、暇だし。とりあえず宣伝ね。広告を校内掲示板に貼り出すわ。校門でチラシを配るのも良いわね。価格は……現状は応相談だけれど、追々は消耗品と貴方の技術料含めて1件につき5000円は稼げるようにしましょう」
三枝は、すでに彼女の脳内で出来上がりつつあるビジネスプランに自分の技術力が応えられるのかという、一抹の不安を抱きつつ、広告作りに着手した。
『模型製作代行請負〼 第二部活棟三階七号室 模型部迄 価格等応相談』
翌日、生粋の堅物である三枝がこれまた堅物な文言を書き出し、キャロルがデザインとレイアウトを担当し、ヴィヴィが彩色を施し、アルが「カワイイから」と、学友から貰ったのだろう、溶けた犬のようなキャラクターのシールを貼って模型部の宣伝広告は一応の完成を見た。
早速校内掲示板に貼りだされた。目にも鮮やかな極彩色をバックに、中央には、白百合の活けられた極彩色のM1A2エイブラムスと、その後完成させたヴァッフェントレーガー、更に『遺産』のひとつであるタイガー戦車の写真が載せられ、端には溶けた犬が鎮座する、硬質な文言の綴られた奇妙奇天烈なポスターは、強烈な存在感を放ち、掲示板の近くを通る生徒や教師達の目を悉く奪っていた。
数日後、模型部の扉をノックする音で部室内はにわかに色めき立ったが、訪れたのは来客ではなく生徒会の広報を名乗る女生徒であった。
学年を示す胸元のリボンは青で、二年生を示していた。
内心落胆する三枝は、気弱そうな女生徒から「掲示板を使用する場合は生徒会広報の認可が必要」だという旨を説明された。
「そ、そそそれと…部活動で、生徒間での、金銭のやりとりは…生徒会としては、認められない……ららららしいです……」
筋骨隆々の偉丈夫に対して、怯えながらも必死で言葉を紡ぐ役員。
――なんと。
怯えさせている事を申し訳なく思ってはいるが、勝負の世界で磨き上げられたカミソリのような切れ目で生徒会広報の瞳を覗いてしまう三枝。あまりの威圧感に、ぴゃっ、と悲鳴を吐く女生徒。既に半分涙目である。
目の前の、滑稽なくらいにに怯えている女生徒に詰め寄ることは出来ない。残念だが、認められないのならば別の手を探すしかないか。
半ば諦めかけた三枝が、了解の言葉を口にしようとした刹那
「――詳しく説明してもらえるかしら」
褐色の才女が口を挟む。
「え?え、ええと…えーと、生徒間での、金銭のやり取りは、トラブルを誘発させかねない、と、思います…」
小柄な留学生からの問いに、精神的に多少持ち直せたが、しどろもどろになりながら生徒会上層部の意向をそのまま口にする女生徒。
「トラブルというのは客側の料金の踏み倒しや、請負う側の契約不履行の事かしら?安心して頂戴。料金は完成品と引き換えに払ってもらうようにするわ」
口調穏やかに語り掛けるキャロル。
「で、でもですね、お金が絡むと、その、いろいろ厄介じゃ、ないですか…?」
三枝に相対するよりも異質なプレッシャーを受けてたじろぐ女生徒。
「では聞いて頂戴」
口調が厳しいものに変わる。
「この模型部の活動費は月1000円よ。貴女はそれを理解しているのかしら。貴女方生徒会の部費の割り振りが模型部の活動を著しく阻害しているのよ?」
「そ、それは規則で……新興の部活動は、活動の成果を示してくれれば、来年度の予算から――」
「来年?部長のマサヨシは卒業してしまうし、私達部員も全員留学生だから、帰国してしまうわね。そうすると貴方達がくれる、アメリカ陸軍から送られてきた感謝状に対するご褒美のキャンディは、来年、空っぽになったこの部屋に投げ込まれることになるのかしら?」
英国仕込みの皮肉を吐きながら詰め寄るキャロル。たじろぐ女生徒。
先日の一件の折、ヴィヴィに「ヴィヴィアン・フォーサイス個人ではなく、国際大榎学園模型部の名義で作品を提供すること」を認めさせた理由が此処にあったのか!
