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元勇者、突然の誘いに頷く

 「……朝か」


 俺は、宿屋の割と固いベッドの中で目を覚ました。


 時刻はおよそ6時ごろ。


 こっちに転位してからずっと、基本的には騎士団団長(ミヒャエル)の所で俺は寝泊まりしていた。


 騎士団と言っても、元の世界で言えば軍隊だ。毎日の訓練があるため、規則正しい生活が強要される。


 といっても、こっちにはスマホも宿題も無い。明かりも基本的には油ランプの世界なので、夜更かしする文化はあまり根付いていなかった。


 夕方の訓練が終わり、水浴びをしてからランプの光で夕食を食べれば、あとは自室に篭ることになる。


 燃料は一週間ごとに補充されるから、無駄遣いはできない。そう考えればその時間帯にやれることは少ないし、そもそも疲労ですぐさま眠りこけていた。


 就寝時間は9時やそこらだっただろう。


 そんな訳で、当時6時起床というのは全然きつく感じなかった。


 その生活を一年続けていたら、いつの間にか6時起床は習慣になってしまっていて、自然に目が覚めてしまっている、ということに最近気付いた。


 とりあえず、と俺はベッドから降りて立ち上がる。


 「ええと……」


 リーエルとの『護衛』依頼は昨日終わっている。Srp.巨大型(ジャイアント)突撃の古巨角牛(チャージオーロックス)・変異種と戦った後、俺達は冒険者ギルドに帰って新しいルートを開拓したこと、そして『遺物(リメーン)』を持ち帰ってきた事を報告し、リーエル依頼の『護衛』依頼を俺とエギスのパーティーが達成したことを報告した。


 それから、昨日は大きな依頼を達成したから明日は依頼を受けずにゆっくりとしよう、とエギスと話して、この宿屋に戻ってきたのだ。


 「だから、今日の予定は未定、か」


 俺は寝汗を吸ったシャツを脱いで、新しいものに着替える。


 それから、タオルを首に巻いて部屋を出た。


 「さて」


 俺は宿屋の裏口から外に出る。そこにあるのは、宿泊客用の井戸だ。


 まだかろうじて日の出前の時間帯に、俺は井戸へと到着する。


 滑車に吊されているバケツを井戸の中に落として、水を汲み上げる。


 「やっぱ汚染されてない水は美味いな」


 一口飲んでから顔を洗うと、大きく伸びをして、軽くストレッチを行う。


 「ようヒロ、今日も精が出るな!」


 「ああ、やってくか?」


 「遠慮しとく、慣れないことやってどこか痛めたら面倒臭えからな!」


 そうこうしていれば、皆が起き出してくる時間帯だ。


 この世界は、前述の通り夜……というか日没後に長い間起きてる習慣はあまりないから、日の光を有効に使おうと日の出前後には起床する。


 同じ宿屋にとまっている冒険者とそんな会話を交わしてから、俺は朝食を摂りに建物の中に戻った。


 「あ、おはようヒロ」


 「ああ、おはようエギス」


 この宿屋の一階は、ファンタジー世界のお約束のように、飲食店、というか酒場になっている。といっても、朝昼から酒を飲むやつなんてあまりいないが。


 朝はほとんど宿の宿泊客専用、昼夜がこの店の本当の掻き入れ時だ。さらに、部屋代に食事代は含まれていない。搾り取る気があからさまに見えるが、どこの宿屋もこんなものだ。日本とは常識が違う、と考えればすぐに納得してしまう。


 まだ人が来るのには少し早い時間帯、エギスは既に酒場のテーブルで俺を待っていた。



 適当に料理を頼んで運ばれて来るのを待つ間に、俺はエギスへと確認してみた。


 「エギス、昨日の話だと今日は依頼を受けないで休日にするってことだったが、実際どうする?」


 「うん……。えっとね、ヒロ……」


 その言葉に、エギスは少し口ごもった。どこかはにかむように顔を微かに朱に染めている。


 何かを言い出そうとしてもじもじしているエギスを見て、俺は催促する事なくただ静かに待っていた。


 「ひ、ヒロには今日予定はあるの……?」


 やっと勇気を出して言うことに成功したエギスに恥をかかせないよう、俺は少し食い気味に答える。


 「いや、特には無いけど……」


 そもそも、俺はこの辺りを全然知らない。冒険者ギルドへの道は何度か往復したが、それ以外はまだ探索できていないということになる。


 強いて言えば、その探索をしてみる、というのがぼんやりと考えられる予定だが、そんな物はあってもなくても構わない。エギスの誘いを断る程のものではない。


 「だったら……、ヒロ……」


 再び、俺が見惚れそうになる、いじらしく、可憐でどこかはにかむような表情で、エギスは少しの間の後に言った。


 「わたしと一緒に、劇を見に行かない?」


 その言葉は、俗に言うデート、と捉えて良いのだろうか。


 どちらにしても、俺の答えは決まっている。


 「ああ、もちろん」


 呼応するように、エギスの言葉に続いて放った俺の言葉に、恥ずかしそうに、そして不安そうだったエギスの表情が一気に和らいでいく。


 そして最後には綻んだ表情になり、とても、それは俺が今まで見たことが無いくらいにまでその表情を緩ませて、エギスは嬉しそうに告げた。


 「うんっ!」








 丁度そこで料理が運ばれて来たので、一旦朝食を取ってしまう事になった。


 「でも、今セーラムに劇団が来てたんだな。知らなかった」


 「うん、わたしも昨日知ったの。なんでも最近出来た劇団なんだって。ただ……」


 少し俯いて、不安そうな声を出すエギスに、俺は優しく先を促した。そんな事では怒ったりしない、という気持ちをエギスにそれとなく伝わるように。


 「ただ?」


 「ただ、講演がいつ始まるかが分からないの。ちらっと、今日やるらしいってことを聞いただけで……」


 どうやら、エギスはそれだけしか分かっていないのに、きちんと行けるか心配らしい。


 ならば、と俺は一瞬の黙考の後にエギスに言った。


 「でも、場所は分かっているんだろう?」


 「うん、東の大広場だって」


 帰ってきたその言葉に、俺はエギスを安心させるように微笑みかけながら告げる。


 「なら、今からそこにいって劇団の人に開始時間を聞いてこよう」


 この世界のこういう劇団とかは、基本的に世界中を旅している。なので、何年かに一度来る程度で、こういうときの作法についてはみんな慣れていないようだった。


 俺は元の世界で映画館とか劇に何度も行っているので、慣れていないことも無い。


 「それで良いの……? 劇団の人怒ったりしない?」


 それでも不安そうに俺へと確認するエギスだったが、俺の次の言葉を聞いて頷いた。


 「大丈夫だろう、向こうとしても来て欲しいんだし」


 「あ、そっか……」


 ようやく納得したように、安心したような声を漏らすエギスを見て、俺もなんとなく嬉しい気持ちになる。


 「じゃあ、とりあえず東大広場に行けば良んだね」


 「そういうことになるな」


 もうそろそろ朝食のピークタイムになってきて、酒場に人が満杯になり始めている。


 俺の肯定を楽しそうに確認したエギスは、少し立ち上がりつつ俺に伝えた。


 「じゃあ、30分後に酒場の前で集合しよう!」




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