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元勇者、二人で記憶に残す



 そうして。


 「もうそろそろだね、ヒロ!」


 「ああ、もうすぐ始まるな」


 時刻は午後六時、ちょっと前。


 一番乗りのおかげで最前列中央に座ることが出来た俺とエギスは、静かにそう囁きあっていた。


 その言葉に導かれたように、ステージの中央へ袖から一人の男が歩いてくる。


 夜六時といば、まだ真っ暗とまでは言わないが、微かな太陽の残滓が残るだけで、お互いのステージの上にいる人間の顔は判別できない。


 当然の帰結として、その男はランプを持っていた。


 コン、という足音が止まると同時、観客のざわめきが消え、完璧な静寂が訪れる。


 「レディースアンドジェントルメン! 今宵は、我が『劇団詩季』の公演に来て頂き、まことにありがとうございます。我が劇団は、世界に唯一の素晴らしき劇を皆様方にご提供することを保証致しましょう。……それではごゆるりとご覧ください」


 そう言って、まるで手品のように、その男はランプごと消え失せる。


 観客にざわめきが生まれる中、エギスが俺に訊いてきた。


 「ねえヒロ、こんなに暗くて大丈夫かなぁ?」


 しかし、俺はおそらく同郷人である劇団長のやりたいことが、おぼろげながら分かっていた。


 元の世界ではさほど珍しくない、しかしこの世界では、魔法の発達していないこの世界では珍し過ぎるほどに珍しい、その手法に。


 「問題無い、エギス。見てな、きっと凄いことが起きるぞ?」


 次の瞬間。


 最前列に陣取ったからか、俺の耳にに微かな呟きが響いてきた。


 まるで、人を魅了する艶やかな踊りを想起させるような、美しき旋律が脳裏に浮かぶような、眩い光が全てを照らしていくような。


 「Apollon」


 「Polyhymnia」


 「Belenus」


 それは、とある神話では芸能神とされ、竪琴の音を奏でる神格、アポロン。


 それは、音楽と詩を司るMuse九姉妹が一人、賛歌を守護る神格、ポリュムニア。


 それは、とある神話に登場する、光と太陽を司る神格、ベレヌス。


 そして。


 眩い光が、ステージの上を埋め尽くす。


 「っ!」


 光源は、舞台の上三箇所と、観客席の後ろ二箇所そしてステージの一番観客席側の部分。


 「魔照石かっ!?」


 「あ、あんな王城でさえ一部しか使われていない貴重なものをっ!?」


 後ろの方からそんな声が聞こえてくるが、違う。よく見てみれば、光源にはそんなものなど無いどころか、なにもない空中から放たれていることがわかるだろう。


 俺は、静かに後ろを確認する。


 昼間に立てていた、高さで言えば2メートルほど上にある足場に立っている人間を。


 「ベレヌスの『模倣神技』」


 俺の、エギスとは逆の隣に座ってた初老の男性が呟いた。


 「世界をあまねく照らす太陽神の側面を強調し、指定した地点から自由に光を照射する『模倣神技』という所ですかな。こんな使い方をするとは珍しいですのお」


 つまりはそういうことだった。


 おそらく同郷人である劇団長が夢想したのは、コンサートホールだろう。ステージ上全てを強調し、視線を釘付けにする元の世界での、娯楽会場の完成形。


 組立式での会場では昼間には暗闇を作れないと踏んで、夜に公演するのもそういうことだ。


 映画で、ピアノのコンサートで、オペラの演奏会で、より美ししく、より鮮明に舞台の上のものを強調するために観客席の光を遮断するように、この世界での劇を、より強烈に、より瞭然に人々の記憶へと残すために、完全なる闇を求めてこの劇団は奔走してきたのだ。


 清らかな、温かみさえかすかに感じさせる光明が、真っ白に消し飛ばしたステージ上が、やっと暗闇を塗り潰す明かりに慣れた観客の目に浮かび上がる。


 計算されたように、最良のタイミングで、バッグミュージックが流れてきた。


 それは、おだやかな曲調をベースとし、この光という不可思議現象に揺らぐ観客の心をなだめ、穏やかにし、静かに、まるで精神に直接語りかけられているかのように、その視線をステージ上に固定させる。


