元勇者、配慮の上で不壊の壁を破る
およそ、30分程度だろうか。
まさに迷宮と言うべき分かれ道の多い正方形通路を幾多も曲がり、その気配を目指して進んで行く。
気配を辿るため、一々分かれ道で地図を確認したり、『模倣神技』で占ったりする時間すらも必要ない行軍は、いつもより何倍も早いスピードであったと言えるだろう。
進むにつれて、純白の壁素材はその彩度を次第に上げて行き、より白に、目を灼かんばかりの輝かしい純白へと変貌して行く。
そう。
どこか、神々しさでさえ感じられそうな白へと。
「……この先か」
たどり着いたのは、行き止まりの通路だった。
まるで隔壁が閉じたかのように、通路が不自然に途切れているのだ。
だが違う。気配は確実に、この先から続いている。
「わたしもそう感じる……」
エギスもそう同意する中、しかしリーエルだけが現実的だった。
「でも、今までこの神跡の壁が壊れたなんて例はない、無理矢理通るのは無理さ」
「いや」
その言葉を、俺は否定する。
「世界よりも強いものが、ある訳無いだろう」
澄んだ鞘鳴りとともに引き抜かれたるは、一振りの長剣。あたかも焔の導きのように、焔の刀文がかすかに浮かぶその長剣は、あたかも焔を統べるが如く。
総じて言えば、焔王の剣。焔の大地を掌る、南の果ての巨魔が力の象徴である。
銘を……『レーヴァテイン』。
瞬間、もはや信じられないほど多くの魔力が俺の周りに渦巻いた。
それは、秩序なく標的の周りに拡散しようとするが、何かに妨げられたかのようにその形を収束させ、歪んだ立方体を形作る。
瞬間、焔塊が現出した。
(く、そ……っ! 制御がブレる、この大きさに留めるのはキツイかっ?)
その大きさは、ギリギリ10メートル四方。
撃破の大熊討伐した時に使った最小サイズは、10メートルを超える立方体サイズだった。
それを、10メートル四方の通路に入るように、最小サイズより更に小さく制御しているのだから、どこかに負荷がかかるのに無理はない。
でも。
俺は、その無理をどうしても押し通したかった。
(別に通路の外に被害が出ることを、危惧している訳じゃない。この距離だ、この範囲だ、少しでも制御をしくじれば、融けた壁素材や何かがエギスの所に飛んで行ってもおかしくはない!)
それは避けたい。それだけは避けたい。
たとえ、結局『アイギス』で防がれるとしても。
撃破の大熊でエギスに焔が当たってしまった時、エギスは珍しく、本当に珍しく不満そうな、怒ったような顔を見せた。
エギスにはそんな顔をしてほしくない。
だから、だから……っっ!
無茶を押し通しているために荒れ狂う制御を、根性と過度な集中で押し切ろうとして、体の中で緊張が熱を持つ。
「っっっっ!」
諦めようと思う気持ちを意思でねじ伏せて、冷や汗を流しながらも極限の制御に没頭する。
そんな、ギリギリな空気を読み取ったのか。
そこへ。
染み渡るように、すっ、と俺の頭に声が届いた。
「……がんばって!」
(ああっ!)
声は出せないが、心の中でそう言うと、俺は再び長剣『レーヴァテイン』を握る手にますます力をかける。
ついに。
ついに安定した焔は、まるで遮るように立ちはだかっていた白い壁を、灼熱の輝きにて焼き切ることに成功する。
「ふう……」
空気が、暑い。
実際焔塊が出現していたのは、5秒にも満たないだろうし、実際に壁に接触していたのは1秒すらならない。
しかし、それだけでこの閉鎖空間の空気は、灼熱に熱せられているのだ。
息を吐きながら後ろへ下がる俺に、エギスは当たり前、という訳でもなく、当然だ、と反応する訳でもなく、ただ労るように、包み込むように、優しく言う。
「お疲れ、ヒロ」
それだけで俺はどこか報われた気がして、笑みを浮かべる。
「な……っ! 壊された例のない神跡の壁を……!」
オーバーなまでに驚くリーエルに、俺は思い出す。
リーエルは、高火力の焔の『模倣神技』ということ以外、俺の『模倣神技』についての詳細を知らないはずだ。なんとなく当たり前のように、『世界より……』云々を言ってしまったが、リーエルにとっては意味が分からなかった訳だ。
「中を確認して来なくて良いのか、気配はすぐそこだろう……?」
長剣『レーヴァテイン』を納刀した俺は、集中後の精神的な気疲れで投げやりにそう言う。
「……わかったさ。見てくる」
リーエルが俺の言葉に灼熱の空気の中で、その熱源へと近づいていく。
壁の断面が、酸で溶かされたガラスのように滑らかなそこから首だけ出す、のような馬鹿な真似はせずに、壁のこっちがわから向こう側を覗く。
向こう側は……。
「ヒロの言う通りだ。通路が繋がってるさ」
リーエルの言うように、ここと同じような、通路が続いている。ただ一点だけ違うのは、壁の色が白、というよりも、大量の光で背景を飛ばしたような、目に悪いとさえ感じられそうな極白なことだ。
清潔過ぎて健康に悪そうだ、と言えば良いのか。
純粋過ぎて生き難く見える、と言えば良いのか。
神聖すぎて、神域すぎて、足を踏み入れるのが正しいかどうか分からなくなる。
だが、とてつもなく強い魔物の気配が、その認識に水を差していた。
例えるなら、完璧すぎてどこか人間味のない人の、柔らかい部分を見て安心するように。
その場にそぐわない雰囲気を垂れ流す魔物に、神域の実在を疑える。
「進もう。きっとこの先に、何かがあるはずさ」
「ああ」
「うん」
リーエルの声に、俺とエギスは素直に頷いたのだった。