元勇者、抗う
片や、少女の形をした魔族。
オレンジ色の髪に、赤を基調としたプロテクターに近い防備を備え、ポールアックスと呼ばれる長柄の武器を持つ。
片や、王国最強と呼ばれる人間と勇者。
白銀の騎士鎧と長剣を構えるおじさんと、漆黒の鎧と同色の巨鎚を軽々と扱う少年。
「Gabriel」
そして、今まで分からなかった、リーエルの『模倣神技』の詠唱が響く。
ガブリエル。
天使九階第八位、『大天使』の位につく天使であり、下界と天界とを繋ぐ使者とも解釈できる。
複数の伝承で人に宣告を与える姿を確認でき、それは下界に干渉するというのは確かな事だと言えるだろう。
対して。
「ヒロ、従え」
「ああ」
一瞬の応酬の後に呟かれるは、開戦を告げる指揮官の命令がごとき言葉。
「Mikha'el」
ミカエル。
天使九階第八位、『大天使』の位につく天使であり、天使軍の総帥。
魔王Satanを討伐したのがこの天使率いる天使軍だと言えば、そのほどが分かるだろうか。
「エギス、兄妹を大部屋の外に連れ出してくれ」
「っ! 分かった、このままだとヒロの『模倣神技』が使えないもんね」
俺の指示に従ってエギスが動き始めたところで、リーエルの囁きが唇に乗った。
「『受胎告知』」
瞬間、あたかも伝承上の存在に邂逅したような衝撃が、その響を聞いた者全てを貫いた。
『受胎告知』。
それは、ガブリエルの最も有名な伝承。聖母に聖人が宿ったことを告げる、天からの福音でありお告げ。
『|喜ばしきや、Maria《Ave Maria》』と呼ばれる、その事を祝うためだけの賛美歌が存在することからも、その特異さと喜ばしさが分かるだろう。
だが、そんな詠唱一つで止まるような王国騎士団ではない。
それの効果が体感できるよりも早く、ミヒャエルと俺は地面を蹴り砕かんばかりに地を踏み締める。
「『誰が神の如きか』」
「『雷神の重鎚』」
ともに、物理攻撃のはずなのに人の目には捕らえられぬ暴虐。瞬間移動にも等しき速度で威力を上乗せし、当たれば相手を確実に壊せる極悪なる一撃。
純白の閃光と黄金の雷とが瞬いた。
その超打撃と超斬撃は少なくとも、完全防御系の『模倣神技』でもなければ即死してもおかしくないはずの威力であったはずだ。
それなのに。
三人が交錯した後も、リーエルは無傷のまま佇んでた。
「え……っ?」
兄妹を回収に行こうとしていたエギスから、疑問の声が漏れる。
リーエルは、その場から一歩も動いていない。どころか、姿勢さえ何一つ変わっていない。
つまり、避けた訳でも、エインヘリヤルの魔族のように攻撃を弾いた訳でも無い。
そしてリーエルの『模倣神技』の効果は『選択未来優劣把握』。
つまり、どう足掻いても絶対防御なんかに手が届く訳が無いのに……?
そして、リーエルは宣言した。
余裕を持った表情のままで。
「無駄さ。あんた達には届かないさ。私は、騎士団団長ミヒャエル・カリバーンを完封するためにここに存在するんだからさ」
◆ ◆
「なん、だ……?」
リーエルの後方で剣を振り切った体勢のまま、俺は結果に驚くことしか出来なかった。
幸いながら、起きた現象は分かってる。
外したのだ。
避けられたのでも、弾かれたのでもなく、自らリーエルの座標を見誤ったかのように見当違いの場所に攻撃を放っていた。
たしかにこの大部屋は全面が白い。そして同じ色彩に彩られれば、遠近感は狂う。
だからと言って、ミヒャエルまでが攻撃を外すだろうか?
「チッ!」
ミヒャエルが舌打ち一つで頭を切り替え、改めて距離を取り直すのを見て、俺もようやく思考を止めて体を動かす。
何をするでもなくただ自然体のリーエルに、理解が追いつかない。
「今度はこっちからさね?」
そう言ってポールアックスを構えたリーエルは、ミヒャエルの方に向かって……突撃姿勢で走り出した。
それは、俺の目から見ても技が足りない。子供が不格好に真似たような、そんな素人のようなヘタな突撃は、ミヒャエルに簡単に躱されるだろう。
「シッ……!」
最後だけらしく気迫を込められた一突きは、地を蹴ったミヒャエルに回避されカウンターを叩き込まれる……。
そう、そのはずだった。
「何やってるんだよっ!?」
だが、現実はそうはならない。
まるで、自らリーエルの突きに飛び込むかのようにミヒャエルは地を蹴ってしまっていた。
「ぐ、ふっ!」
その相乗効果か、ポールアックスは穂先の根本に色々な突起が付いているにも関わらず、ミヒャエルの騎士鎧をいとも簡単に貫通する。
王国最強が身につけている、最高級とも言える鎧を易々と、だ。
「が、あぁっ!」
ミヒャエルは自ら後ろに飛んで、ポールアックスを抜きつつ後退する。
即座にどこからか取り出した回復薬を飲んでいる所を見ると、かなりの深手だったのかもしれない。
「大丈夫かっ!」
リーエルとの間合をはかりながらミヒャエルへと寄る俺に、ミヒャエルはポツリと呟いた。
「ヒロ、気をつけろ。『模倣神技』だ」
「え……?」
この、ミヒャエルが避けれなかったのが『模倣神技』? 『選択未来優劣把握』でミヒャエルに当てられる行動をしたとでも言うのか?
