にょたりた! ~鮫島くんのおっぱい・ぱられる~
あらすじの警告をご一読ください
缶詰研究から帰ると、妻が男になっていた。
「……ありゃっ?」
「おかえり、梨太」
出迎えてくれるのを、梨太は微笑んで応える。
「ただいま。鮫島くん、雄体化周期だったっけ」
彼は無言で頷いた。ほとんど無表情、無愛想に見えるのは、ただ単にそういった造作ゆえ。無口なのは物静かなだけである。決して不機嫌なわけではない。
夫として、それはよくよく知っている。
目算、身長185センチ。日本人平均男子並みの梨太より一回りは大きい。深い青色の目は切れ長気味で、細い眉、高い鼻、白い肌。総毛立つのほどの美貌の――男性。
梨太はこっそり嘆息した。
(デスマ明けエッチはひと月お預けか……)
と、いうのは口に出さないでおく。ラトキア星人――周期的に性別が変わる宇宙人を、妻に迎えたときに覚悟していたことなのだ。地球人の男性であり異性愛者である梨太は、新婚生活の半分を欲求不満で過ごすことになる。だがそれを表に出すのはマナー違反だろう。
寝室へ入り、部屋着に着替えていると、鮫島が静かに寄ってきた。背中をつつかれて振り向く。彼は手に、小さな箱を持っていた。
「リタ。これあげる」
「ん、なに? ……僕の誕生日は十月だよ」
「バレンタインチョコレート。二月十四日」
「えっ、ラトキアにもバレンタインデーってあるの!?」
鮫島は首を振った。
「地球の、普通の女の子はそうすると聞いた。チョコレートならリタも好きだろう?」
瞬間、梨太は確かに、自分の胸から「きゅん」という音が鳴るのを聞いた。
礼を言って、箱を開けてみる。シンプルなブラウニーに、申し訳程度のトッピング。一口食べてみると、梨太が好きなほどよい甘さと芳醇な香り。ブラウニー本体は高級店の市販品、飾り部分だけ鮫島のお手製とすぐにわかった。再び、梨太の耳に「きゅん」が聞こえる。梨太は座り込んで悶絶した。
(ほんとこの性格たまらんかわいい……っ!)
鮫島は、料理が下手だ。さらに日本語もまだまだ不自由で、レシピ遵守が絶体の義務であるお菓子作りは困難を極める。自己満足にひたるより梨太の味覚の満足を選択したのだろう。しかしこっそり、拙いトッピングを付け足している――
「コーヒーを淹れようか」
そう提案してくれた彼に飛びついて、梨太は思いきり抱きしめた。
「チョコも好きだけど、鮫島くんのことは大好きだよっ」
彼は一瞬だけ驚いてから、穏やかに笑った。
長い手を回し、梨太の頭を抱き寄せる。愛撫はたった一瞬で終わった。梨太の髪を遠慮がちに一度、かき混ぜて、彼はすぐに身を離す。
雌雄同体のラトキア人――周期的に性別が入れ替わる生物。やっかいなのは、こちらの欲求不満だけではない。鮫島もまた常に異性愛者なのだ。男の体になっているとき、梨太は同性の友人でしかない。
そばにいたい、ふれあいたいという欲求はどちらにもあり、すぐそばにその相手がいるのに、それ以上は心身が拒絶する。
もどかしい、新婚生活であった。
ふと――梨太は考えた。
……なんとかならないものか、と。
「……で?」
三月も半ばにさしかかり、陽光に春の兆しが宿る頃。
鮫島は梨太を見下ろして、バラ色の唇に苦笑いのようなものを浮かべて見せた。
雌体となった彼――彼女は、端的に言えば絶世の美女。雄体時よりも一回り小柄になり、色気をたたえた指を、すいと前に出す。
その指先が、柔らかな肉に沈んだ。
「なんでこうなったんだ、リタ」
「ううううわかんないけどとりあえずおっぱいつつかないで…………」
ぶるぶる震えながら、梨太は体をこわばらせた。かまわず、鮫島は指先でつんつんつんつく、梨太の体をあちこちつついてくる。背の高い彼女は、ソファに座っていても視線が合う。梨太が今、平均女性並みよりも小さくなったせいもあるだろうが。
鮫島は手を伸ばし、梨太の両肩をつかんだ。
「わかんないじゃないだろう。丸三日も熱を出したと思ったら、突然、おまえまで雌体化するなんて。リタ、ラトキア人の血族だったのか?」
「ちがいますちがいます。純血日本人の、百パーセント男子です。ただこれはその」
