元勇者、セーラムの街に到着する
本日より35日間連続投稿予定です!
セーラムの街。
それが、俺がエギスと一緒にトマスを護衛し到着した、街の名前だった。
セーラムの街は、王都から数えて二つ隣にあたる街だ。森の点在する草原の端の方にある街は、魔物対策に高く頑丈な壁に囲まれている。
いつもの鎧を魔勇者に破壊された俺は、長剣のみを腰に帯びてセーラムの街の前を歩いていた。
もちろん鎧や巨鎚を置いて来た訳ではない。
馬が動ける程度に馬車へ詰め込み、残りは袋に入れて俺が背負っている。
「やっと着いたな、エギス」
「そうだねヒロ、いろいろ疲れたよ……」
俺達は、街に近づいたこともあって、警戒を緩めながら進んで行った。
目指すは、セーラムの街に入るための検問だ。
俺にとっては、ある意味感慨深い。始めて受けた依頼がもうすぐ終わろうとしているのだ。
そんな気持ちを頭の隅で考えながら、俺はエギスに提案した。
「まぁあんな事があったからな。魔人、それも魔勇者の討伐となれば本来は軍でも勝てるかわからないレベルだしな。申請すればきっと報酬金がもらえるだろうし、王都に戻るのを少し遅らせて、セーラムでゆっくりしよう」
「そうだね、そうしようヒロ!」
そこで検問待ちの列、その最後尾に着いた。そこにいた警備兵に一行の代表者の名前と訪問・滞在理由を尋ねられる。
「ええと、代表者はトマス・ニーベルンゲンで仕事での滞在のはずです」
そう答えてからエギスの所にまで戻り、俺はエギスに訊いた。俺は勇者時代ここに来たことが無かったからだ。
「エギス、この街はどんな所なんだ?」
「(ぽー)」
しかし、俺の左手にいるエギスからの反応が帰って来ない。エギスの方を見ると、右手……俺を挟んで反対側を見ているようだった。
(俺が遮らない所で見れば良いのに)
「?」
そう思いながらもエギスにならってそちらを見てみると、遥か彼方の雲の切れ間に山脈が見えていた。その頂にはまだ雪が残り、神秘的な表情を醸し出している。
(エギスは知らない場所へ行くのが好きだって言ってたから、こういう光景を見るのも好きなんだろうな)
そう思った俺は、エギスの気が済むまでエギスを眺めている事にした、のだが。
「っ! ヒロっ!?」
俺がエギスに目を向けた瞬間、エギスは顔を赤くさせ、驚いたような声を上げる。山脈ではなく俺に視界のピントがきちんと合っていたのだろか?
まるで隠れて覗いていたのを見つかってしまったかのような仕種のエギスに、俺は一言問い掛ける。
「エギス?」
「な、なんでもないよ? それよりどうしたの、ヒロ?」
「ああ、セーラムの街について教えてほしかったからさ」
挙動不審気味に話題の方向転換をしたエギスに追い撃ちをかける事なく、俺はそう訊く。誰にだって秘密にしときたい事はあるだろうし、俺だって元勇者だっていうことや、転移者であることを伝えていない。
「なるほど、わかったよヒロ」
エギスはそう頷くと、すらすらと説明を始めた。その顔はどこか笑顔で楽しそうだ。
「セーラムの街は、簡単に言うと神跡と学問の街だよ」
「しんせき?」
最初から出来てた知らない言葉に、俺はエギスに聞き返す。
「うん、神跡だよ。神話時代の遺跡、の略称」
「なるほど……。説明を続けてくれ」
俺の言葉に、エギスは嬉しそうに話を再開する。
「近くにセフィラムの神跡があって、そこの攻略で冒険者が、出土品の研究のために学者さんが集まって来て……。そんな感じで発達した街だよ」
「迷宮都市みたいな感じか。その神跡を攻略し尽くしたパーティーはあるのか?」
その言葉に、エギスは少し考えた後、答えた。
「ううん、まだ無いはず。だからヒロがクリアすれば、世界中にヒロの名前が広がるよ?」
「遠慮しとくかな。俺は別に有名になりたい訳じゃない、ただ冒険者を楽しみたいだけだからな」
「ふふっ、そうだねヒロ」
そうやって笑うエギスを見て、なんとなく俺は嬉しく、心が温かくなるような気がする。
そう思う俺の耳に、続きの声が届いて来た。
「あとは、有名な神学出版がこの街に本部を構えてたりすることかなぁ? たしか、トマスさんもそこに用があったから来たんじゃなかったっけ?」
「……御明察」
後ろでトマスがなにか呟いていたが、よく聞こえなかった。
「他に聞きたいことは……」
「エギス」
エギスが心配そうに言いかけるが、俺はその言葉に被せて押し留まらせる。
「うん」
エギスも俺の意図を察して、警戒体勢をとった。
気配を感じたからだ。こちらに殺意を向ける、魔物が現れる感覚を。
俺とエギスが見据えるのは後方、俺達が抜けてきた方向だ。
すぐに、気配の正体は現れた。
撃破の大熊。
ランクはAマイナス。全長3メートルを超す大熊で、森林の影に隠れる濃い灰色の灰色の体毛を持っている。特徴は、その体長にしても長いその腕だ。2メートル以上になる事もあるというその腕は、敵が敵の間合いに入る前に、攻撃を可能とする。平常時の森の主にして、その長い腕の一撃で冒険者の胴を泣き別れにする攻撃力の高さから、近距離戦を主体にするパーティーが戦えば、簡単に全滅するほどの脅威と認定されている。
