元勇者、エギスのために動く
「ヒロ……っ!」
わたしはそう叫んだ。
気付けば、駆け出していた。ヒロの元に。どうしようもない感情が、わたしの中で渦巻いていた。
男は、まるで孵るかのように、ヒロの打ち込んだ巨鎚の中からでてくる。まるで、巨鎚を水に変えて飛び出てくるように。
わたしはそんな事を気にもせずに、ヒロの元へ駆け寄る。
回復薬。
ヒロは回復薬回復薬といっていたが、通称はNektar。神々がのむ、不老不死の霊酒の名だ。飲んだ者を不老不死にし、体に塗ることで鉄の硬度の肌を得ることができるとする伝承もある。
その製造法を会得した神話の存在を『模倣神技』で模倣し不完全なネクタルを作った。それが今の回復薬の元となっている。
流石に再現度合いは少ないため、飲んだだけで不老不死という代物ではない。だが、致命傷を癒すことが出来るこの薬は、日用使いとして十分すぎる効能を持っている。
わたしはヒロの傷口にネクタルを振り掛ける。本来は服用するものだが、緊急の場合はこうしても良いと聞いている。
「二人目の人間か……。めんどくさいけど、殺さないとね?」
「ヒロッ! 気付いたら逃げて……、お願いっ!」
男の言葉に、わたしはわたしの魔法を使う。
「Aigis」
アイギス。
処女神であり、戦いと知恵、技術全般を司る、Athenaの聖楯。また、べつの伝承ではZeusの防具としても語られる武具。
特筆すべきは主神の防具として選択されることもあるその防御性。絶対防御と語っても遜色はなく、また防具としては特異なことに攻撃性も兼ね備える。
わたしは、わたしの胸鎧を手で叩く。
「っ!」
ォォォォオオオオオォンッ!!
と。金属の清純な音色とも、雌やぎのいななきともとれる音が響く。
アマルテイアのいななき。
対象に対する絶対不認識性の付与。
……だがアイギスとアマルテイアには何の関係があるのか? 主格が『Aigis』である以上、アマルテイアはアイギスに連なる存在である必要があるのに。
「……?」
目の前で首をかしげる男に、わたしは心の中で思う。
アマルテイアとは、『アイギス』に革張りされた革の――そのやぎの名だ。
アマルテイア。
幼き主神を育て、時の主神より護り切った大役の雌やぎ。その角はその後、無限に実りをもたらす豊穣の角にZeusによって変えられ、その革は聖楯アイギスに感謝を以て張られたという。
つまり。
(アイギスに似通った……、つまり時代ごとのアイギスを再現できるわたしは、いくつかの形態を持つ……!)
見方によれば、わたしは複数の能力を使えるということになるかもしれない。けれど本質はいたって普通。ただ、似通ったものを再現しようと模倣しているだけ。
わたしと男は、互いに互いの能力を推測しあって対峙する。
次の瞬間、激突があった。
攻撃不可能VS絶対防御。
その戦いが、始まる。
◆ ◆ ◆
男の腕が迫る。
わたしは知っている。その腕は攻撃不可能性を宿し、あらゆる事象と物質はそれを傷付けられないことを。位の低い物質は、それを傷付けるのを忌避し、腕が触れるか否か、という所で逃げ出すことを。
でも。わたしは確信していた。
男の腕が、わたしの胸に触れる。
その攻撃不可能性が、わたしを傷付けないことを。
光も音も、何も発生することはなかった。
ただありのままの真実が、男の予想を超えて提示される。
男の腕は、わたしの胸に触れたところで止まっていた。
「っ……!?」
「(やった……!!)」
両者の声が、全く正反対に響く。
アイギスとバルドル。
神話が異なるため正確に把握するのは難しいが、それらは共に主神の息子と娘(の防具)ということになる。つまり、位階は同じなのではないだろうか?
それならば、とわたしは思う。
(攻撃不可能性は無理でも、それを転化した攻撃は防げるっ!)
