元勇者、依頼を順調に進める
トマス・ニーベルンゲン。
古い伝承にも伝わる黄金の指輪の名をその身に冠するトマスは、神話研究家であり、それはこの世界では魔導師と呼ばれる存在であることを意味している。
トマスは、幼少期の子供が制御も出来ないままに放つ『模倣神技』を分析解釈し、その子供にあった『模倣神技』の制御法を神話より割り出し、継承する。これがトマスら神話研究家が国などから保護される理由になる。効率のよい『模倣神技』の運用は、軍事力の強化に等しいからだ。
その一方で。
魔導師という名称が示すとおり、彼等自体に戦闘力は皆無である。なぜなら、ある意味でそれは弱者の知恵だからだ。
自分の持つ戦闘能力が殆どなかったからこそ、何もしなくても守られる存在に成り上がる。そう言う戦略が、この過酷な世界でトマスを生き長らえさせたのだろう。
よって。
今回の護衛対象であるトマス・ニーベルンゲンによる援護は、期待できないのだ。
◆◆◆
「……!」
振り下ろされた巨鎚は、断末魔の叫びなど発させる暇すらなくオークの体を叩き潰す。
爆砕。
一切の感触を感じさせることなく、つまりオークの巨体程度ではわずかにでもその速度を落とす事無く地面と激突した巨鎚を、理解が追いついていないのか惚けるように動きを止めるオークの群れを見据えた。
オーク。
単体ではCランク、繁殖期にはBランクに脅威度が跳ね上がる、発見次第討伐対象モンスターだ。およそ2メートルの体躯を持ち、石製、木製の棍棒を持っていることが多く、何より雄性体しか存在せず他種族の雌性体を利用してしか繁殖できないと言う特徴を持つ。
冒険者ギルドの規定では、同ランクの冒険者がパーティを組むことで討伐可能にあるよう決定させるという脅威度からすれば、Cランクの俺が群れのオークに勝てるわけがない。
しかし、俺は元勇者だった。
一番近くのオークにもう一撃入れるべく、俺はまた巨鎚を頭の上へと振り上げる。
刹那、重力と言う見えない手が一気に数トンの巨鎚を加速させる。再びの爆砕、あたかも炎が揺らめくように鮮血の霧がかすかに辺りを漂った。
仲間をふたりも殺されようやく正気にかえったのか、オークの石棒が巨体の筋力を持って俺に迫る。オークながらも、俺が巨鎚を引き上げようとしたタイミングを狙う筋のいい攻撃だった。回避も可能だったが、しかしそれが俺の鎧に向かって放たれているのを見ると、俺は巨鎚を引き上げる作業に戻る。
直後、石棒が激突した。
ただの金属鎧は砕け、オークの筋肉が乗って凄まじい威力になった攻撃により中の人間もミンチだと、オークは夢想しただろう。
だが現実は違う。
石棒が鎧に衝突した瞬間、石棒が砕けたのだ。
俺の鎧は黒小人の『模倣神技』を用いて数トンの鉄塊を圧縮して作られている。鎧を叩くと言うことは、つまりは鉄塊を叩いていると言うことに等しい訳だ。当然、これを突破できるものはまずないだろう。
そしてその瞬間、準備が整った。
したがって、俺の口よりその銘が紡がれる。
「Levatein」
それはSurtrの持つ焔の剣。常に火花を撒き散らし、Ragnarökにおいて世界の全てを焼き亡ぼす存在。
即ち。
俺の魔人でさえ滅ぼす『模倣神技』が解き放たれる。
いつの間にか、気持ち悪いほど高濃度の魔力があたりに充満していた。絶対に自然は発生したものではない。こんなものが自然発生などありえない。
オークたちも、魔力になれた魔術師ですら酔い、吐き気を催すであろうその瘴気とでも言うべき魔力にも戸惑うばかりだ。
そして、呟きとともにそれは消え去った。
空気中の魔力がカラカラに乾いている。高濃度魔力に蝕まれた直後だから微少な魔力に気付けないとか言う話ではない。本当に、魔力濃度がゼロになったのだ。
清純すぎる空間は、まるでオークたちを拒むようにチクチクと肌を刺す。そう、純度百パーセントの水の中では魚でさえ生きられないように。
では、魔力はどこに行ったのだろうか?
