元勇者、手作り弁当を味わう
「もう昼か……」
「お疲れ、ヒロ」
空になった荷車を引いて、今度はエギスとともにゆっくり歩きながら俺とエギスは何度目かの帰路を進んでいた。
太陽は既に空高く昇り、肉体労働に火照った体をいじめるように照りつけてくる。一日の中で一番暑いのは昼過ぎ、午後一時から二時頃だというが、それはそれまでに地面に蓄えられた熱と日光の熱が相乗効果のように空気を温めるからだ。つまり直射日光が一番きついのは丁度昼頃という認識で間違いはない。
やはり昼食時だからか、朝はあんなに活気があった通りは人が少ない。まるでみんな俺と同じ暑さを感じて、涼みに行ったかのようだった。
「もうすぐだよヒロ、頑張って!」
「おうよ」
そんなことを考えている内に、元の倉庫へと戻ってきた。
建物の陰にある倉庫は日なたとは打って変わって涼しく、体の熱を奪っていく。長居すると運動の後に汗を拭かずに放置するのと同じく、風邪をひいてしまいそうだった。
「よしっ!、とりあえず終わりっ」
荷車を倉庫の前にまで持ってきた俺は、そんな声を上げて、同じような姿勢で固まった体をほぐしていく。
それにしても、単純労働は心に来るものがある。エギスが横にいなければ、きっと途中で挫折していただろう。
「腹減ったなあ……」
そろそろ肌寒いと感じはじめ、十分にリラックスすると、そんな呟きが俺の中から漏れた。エギスとの会話に夢中で、そんな所にまで気が回っていなかったのか。
「ヒロ……」
そこで俺の耳に聞こえてきたのは、ちょっと不安そうな、でも期待するような、とても俺の心を跳ねさせる声だった。
俺が伸びを止めてエギスの方を振り返ると、どこからか取り出した籐製のバスケットを持ち、頬を朱に染めて未だその声のままにエギスは告げる。
「お昼持ってきたんだけど……ヒロ食べる?」
俺に、それを断るなんていう選択肢なんて存在しなかった。
通りの端っこに植えてある木の、その下に何故か設置されているベンチに二人で座って、エギス手づくりの昼食というお宝は開封された。
バスケットに上にかかっている白い布が取り払われた瞬間、そこから光が漏れる。
少なくとも、俺にはそう感じられた。
「すげえ」
そこに並んでいたのは、数々のサンドイッチ達だった。
「これ……エギスが?」
それを見て動転していたのか、分かりきっていることを訊いてしまう俺に、やはりエギスもはにかみながら答える。
「うん、わたしが作ってきたの……」
不安を宿した、しかしどこか祈るようなエギスの瞳の前で、俺は心中歓喜に震えながらはサンドイッチへ手を延ばす。
楕円型のバスケットの中は、まさに天国のようだった。
中には無数の白いパン生地が所狭しと詰め込まれており、等間隔に緑やピンクがのぞいている。どれもこれもが柔らかく美味しそうで、どれから手をつけるか迷ってしまいそうだった。
(あっ!)
途中で迷っているのはエギスを心配させるのでは、と気づき、俺は目についたピンクのハム多めなサンドイッチを手に取った。
ずっとこちらを見詰めるエギスに気恥ずかしさを感じながらも、俺はそのサンドイッチを口に運んだ。
「……どう?」
それを心配そうに眺めながら発された言葉に、俺は正直に答える。偽る必要も、お世辞を言う必要もない。
「うまい。うまいよ」
言葉そのものは静かだけれど、確かな感情がこもったその声に、エギスは嬉しそうに笑った。
「よかった……。……失敗しないように簡単なものにしてよかった……」
食べるのに夢中で後半は聞こえなかったが、エギスは安堵しているようだった。それなら良い、と俺の方も嬉しくなる。
そんな俺を見て、エギスもバスケットのサンドイッチに手を伸ばしたようだった。
エギスのサンドイッチは、本当においしい。
ふっくらと柔らかいパンに、キャベツらしき野菜とハムなどが挟まれ、そして滴らず、パン生地を貫通しない程度にタレがかけられている。
そして、そのタレと具材とパンの相性が最高なのだ。口の中のサンドイッチを噛むと、それらが絡み合って絶妙な風味を作り出す。
「本当に美味しいなっ」
ひとつサンドイッチを食べ終わって、次のサンドイッチへ手を延ばす合間にそんなことを言ってみると、エギスは嬉しそうに俯いた。
「また食べたいな。今度また作ってくれるか?」