「これはその?」
「……にょ、女体化しちゃっただけ、です。……薬で、ほんの一時的に」
そう言って、梨太は大きく嘆息した。
遡ることちょうど一ヶ月前、梨太はチョコのお返しを模索していた。やんごとなき身分の生まれ育ちでありつつ、物欲の薄い鮫島。彼女を心から喜ばせるにはモノではなく、やはり梨太の深い愛だろう。
このおしどりカップルにとって、目下唯一の障害は、妻が半分男であること。
もっと具体的にいうと、その間えっちなことができないことである。
「……それで、男の俺を喜ばせるために、己が女体化する薬を開発したのか。さすが生物学博士」
「全然違います。元々はラトキア人の性別変換を促進するもので……鮫島くんを雌体化させるという狙いだったんだ」
しゅん、と肩を落としてぼやく梨太。もちろん、その開発は前例がなく、梨太からしても暗中模索だった。仮定に仮定を重ね、うまくいけばお慰み、失敗に終わっても笑って済ませるつもりのネタである。しかし「効き目がなかった」で済めばいいが、毒になっていたのでは目も当てられない。理論上、人体に被害はないはずだが……愛する妻に、ぶっつけ本番で飲ませるくらいなら。
レッツ・自分で人体実験。
そう思いあまって、薬液を半分、飲んだ。
それが三日前。そしてこれがその結果である。
ふうん、と鮫島は鼻を鳴らした。
「じゃあその薬は成功したってことかな。たいしたものだ。……でも俺は今雌体化周期だから、飲んでもどのみち効果はないぞ」
「うっかりそれも失念しておりました……ううう」
「リタってすごく頭がいいのに、時々やけに馬鹿になるのはどういうことなんだ」
「脳とちんこで血液量を共有してるんだと思う」
真顔でいうと、鮫島は笑った。
「女の子が、品のないことを言うもんじゃない」
そういえば、梨太はいま女性の姿であった。男子なら下ネタを言ってもいいではなかろうし、意識は男子のままだが、指摘されると恥ずかしいような気がしてくる。梨太はなんとなく居住まいを正した。
鮫島はいつもの薄い唇に、面白がるような笑みを浮かべていた。女になった夫を気味悪がるでもなく、さほど驚きすらせず、頬杖をついて眺めてくる。クスクス、笑い声まで聞こえてきて、梨太はほほを膨らませた。
「なんだよう」
「いや。可愛いなと思って」
あっけらかんとそう言って、彼女は梨太の後方指さした。振り向くと、大きな姿見鏡――そこに、美少女がいる。
日本人女性平均よりもいくぶん小柄で、華奢な肩。ズボンは腰で留めることも出来ず、ぶかぶかトランクスの上にとりあえず裾の長いカッターシャツ一枚で、ミニスカワンピースもどきのきわどい格好である。
盛り上がった胸元、しなやかな足。首から下だけ鏡に映せば、どきりとするほどに女性そのもの。
しかし顔立ちはさほどの変化はない。
ふわふわとした栗色の髪、つぶらな琥珀色の瞳。ふっくらした頬に、ほんの少し生意気にとがった、小さな鼻と丸い唇。まるっきり、栗林梨太そのままである。
鮫島はまた笑った。
「女体化と言うより、ただ若返っただけにも見える。小さくなって、十六歳の……出会ったばかりの頃にそっくりだ」
「えー、こんなに女顔だったっけ? 背が低いのは自覚してたけど」
「あの頃のリタを、脱がしてみたら胸があった、という感じだな。一時は本気で、雄体化しているラトキア人だと疑ってたんだ。こうして見ても違和感を覚えない」
「覚えてよそこは……」
がっくりうなだれ、深々と嘆息。そして立ち上がる。
「どこへ行く」
「どこも行けやしないよ。寝室にこもる。計算上、丸一日で効果が切れるはずだから。二日で戻らなければその後考える」
「出られないことはないだろう。下着や服なら俺が買ってきてやる。とびきり可愛らしい女の子の服を」
「なんでだよ。いやだよ。僕に女装趣味はない」
「女装? 女の体になったんだから、今の格好が男装だ」
「だからそれもみっともないから寝室にこもるんだって。あ、夕飯の材料がないな……ごめん鮫島くん、ピザでも取って。僕は寝る」