極論を言えば、バルドルに主神の武器を放っても、攻撃は防がれるだろうがその武器は壊れない。位階を同じくするものかそれ以上のものは、攻撃不可能性を必要以上に恐れない。
よって、バルドルの攻撃を防ぐことが出来るのだ。
そしてここからはわたしのターンだ。
「Aigis」
わたしは再び呟く。それは、再現する時期を変えるための呪文であり、命令だ。
絶対防御をそのままに、付随する効果だけを変更する。
攻撃性を兼ね 備えた形に。
「......っ!」
男が警戒して後ろに飛ぶ。だけど問題ない。わたしを見つめている限り、この呪いは効果を及ぼす。
アイギスに関する伝承で、もっとも有名なモノの一つ。
蛇髪女怪の石眼。
PerseusがGorgoの中で唯一不死でなかったMedusaを討伐しAtheraへ謙譲、そしてアイギスに付けられた石化の魔法を持つ目。
見たものを石にする、恐ろしき呪い。
よって。
メデューサの魔眼に男の首が石へと変わる。
一閃。
傷付けるのではなく、変質させる故に通じない攻撃不可能性に、わたしの『アイギス』により鋭さと不壊が付与された剣が振るわれる。
どれだけ防御力があっても、強化された剣で石を切る程度の威力があれば必ずダメージを通す技。
『石化剣閃』
神話上に登場した技ではなく、わたしが独自に組み合わせた技。
美しき銀閃は、その軌道を違うことなく男の首を刎ねる。
「やっ!」
た、と言い掛けたところで気付く。
これでやられるようなら、ヒロがあそこまで蹂躙される訳がない。
そしてわたしは、もうその可能性を示唆されているはず...!
「ナ、メるなぁぁぁぁぁあっ!!」
既に命を失った体から怒号が響く。そして放たれる目も眩む様な閃光。
だが。
放たれたのは、死体ではなくその後ろ。直前まで何もなかったはずの空間に突如現れる人影。
その男は、首を刎ねられたはずの男とまったく同じ風貌をしていた。いや、まったく同じ男だった。
超再生でも、ダメージ分散でも、致命傷を避ける効果を持っていたわけでもない。
復活。
死なない策ではなく、死んでもまた現世に戻る策。
「僕に、勇者たる僕に傷をつけたのはほめてやる……っ! だから死ね、人間! そこに転がる人間の勇者のようにっ!!」
「勇者……? それに、ヒロが人間の勇者……?」
互いに決定打を持たない消耗戦が始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
「……ろっ! 起きるんだ、傷は治っているだろう!?」
「っ!!」
騒々しいトマスの声に、俺は目を覚ました。
「チッ! おい、あの魔勇者はどうなったっ!? 逃げ切れたのか!?」
「いいや、まだだ」
そう言って、トマスは俺にとって危険な言葉を放つ。
「エギス君が今戦っている」
「......っ」
瞬間、俺は心臓が止まったと錯覚した。
喉が詰まって、息ができない程の危機感が重く全身を貫く。
「……ダメだ……」
「なにが?」
「エギスは魔勇者に敵わない! あいつに敵うのは、新しい勇者しかいない。俺みたいな元じゃなくっ!」
俺は辺りを見回した。ここは馬車の上らしい。気絶した後、御者がここまで運んでくれたのだろうか?
抉れて穴だらけになった鎧はない。当然運ばれている時に脱がされたのだろう。着たままでは重機でも使わない限り重くて動かない。巨鎚も鎧と同じところに、奇妙な花のようにはじけて放置されていた。
「魔勇者? 元勇者? どういうことだ?」
「説明してるヒマはないっ! 俺の武器の中だと唯一長剣が無事だ、それで……っ!!」
「おちつけっ!」
慌てる俺は、トマスに一喝される。
「エギス君の『模倣神技』はアイギスの模倣だ。絶対に死ぬことは無いっ!! 良いから説明するんだ、バルドルを完全に把握しているのは私だけだろうっ!!」
「エギスが、アイギスを...?」
俺はポツリと呟いた。
「ああそうだ、君は生き残りたくないのか……!? 神話の事なら私の方が君より詳しい。解決策を見つけられるかも知れないんだ! 君はむざむざその帰り切符を棄てたいのか!?」
「……分かった」
俺はやっと平静を取り戻す。
