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嘘つきは安西さんの始まり

給食事件

作者: 周防まひろ

 

「よっしょあー! 今日はシチューに、唐揚げ、ワカメ漬けと、チョコジャム付きのパンだ、ほんでもって牛乳! オレの大好物ばっか!」

 給食の時間になると、僕の親友の一人、仲上君が飛び上がった。

 ボサボサの茶髪、本人が言うには熱き心が宿っているらしい三白眼の瞳、『愛』とプリントされたタンクトップに、上履きのかかとを踏むその姿。

 自分の子供に先生が困るようなキラキラネームをつけて恥と思わず、コンビニの店員を土下座させて、警察のお世話になっても武勇伝に仕立て上げる厚顔無恥。彼のイメージから浮かぶ未来の姿がそれだ。

もっとも今は、熱血で友情に厚い少年である。

「たかが給食で大げさだな」

 二人目の親友、池沢君がそう言って呆れるのも、いつもの光景だった。太陽を知らないインドア系の彼だが、どうも、その陰気さから将来は、一部のネット掲示板から神と崇め奉られそうな大犯罪を起こす臭いがプンプン漂ってくる。

 今のところは、三人の中ではマシな頭脳の持ち主だが、テストの点数は芳しくなく、ヤマもいい加減でよく外れる。

 僕は食べる順番をじっくりと考えていた。生まれつき、マイペースな性格なのに、いつもどうでもよい事ばかり考える。ええと、唐揚げは最後に取っておくとして、最初は酸味のあるワカメ漬けを食べて、次に甘さのあるジャムパンを、それから、シチューとから揚げどっちにしようかな……。


 その時、誰かが机を移動してきて、僕らと新たに合体した。僕はもちろん、仲上くんと池沢くんも時間が止まったかのように凝り固まった。

「よろしく」

 同じ班の紅一点、安西さんだった。僕らに向かって一瞬白い歯をのぞかせたかと思うと、薄い唇を一文字に締めた。

 顔の半分を覆い隠す長い前髪、その隙間からのぞく眼光は針みたいに鋭く、僕らのノミの心臓を貫いた。彼女の眼力に勝てるほど、僕らの精神は強くない。野生のアリゲーターに睨まれた、動物園育ちのカピバラの家族と同じだ。安西さんと同じ班になったばかりなのを、すっかり忘れていた。

 あの“猫事件”以来、彼女は僕らにしきりと干渉してくるようになった。池沢君の推理だと、僕達を監視するのが目的らしい。

 特に気の毒なのが仲上君だった。

 安西に後を尾けられてる、奴に見張られている気がするとしきりに訴えるようになったのだ。彼は団地に住んでいるのだが、最近向かいに越してきた爺さんと婆さんの夫婦は、奴が雇った殺し屋に違いない。オレを消すつもりなんだよ! そんな被害妄想で頭を抱えるほど怯えていた。

 それにしても、席の位置がまたひど過ぎる。時計回りで、安西さん、仲上くん、池沢くん、そして僕の順番である。つまり、僕は安西さんと向かい合わせる形で食事をしなければならないわけである。

 胃袋が有刺鉄線で締め付けられるそうな気分だった。


「皆さん、静かにして下さい」

 五組の給食係、門脇太子さんが号令をかけた。

 女子にデブと言うのはあまりに失礼なので、言葉を選ばせてもらうと、門脇さんは恰幅のいい女子である。女子の横綱だ。胴体の横幅が男子よりも広く、顔はおにぎりみたいな三角形、そばかすが薄く浮いている。面倒見が良さそうだが、歩く度に地震速報が流れそうだった。

 そして、その手に本物のウサギをいつも抱いている。飼育小屋のウサギだが、彼女は特別にかわいがり、キティちゃんと名付けて普段から持ち出しているのだ。何でも以前飼っていたウサギに似ているという。その子と同じ名前をつけ、特別に首輪まで付けさせてかわいがっているのだ。

