元勇者、新たな力を以って天才をねじ伏せる
神々しく、しかしどこか居心地の悪い、消し飛んだような白い空間に、冒険者の足音が響く。
コツン、コツンと連続して響く音は、真っすぐに遺物を目指していた。
何の気負いもなく、自然体で進む冒険者に、Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種は静かに顔を上げる。
それに気付いたはずの冒険者だったが、歩みを止める事はない。
牛。
それは、ある宗教では神獣として扱われ、神と同一か、一つ下くらいの存在と崇められ、食用を禁じられている存在となっている。
つまりは、神の如き力を持つ、神の下につく存在と考えられている訳だ。
「モ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッ!」
エギスから50メートルほど離れた場所にいる古巨角牛は、その体を冒険者へと向け、殺意を以って敵を認める。
そこで初めて、冒険者は、……いや。エギスは、かすかな呟きをそっとその唇に乗せる。
「Aigis」
瞬間、使用者をあらゆる状況から守りきる、絶対防御の鎧が彼女の体に纏われる。
それに気付いたか気付いていないか、何か小細工をしたとしてもその上から叩き潰さんとばかりに古巨角牛は、その全長20メートルを超える巨体中の筋肉を膨らませて前傾姿勢を取る。
普通の牛の、およそ10倍の体躯を持つとし密度も同じと仮定するならば、推定される体重はおよそ1200トン。
もちろん、肉牛との推定では信頼性が低く、また魔物化、神跡変異、巨大型、変異種等々の要素が関わってはいるのだが、ヒロのように辛うじて避けて引っ掛けられただけ、ならともかく、直撃すれば即死は免れないだろう。
なにしろ、1200トンに及ぶかもしれない重さが、目には捉えられない速度で動くのだ。
とすれば、古巨角牛との直撃は、リニアモーターカーとの衝撃に届くかもしれない。
そんな巨重をもつ古巨角牛が、即死の突進を行う、まさに直前。
再びの可憐な呟きが、エギスの唇から放たれる。
「Aigis」
まるで清純な儀式の式句から一部を取り出したような澄んだ響きは、エギスの意思に従って絶対防御、その鎧の性質を変えていく。
そう。
攻撃性をも兼ね備えた形へ。
瞬間、まさに駆け出そうとしていた古巨角牛の前足が石化する。
『蛇髪女怪の石眼』。
Perseusに討伐された、Medusaという名の、生きた蛇を頭に生やし、青銅の手を持ち、黄金の翼をもつ存在Gorgoのもつ能力の一つ。
その眼で見た者を、石へと変えるその首が付けられた聖楯『アイギス』を模倣し、古巨角牛を石化する!
と言っても、あくまでこれは『模倣』、オリジナルのように全身を石化するのではなく、体の一部を、時間経過で解ける石化に至らせる事しか出来ない。
しかし、今回の場合はそれで十分だ。
まさに突進を行おうとした瞬間、力を込めるべき前足が重く、動かなくなったのだ、それは古巨角牛がバランスを崩すに足る要因と言えるだろう。
結果的に、古巨角牛はその後ろ足での踏み込みが仇となって、つんのめったように、凄まじい勢いで背中から地面に叩き付けられた。
叩き付けられても前進する勢いを殺しきれなかった古巨角牛は、エギスの目の前にまで滑ってくる。
しかし、エギスはそのまま間合を詰める事なく距離を取った。
古巨角牛が、その痛みによってのたうちまわるからだ。
「ヒロ、まだ駄目さ」
古巨角牛が背中から叩き付けられたのを見て『レーヴァテイン』を放とうとした俺に、リーエルの声が突き刺さる。
「っ!」
集めかけてた魔力の制御を放棄して、そのまま無為に拡散させ直す中、俺は依然聞いたエギスの言葉を思い出していた。
エギスは王都で確かに言ったのだ。
『魔人は基本的にこんな所に出てこないよ。もし出てきたとしても、逃げる時間くらいは稼げるから大丈夫』と。
魔人と、魔族と相対して時間稼ぎが出来るとは、どんな誇張だと当時の俺は思っていたが、しかし納得せざるを得ない。
おそらくSランクに届く魔物を、単身であしらっている光景を見れば。
「これが『絶壁』、依頼主を完全に守りきるギルドのエースか……負けてられないな」
俺の呟きの直後、リーエルの助言が示すものが到来する。
「モ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッ!」
とてつもない怒号が空気を震撼させた。
古巨角牛の咆哮。体の大きさ故に大きな肺から、決して人間には出し得ない音量で放たれた雄叫びは、音響兵器のように大部屋の中で反響し、人間の頭脳では処理出来ないほどの情報となって俺達の耳へと雪崩込む。
「……ちっ!」
一瞬、意識が飛んだ。
ぐらついた体の制御を慌てて取り戻し、転びそうになっていた体のバランスを安定させる。
エギスも額に手を当てて、大音響のダメージをやり過ごしているようだった。
エギスは俺よりも古巨角牛との距離が近かったから、鼓膜の破裂や難聴化が心配だが、『アイギス』があれば大丈夫だろうか。そこは信じるしかない。
だが。
状況は、それだけでは終わらない。
いつの間にか、いや大音響で俺達の監視の眼が途絶えた間に、古巨角牛は既に立ち上がり終わっていた。
そして古巨角牛が現在狙っている存在は、大音響の衝撃から抜け切らず、未だフラフラしている状態だ。
これ以上の好機など、ほとんど存在し得ないだろう。
よって。
瞬間、古巨角牛は突進の用意を刹那の間に完了させる。
そして、リーエルが告げた。
「今さ」
俺はそのこえに呼応して、全力で長剣『レーヴァテイン』を鞘の中から解き放つ。
「Levatein」
瞬間、大部屋の中に気持ち悪いほどに漂う魔力がどうしようもないほど充満した。
範囲は俺よりも前の空間全て。エギスに攻撃しようとして既に方向転換など出来ない古巨角牛の、移動先の全てを埋め尽くすように終焔の準備を完了する。
「きゃっ!!」
エギスに突進が直撃し、暴風が荒れ狂う。
それが早いか否か、エギスが古巨角牛から距離をとることが引き起こしたかのように、終焔は柱のように燃え上がる。
頑丈な神跡の壁にひびを入れて激突し、力無く落下するエギスの位置は、未だ配置された魔力の中だ。
(巻き込まないっ!)