 「ポリュムニア」


 はたまた、初老の男性が呟いた。


 「詩歌を司るミューズ九姉妹の中で、最も強く歌……賛歌の主語を権能とするもの。その伝承に基づいて、音楽の持つトランス性などの、人に働き掛ける効果を補強・増幅する『模倣神技』というところですかな?」


 そんな、お膳立てされたステージ上に、やっと人物が現れる。


 そこに想起されるは、絶世の美女。


 姿形だけなら、絶世、とまでは行かないだろう。しかし、一動作が、一仕種が、観客の脳裏にそこまでものイメージを暴力的にまで叩き込む。


 それは、彼女の演技が完璧過ぎるのか。


 それとも、それ以外のお膳立てされた状況がそう見せているのか。


 しかしどちらでも構わない。それが両方の複合であれ、第三の理由が存在したのであれ、たったそれだけで観客は、その劇の中に引きずり込まれたのだ。


 男だけではない。女性も、嫉妬することさえ忘れて、ただ感嘆の息と共に彼女の動作に飲み込まれるように劇だけしか考えられなくなっていく。


 初老の男性の、独り言のような囁きは、おぼろげながらにしか感じられなかった。


 「芸能神アポロンの側面を強調した、演技の効果を最大限以上にまで発揮させる『模倣神技』……。それは、言葉に出さなくとも動作が精神に直接語りかけるが如く、圧倒的な強度をもって瞬時に伝播させる、という訳ですかのお」


