元勇者、ギルドのエースに教わる
少女が飛び上がるように立ち上がり、俺も接地面に気をつけながら立ち上がった頃に、やっとギルド職員も再起動したようだった。
「困ります、そんな事をされてはっ!」
さっき俺の冒険者登録の受付をした受付嬢が、いつの間にか俺の横にまでやってきてそんな事を言う。
その受付嬢より少し俺から離れたところでは、少女が未だ頬を赤らめたまま何やらぶつぶつ呟いていた。
「……女神である……ーナの武具を扱うわたしが……男の人に……!」
呟いている内容はよく分からないが、やっぱりその姿は可愛らしい。そんな少女の姿を眺めていた俺は、受付嬢の言葉をよく聞いていなかった。
「……ですよっ、聞いていますかっ! 弁償ですよ、冒険者規約にも書いてあるでしょう、ギルドの物を壊した場合は弁償だと」
「いや、俺まだ冒険者登録してませんけど」
「同じ事ですっ! 今まさに冒険者登録しようとしていたでしょうっ!?」
「……でも多分、弁償できるだけの持ち金ありませんよ?」
「大丈夫です、あなたはギリギリ払えます」
妙に断言する受付嬢に請求された代金は、本当に俺がギリギリ払える額だった。つまり俺の持ち金のほとんど。ここに冒険者登録費を合わせたら、今晩寝ることろはどこかの路地になりそうだ。
もう歓喜も感慨もへったくれもない。ただ単に作業として七項目に書き込むと、俺の金を受けとってニコニコ笑顔の受付嬢のカウンターへ、叩き付けるように登録用紙を提出する。
ミシッと鳴るカウンターにも驚く様子もなく、平然とした様子で紙を受け取る受付嬢は、ザッと登録用紙に目を通す。
「一つお聞きしたいことがあるのですが」
「なんです?」
目を通し終わったのだろう、紙から目を上げて俺に訊いてくる受付嬢に、俺は微妙に威圧気味に答える。
そんな威圧をものともせずに、受付嬢は表情を変えずに言った。
「この欄、『今までにソロで倒した一番強い魔物』の所なのですが、分からないというのはどういうことですか?」
「どういうことって聞かれても……。そのままの意味ですが」
「それはつまり、魔物を倒したことはあるけれど、その魔物の種類が分からないということですか?」
受付嬢の眼光が俺を射抜く。
「そうですが、何か?」
俺は嘘をついている訳でも無いので平然と答えた。
俺の勇者時代、俺は数え切れないほどの魔物を倒して来ている。
例えば『冒険者では手に負えず大きな被害を出しそうな魔物』を緊急に討伐した事もあり、少なくとも戦闘能力は最下級なんて事は無いはずだ。
俺を射抜いていた眼光が、かすかに和らいだ気がした。
「嘘ではないようですね」
受付嬢が言う。……さっきの自信満々の断定と言い、もしかしたらこの受付嬢は嘘の神『ヘルメース』にでも似通っているのかもしれない。嘘を見抜く『模倣神技』、その能力を国が知ったら引っ張りだこでは無いだろうか?
「分かりました。分からないということは、メジャーな魔物……それこそゴブリン、ホーンラビット等では無いのでしょう? ……あなたをC級相当の冒険者と認めます」
無いのでしょう? の所で再び俺を貫く眼光に、俺は鷹揚と頷き返す。その肯定に嘘はないと判断出来た受付嬢は、数秒の黙考の後にそう認めた。
「では登録証をお作りするので、あちらの机で待っていてください。もう壊さないで下さいね? 先ほどは初犯として甘めに見ましたが、次回以降は半額ではなく全額払ってもらいます」
「さっきのが半額だとか聞いてないぞおい」
「冒険者規約には書いてあります」
「だから俺はまだ冒険者になってないんだってば」
「ではあちらで冊子が配布されているので、お確かめ下さい」
どこまでも馬が合わない受付嬢が指差した先には、確かに冊子が数冊積まれていた。
……言われてみれば、さっきの弁償騒ぎの時、受付嬢は一言も全額弁償とは言っていない。弁償とは繰り返したが、確かに全額出せとは言っていないのだ。半額だとも一言も言っていないが。
これが元の世界だったら、詐欺と言われるのでは無いだろうか? 正しい情報を全て与えず、恣意と誘導にまみれた情報のみで相手に間違った判断を下させる。これが詐欺でなければ何が詐欺なんだと俺は頭の片隅で考えていた。
「はあ……」