「一部の天使系統『模倣神技』には、天使全てが持つ前提として『不敗伝承』を持つ奴がいる。それにあいつ本来の『模倣神技』を合わせていやがる」
例えば、ガブリエルやミカエルの属する神話体系は、一神教の神話だ。多神教ではないと言うことは、神は完全無欠の絶対存在として扱われる。その使徒である天使も、神話内において敗北の記録はごく一部をのぞいて残っていない。
『不敗伝承』。
自らが一神教の天使であること、そして神話上不敗であることから、自分の能力を強制的に引き上げる能力。
(これにリーエルの『選択未来優劣把握』を……いや?)
そこまで考えて、やっと気付いた。
俺はエギスと話していたのではなかったか?
『『模倣神技』の本当の能力は別で、応用や副作用で『知る』能力を使っている……』
『ああ、そんな感じだと俺も思う』
つまり、つまりつまり……!
「話し合いは終わったい? さあ、さっさと死ぬさ」
あくまで余裕に立つリーエルに、俺とミヒャエルは警戒を募らせる。。
「……さて。人間の勇者の方が殺しやすそうさね」
「ヒロっ、来るぞ!」
ミヒャエルでも避けられなかった一突きが、俺を狙って放たれようとする。
「『受胎告知』」
瞬間、俺は咄嗟にエギスの位置を確認した。
エギスは既に兄妹を大部屋の出口付近にまで移動させている。これなら巻き込むことはないだろう。
俺は瞬時にできるだけの魔力を前方へと拡散させると、終焔の到来を告げた。
「Levatein」
そして前方にのみ、まるでリーエルの通る道を示すかのように焔が沸き上がる。
ミヒャエルに言われて練習した『レーヴァテイン』の精密制御。あまりまだ出来ていないが、それでもなんとか役立った。
これで、リーエルは焔の道の中を走ることになる。流石にこれは耐えれないだろう。
「やっ」
た、と言いかけた瞬間。
「シッ!」
鈍い衝撃が腹を貫いた。
数トンにも及ぶ鎧を着ているはずなのに、体が揺らぐ。
「な、ん……?」
視線を下げれば、そこには終焔に巻かれたはずのリーエルが、まったく焼かれた様子もなく、焦げた気配も見せず、鎧と貫こうと槍に力を込めていた。
「馬鹿野郎っ! なんで綺麗に敵の所だけ焔をなくしてやがるんだっ!?」
ミヒャエルの声が遅れて響く。
焔をなくした?
何を言っているんだ、俺はそんなことをしていない。リーエルを焼き尽くすつもりで焔を放ったはずだ。
だが、だとしたら何故?
焔に耐えられないはずのリーエルが何故生きている?
混乱することしか出来ない俺に、リーエルはさらに告げる。
「ふうん、これが勇者の『神倣武具』か」
途中の単語の意味が分からなかったが、それが黒小人の『模倣神技』による鎧のことだとかろうじて判別がついた俺は、外面だけでも、と不敵に笑う。
「この鎧は貫けないぞ」
対して、返ってきたのは侮蔑するような笑みだった。
「『神倣武具』が自分だけの特権と思っているさね?」
「……なっ!」
その言葉が鍵になったように、ポールアックスが真っ赤に染まる。
いや。
赤熱と化して、こちらの鎧を溶かし貫こうとしているっ!?
「なあっ!」
頭は驚いていても、体は動いてくれた。
とりあえず逃げるために槍の柄を蹴り物理的に向きを反らし、真後ろへと『トルの寵愛』の力のままに下がる。
「ふん」
赤熱の槍を元に戻し、石突きで地を叩くリーエルは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「焔が、リーエルを通るところだけ綺麗になくなった?」
そして、攻撃の意志をリーエルが見せていない内に、俺はミヒャエルの言葉に思考を戻す。
もし、そんな現象が本当に起きたのだとしたら。
『レーヴァテイン』の焔にリーエルが『受胎告知』で干渉したのだとしたら。
それは……。
「俺、か」
『レーヴァテイン』を操れるのは俺しかいない。つまり、『レーヴァテイン』ではなく俺に干渉したというのが正しいだろう。
つまり、『受胎告知』は。
「天使が人へと受胎告知した伝承を元に、人に『天啓』を与えて操作する『模倣神技』……」
その言葉に、リーエルの眉がぴくりと動いた。