相手にせず、梨太は寝室の扉を開けた。ベッドに向けて進もうとした腰を、うしろから鮫島がつかむ。
「もったいない。みんなに見せびらかせばいい。こんなに可愛いのに」
と――言いながら、その手の位置をあげ、梨太の乳房をふわりと包んだ。そのままフニフニ、揉みしだく。
「ちょっ――」
「柔らかい。俺よりずっと大きいし」
鎖骨の下にある肉塊が、彼女の手の中で形を変えていた。その柔らかさに自分で驚いたが、意外にもさほどの性感覚はない。なんとなくくすぐったくて、少しだけ痛い。女の体を、女性である妻に揉まれるという異様な体験に体が困惑しているのかもしれない。
たいした感動のこもらない声で、梨太は静かに言った。
「鮫島くん、もしかして、自分にないものだから面白がってない?」
それは、半ば以上確信を込めて言ったのだが。
「いや」
と、彼女は簡単に否定した。
「俺は、元々雄体優位だからな。それが雌体化して、背が高く貧乳でかわいげのない女になっても仕方のないことだ。可愛い格好をしたいという願望もないし、おまえが良いといってくれたなら、コンプレックスも何もない」
「じゃあなんでそんな揉むの――て、ぅぉわっちょっ」
「可愛いから」
許容を越えるところに手が差し込まれ、梨太は悲鳴を上げた。きゃあ、などと叫ばなかっただけ救い。寝室の扉口で、二人の女――女? が問答する。
梨太はじたばたもがき、なんとか鮫島の手を捕まえた。
「ちょっ、やめてよ鮫島くん。こんな体になっても、僕中身はまったく栗林梨太のまんまだからね。性自認100%男子。変なとこ触らないで――」
「精神が男なら、女の大事なところを触られたって惜しむことはないだろう」
「そうだけどっ、でもなんか、ホモに襲われてるような感覚ですごいヤダ!」
「どうして。俺は今、女の体だ」
鮫島は引かない。梨太がどれだけ力を込めても、彼女の腕はびくともしなかった。おかしい。「惑星最強の男」こと誉れあるラトキア騎士団の団長、英雄と呼ばれる妻でも、雌体化時には「びく」とくらいしたはずだ。
強い――いや、違う。梨太が弱くなったのだ。
「うわ……っ」
恐怖感は、その瞬間にやってきた。先ほど自分で言った、ホモに襲われる嫌悪感、などではない。もっと純粋な、生物としての恐怖だ。
成人し、背が伸び男らしくなって、久しく忘れていた、この感覚。
圧倒的に強い者に組み伏せられる恐ろしさ。
「……リタ?」
梨太の異変に気がつき、鮫島は拘束を解いた。そうなれば、彼女は優しく暖かな、梨太の愛する妻である。梨太は自ら、彼女に抱きついた。
男の自分より長身の妻は、女になるとなおさら大きく、ずっと年上のように思えた。
鮫島の手は暖かい。こわばった背中を撫で、凍えた肩をさすり、梨太の緊張を解いてくれる。梨太はホウと息をついた。
鮫島の胸に顔を埋め、つぶやく。
「……あったものが、なくなるって怖いね」
「…………ひとつなくなった分、ふたつ膨らんだから、増えたんじゃないか?」
「誰がちんことおっぱいの話をしたべさ! ていうか玉も含めたらみっつなくなってプラマイ赤字だよっ!」
怒鳴りつけても鮫島は首をかしげるだけである。彼女は頭が悪いわけではないが、どこか浮き世離れしておりしばしば意思疎通に齟齬が出る。
梨太は嘆息した。
「そういうことじゃなくて、腕力とか背丈とか。僕は元々、男の中では恵まれてる方じゃないけどそれでもやっぱり普通の女の子には負けない。それって、考えてみればすごいことで……男に生まれた、それだけで、世界の半分よりも上のチカラを持ってたんだ」
「……まあ、そうだろうな」
という、彼女の言葉に実感が伴わないのは仕方がない。鮫島は雌体化してもなお、一般の男性よりもはるかに強い。だが彼女を「ごく一部の例外」とした場合、梨太の言うことは真実であった。梨太はさらにつぶやく。
「……腕力だけじゃない。この日本では今、女尊男卑社会になりつつあると言われてるけど……それでも、やっぱり男性社会だ。僕の今の職場には、女性はほとんどいない。鮫島くんの星だとなおさらでしょ。……女になると……当たり前にあったものが、たくさん失われるんだね」
