元勇者、考える
もう一度だけ確認しよう。
リーエルは、天使は不敗であるという『不敗伝承』に基づいた全能力強化と、俺の鎧のように鍛治神等の『模倣神技』で作られたポールアックスの『神倣武具』を基軸に、『天啓』を操る『模倣神技』を使ってくる。
「ヒロっ、終わったよっ!」
「ああ、お疲れエギス。早速だが……」
丁度良く合流したエギスとミヒャエルに、手早くそれを説明した。
「なるほど天啓か。自分の意志より上位の命令だから、意識が体を動かす前に割り込み、意識が気がつかない内に行動を変えるって訳だな」
「なるほど、リーエルへの攻撃の『照準をずらせ』っていう天啓のせいで、攻撃が当たらなかったんだね」
理解したエギスに目で合図を送ると、エギスはコクンと頷いて、その可憐な唇を開く。
「Aigis」
その清純な響きが放たれるか否か、瞬時にエギスは胸鎧を叩いた。
ォォォォオオオオオオンッッ!
と。金属を叩いた音とも、雌やぎの鳴き声とも取れる音が響く。
アマルテイアのいななき。
俺とエギスとミヒャエル三人への、認識不可能性の付与。
「そうだな、相手がこちらを捉えられない状況で、広範囲攻撃をばらまけばその防御は意味を成さねえなあ」
ミヒャエルの呟きとともに、俺は再び終焔を告げる。
「Levatein」
いっそ、禍々しいとさえ言える魔力が、大部屋全体に拡散する。
兄妹は既に大部屋の外だ、気にする必要はない。
一気に高まっていく魔力濃度は、ミカエルの『模倣神技』の影響下が故に、変質し最適化を経て純粋魔力へと変貌して行く。
「うっ、がっ!」
そう、既にそれは魔物の襲撃の際に証明済みだ。リーエルは魔法を扱う後衛でさえ吐くだろう、純粋魔力に対応出来ない。体の中心から込み上げるものを抑え切れず、リーエルは体を折り曲げて ☆モザイク☆ を神聖なる大部屋の床へと撒き散らす。
だが。
そんな、どう見ても体調が悪そうなときでも、しかしリーエルは呟いた。
「……『受胎告知』」
そう、人に天啓を与え望むように行動を変える『模倣神技』の発動を。
「ちっ……!」
驚く間もなく、大部屋のなかに狂わしいほどに充満する、純粋魔力がゼロになる代償として終焔は現出する。
荒れ狂う業焔の灘の中を、しかし俺は厳しい表情で見詰めていた。
リーエルの所にまで、焔が届いていない。
明らかに業焔の灘の中心にいるのに、だ。
「……あの野郎」
そして、その理由を理解した俺の口から汚い声が漏れる。
リーエルが利用したのは、焔の中でエギスを巻き込まないために掴んだ、焔の流れやすさの傾向だ。
Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種討伐の時に掴んだ、エギスを悲しませない為の技術を、リーエルは勝手に扱った。悪用したと言い換えてもいい。
「天使の言葉を、人間ごときが拒否できるとでもおもったさ?」
数秒後、焔が消えたタイミングでリーエルは嘲るように宣言した。
「そんな訳無いさ。私の『受胎告知』の照準は、対象を思い浮かべただけで終わるのさ」
どうしようもない。
俺の手札では、リーエルに攻撃を当てることさえ出来ない。
エギスのための努力を悪用された怒りを、しかしリーエルにぶつけることの出来ない俺は、強く奥歯を噛む。
「ヒ、ロ……?」
俺の名前を呼ぶエギスの声は、いつもと比べてか細く、心配するように、恐る恐ると発せられていた。それほどまでに怖い顔をしているのだろう。
しかし、この状況を打開する策はエギスの方にも無いようだった。その呼び掛けに続く声はなく、ただ縋るように俺を見詰めてる。
そこに。
そこでミヒャエルは、俺の肩に手を置いて言った。
「ヒロ、頼んだぞ」
「……あ?」
気が立って、これ以上なく不信感丸出しの声を無視して、ミヒャエルはエギスにも告げる。
「お嬢さん、この認識不可を外してくれるか?」
「……はい」
そうして、身を守るものがなくなったミヒャエルは、しかし悠々とリーエルの方にあるきだす。
