元勇者、リハビリに励む
数日経って。
「おはようございます、ナオヒロさんエギスさん」
「おはよう、ございます……」
ここの所習慣になりつつある、兄妹との挨拶を交わしつつ俺とエギスは冒険者ギルドへと入っていった。
「ヒロ、今日はどうする?」
「そうだな……今日も軽目で、でも負荷はかけて行こうかな」
話の内容は、依頼の難易度……ではない。
体の大部分を回復薬で再生した者向けの、リハビリとミヒャエルの手合わせに向けての調整だ。
身体欠損レベルの傷を回復薬で癒した時、被治癒者には違和感のない再生……という訳には行かない。
急速に再生した組織が体になじむのに時間がかかる、というだけでなく、実際に傷ついているのを一度見ている以上、本能はその事実を忘れない。それ以上傷つかないように、出来るだけ動かさないよう本能が働き掛ける。
俺の場合は身体欠損にまでは至っていないが、全身がひどい火傷に覆われていた。なんとなく体が動かしにくいのはそういうことなのだろう。
そんな訳で、新しい組織を体になじませつつ、動かしてももう大丈夫なんだと本能に知らしめるために、軽い運動を続けている訳だ。ふとしたミスが生死を分ける討伐依頼等には行かずに。
「さて、今日はどんな依頼があるかな……?」
「ちょうど良い依頼があると良いね、ヒロ!」
という訳で、俺とエギスが覗いているのはいつもの場所ではない。
通称、『ランク外』や『分類外』と呼ばれる、ランクに関係なく受けることの出来る基本的に街の中で行われる、雑事が依頼されている所だ。
通常、これらは緊急で人手が必要になった職場の力仕事目当てで依頼されるため、俺のようなリハビリ目的の者にとってはちょうど良い負荷になることが多い。
「これにするか……。どう思う、エギス?」
俺がエギスに示したのは、冒険者ギルドが依頼人の運び屋仕事だった。
どうやら、ここで買い占めてパッケージングしたものを、神跡に一番近い門にある冒険者ギルドの支部へと届けてほしいらしい。
数はそれなりにあるようなので、力仕事目的なら十分だろう。
「うん、いいと思うよ」
「よし、じゃあ行こうか」
エギスの了解を得た俺は、受付嬢に依頼の紙を渡したのだった。
そこは、冒険者ギルドの裏手にある倉庫だった。
荷物を出し入れするためなのだろうか、観音開きの巨大な扉の向こうに、ここからでもいくつもの木箱が見える。
重機というものが無いこの世界、荷物というのは人一人が持てる程度の重さにすることが普通だ。
普通の民家ほどの大きさはある倉庫に、ぎっしりと木箱は詰められている。
両手で抱えられる程度の大きさの木箱は、どうやら手前に置かれている荷車で運ぶようだった。
「どうしたのさ、ヒロ、エギス?」
そしてそこには、リーエルが先に待っていた。
「どうしたんだ、こんな所で」
「それはこっちの台詞さ。私は昨日からこの仕事をしているさ?」
そんな会話をリーエルと交わす。その間、エギスはかすかに不満げだった。
幸いな事に、荷車は複数置かれている。一台しか使えないなんていう事態は避けられそうだった。
「さて、運ぶか」
「そうだね、さっさと運ぼう?」
今日の俺とエギスそもそも街の外に出る気はなかったため、動きやすい格好で、借りた革製の手袋をつけ、汗拭き用のタオルを首にかけている。
武器も俺は『レーヴァテイン』、エギスはいつもの身長に合わせた剣を腰に提げているだけだった。
「さて……」
俺は腕まくりをすると、木箱の群れへと向き直る。
片手で一箱……のような事はしない。荷車に置くときに不安定になるからだ。
そのかわり、俺は両手で木箱を三つ重ねたまま持ち上げた。
一つの箱が五十キロくらいだとすると、百五十キロぐらいにはなるのだろうか。もちろん『トルの寵愛』のお陰でそんなに
重さは感じない。むしろいつもの巨鎚の方が重く感じるくらいだった。
「ヒロ……大丈夫? 無理してない?」
「……? 問題無いけど」
そのまま振り返って横歩きし、エギスが載せやすいように動かしていた荷車の上に載せる。
事前の説明によれば、一つの荷車に四つずつが強度の限度らしい。