次のサンドイッチを口に入れる前にそう追い撃ちをかけると、俯いたままエギスの頬は朱に染まる。
「うん……」
返ってきたのは小さな呟きだったが、俺がそれを聞き逃すことはなかった。
十分ほどで、バスケットの中身は消滅した。
その九割を俺が食ったと言っても過言ではないだろう。
「ごちそうさま。……ごめんエギス、もうちょっと残しておけば良かったな」
「ううん、ヒロの方がたくさん動いてたから大丈夫だよ」
エギスはそういうと、何かに気付いたような声をあげる。
「あっ」
「どうした、何か問題があったか?」
俺の問いに、エギスは微笑みだけを返す。
「ふふっ、ヒロ、ちょっと動かないでね?」
「あ、ああ」
ちょっと動揺しながらも頷くと、エギスは籐のバスケットに入っていたナプキンを端だけ持って、俺の顔の方に近づけてくる。
「ほっぺにタレがついてるよ」
エギスの邪魔になったらいけないと、黙って為されるがままになってた俺だが、きっと顔は赤くなっていることだろう。
エギスの方も結構恥ずかしいことをしていることにようやく気付いたようだった。
それでもしようとした動作はもう止められない。
丁寧に俺の頬を撫でて行ったナプキンがエギスの胸元まで戻ると同時に、どうしようもない雰囲気が流れてしまう。
「さ、さあ、午後も頑張ろうっ!」
そんな雰囲気をどうにかしようと、俺は慌ててそう言った。
「う、うん頑張ろうっ!」
それを読み取ったのかエギスも合わせるように告げたが、元のように戻るまでには少しの時間を要したのだった。
「これで最後、か」
夕暮れが鮮やか人々を照らし、町並みを赤く染めて行く中、俺とエギスの最後の荷車は支部へと到着した。
「お疲れさ、ヒロ、エギス」
「リーエルか」
どうやら、リーエルは既にここで待っていたらしい。あと一セットだから俺達に丸投げしようと考えたのだろう。もしかしたら、リーエルが到着してから俺達が来るまでの間、どこかでのんびりとしていたのかもしれない。
そんなリーエルの声に続くように出て来たギルドの職員に、俺とエギスは荷物の引き渡し手続きをする。
「よろしく。これで最後のはず」
「はーい」
職員さんは荷車に積まれた木箱をきちんと目視で確認すると、手元の板に挟み込んだ紙にサラサラと何かを書いていく。
「お疲れ、ヒロ」
「ああお疲れ、エギス」
エギスの労るような笑みを見れば、一日の疲れが吹っ飛んで行くような気がした。
ところが。
「あれ……?」
受取に出て来た、冒険者ギルドの制服を着た女性職員さんが不思議そうに呟く。
「どうしたんですか?」
同じ女性のよしみなのか、親しそうに訊くエギスに職員さんは向き合った。
「え、ええ。木箱の数が合わないんです……」
新人なのか、どこか泣きそうな声で言う職員さんだったが、どうやら職業感はあるらしい。
「い、いえ大丈夫です。書類の不備かもしれませんし、数え間違いかもしれません」
どうしていいかが分からなくなりそうなのを、ぐっとこらえて職員さんは告げる。
「本日の依頼はこれで終了になります。お疲れ様でした!」
俺とエギスはどこか釈然としないものを感じながらも、報酬を受け取った。遅れてリーエルも職員さんから報酬を受け取る。
「大丈夫かな……?」
「ああ、たぶんな。まあ、問題があったらまた向こうから呼ぶだろう」
日は丁度落ちてきて、街の紅を漆黒へと塗り替ええていく。
もう、外にいるには不適当な時間だろう。今日は一日肉体に負荷をかけていたのだ、早めに休んだ方がいい。というか休みたい。
「さあ、帰ろう」
「……そうだね、ヒロ!」
俺の声に内包された疲れに気付いたのか、エギスもそのまま何も言う事なく冒険者ギルドに背を向ける。
「ああ……」
「大丈夫? 負荷をかけ過ぎてない?」
「まあ大丈夫だろう。明日に影響するほどではないと思うしさ」
そんな風に話しながら進む帰路の中、突然こんな声が聞こえた気がした。
「……これで準備が整ったさ」
なんとなく首だけを動かしてそちらの方を見てみたが、そこには夜闇に飲まれつつある路地が見えただけだった。
「どうしたの?」
エギスにはその呟きが聞こえなかったらしく不思議そうに訊いてくるが、俺は何も分からなかったし、気のせいだろうと首を横に振る。
「いや、なんでもない」
そうして俺は、今度こそ本気で帰路をたどり始めたのだった。