瞬間、焔海が現出した。
そこでオークたちは理解した。実際には高濃度魔力の出現と、焔海の顕現の間にはタイムラグは殆どない。ただ、強烈な危機感が体感時間を引き延ばしたため、あたかもそこに時間があったように錯覚しているだけなのだと。
この空間にある全ての間力を燃やし尽くして具現した焔海は、ほんの少しだけこれから飲み込むであろう者達を睥睨するように凪いでいた。
そして突然、焔海は時化にはいる。
まるで暴風雨の夜のように、嵐の到達した夜のように、荒れ狂う焔海は全てを平等にその腹へと飲み込み、塵芥すら生じさせず、生きた証拠を残す事無く、全てを無へと焼き尽くした。
◆◆◆
「おつかれ、ヒロ」
護衛対象のところに戻ってきた俺は、エギスの言葉に迎えられた。
「まぁ、そこまで疲れてはいないけどな」
俺は適当に答えると、もとの位置――トマス・ニーベルンゲンとその荷物、その御者が乗る馬車の右舷へと戻る。
エギスは何も聞いて来ない。情報が生命線なのは冒険者に共通する事項だ。相手が出来るというなら出来るし、出来ないと言うならできない。鉄則だ。
その代わりに、エギスは礼を言う。
「ありがとうヒロ、わたしを気遣ってくれて…」
「いや、男がいるならオークに対応するのは当然だろう」
先の戦いで、俺が一人で戦っていたのは相手がオークだからだ。他種族の雌性体を苗床にするオークと、女の子であるエギスを戦わせるわけには行かない。万に一つでも可能性があるのなら、それを引き当てないよう努力するのは当たり前の事だ。
「……炎の海、焼き尽くすと言うより焼き滅ぼすといった趣の深い攻撃…。…もしかして、レーヴァテイン、ですかな……?」
そこで、今の今まで黙っていたトマスが、鉄則を覆して聞いてきた。その顔には好奇心と感嘆の表情が浮かんでいる。
「……当たりです、トマスさん。ただ、俺たちの間では固有技術である『模倣神技』は詮索しないっていうことになっているので、俺がそうである事を吹聴しないでもらえますか?」
「ああ、そうなんですか……。…それにしても、『レーヴァテイン』ですか、珍しいですね」
「珍しい…?」
「はい。普通は神々の武具ではなく、神々自体に似通うものなので」
確かに、考えてみれば剣や槍、胸当てや肩当といった武具よりも、人の形をした神々に似る方が自然のように思える。と言うよりも、原初の人間AdamとEvaは塵より神々に似せて作られたのだから、武具に似通うというのは相当イレギュラーなものだといえるのかも知れない。
「ただ、神々の武具というのは神々の戦闘力の象徴と解釈できるので、似通った人には戦闘向けの『模倣神技』が発現する事が多いようですけれど」
「確かに俺のはかなり戦闘向けですね……」
俺の呟きにしかし、トマスはにこやかに言った。
「まぁ、取り方によってはそうでない可能性もあるのですけどね」
「取り方?」
「はい」
トマスは一つ頷くと、説明を始めた。
「例えばあなたの『レーヴァテイン』の『模倣神技』は、『世界をも滅ぼす終焔の剣』という側面を強く抽出していますが、レーヴァテインには他にもこんな伝承があります。曰く、『絶えず火花の雨を飛び散らす炎剣』と。つまり、その側面を抽出したレーヴァテインの『模倣神技』があれば、炎をまとって火花を放つ、散弾のようなものになっていたかもしれません。『模倣神技』はあくまでも『模倣』であって、適正があれば使える、神々そのものではないのですよ」
「(……神々そのものではない……? だったら――のわたしもいいのかなぁ…?)」
馬の左舷、エギスのいるほう方からそんな呟きが聞こえた気がした。俺はそんな事を気にする事無く、脚を進める。
「なるほど、僕には良く分かりませんが、魔法っていうのは奥が深いものなんですねぇ」
御者の男が馬を操り進ませながら言った。
「ぼくはそういうめぼしい魔法に恵まれなかったもので、気付いたら御者なんかをやっております」
そんな話をしながら少し歩くと、本日八回目の魔物との遭遇が発生した。
「わたしが行く! ヒロは待ってて……!」
研ぎ澄まされた感覚に、魔物の気配を感じた俺とエギスは即座にハンドサインで馬車を止め、およそ20メートル先の魔物を見据える。
エギスが指示したとおり、その場にとどまり不測の事態に備える俺の耳に、彼女の住んだ声のの断片が届いた。
「……gis」
それは、魔法発動のための静かな呟き。荘厳な儀式の式句の一節のような響きは、すぐに剣戟の音に搔き消える。
ここは草原地帯の一角にある小道の上だ。草原の各所に小さな森が乱立しているからいつ魔物が来るかは分からないが、20メートル程度なら視界は当然開けている。
俺の見守る視界の中で、エギスは美しく舞っていた。
一閃。
振り抜かれた彼女の体躯に会わせた剣の軌跡は、煌びやかな銀閃を儚く空間に刻んでいく。
首と胴とが泣き別れになったホブゴブリンが地に崩れ落ちると同時に、エギスの剣は次なる敵に向かって銀閃を刻んでいた。
(……綺麗だ…)
俺は心の中でそう漏らす。
彼女が冒険者ギルドのエース、『絶壁』のエギス。
あたかも舞い踊るように、彼女にしか聞こえない音楽に合わせてステップを踏むように魔物を切り伏せる姿を見て、俺は純粋に納得していた。
あぁ、たしかに彼女は凄腕冒険者なのだと。
◆◆◆
「おつかれ」
「うん、ありがとうヒロ」
戦闘を終えて戻ってきたエギスに、俺は声をかけながら水筒を渡す。息は余りあがっていなかったが、エギスは一息つくという意味で美味しそうに水を飲んでいた。
「ヒロ、ボブゴブリンがゴブリンの群れにいる時は最初に倒したほうがいいよ? そうしないと、立て直された時統率を取られちゃって大変だから」
俺に向かってそう言うエギスを見て、俺はもう一度理解した。
彼女は、護衛対象を必ず守り抜く『絶壁』なのだと。
そう考えてから、俺は気持ちを切り換えてエギスに確認する。
「魔物の出現率が高くないか?」
「多い。森に何かいるのかも…」
今まで進んできて発生した懸念を。
八回。
それが今…、町を出発して今、およそニ時間で遭遇した魔物の回数だ。元勇者として各地を進んで俺は分かる。魔物はどちらかと言うと道には近づこうとしない。もちろん縄張り意識が強い種など例外はあるのだが、同種の血が漂う場所には忌避を感じるのが、自然の流れなのだ。
と、言うことは。
「森の生態系バランスが崩れている……?」
「何か強大な魔物が誕生したのかもしれないな」
俺とエギスは更に警戒をしながら、護衛依頼を続けていった。