「協力してやる、エギスを助けるために……!! そのためなら何だってくれてやる!」
「なるほど、魔族の勇者……魔勇者か。人間を絶滅させ得る存在とは恐ろしい」
「御託はどうでもいい、対策法は?」
「やはり、ミストルティンだろうね」
ミストルティン。
唯一バルドルを傷つけてはならないの原則から離れ、新しい世界での復活までバルドルを冥界に繋ぎとめた若きヤドリギの枝。
「ミストルティンで殺されたバルドルは、ラグナロクの後まで復活しなかった。いや、できなかった。つまり、ミストルティンは魔勇者の復活能力まで貫いて、直に冥界へ送ることができるはずだ」
「復活……能力? そんなものまで持ってたのか……」
「私の予想は外れた形になったけどね」
トマスと話している俺だが、思う。
「だが、今持ってない物を論じても意味がない。他にあいつの攻撃不可能性を貫く手段はないのか?」
「ない」
トマスの断定に、俺は頭が真っ白に染まりそうになる。
「だが、ミストルティンは再現不可能なものじゃない」
「相手が魔勇者だというなら、普通よりも色濃くバルドルの性質を受け継いでいるはずだ。当然弱点も。そして『模倣神技」である以上、完全再現はありえない。弱点を世界のどこかにある一本のヤドリギにするなんて効果、不可能だ」
「要約すると?」
トマスはその言葉受けて、宣言する。
「ヤドリギの枝、その辺に生えているやつで貫通する」
「っし……!! つまり、ヤドリギの枝を持って来ればいいんだな?」
ヤドリギ。
高さおよそ1メートルの常緑低樹。落葉広葉樹に寄生し、50センチ程度の株を作る植物。
そして今の場所を確かめてみよう。ここは森の点在する大草原。少し歩けばヤドリギの好む落葉広葉樹にはすぐに出会うことができる。
「エギス、待ってろよ......! あと少しだけ耐えてくれ」
俺は身軽になった体で、地面を踏み砕いて近くの森へと加速した。
◆ ◆ ◆
キンッ!
と軽やかな音を立てて、石化した左足が切り落とされた。
『石化剣閃』。
防御不可能、確実に切り落とすその一閃は、バルドルに似通う魔勇者に危機感を覚えさせるのに十分だった。
「ちっ……!」
恐らく舌を噛んだのだろう、眩光と共に蘇る男にわたしは再び剣を構えなおす。
黄泉帰り。
生と死を超越し、絶対的な力を放つものの象徴。
そんな男を相手にして、わたしは善戦していた。
男の言葉が正しければ、おそらく魔族側の勇者と考えられる存在と。
(おかしい……? 本当に魔勇者なら、私が相手になるわけがない?)
「くそっ!」
私がそう考えると同時、男はそう言い捨てる。
「らちが明かない。遠距離戦にさせてもらうよ?」
ボァアンッ!!
と。
光の熱量で急激に空気を膨張させ、その勢いを以って距離をとる男は、そこから光の束を放ってわたしを狙う。
光を、時には太陽神をも揶揄される性質を持つ『バルドル』の一撃。ヒロですら回避を選択したその光条を、しかしわたしは絶対の確信と共に受け止める。
着弾。
眩い光条は、わたしを傷付ける事無く無為のエネルギーとなって散っていく。
「あああああっっ!!」
よほど腹が立ったのか連続して降る光だけれど、わたしはもう臆さない。臆す必要もない。
魔勇者の攻撃がわたしに通用しないことを、知ってしまったから。
わたしは一歩ずつ魔勇者に近づいていく。
ボァアンッッ! と音をさせてわたしより高速で遠ざかる魔勇者にわたしは追いつけない。
膠着状態。
魔勇者はわたしにダメージが与えられないけれど、わたしも魔勇者に近づけない。
でも、それでいい。わたしは『逃げて』といってしまったけれど、きっと諦めていないはず。そう、信じているから。
「エギスッ!」
魔勇者には聞こえない、彼の声がわたしの耳に届く。瞬時にかざした左手に、飛来した槍が収まった。
ミストルティン。
バルドルを冥界に繋ぎとめるヤドリギの枝――の酷似品。
「ちっ!!」
危機感を覚えたのか、対応しようとする魔勇者より速く、わたしは胸鎧を叩く。
ォォオオオオォンッッッ!!
と、金属の反響とも、雌やぎの叫びともとれる音が空気をかける。
アマルテイアのいななき。
対象への認識不可性の付与。
……誰を?
