元勇者、クエストを受注する
「『護衛』依頼……?」
俺はオウム返しに訊いた。
「そう、『護衛』依頼」
エギスはそれはそれは嬉しそうな顔で俺に語る。
「『護衛』依頼は良いよっ? 商人相手だったら物を安く売ってくれるかもしれないし、貴族相手だったらご飯が美味しい。なにより行ったことのない土地のに行けたり、そこの話を聞けたりするのがとても面白いよね!」
なるほど、と俺は思う。エギスは、とても『護衛』依頼が好きみたいだ。多分、他の二つよりずっと。
「それが、今日の宿と何の関係が? 護衛って数日に渡るだろう? 今日中には帰ってこれないんじゃないのか?」
「逆だよヒロ」
エギスは顔の前で人差し指を左右に振って、俺の言葉を否定する。
「護衛期間中は、食事と寝るところは保証されるんだよ?」
「なるほど」
俺は手を叩いた。
確かにそれはそうだ。俺の頭の中にはクエストを終わらせて街で泊まることしかなかったから、クエストの内容として泊まるという事は考えつかなかった。
「数日間宿代と食事代がタダになって、さらに報酬まで貰えるとなるとそれは美味し過ぎないか?」
「そうでしょっ!」
食い気味に突っ込んでくる満面の笑みのエギスに、俺はさらに尋ねた。
「今どんな『護衛』依頼があるんだ?」
「えーと、ニズさんとこの定期便はちょっと先だし、ガルさんとこは昨日終わった……。ティアさんとこはしばらくやらないって言っていたし……、ごめん、ちょっと分からないや」
「いや、そこのクエストボード見てくれば良いだろ」
「あ、そっか」
ちょっとボケ気味の答えを返したエギスだが、呟いた内容は恐ろしかった。エギスはこの辺りで定期的に出る護衛依頼の内容と時期を全て覚えているのだろうか? 俺は元の世界のクラスメイトだった、鉄道マニアを思い出した。あいつらも聞かれると、発車時刻とかを即答していた。
「あれ、ヒロは行かないの?」
俺の言葉に従って、クエストボードを見に行こうと立ち上がったエギスだったが、立ち上がらない俺を見て不思議そうに訊いた。
「俺はまだ、いつ登録証をもらえるか分からないからな。ここで待っていた方が上策だろ」
「分かった、じゃあわたしも待ってる」
「いやいや、先に見に行ってて良いんだぞ?」
俺の言葉にしかし、エギスは口を尖らせて言う。
「だってヒロの依頼なんだから、ヒロがいないと困るでしょ?」
そういうものか、と俺は納得する。
「分かった。ありがとな、エギス」
「どういたしまして、ヒロ」
そんな風に話した俺とエギスだったが、その数秒後に俺が呼ばれて、二人ともちょっと恥ずかしく笑ったのだった。
◆ ◆
「これがあなたの登録証になります」
エギスと連れだって向かったカウンターで受付嬢(ヘールさん?)に渡されたのは、一枚の金属製プレートだった。大きさは手のひらからはみ出さない程度。表面には俺の名前、性別、年齢、そしてCランクという文字が刻まれ、裏面には流麗な冒険者ギルドが独自でデザインした模様が刻み込まれている。
「冒険者を続けたい場合、あなたの誕生月にギルドにて更新手続きを行ってください。行わなかった場合、冒険者登録を一度削除します」
「分かった」
「あなたは冒険者規約が読めるので、口頭での説明は必要ありませんね? ではあなたの成功をお祈りしています」
「いやきちんと仕事しろよ」
「あら、エギスさん、今日も『護衛』依頼ですか?」
「無視かよ」
やっぱり馬が合わない受付嬢が話しかけたエギスは、親しげな様子で受付嬢に答える。
「ううん、今日は違うの。ヒロにちょっとアドバイスしているだけ」
「そうですかエギスさん。後進の指導も頑張ってくださいね」
その会話の中に、意外な要素があって、俺はエギス訊く。
「そういえばエギス、お前受付嬢に名前を覚えられるくらいは常連だったんだな」
その問いに答えたのは、エギスではなく受付嬢だった。
「当たり前ですよ、ギルドのエースの名前を覚えないほど、私たちギルド職員は落ちぶれていません」
「エース?」
「はい。『護衛』依頼で今まで失敗履歴が無い、最強の護衛、『絶壁』のエギスとは彼女の事ですよ?」
「『絶壁』……」
俺は呟いた。
それは、襲撃相手が決して越えられない壁の事を指しているのだろうか。
絶対に越えられない壁と名付けられた存在に守られたまま進む者達は、それは心強いだろう。
そう思ってエギスをもう一度見てみると、何となく強者の雰囲気を持っているような気がして来た。
「な、なに?」
その視線に気付いたエギスは、少し恥じらうように俺に訊く。
そして俺は気付いた。
エギスの胸がまな板だということに。
「そうかこれが『絶壁』の由来か」
「死ぬまでぶち殺すよ」
「ごめんごめん」
急に声のトーンが低くなったギルドのエースに、俺は両手を上げて降参の意を示す。やっぱり小さいのはコンプレックスなのだろうか?