もう一箱を即座に積み、積み込みは完了……
「ヒロ、待って!」
ではなかったらしい。
俺は荷車の押し手の方へと行きかけていた体を声の方向へ向け直す。
「……?」
しかし、エギスの姿は見えなかった。いや、かすかにその碧の髪がのぞいている。どうやら、荷車の反対側にいるようだった。
「ヒロ、行くよーっ!」
何を、と思うと同時、向こうから茶色く細長いものが飛んできた。
「……ああ、なるほど」
それはロープだった。つまり、荷崩れ防止用に固定しようということだろう。
良く見れば、荷車には等間隔で突起が外に向けてついていた。ここに引っ掛けてロープを折り返せ、ということなのだろう。
「エギス、行くぞ!」
俺とエギスは、そう声を掛け合いながら縦に横にロープを巡らせ、木箱を固定したのだった。
「リーエル」
そこでリーエルの方を見てみれば、彼女は積み込み準備の半分も終わっていない。
手伝おうかと声をかけたところで、リーエルから身振りで止められた。
「いいさ、こんなところでエギスに恨まれたくないさ」
「そうか?」
言葉の後半は意味が分からなかったが、当人がそう言っているのだし引き下がる。
出発の準備の終わった荷車の元に戻った俺は、ちょっと不満顔なエギスに声をかけた。
「さあ、行こうか!」
「ヒロ……、ほんとに大丈夫? 無理してない?」
俺が押すと、荷車はまるで抵抗など無いようになめらかに動く。
「ああ、問題ない。まだ全力を出しても無いしな」
エギスの心配そうな声に、俺は努めて明るい声を出した。
荷車は人が歩くのより少し遅いくらいのスピードで、セーラムの街中を進んでいる。
エギスは積まれた木箱の上に、足だけ提げて座っていた。
「ほんと……ヒロ、すごいね?」
「まあ、な」
指定されたルートは、大通りを通って行くものだった。俺が引く荷車は、昼より少し前の冒険者でも、研究者でもない一般市民の方々が一番出没する時間帯を悠々と進んで行く。
「そういえば、もうすぐ聖誕祭だね」
そんな時間が少し流れて、エギスがポツリとそんなことを言った。
やはり、一人ただ座っているだけ、というのは詰まらないのだろう。
「聖誕祭?」
そこで出てきた聞き慣れない言葉に、俺は不思議そうな声を出した。
「え、ヒロ知らないの?」
「いや、名前だけ。そういうことに縁がなかったからな」
本気で驚くようなエギスの声に、俺は慌てて取り繕う。
「そんなに忙しかったの?」
「ああ、ずっと鍛えてたからな」
去年の今頃といえば、こっちに転位してすぐだろう。こっちでの生活に慣れて行くために、勇者としての『模倣神技』に頼らない基本的な体作りをしている頃のはずだ。
「ふふ、そうなんだ……」
エギスはどことなく嬉しそうにそう呟いている。背を向けているので分からないが、荷車に揺られて上機嫌なのだろうか?
「それで、聖誕祭って誰の誕生日なんだ?」
「人間だよ」
荷車のペースを保ちながら発した俺の質問に、エギスはすぐさま答える。
「人間?」
「うん、人間という存在が神様に作られた日。色んな解釈があるらしいんだけど、当時一番有力だったものを採用したみたい」
「ふうん、人間という存在自体が生まれたのを祝う日か」
エギスのそんな説明に、俺はポツリと呟いた。神話もへったくれもない元の世界の常識では信じられない事で、なんとなく違和感を感じられる。そもそも人間が生まれた日、というのはどこを指すのだろう。新人が旧人から分岐した時点を指すのか、それともただの猿から猿人へと進化した時点を指すのか。どちらにせよ、時間をかけた環境適応の結果なので、変化したある一つの瞬間というのを特定しようとするのは前提からして間違っていると思う。
「国がこの日ばかりは祝うのを推奨しているの。毎年みんなすごいよ……っ! 特に王都のはね」
「とすると、もしかしたら王都で聖誕祭を迎えられるかもしれないな」
俺の推測に、エギスは嬉しそうに頷いた。
「そうだね、だから早く魔物襲撃の理由がわかるといいなあ……」
「ああ、楽しみだな」
そんな話をしながら、俺とエギスは冒険者ギルドと支部の往復を続けた。