どうやら異世界に召喚されたらしい
そして、俺は……矢橋外明は空を見上げた。
別に特別な理由があったわけではない。なんとなく、その程度の感覚で、たまたま空を見上げただけだ。
今日も高校での一日が終わったことを、反芻するように。
いや、別に高校に忌避感を抱いているわけでもない。むしろネット小説に出てくるような花の年齢になれて逆にうれしいくらいだ。
それでも、一つだけ不満を言うとするならば……。
高校生になったからと言って、自動的にネット小説やラノベのような非日常に放り込まれることはない、という事実だけだろう。
結局のところ、どこかで読んだような文章が正しかったのだ。
『たかが一個人が一定の年齢に達した程度で、地球の自転周期が変わったり、次元の位相がゆらいだりはしない』
そんな感傷がこもってないとはいえないだろう俺の視線の先には、夕暮れと青空が混じり合う、どこか不思議な色合いの空だけが広がっていた。
だから、なのだろうか。
オレンジ色の光芒を纏う、高速物体に俺が気づけなかったのは。
完全に空の色合いと一体化した宙からの飛来物は、秒速数十キロという知覚できるはずのない速度で、俺の頭を穿った。
◆ ◆
「……っ? 何起きたんだ……?」
唐突な隕石との衝突と、それに伴う意識の暗転の後に目覚めた俺の視界に入ってきたのは、虹色の光が流転する、脳が認識を拒絶するような空間だった。
「……っ!」
そもそも地面という認識がない。地を踏みしめている感覚はない。足下でさえ例外でないすべての方向に、ただ広大に極彩色の空間は広がっている。
俺の遠近感でさえ狂いそうになりそうだった。いや、すでに狂ってしまっているのかもしれない。
そんな不可思議な空間の中にいる俺だったが、体の移動はできるようだ。
重力によって地に固定されている訳でも、逆に無重力で体の方向さえ定めることのできない訳でもない。俺も経験したことはないが、水中での中性浮力を保った状態、というのが形容に一番近いのだろうか。
しかし、少し動いたところで周りの風景が変わらないのなら意味はない。風景の変遷によって移動が実感できないのであれば、それは動いていると思わされているだけの可能性を拭いきれないからだ。さらに言えば、下手に動くと元の場所の特定さえできなくなってしまうだろう。
そんな風にこの空間内での動き方さえ決めきれなく、戸惑う俺に……一つの声が、響く。
『Surtrの剣に近しき人間よ。汝が自我は生きているか』
それは、どこか心の中に響く声だった。聞こえる音は知らないはずなのに、脳にだけはその意味が届く。届いてしまう。それでもその自動翻訳も上手くいかないところがあるのか、冒頭の部分だけは聞き取れなかった。決して日本語ではない、でも英語でもない知らない言語の響きは、流れるように頭の中に這入ってくる。
声自体は女の人に感じられる。しかし原初の言葉で綴られるその声調は、どこか神々しささえ感じられた。
「は、い……」
自動翻訳があったとしても所々が意味の分からない文章だったが、この不可思議な空間にいるのは俺しかいない。
おそらく『Surtrの剣に近しき人間』とは俺のことだろうと当たりをつけ、恐る恐る返答の声を紡ぐ。
『汝は召喚に選ばれた。またAigisとの縁を結ばんが為に、召喚を認め、汝を異なる世界へと転移させる』
また一部の言葉が分からなかった。どちらかと言えば、ドイツ語に近いのだろうか? 古き言葉によって紡がれるものの、発生源を俺はやっと見つけることに成功する。
俺の、ちょうど真後ろだった。
そこには、女性のシルエットだけが浮かぶ光が渦巻いていた。
それは槍らしきものを持ってたり、軽装の鎧を着けているようなゴデゴデとしたシルエットだったが、何故か俺はそれが女性だと断言できた。
『汝の『模倣神技』は『Levatein』。召喚に応じるにあたり、もう一つだけ汝に能力を授けよう』
そしてその光の渦は、はたまた意味の分からない言葉を吐き出した。『模倣神技』? 『Levatein』? どういうことだ?
しかしそんな疑問も、それを上回る感傷の前には霞んで見えた。今、俺の心の中はある思いでいっぱいだった。
つまりネット小説で読んだような、非日常への扉が今開こうとしていることへの感涙に。
つまりは。
つまりは、俺は夢見た非日常へと飛び立てるのだと。
(おちつけ、状況を把握しよう。つまり俺は異世界から召喚されそうになっている。そして俺の属性か何かは決まっているが、あの光の女性がもう一つ能力をくれると? とりあえず情報が欲しいな……。えええと、そもそも……)
「『模倣神技』ってなんだ……?」
その声は無意識のうちに漏れていたのか、それとも心を読まれていたのか。
それは分からないが、しかし疑問への答えは驚いた俺へと即座に提示される。
『そちらの世界で言うところの……『魔法』に該当。此方で同じ言い方をもするが、こちらの方が一般的』
女性の声で紡がれる答えに、俺は納得したように頷いた。
確かに『魔法』という概念が、異世界で別の名称で呼ばれていたとしてもおかしくはないな、と。
「じゃあ『Levatein』は?」
今回はしっかり声に出してそう訊いてみると、やっぱり瞬時に女性声は帰ってくる。
『世界を滅ぼした炎の剣。南の果ての灼熱国が王の武器』
「……え?」
その答えに、俺は呆然と声を漏らすことしかできなかった。
世界を滅ぼした炎の剣? その『模倣神技』……つまり魔法を俺が扱える?
(ヤバくね?)
それが、たったそれだけが硬直から覚めた俺の思いだった。
世界すら焼き滅ぼせる灼熱の剣の『模倣神技』。字面から見て本物より劣化していると考えたって、過剰戦力だろう。おそらく戦いにおいて鬼畜なほどの強さを発揮するに違いない。
(ということは……魔法においては、俺は心配ないほどの能力があると考えてよいのか? ならもう一つの能力は物理系統に決定だな)
それをうけて、俺の思考が物理よりになるのはそりゃ仕方のないことだろう。だってここで物理でもアドバンテージを持っちゃったら、最強になれるんじゃないか? そう考えてしまうのは自然。そう自然なのだ。
「物理能力アップで」
『承認。……力神『トル』に交渉して、力を大幅増強する』
そして俺の異世界転移における初期設定は、ここで終わったようだった。
俺の見渡す限りで渦巻く極彩色の空間が、今度は無秩序ではなくどこか意思を感じさせる規則性を持って脈度し始めたからだ。
『召喚が開始される。良き人生を』
うねる極彩色の中で、そんな女性シルエットの声が聞こえて……。俺の意識は虚空へと消えていった。