「せっ、戦闘準備っ!」
さっき俺に代表者を聞いてきた警備兵が大声を上げる。
それは、城壁の上に詰める仲間への連絡だったのだろうが、その叫び声につられて後ろを見た検問に並んでいる商人、学者、低ランク冒険者達が混乱に陥り、今すぐ入れろ、殺す気かっ!? と検問の兵へと詰め寄っている。
どうやらここにいる高ランク冒険者は、俺達だけらしい。
「エギス」
「だめだよヒロ、ヒロは鎧が無いんだから、一撃でやられる! わたしの石化剣閃なら倒せるけど、一撃は無理! 何回か攻撃している間にヒロが狙われたら……っ!」
俺の言葉に慌てて止めにかかるエギス。エギスの声には、驚きと、それよりも多い恐怖が込められてた。
まるで、死んだら嫌だよ、と言っているように。
「大丈夫だ」
俺はエギスの心配そうな声に対して、たった一つの言葉を返す。
「どうして?」
「エギスも手伝ってくれるだろう? 二人でやれば、無傷で終われる。エギス……。手を貸してくれ」
その言葉を聞いて。
初め、エギスは何を言われたのか分からなかったかのように、ポカンとした表情を浮かべていた。
それから、段々と俺の言葉が染み入っていたかのようになり、そして満面の笑みを浮かべて言った。
「うん!」
その顔に、俺は心臓をドキンッ! と跳ねさせる。
(ああ……めちゃくちゃ可愛いなぁ本当に)
俺は顔が赤くなるのを力の限り抑えながら、エギスに指示をした。
「確かに今俺には鎧はない。でもこの長剣『レーヴァテイン』は無事だ。だからエギスは一回の攻防分だけ時間を稼いでくれたら良い。あとは……」
「ヒロの『模倣神技』が撃破の大熊を倒す。分かったよヒロ!」
俺の言葉を理解したエギスが、俺の言葉を引き継いで言う。
(まぁ、典型的な前衛後衛編成だから、理解はしやすいだろうしな)
俺は背負っていた鎧の破片が入った袋を、その場にドサリ、と落とす。地面がへこんだかもしれないが、気にしてはいられない。
「よし行くぞっ!」
「うん!」
俺とエギスは、勢いよく走り出したのだった。
◆ ◆
「Aigis」
そびえ立つ壁を背景に、神聖な儀式に使う式句の一部のようなその呟きは、広い草原の空気に溶けて消えて行く。
絶対防御。
時に主神の胸当てとして語られることもある聖楯アイギスは、使用者に傷が付くことを完全に阻止する。
「グルァァァァアアアアアアアッッッ!」
その強力な攻撃力の源である腕を振り上げて叫ぶ撃破の大熊は、エギスが近づいて来るのを威嚇する。
「行くよ」
対してエギスは、自らの剣を抜き構えつつも肉薄する。
『アマルテイアのいななき』は使わない。今回のエギスの役割は、撃破の大熊の気を引くことだ。むやみに姿を消して注意を俺に引き付けることはない。
俺は長剣『レーヴァテイン』の制御に集中する。
再現度合いを増やすということは、威力上昇の他にも精密操作のレベルが上がるということを意味している。
撃破の大熊だけを焔の範囲に収めるように、慎重に照準を合わせて行く。
その時、撃破の大熊の片腕が振るわれた。
たとえ、身体強化系の『模倣神技』の使い手でもあっても、直撃さえすれば一撃で胴を真っ二つにされる攻撃が、エギスへと迫る。
「……っ!」
無造作とも思える腕の一撃をしかし、エギスは触られる事なく躱してエギスの剣の届く範囲へと接近した。
「グァッ!」
短く吠えて警戒感をあらわにする撃破の大熊はしかし、次の瞬間腕を斬り飛ばされる。
「石化剣閃」
撃破の大熊の灰色体毛が紅く染まり、どさり、という腕が落ちる音と共にエギスの声が響く。
だが。
その気の緩んだ瞬間を狙うように、撃破の大熊は残った片腕をエギスに向かって振るう。
「え……?」
一気に剣を降り抜き、撃破の大熊と交差し終えたエギスが振り向いて見たのは、眼前に迫る灰色の塊だった。
それは、いっそ呆気ないほど簡単に、エギスの体へと突き刺さる。
ゴッッッ!!
という、爆音と共に。
(エギスっ!)
俺の感情は焦燥に彩られた。
今すぐエギスの元に駆け寄りたい。大丈夫かと問い掛けて、必要とあれば回復薬を渡して治療したい。
そんな気持ちを、理性で押さえ込んで俺は『模倣神技』の最後の段階を終了させる。
(アイギスは使用者を傷付け得るあらゆる要因から使用者を守るっ! いくら普通の鎧なら鎧ごと人体をちょん切れる拳でも、エギスの『模倣神技』だけは貫けないはずだっ! だから大丈夫、大丈夫はなずだっ!)
そして、俺はその名を告げる。
『模倣神技』、俺に似通った神話的存在の名を。
「Levatein」
瞬間、撃破の大熊の周囲に漂う魔力が胎動した。
ドグンッ、と、エギスが戦っている時に撃破の大熊の周囲にだけ配置した魔力が、気持ち悪い程にそこで渦巻いて行く。
そして、刹那の間に焔塊が出現した。
塊と言っても、それは各辺が10メートルを超える歪な立方体だ。不規則に、不安定に収縮する立方体は、結局は球へと収束しているのかもしれない。
(やっぱり最小サイズは制御が難しいな……。実戦レベルではなさそうだ)
俺がそんな事を考えている内に、撃破の大熊は終焔に燃やし尽くされていた。