今まではヒロとトマス達を隠すのに使っていたいななきを、つけ換えた。
従って。
ヒロの姿がベールを剥がされたかのように現れ、同時にエギスの姿が消えた。
「っ!?」
慌てる魔勇者だが、もう遅い。
次の瞬間。
「やぁっ!!」
魔勇者は、エギスによって刺し貫かれた。
◆ ◆ ◆
「エギスっ!」
「ヒロ……、ありがとう……。つかれた……」
「まだだっ!」
崩れ落ちる魔勇者に、背中を向けるエギス。
安心し、力が抜け切っている彼女は、まだ魔勇者が完全に息絶えてないことに気付いていなかった。
『ミョルニル』と同じように足の筋肉に力を込めて爆進、間一髪のところで迫り来る光条から助ける。
お姫様抱っこでエギスを抱えて空中を跳んだ後、着地した俺とエギスは、首を刺し貫かれてもなお立ち上がる魔勇者を見る。
「かひゅー、ゆるざ、な……かふー、おまえだげば、殺ず……っ!!」
死にかけでも、紛うことなき殺意を持って魔勇者は動く。
ぐちゅり、と。
自らの心臓を自ら抉り出し、まるで見せ付けるかのように心臓をかかげた。
「……っ!!」
「きゃ……!」
エギスはその事実そのものに驚いたかもしれないが、俺はもう一つの特異に目が奪われる。
それは。
心臓に禍々しく刻まれた魔法陣は。
極悪なる光を放ち、その効果を発揮する。
「ぼぐがっ……、かひゅー、今まで倒じだ……、魔物をっ、かひゅー、数億倍にじで、召喚じだのざ……!!」
瞬間、爆風が吹き荒れる。
召喚した魔物が空気を押しのけてできる風。それはまるでを木っ端のように空高くへ舞い上げる。
もしそこにトマスがいたならば、こう分析しただろう。
Einherjar、と。
エインヘリヤル。
とある神話で、主神が集める戦死者の軍群。死した者の魂を自らの館に招き、自らの手駒とする勇猛なる兵士団の名。
魔勇者のものではない。
恐らく、魔族の誰かが非常用に、と魔勇者の心臓にに施した術を、今発動させたのだろう。
「ヒロっ……!! どうしよう……!!」
上空から見る魔物の群れは、地平線の向こうまで続いていた。
もはや無限と言い換えても問題ない程の測定不能数を前に慌てるエギスに俺は言う。
「勝てるわけないっ! 勝つ前にわたしとヒロの体力が尽きるよっ...」
(魔勇者に勝ったということは、それは魔族が認識していなかっただけで、エギスの方が俺より強いということだろう……。そんなに慌てるなよ)
だが。
俺はそもそも、心配すらしていなかった。むしろ自爆じゃなくて安心したくらいだ。
「大丈夫だ」
俺はエギスに言う。
「……本当に?」
不安そうに揺れる瞳と共に訊くエギスに、俺は鷹揚と頷きだけを返す。
「ああ」
落下中にも関わらず、俺は左手一本でエギスを抱えて長剣を抜く。
そして呟くは長剣の銘。
「Levatein」
そもそも、レーヴァテインは魔法ではなく、剣だ。とすれば、魔法として使っているうちは似ている度合いが少ないといえる。
つまりは。
この長剣は、『模倣神技』レーヴァテインの高威力化デバイスという訳だ。
呟きの後、それは現れる。
焔界が。
海ではない。これはもう、炎熱の支配するMuspelheimrの現界だ。
世界に現れるのではなく。
世界が現れる。
……前提として元勇者である俺は、魔族を滅ぼすことができる。それが、俺が召喚された時の『敵』の強さを下回っている限り、何も俺の障害にはなり得ない。
よって。
この世界を塗り替えるように侵食する焔は、瞬く間に魔物を焼き滅ぼしていく。
抵抗すらなく。反応すらなく。一欠けらも許さず。
およそ10秒の後、魔物は消え去っていた。
「ヒロ......」
エギスの向ける眼差しは、どんな感情を内包しているのだろうか。
着地の衝撃に備える俺は、そこに集中力を向ける余裕はない。
「っっ!!」
長い対空時間の果てにようやく辿り着いた地面に、俺は倒れこむように衝撃を逃がす。
五接点着地法。
スカイダイビング等で、地上五階程度の落下衝撃から安全に着地するための技術。
俺の腕の中で一緒に転がるエギスは、もう一度俺に呼びかけた。
「ヒロ……」
「……? どうした……?」
顔を僅かに動かしてエギスの顔を見る俺は、顔を紅潮させたエギスを確認する。
「ありがとう……」
エギスはそう言うと、何かを言いかける。
「それと……」
◆ ◆ ◆
「それと?」
ヒロがわたしに訊いてくる。
「……やっぱりなんでもない」
あと少し、こんな関係を続けたい。この気持ちを持ったまま、ヒロの強さに守られていたい。
この恋心を、いつまでも持っていたい。
「...ならいいが、よし、トマスのところに戻るか」
わたしはヒロのその言葉に、満面の笑みで頷いた。
2018/04/05日より、2章公開します!