結局受付嬢に言われた通り、冒険者規約を一冊とって机に向かう。
そういえば、ここのギルドは酒場と一体化しているタイプではないらしい。ギルドだけで一つの建物を構築している。
入口から入って正面にカウンターが立ち並び、右手にはには壁一面に依頼の神が張り付けられ、左手には俺がさっき壊したような椅子と机のセットが並べられている。こっちはほとんど待ち合わせか事務処理の待機場所としてしか使われていないようだ。
なんだか疲れた心地で最初に使おうとした机に近づき、いつの間にか掃除されている周辺の椅子を見回し、念のため丸太を切っただけという感じの、特に頑丈そうな椅子を選んで座る。もちろん接地面の切り替えは忘れない。こっちを忘れたら、どんな椅子でも木っ端微塵だからだ。
そんな俺の正面におずおずと座ったのは、さっきの少女だった。
「キミ、さっきはごめんね……? わたしも不注意たっだし、一方的に叩くことじゃなかったのに……」
いじらしくそう謝る少女は、俺の頬の紅葉マークを気にしているようだった。
俺はラッキースケベ(ではないが)の対価としては、別に当然の事だと思っていたので、
「いや、全然気にしてない。こっちこそ不注意だったな、悪い」
と少女に答える。
「ありがとう。キミは優しいんだね。……わたしはエギス。冒険者をやっている。キミは……?」
少女が本当に嬉しそうに言うのを聞いて、俺はやっぱり可愛いな、と思いながら自己紹介をした。
「俺は矢橋外明、歳は17。ちょっと訳あって実戦経験があるだけの、ただの冒険者初心者だ。この装備は、貰い物、かな」
「なるほどね、だからさっき椅子が壊れたんだ。慣れてない鎧なんでしょ?」
「そんなところ」
少女は、いやエギスは俺が座れていることに対して、丸太を切っただけの頑丈な椅子だから座れていると思っているようだ。まあ確かに、そっちの方が『重力分散』の効果付与がつけてあるということよりも想像しやすいだろう。
本当の所は、慣れていないどころか約一年間苦楽を共にした中なのだが、それは黙っておく。ただ切り替えをミスっただけなんて、格好悪いだろう?
「ナオヒロ……ナオヒロ、ね」
「呼びにくいならヒロで良いよ。それよりもエギス、冒険者の先輩として、一つ聞きたい事があるんだけど」
「分かった、ヒロね。……それでどうしたの? わたしが分かる範囲なら答えられるけど」
「今から受けられる依頼で、今晩の宿を取れる依頼ってどれ?」
ガクッ、とエギスが拍子抜けたように体を震わせた。どうやら、この辺で効率の良い狩場はどこだとか、もっと冒険者っぽいことを聞かれると思っていたらしい。
「ヒロ……。キミ、今日泊まるだけのお金も無いの?」
「あったけど、さっき使い切った」
ちょいちょい、と人差し指で椅子を指差すと、エギスは理解したように頷いてうなだれる。
「あのね、ヒロ。冒険者ギルドには、クエストを三種類に分類しているの」
そして頭を上げたエギスは、そうやって俺に説明を始めた。
「それは、『採取』『討伐』『護衛』の三種類」
「なるほど……まんまだな」
「そうね」
エギスは一瞬そう笑いかけると、話を続けた。
「規約では、基本的にCランク未満の人が『採取』のクエストを、Cランク以上の人が『討伐』『護衛』のクエストを受けることになっているの」
だから、とエギスは俺を残念そうに見ながら言う。
「登録したてのFランクだと、『採取』依頼しか受けられないんだけど……『採取』依頼に、そこまで効率の良いクエストは無いかな?」
「いや俺なんかCランク認定されたけど」
そこに俺は、特大の爆弾を放り込む。
「えっ、本当っ!? ヘールさんは厳正で正確な査定だって有名なんだよっ?」
ヘールさん、というのはさっきの受付嬢のことだろうか? それは分からないが、ともかくCランクから冒険者を始めることが出来そうなのは本当なので、とりあえず受付嬢の言葉を思い出して言った。
「ああ、『あなたをC級相当の冒険者と認めます』って言われたけど……」
「ごめん、似てないよ?」
どうやら俺の声真似はエギスにとって不評だったらしい。一言でばっさり切られた俺に、エギスはやっと解決策を提示した。
「それなら、『護衛』依頼を受ければ良いよ!」