「なあ、オレンジ色の魔族の嬢ちゃん」
「『受胎告知』」
「タネが分かれば、対策されるって分かんねえのか?」
リーエルが天啓の発動を示唆した次の瞬間、ミヒャエルの周囲が純白に光った。
まるで、そこで中に入ろうとするものを弾いたかのように。
「たしかに人間には無理かもしれないなあ。だがな」
「……なにさ! 『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』『受胎告知』」
止まらないミヒャエルに危機感を感じたのか、それとも不発の手応えがあったのか、何度も何度もミヒャエルに天啓をかけるリーエル。しかし、その全てが弾かれているようだった。
「同じ階位の天使なら、弾けるよなあ?」
その言葉に。
俺は、ぴくりと固まった。
確かに。
確かに、ガブリエルとミカエルは同じ神話体系に存在し、そして同じ、天使九階第八位『大天使』だ。
同じ階級の天使なら、その権能に干渉できるかもしれない。
「ヒロっ!」
「ああ、分かってる」
そして、ミヒャエルの意図も分かった。
同じ階位なら干渉できるということは、逆にミヒャエルの方も干渉されるということだ。つまり、両者手詰まり。互いに互いを潰しあって、それ以上もそれ以下も出来なくなってしまう。
しかしそれは、ミヒャエル一人を犠牲にリーエルを無力化したとも言える。つまり、この状況でリーエルを叩けば攻撃は通るだろう、ということだ。
俺は再び長剣『レーヴァテイン』を構え直す。
次こそは、確実に仕留めるために。
だが。
(……あれ? ミヒャエルを確実に仕留めるための策がこれだけか?)
俺は唐突に、違和感を感じた。
それは、どこから感じるものなのかは分からない。でも、確実に存在するそれは、俺のその思考を加速させる。
「ミヒャエルを確実に倒すためだけにたてられたこの作戦で、魔族が立てた策は本当にそれだけなのか……?」
「ヒロっ! 忘れないでっ!?」
その呟きに対する、エギスの言葉と指差した先に、俺は血が凍るような感覚を覚えた。
フィラエ兄妹。
彼らは、何のためにリーエルに誘拐されたのか?
『言われたとおり『神遺物』を『復元』したんですから、お兄ちゃんを返してください!』
フラッシュバックするアセトの言葉に、この神跡の『神遺物』の情報を思い出す。
「この神跡の『神遺物』は……。 まさか!」
そしてリーエルは俯いてた顔をあげ、そこに隠していた意味ありげな笑みをさらす。
「引っ掛かったさ」
「っ!」
ミヒャエルの方も何かに気付いたようだが、ゆっくりと歩いていたせいで、届かない。
リーエルがいっそ緩慢とさえ感じられる動きで、どこからともなくそれを取り出した。
「っ!」
「がっ!」
「……っ!?」
瞬間、あまりにも純粋すぎて、尊すぎて、神聖すぎて、薄汚れた人間などには直視することなど出来ない純白の光が、大部屋の中を平等に舐め回す。
それは。
リーエルの手に握られているのは……。
どこか神々しささえ放つ、白白とした一枚の羽根。綺麗過ぎるほどの白一色のはずなのに、何故か細かい所までその質感が分かってしまう。その羽根の周囲で、色が、空間がどんどん薄くなり、ねじ曲がっているように見えるのは果たして錯覚なのか、内包された強すぎる力の余波が、漏れだし現実に干渉してしまっているのか。
『セラフィムの聖翼』。
それを用意しミヒャエルを確実に討とうとする罠に、ミヒャエルは真っ向から嵌まってしまう。
「あ、ああ……」
リーエルはまるで導かれるように羽根を握った手をどこか無機質に動かすと、その胸に当てる。
とくん、とまるでリーエルの心臓の鼓動に共鳴したかの如く、『セラフィムの聖翼』は脈動した。
その波動は『セラフィムの聖翼』だけでなく、リーエルの体と触れている所から順にリーエルを犯していくようにも見える。
そして、その波動がリーエルの頭のてっぺんから爪の先まで充満する頃、リーエルは目を見開いて告げる。
「さあ、蹂躙さ」
第八位VS第一位。
その絶望的な戦いが、始まる。