三枝はキャロルの先見性に驚愕した。
あ、の、それは……と、蚊の鳴くような声で反論を企てる。生徒会広報の矜持だけが彼女を踏みとどまらせていた。
「貴女、お名前は?」
キャロルは口調を幾分柔らかく問いかける。
「え、あ…北野辺です!」ようやく得た、まともな返答をできるチャンスにさっそく食いつく。
「キタノベさん。私にはこの事業を詳しく説明する用意があるわ。貴女の上司のところへ繋げてくれるかしら?」
埒が明かないので、明けに行く。と、いうことだ。北野辺は、己の手に余るサイズに肥大した案件に、首を縦に振る他なかった。
その後、役員の集う生徒会室での質疑応答に、堂々と的確な返答と説明をした末、先日のヴィヴィアンの極彩色の戦車を例に『模型だからこそ表現することが出来る美術性』を語ることで「学生として、常識的な範囲」での金銭取引を許可させた上で部費の増額をも認めさせた。
三枝は結局一言も発することなく生徒会室を後にした。
部室への帰路、感謝の意を示す三枝に
「為すべきを為しただけよ。私も一応、模型部の一員なのだから」
と素っ気なく答えたキャロルに、普段から気になっていたことを問いかけてみる気になった。
何故模型部に入部してくれたのか。何故尽力してくれるのか。
彼女の献身は痛み入る程に有難いが、理由がわからない。
キャロルは他の3名と違って、主として活動する部活動に在籍していない。パソコン研究部や映像部等、彼女のスキルに適した部活動もありそうだが、彼女は私物のノートパソコン一つで数々の創作活動に従事していることを三枝は知っていた。
アルベルタの誘いで仕方なく、という訳のみでもなさそうだからこそ、常々疑問になっていた。
「意外と寂しがり屋なのよ」
と冗談気味に話すが、釈然としない表情の三枝を見とめ、足を止める。既に傾いている夕日が二人を朱色に染める。
ふぅ、一息ついて、少女は「貴方は実直だから、白状しておくわ」と言い、続けた。
「打算なの。アルとエレナ、それにヴィヴィ、天才の彼女達との関係をこの1年で構築したいと考えていたの」
普段では決して見せない、憂いを含んだ表情。
「私の実家の話は知っているかしら?」
世界規模で美術品や骨董のオークションを開催している資産家ということは以前、加茂下から耳にしている。
この学園に来たのもそれが目的だと、高額な品の数々を並べるオークションの顧客はまた、世界に名立たるセレブ達で、開催に並んで行われるパーティは彼等を楽しませるために一流の音楽家を呼ぶこともあるそうだ。また、世界に名だたる画家になるであろう彼女達の作品を優先的に仕入れる為に、関係を深めるように父親に言われている、と語った。
件の一件で傷心のアルベルタに親しく接したこと、彼女から模型部の設立への協力を頼まれたこと、渡りに船と、エレオノーラとヴィヴィアンに声をかけたこと。すべてが打算だ、と答えた。
「私にはお兄様お姉様達と違って芸術の才能は無いもの。何も出来ない私が、偉大なヘースティングス家の名に報いる為には、その程度の事しかできないわ」
声が陰る。
自分の腹の内をありありと曝け出して見せた少女は、威風堂々とはしているものの、三枝の目を見ることができないでいた。
この実直な青年は、狡賢い私を軽蔑するだろうか。キャロルは告白を決意したものの、語り終わった後、意外なほどの動揺していた。その意外なほどの動揺が何に起因しているのかは、頭脳明晰な脳でも判断できずにいた。
「そんなことはない」
蔑むでもなく、同情するでもなく、いつも感じていた敬意を含んだ眼差しが、キャロルの双眸を射抜いた。
「君は、今まさに自分を助けてくれたではないか」
「助けた内にも入らないわ。あの程度」苛立ちを感じる。
「人見知りなアルに初めて声を掛けたのがキャロル、君だったということを聞いている」
「だからそれは打算で――!」声を荒げてしまう。
「打算だとしても、アルは君に助けられた、と言っていた」
(スゴかったよ!エレナーとキャロル!あんなSitzung、ボク、はじめて!)
ふと、先日の音楽祭の出来事が思い出された。3人での参加が決定してからの数週間、必死だった。何度も徹夜して、プロジェクションマッピングを始めとする演出のプログラムを、幾度となく書き直し、装置の点検も病的と思われるかもしれないほど繰り返した。ほとんどぶっつけ本番の舞台で、自分の演出がアルとエレナの足を引っ張ってしまわないだろうかと、気が気じゃなかった。二人の音楽を聞く余裕なんて無かった。演奏終了後のスタンディングオベーションを聞いたときは、安堵のあまり腰が抜けそうになった。そして感極まったアルの笑顔と、あのエレオノーラの称賛が、なんと嬉しかったことか。
「何も出来ないなんて、たとえ謙遜でも、止めてくれ」
いつにない、感情を押し殺したような、しかし強い口調で語る三枝。畏敬すら覚えている同い年の秀才の自嘲を、聞くに堪えかねている。
そうか、彼自身が、何も出来ない彼が、何かを掴もうと、今現在必死に足掻いている最中なのだ。
だからこそ、知恵を貸し、彼が不得意とすることを補ってやろうと行動したのだ。
聡明な少女は、今まで自分でも漠然としていて理解していなかった自らの無意識下の行動原理に説明をつけることができた。
「――――わかったわ。もうこの話は御仕舞。ごめんなさいね」
謝罪を口にする。
「だから、そんな顔はお止しなさい。折角のハンサムが、台無しだわ」
手のかかる弟をあやすように、目頭に熱いものを溜めている険しい顔に向けて、褐色の才女は微笑みかけるのだった。