鮫島は首を振った。
「それは、女から男に変わった場合でも同じだ。何かが変われば、持ち物も環境も変わっていく。だが、代わりに得るものがある」
そう言って、かがみ込む。うつむいた梨太を、すくい上げるようにして、彼女は口づけした。柔らかな唇を押し当てられ、梨太は反射的に目を閉じた。
彼女とキスをするのは、何度目になるだろう。いつだってそれは嬉しく、甘い。だが今日は何かが違った。
扇情的なものよりも、安心感を覚える。
重ねた唇を、紙一枚分ほど離して、鮫島がささやく。
「変わっていくということは、無くなってしまうということではないよ」
「……鮫島くん。僕と結婚して、幸せ?」
不安げに尋ねた梨太に、鮫島は目を丸くした。
梨太と暮らすために、彼女は――彼は、とても多くのものを失ってきた。
惑星ラトキア、星帝の義弟という高貴な身分に、誉れある騎士団の団長という地位。気を許せる親姉兄、信頼できる仲間たち、仕事、屋敷、文化――そして本当の名前すらも、なにもかも捨てて、この地球に来てくれた。
ずっと考えていた。これで良かったのだろうかと。
鮫島は本当に、幸せなのだろうかと――
鮫島はしばらく絶句していた。だが不意に、声を立てて大笑いした。
笑いながら乱暴に梨太を抱きしめ、持ち上げる。二十センチ余りの身長差で完全に足が宙に浮く。梨太は手足をばたつかせた。
「わ、わ、ちょ、なにすんの、やめておろして、こわいって!」
ぽいと空中に投げられる。墜落した先は床ではなく、スプリングの効いたベッドであった。弾んでひっくり返ったところに、長身の美女が覆い被さってくる。再び拘束され、梨太は思いきりもがいた。
クレームを叫ぶ唇をふさがれる。舌をたっぷり愛撫され、脱力する梨太。その耳元で彼女はささやく。ひどく、機嫌の良い声で。
「リタは本当に可愛いな」
「ふぇっ……?」
「おまえがそうである限り、俺は必ず、幸せだ。どんな形になったとしても、それだけは絶体に変わらない」
鮫島の双眸が、梨太の顔を真正面から見下ろしてくる。ほんの少しだけ青みがかった、深海色の美しい瞳。その瞳はいつだって美しい。この先彼女が年を取っても、もし男性として生きることになったとしても、変わらずにきっと――
「うん……」
梨太はうなずき、彼女の首に腕を回した。
真上からキスを重ねられ、腰を抱きすくめられても、心地の悪さは感じなかった。
愛する妻。大好きな男。
器が変わろうと、中身が変わろうと、彼女は彼であり、彼は彼女だ。
「好きだよ、鮫島くん」
梨太は目を閉じた。
____ おまけ(という名の本編) _____
「……ちょっと待って鮫島くんシレッとサクサク僕の服脱がしてくのなんで」
「可愛いから」
「理由になってねえー。ちょ、鮫島くん鮫島くんさっきも言ったけど、僕、男子だから。あくまでも男子だから。鮫島くんのことはホント好きだけどホモは嫌だからねやめてはなして――っあイタっうなじを噛むなっ」
「俺もおまえも女だろう。少なくとも男性同士ではないぞ」
「いやそうなんだけどなんかでも感覚的に。ていうか体勢的に。どう見てもコレ、僕が押し倒されてる構図ですよ奥さん」
「リタ、『下』になるのも好きじゃないか」
「それは別に好きなわけじゃなくぶっちゃけラクだから――噛むな痛い! ていうか男同士にせよ女同士にせよコレってウケとかネコとかいう位置でしょうが! ヤダって!!」
「そう言うな。お前がずっと、俺にしてきたことだろう?」
「うっ。…………。……うう」
「大丈夫、お前がイヤだとか気持ち悪いということは何もしない」
「さっきからずっとヤダって言ってるのはスルーですかそうですか……」
「目を瞑って、好きな女のことでも考えていればいい」
「そりゃあんただよ……」
「リタ、愛してる」
「うぁあああああ僕も愛してるからややこしいぃいいいいーっ」
この日、二人が具体的になにをどこまで出来たのか。
またこの半月後、再び雄体化した鮫島が、半分残っていたかの薬液をいかにしたか――
それは、この世の誰も知ることではない。