 そして、その絶世の美女女優を十分に観客へと印象付けた後、物語は始まっていく。






 昔々、とてもとても美しい女性がおりました。


 その女性は、自分が愛し、自分を愛してくれる男と添い遂げることに成功したのです。


 しかし、彼女と、男の悲劇はそこから始まりました。


 彼女の美貌に、彼女は男と添い遂げたというのに、彼女を自分の物にしたいという者どもが、大量にいたのです。


 その国の時の王も、その中の一人でした。


 王は、考えます。


 「ふうむ。彼女を手に入れるのに、やはり男は邪魔だな」


 ある時、王は名案を思い付きました。


 「男には、消えてもらう。直接手を下せば、いつかばれるかも分からない。勝手に野垂れ死んでくれるように仕向けなければ」


 そして、王は男を呼び付けて、無理難題を言い付けて、海の向こうへと送り出します。


 「必ず帰ってくるから」


 「うん、待ってる」



 彼女と男の間にそんな約束が交わされたのを知ったか知らずか、送り出して早々に、王は彼女にアプローチします。


 しかし、やはりというべきか、彼女は首を縦に振るはずがありません。


 さらに、男がいなくなったと聞いて、彼女を手に入れたいと思う他の者達も次々に彼女へと愛を囁きます。


 しかし、彼女は頑として首を縦には振りませんでした。


 そうして、数年が過ぎました。


 王が彼女に告げた、偽りの帰還予定を過ぎても、男は帰って来ません。


 有象無象たちも、男は死んだのだ、再婚するのなら今のうちだと彼女に言い寄ります。


 ついに。


 ついに、彼女は言いました。


 「ここに夫の弓があります。柄を抜いた斧を、順に二十並べるので、それを夫の弓から放った一矢で射貫いた者を、わたしの次の夫にいたしましょう」


 その挑戦に、彼等は待っていましたとばかりに飛びつきました。


 いざ射てやろうと、弓を引こうとしたところ、しかし弓弦はびくともしません。


 次々と彼女を求めるものは脱落して行き、最後には誰も為すことが出来ませんでした。


 それでも諦めきれず残っていた者達は、基準が下げられるのでは無いかと思い笑顔を浮かべます。


 その時でした。


 全身を汚れた服で包み、ボロボロのマントで顔を隠した浮浪者が、会場に入ってきました。


 「……」


 彼女は、静かに顔を上げます。


 浮浪者の身なりを見て、彼等は指をさして笑います。お前なんかに出来る訳が無いだろう、といった意味合いの言葉がいくつも投げ掛けられました。


 浮浪者は弓を手にとると、今まで誰にも引けなかった弓弦を軽々と引き絞り、たった一矢で全ての斧を射貫くと、勢い余ったその矢は何人かの不届き者の胸を貫きました。


 しん、と会場が静まり返る中、彼女だけが涙さえ流さんとばかりの笑みを浮かべて立ち上がります。


 浮浪者は……いいえ。男はボロボロのローブを脱ぎ捨てると、不届き者達に宣言しました。


 「我こそがこの館の主であるっ! 我の不在の間に、妻を狙うとは何事かっ!!」


 男は逃げ遅れた者を皆殺しにしてしまいました。


 そうです。


 男は王の計略を跳ね退けて、幸福を再び手に入れたのです。


 それから王が彼女に手をだす事は決してなく、二人は幸せに暮らしたのでした。












  ◆  ◆








 幕が閉まると、一瞬の静寂の後に拍手の嵐が巻き起こった。


 感動に打ち震える観客は、いつまでもその余韻に浸っていたいと、その席を立とうとしない。


 ベレヌスの『模倣神技』で再び照らされたステージの上、再び挨拶をした男が現れた。


 コツ、コツ、と足音をさせて。


 「我が『劇団詩季』の公演はいかがだったでしょうか? ご満足いただけたでしょうか? 帰りには貸出用のランプを用意しております。どうぞお怪我のないようにお帰り下さい」


 その声に始めて、俺はすでに周りが完全に真っ暗になっていることに気付いた。


 月明かりと、ぼんやりとしたランプの光だけが照らす、完全なる夜。


 そんな事を考えながら、少し意識を外した瞬間、やはり男はステージの上から消え去っていた。


 ステージの上を昼間と見紛うばかりに照らしていた、ベレヌスの『模倣神技』が消え去っていく。


 未だ暗闇に慣れていない目は、ほんの少しの距離しか見通してくれない。


 「……凄かったね、ヒロ……。『模倣神技』にこんな使い方があっただなんて……」


 「ああ、目から鱗だな」


 そこで俺は、羽織っていた上着を脱ぐ。


 いくら温かいといっても、夏のように暑さが残っている訳ではない。どことなく肌寒い、と感じることもたまにある。


 「エギス、寒くないか?」


 「あ……、うんヒロ、ありがとう」


 エギスに脱いだ上着を渡すと、暗くなって細かな色彩は分かりにくいが、エギスははにかんだようだった。


 席に浅く座り直し、エギスは袖に腕を通さないで、俺の上着を羽織る。


 その間にも、他の観客達は夢から覚めたように出口へと歩き出していた。


 「ねえヒロ」


 「なんだ?」


 エギスはその蒼く美しい目を、暗闇の中でもはっきりとわかるほどに輝かせて、俺を見つめてくる。


 「今日、付き合ってくれて……ありがとう」


 それは。


 俺が、今まで経験したことのないほどに幻想的だった。


 「ああ、俺も暇だったし、エギスに誘われたら断れないだろう」


 とても……。エギスの動作に、俺は惹きつけられていたからだろうか。


 「ねえ、ヒロ。一つ聞いて良い?」


 いや……。エギスがきっと俺にしか見せないだろう、と思える、そんな表情をしているからだろう。


 「ああ、どうした?」


 そんな、心から浮かべるような、無警戒の、どうしようもなく愛しく思えてくるような表情で……。エギスは訊いてくる。


 「また、一緒に行ってくれる……?」


 その問い掛けに。


 心地良い信頼の上に成り立った、エギスと俺の、不思議な関係をまた硬くするような、そんな声に。


 俺は、心からの声を直接、ほとんど無意識と変わらない内にエギスへと伝えた。


 「もちろん」


 その言葉に、エギスは言い表すことなんか出来ない、今日見た中で一番の、一生忘れられないだろう笑顔を、俺に見せた。


 「さあ、帰ろう。ちょっと名残惜しいけどな」


 「そうだね、ヒロ。でも大丈夫、また来れば良いんだから」


 そうして、俺とエギスは笑い合ながら立ち上がった。



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