「それでヒロ、見に行かないの?」
さすがエース、俺の謝罪とともに殺気を引っ込めて、元の口調で訊くエギス。
「そうだな、見に行くか」
そういう訳で、俺とエギスは『護衛』のクエストボードを見に行った。
◆ ◆
そこには、2、3件の依頼しか張られていなかった。
「うーん、こっちは遠すぎるし……、こっちは出発が明日ね。ヒロは基本的に遠くに行くつもりはないんでしょ?」
「そうだな、見知らぬ土地に定住したい訳でも無いし、しばらくは王都にいるつもりだが」
「だよね……。今日中に出発して、まだ誰もエントリーしていない依頼はこれしかないね。わたしはこれが良いと思うけど……」
しかし、その依頼の二つはエギスの判断によって不適とされて、残るは一つだけになった。
「どんな護衛なんだ?」
「二つ隣の街への護衛だね。片道三日、帰り道は必要なし。旅費、食費は向こう持ち、襲撃対策費用はこっち持ち。護衛対象は神話研究家のトマス・ニーベルゲン。一般人だけど貴族相当の地位を持ってるから、ご飯が美味しいと思うよ?」
「うーん」
俺はそれを聞いて少し困った。
その条件が良いかどうか、まったく分からないのだ。
もちろん、俺は旅をしたことぐらいはある。といっても、見届け役の騎士団と一緒だったから、一人でやれと言われても出来るかどうかは怪しいが。
そもそも、こっち持ちと言われた襲撃対策費用だが、それが何を買うための費用かが分からない。帰り道は護衛の必要は無いというが、では自分はどうやって帰れば良いのか、とんと見当が付かない。つまるところ、全くのお手上げだった。
「その……、この条件って、エギスから見たらどうなんだ?」
「どういうこと?」
「その……」
だが、餅は餅屋だ。『護衛』の道の先輩であるエギスに聞いた方が良いに決まっている。俺は勇気を出して訊いてみた。
「俺は『護衛』の依頼を受けるのが初めてだから、この依頼が良いのか悪いのか分からないってことだよ」
「あ、そういうことね」
エギスは笑顔でそう言った。
「別にこの依頼に不自然な所とか無いよ? このくらいの地位の人が出す依頼としては、むしろ標準的だと思う。報酬もちょっと高いし、わたしが今日は休みにするって決めてなければ、たぶん受けてたと思う」
「なるほど」
エギスの答えを聞いて、俺は安心して言う。
「エギスが受けても良いって考えるくらいなら、大丈夫そうかな。ありがとな、エギス。エギスがいなければ、今日俺はどっかの路地裏で布きれを被って寝ていたかもしれない」
「良いよ良いよ、後輩を助けるのも先輩の仕事だしね。それよりも、クエスト受注のカウンターはあっち。その紙剥がして持って行けば良いから」
「了解」
俺はクエストボードに張られた依頼用紙を手に取り、一息にピンで留まっているそれを引きはがす。
ビリッ、と心地良い音がして、紙が俺の手の上に渡った。
「よしっ」
普通の人には何て事も無いことかもしれないが、俺にとっては想像の世界でしかなかったことを、やっと出来た瞬間だ。普通に嬉しい。
(後はクエスト受注カウンターに持って行って……クエストを受けるだけだ!)
鼓動が高まる。
俺の少し後ろにいてついて来るエギスにそれがばれないように、俺は平然とした表情でクエスト受注カウンターの受付嬢(ヘールとは違う)にその紙を手渡した。
「お願いします」
「では、登録証の提示をお願いします」
受付嬢の言葉に、さっき受け取った金属製のプレートを差し出す俺に、その名前を確認して手元の書類を漁った受付嬢は眉をひそめて言った。
「失礼ですが、ナオヒロさまは『護衛』依頼は初めてですか?」
「そうだけど」
俺の言葉に、受付嬢はどこか溜息をつきそうな雰囲気で言った。
「すみません、初めての人はソロで護衛依頼を受けることは出来ません。『護衛』カテゴリーは失敗すると、冒険者だけではなく他の方の命まで危険にさらすので」
「マジかよ」
突然もたらされた情報に、俺は驚くことしか出来なかった。
確かに、依頼する側から見てみれば、護衛する者がズブの素人では安心出来ないだろう。経験者を募集するのはそれは当然の事だといえる。
「じゃあわたしが参加する。それで良い?」
「分かりました、それでしたら許可出来ます」
そんな俺の状況を救ったのは、やっぱりエギスだった。
「えっ!」
まさかここまで助けてくれるとは思っていなかった。エギスはさっき今日は休みだと言っていたのに。
「大丈夫、わたしが勧めた依頼だし、これくらいは責任とらせてよね。ほらヒロ、手続き進めるよ?」
エギスがそう言って慣れた様子で手続きするのに、俺は流されることしか出来なかった。
◆ ◆
(どうしちゃったんだろうわたし……)
わたし……エギスは手続きを進めながら呟いた。
わたしは、『護衛』依頼が好きだ。ヒロにはさっき話したけれど、全く知らない風景を見たり、その話を聞いたりするのがなによりも好きなのだ。
だけど、そんな想いが同感だ、という人は今まで現れなかった。
だから、だろうか。
ヒロの事を、こんなにも手伝おうと思ったのは。
いや、違う。
その話をするよりも、前だ。
ヒロの胸に間違えて、勢い余って飛び込んでしまって以来だ。
わたしが似通っているのは、とある処女神の武具だ。
だから、あまり男の人と触れ合う機会はなかった。無いようにしてきた。
だから、ヒロが初めてなんかもしれない。
あんな風に、触れ合ったのは。
なんとなく、ヒロが気になる。
この気持ちは、いつ収まるのだろうか。
ヒロに、冒険者としての事を全て教えた時だろうか。
それとも……。