全てを終焔の中に飲み込み滅ぼそうとする焔を、全力で制御する。
エギスの周りにある魔力には着火しないよう、魔力の焔の密度を調整し、古巨角牛の周囲にだけ焔が集まるように誘導する。
古巨角牛を燃やし尽くすに恐らく必要な1秒が、とてつもなく長い。
そこで、この極限状態において、その言葉が降って湧いたように不思議と頭の中で再生された。。
『『模倣神技』はあくまでも『模倣』であって、適正があれば使える、神々そのものではないのですよ』
それは、神話研究家トマス・ニーベルンゲンの言葉。『模倣神技』の神威性を否定する専門家の言葉に、俺は制御の可能性を確かに見付けた。
「ああああああああっっ!」
叫んで自分を鼓舞する俺を支えるのは、たった一つの信念。
エギスの笑顔の為にと俺は制御の中でその方法論の捜索を思考し続ける。
そして。
脳が焼き切れそうなほど限界の思考の先に、俺は光明を手に入れた。
「……!」
直感的であるが、焔の動きの大まかな傾向を掴むことに成功したのだ。
無秩序に広がろうとしていた終焔が、内に秘める凶悪性はそのままに、意思にしたがって燃やすかのようにその範囲を形作っていく。
全く予想も着かなかった濁流の流れを堤や溝を使って誘導するように、今までぼんやりとしか出来なかった範囲指定は、細かいところまで出来る精度にまで昇華されたのだ。
不意に、終焔は虚空へと消える。
さっきまで猛々しい焔が支配していた空間には、もう何も残っていなかった。
「……っ、はぁ、はぁ……」
集中の糸が途切れて息も絶え絶えになった俺は、急に力が抜けたかのようにへたりこんでしまった。
そんあ俺を無視して、リーエルはゆっくりと歩き出す。
「ああ……」
向かう先はもちろん、リーエルの求めてやまない……遺物、その場所へだ。
まるで、そこに安置されてるかのように、大部屋の最奥に存在するのは、腰より少し高いくらいの高さを持った石柱だ。
大きさ、およそ1メートル四方の石柱の上に存在しているのは、いっそ尋常ではないと思えるほどの力を内包した……化石だ。
『遺物』。
『神遺物』には及ばないまでも、遥か彼方の昔から現存している、神代の時代の決定的証拠。
「ヒロ……」
「ああ、お疲れエギス」
地面に尻を付け、両手を後ろについて座りながらリーエルの行き先を眺める俺に、エギスもようやく合流する。
「突撃の古巨角牛との衝突のダメージはもう良いのか?」
「うん、『アイギス』があるから大丈夫。あの咆哮にびっくりしたけどね」
びっくりした、ということは咆哮自体は聞こえていたようだ。もしかしたら、衝突によって吹き飛ばされるけれど怪我はしない、と同じように、あの大音量はそのまま聞こえるけれども鼓膜が破れたりはしない、という風に『模倣神技』の処理がされているのかもしれない。
「なら良かった」
俺がそう応えると、エギスは俺の横で腰を下ろす。
「それよりも、凄かったね、ヒロ」
「ん、何がだ?」
反射的に聞き返した俺に、エギスはどこか嬉しそうに言う。
「ヒロの『模倣神技』だよ。きちんと突撃の古巨角牛だけを燃やしてた」
「ああ、そうしないといけなかったからな」
俺の言葉に、エギスはふっと微笑むと、少し小さい声で、しかし確かに言った。
「ありがとう」
俺はちょっと気恥ずかしくて、エギスの方を見れないままにこう答えるしかなかった。
「ああ……。……どういたしまして」
それで良かったのかもしれない。きっと、俺の顔もエギスの顔も赤く染まっていただろうから。
「どうしたのさ」
そこに丁度リーエルが帰ってきた。その手には、大事そうに石を握っている。
その石には、明らかに異なる一条の線が入っていた。
「それが……?」
「ああ、『遺物』さ」
エギスも見るのは初めてなようで、まじまじと覗き込もうとするのを、リーエルが押し止める。
「とりあえず、神跡から出るのが先さ。街の中なら、いくらでもみるからさ」
「ああ、そうだな」
「わかった……」
リーエルの言葉に賛同した俺とエギスは、踵を返して来た道を戻り始める。
「そういえば」
歩きながら、『レーヴァテイン』の手応えを思い出していた俺は、ぽつりと呟いた。
「……何で、あの時都合よくトマスの言葉が浮かんだんだろうな……?」
少しの違和感を感じた気がしたが、やはり口に出してみれば偶然だと思って、俺はそれを忘却の彼方に追いやった。
「どうしたの、ヒロ?」
「いや、なんでもない」