 飼育係も彼女に頭が上がらないせいか、文句を一切言わない。

 丸太みたいに心強い腕に抱かれて、キティが苦しそうに暴れていた。

「キティちゃん、あとで大ちゅきなニンジン食べましょうね。はい、みんな静かにしてね。今日のメニュー……主食はシチュー、副食は唐揚げ、ワカメ漬け、そしてチョコジャム付きのパンです」

 彼女は給食の時間になると、必ずと言っていいほど内容を解説する。何の野菜や肉を使っているとか、成分がどうとか、この野菜の炒め物には栄養素の何何が含まれているとか、どうでもいい事ばかりだった。

 キティちゃんも諦めて、頭と耳を力なく垂らしていた。

「早くしろよ」という文句にも耳を貸そうとしない。

「今、世界中で飢餓になっている国がたくさんあります。そこに住む子供達はいつも食べ物に不便して、明日はもちろん今日を生きるのも大変なのです。それに引き換え、コンビニに行けばすぐに食べ物が買えて、食べ物屋さんが軒並みある社会を生きる私達は、大変幸福なのではないでしょうか。それを噛みしめながら食べましょう。いただきます」

 講釈がやっと終わって、やっと食事が始まった。仲上くんは長い息を吐き出した。どうやら今まで止めていたらしい。

「門脇の奴、話が長過ぎなんだよ」

「母親がボランティアの好きな人らしいからね、その影響だろう」

 門脇さんの母親は、環境問題を扱う評論家だった。時々、テレビのニュースなどで顔を出すほどの有名な人らしいが、ニュースとか全然見ない僕はまったく知らなかった。

「だけど、食べ物がある部屋にウサギを持ち込むのは止めてほしいものだな。不衛生だよ」

僕はあまり気にならないけど、あのウサギ、嫌がっているみたいだったな。

 やっと、手を合わせて「いただきます」が終わると、僕ら三人は食事を進めながら、最近のカードゲームやアニメ、テレビのお笑い芸人の話題に花を咲かせた。友人との楽しい会話と、退屈な学校生活を彩る食事をしながら同時進行でやるという至福の時間だった。

 ある人物が鶴の一声を発するまでは。


「山野辺くん」

 他の二人が一斉に黙り込んだ。呼ばれた僕は、授業で先生に指名される時の何十倍も緊張した。なんたって予告なしなんだから。

「何、安西さん?」

「お箸の持ち方がおかしい」

「え?」

「その持ち方は、交差箸というの。小さなものを掴むには適さないの。つまり、間違った箸の持ち方なんだよ」

 緊張のせいなのか、タイミング悪く僕はグリーンピースをつかみ損ね、シチューにダイブさせてしまった。

「今のうちに治さないと、大人になったら恥ずかしい思いをするよ」

「でも、これは生まれつきなんだ。今更……」

 僕は反論するのを諦めた。安西さんの前髪からこちらを射抜く瞳は、有無を言わせない沈黙のプレッシャーを感じさせた。

 でも、まさか、箸の持ち方を注意されるとは思わなかったな。僕は観念して、隣にいる池沢君に矯正してもらった。

「悔しいが、安西の言う通りだ。今時、外国人の方が箸をうまく使うぞ。日本人として、彼らに負けないようにしないといけない」

「池沢君」

「はい?」

「唐揚げとワカメとチョコジャムをパンにはさんで、そのまま牛乳と混ぜたシチューにつけて食べてるけど、どうして?」

「僕にとって、食事と睡眠は余計な時間なんだよ。タイムイズマネーって言葉があるだろ。あまり、時間をかけたくない。できるだけ無駄な時間を簡略化するために、一遍に食べるのさ」

