元勇者、強烈な気配の主へとたどり着く
「あれは……」
溶かした壁を進んだ先。分かれ道のない、迷うべくも無い一本道を進んだのその先に。
それは、存在した。
大部屋は。
それは、不純な、徳の積みきれていない人間にはいっそ痛いほどに突き刺さる、極光の純白があふれる部屋であった。
『模倣神技』。
神の力の一端を、模倣し操るなどという、傲岸不遜な人間を、愚かな者と一蹴するような雰囲気に塗れたその空間。
白に白塗りされすぎて、その部屋の大きささえはっきりとは分からない。恐らく10メートル四方という縛りはなくなっているとは思うが。
そこにいた、気配の正体は……。
「あれは……突撃の古巨角牛か……っ!?」
「そうだけど……、突撃の古巨角牛はあんなにも大きくないし、体毛も白くないっ!」
俺とエギスの言葉に、リーエルはいや、とかぶりを振って、戦慄するように呟いた。
「いや……。前遭遇した時は、こんなにも大きく無かったし、角もここまで立派じゃ無かった。巨大型な上に変異種なのか……?」
◆ ◆
Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種。
すでに、通常種と離れすぎていてランクは分からないが、少なくとも軍隊級に届いているのは間違いない。
同ランク冒険者でもなければ、騎士団みたな軍隊が出張らないと討伐が不可能なレベルの魔物ということになる。
「……巨大型の変異種っ!? マジか!」
「でも倒さないとっ!」
「ああ。行くぞエギス!」
「うんっ!」
「え、逃げるって選択肢はどうしたのさ!」
敵の前で悠長に話している時間はない。リーエルの言葉を軽く受け流して、俺とエギスはその古巨角牛へと向き直る。
いや、その表現は正しいのだろうか。
全長20メートル以上。高さは少なくとも10メートルはあるその魔物には、向き合う、対峙する、なんていう言葉は恐らく似合うことはないだろう。
蟻……とまでは言わない。人間から見れば、生まれたばかりの子犬を見て、脅威と思う人はいないだろう。
巨角牛にとっては、ただそこにいるだけなのかもしれない。
「Aigis」
エギスがそう呟くと共に、俺も全神経を集中させる。
Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種を見極めようとする。
古巨角牛のシルエットは、筋肉質な牛だ。乳牛や肉牛などという、太らせれて食われるために従順になった家畜とは違い、群れて一人辺りが襲われるリスクを減らしつつ、全力で走り捕食者から逃げ延びる、野性の牛の本来の姿だ。
先史時代、現代よりも遥かに生存競争の激しかった時代の、姿形を借り受けた姿はまさに壮観。
太く、俺の顔の辺りまでぶら下がる尻尾。筋肉質で、走るのに敵した足。それらを動かす筋肉を収納する胴。そして、内側に緩く湾曲するように生えた左右の角。
全て真っ白に染まるが、部屋自体の色とはかすかに違うために判別可能な古巨角牛を見据えた俺は、終末の到来を告げた。
「Levatein」
禍々しいとさえ言えるかもしれない、多大な魔力が渦巻いて行く。
それから焔の現出までの短い間に、巨大な魔力反応に気付いたのか古巨角牛が動こうとする。
瞬間、強烈な悪寒が俺の体を貫いた。
「……っ!」
咄嗟に『レーヴァテイン』の制御を放り出して、『雷神の重鎚』と同じように足へ力を込め、右方向へと緊急回避を行う。
直後、あまりにも大きい質量を持った物体が、とてつもない速度で隣を通った時のような風が俺の体を直撃した。
例えるなら、ホームの端に立っていたところに、新幹線が通過して行ったかのような。
「がっ……!」
「ヒロっ!?」
咄嗟に走っていてバランスの悪いところに、そんなものを食らった俺は、もんどり打って倒れてしまう。
「っ!」
何が起きたのか、体を起こしながら後ろを振り返った俺は、唖然としてしまった。
てっきり古巨角牛が、何かを飛ばして攻撃して来たのだと思った。
その衝撃で、吹き飛ばされたのだろう、と。
だが違う。
動いたのは、Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種それ自体だったのだ。
「ちゃ、突進なの……?」
リーエルが呆然としたように呟く。
「見えなかった……。ヒロ、気をつけて?」
白の背景のせいで距離を認識しにくいが、さっきまで俺が立っていた位置の30メートルほど背後に古巨角牛は移動している。
立ち上がった俺は、そんなエギスの声を聞いて凍り付いたように動きを止めた。
「見え、なかった……?」
ギルドのエースと言われ、幾多の『護衛』依頼をこなしてきたエギスにでさえ、古巨角牛の動きは、突進は捉えられなかった。
「マジか……」
人の目にすら捉えられない速度で、あの巨体が動く。
これが、神跡の中ではなく、街の中と考えれば恐ろしい。誰にも阻止することは出来ない。
これで確定だ。
Srp.巨大型突撃の古巨角牛・変異種は、災害級。一度動き出せば、街を壊滅に導く極悪な魔物ということになる。
「リーエル、一度撤退だ」
「駄目さ」
俺の下した判断だが、しかしリーエルは明確に否定する。
さっきまでは、逃走することに肯定的だったのに、だ。
「どうして……、っ!」
その答えに、リーエルの方を振り返った俺だったが、視線の先でリーエルは、明らかに別の場所を見ていた。
「あそこに……私が今まで見つけたのと、比べ物にならないくらいの……、遺物があるのさ」
テコでも動かない、とばかりに遺物に釘付けなリーエルを見て、俺は大袈裟に息を吐く。
いつの間にか反転した古巨角牛は、その目線を俺へと向けていた。
俺のことを、自分を害する事の出来る存在だと認めたのだろうか。
「……さて」
『レーヴァテイン』は使えるか怪しい。古巨角牛が攻撃モーションに反応して、視認不可能な突進を仕掛けてくるなら、使う暇も無く叩き潰される可能性の方が高い。。
「エギス、『石化剣閃』で倒せるか?」
「頭を切り落とせれば、たぶん……。でも、あの早さで動かれたら、近づけない」
俺の問いに、しかしエギスは小さく頭を振る。
「なら、俺の『模倣神技』を使うしか無いか。……エギス」
「うんっ!」
そして下した結論は、言葉を交わさなくとも同じものだと信じていた。確信していた。
その信頼に応えるように。
ォォオオオン!
と。まるで、皮張りした金属鎧を叩いたような、やぎの鳴き声のような音が、エギスの胸鎧から響く。
アマルテイアのいなななき。
絶対認識不可能性の付与。
これで、おそらくどんな手段を用いても、古巨角牛は俺を捉える事は出来ない。
今度こそ、俺は終焔の到来を呟いた。
「Levatein」
世界さえ滅ぼすに相応しいと言えるような膨大の魔力が、渦巻いた。
エギスとリーエルを巻き込まないよう、慎重に魔力を張り巡らせていく。
古巨角牛は、俺を見失ったように、探すようにぐるぐると辺りを回っている。
(これなら行ける!)
そう確信した瞬間。
俺と古巨角牛の目が、合った。
「っっっっ!!」
とんでもない戦慄と危機感の奔流が、一瞬にして俺を押し流そうと包み込む。
俺は古巨角牛が前傾姿勢を取ったのをかすかに捉えて、一歩横に踏み出す。
ただし、それが限界だった。
「ヒロっっ!!」
古巨角牛が俺を捕捉したことをエギスも理解したのか、その声が俺に届いた瞬間、俺の体は凄まじい衝撃に曝された。