「ろくに噛まずにかっ込むだけの食事は、あごと歯を弱くするんだよ。おじいさんの頃には入れ歯で口も動かずに悲惨な目になるけど、それでもいいの?」

「歯磨きを怠ったりしなければ大丈夫さ。だいたい、口の中に入れてしまえば同じだろ。胃が消化して、同じ色と形をした排泄物になって出てくるんだ」

「排泄物?」

「クソだよ。知らない?」

「知ってます。目の前でそんな悪食ぶりを見せられた上に、下品な説明を聞かされた側の気持ちを考えた事はある?」

「え、ダメだったのか!」

「豚がガツガツ食べるのと変わらないもの」

 安西さんの指摘に、池沢君はブツブツ文句を言いながら、別々にゆっくりと食べ始めた。

 楽しかった時間が徐々に破壊されていく気がした。けれど、誰がそれを阻止できるだろうか? 彼女に対抗できる奴はいないのか?

 安西さんの箸が急に止まった。その頭がゆっくりと横にスライドする。隣で食べている仲上くんに向いた。自分が監視されているのにまるで気づいていない。

「仲上君」

「なんだよ?」

「高学年にもなって、女の子の真横でクチャクチャ、ペチャクチャと音を立てながら食べて、恥ずかしいと思わないの?」

 安西さんが指摘するまで、僕も池沢くんも大して気にしていなかったのだが、確かに彼の咀嚼音は少し大きいと思った。給食だけでなく、普段からチューインガムを噛むように咀嚼を繰り返す癖がある。牛乳に至っては、リステリンみたいにゆすぎ、イソジンみたいにうがいするようにして飲んでいるのだ。

 よく言えば個性的な食べ方だが、悪く言えば汚いだけである。

 長い間、彼と同じ釜の飯を食べてきた僕や池沢君にとって、仲上くんの奏でる咀嚼音は、朝の鶏の鳴き声や夕方時に聞こえるピアノの音色といった感じで、習慣の中に溶け込んでいた。

「そんなもん知るかよ。これがオレ流の食べ方だ。家でも学校でも変わらねえ。ちゃんと噛んで食った方がいいんだろ」

「原人の食べ方みたい」

「へっ! 勝手に言いやがれ。オレはな、山野辺や池沢のようにはいかないぜ。聞き分けが悪い方だからよ。お前に何を言われても、一歩も引くつもりはねえ。オレは我が道を貫くB型の男だ」

 仲上くんは牛乳を一気飲みすると、なんと、目の前にいる安西さんに向かって盛大なゲップを放った。白い煙が立ち上りそうな音を立てた。女子が言うところの下品な男子そのものであった。さすがは僕らの野生児。女子から、彼氏にしたくないクラスメイトの第一位(二位と三位は、池沢くんと僕である)を保持しているだけある。

 安西さんはとうとう黙り込んだ。自分の言い分を退けられて泣いているのかもしれない。それはそれで留飲が下がる。仲上くんの反骨精神を誇らしく思った。さすが、僕らのリーダーである。

「想像してみて」

 安西さんがゆっくりと話し始める。

「仲上くんは音を立てて食べる癖で、友達はおろか恋人もできなくなる。小学校卒業して、中学、高校、大学、教室で、食堂で、合コンでサークルの集まりでも、そして、屋上の片隅で、ずっと一人ぼっちのまま汚い音を立て続け手ながら食べる」

 安西さんの語りが始まった。ささやくように耳まで流れる。

「そして十数年後、大人の仲上氏はその癖が災いして、会社でも一人ぼっち。咀嚼音のせいで社内の雰囲気が悪くなり、商談の席でも出されたお茶で音を立てて、相手を不快にさせる。そんな汚い飲み方をする社員を抱えているような会社とは契約できない。同僚や上司や部下に嫌われ、社内で孤立していく仲上氏。当然、出世はできないまま、窓際社員として左遷を繰り返す」

 仲上くんの箸は止まっていた。先程の余裕は消えている。

「さらに三十年後、仲上家では隙間風が吹き荒れる。奥さんは夫を嫌い、二人の子供も父親を軽蔑する。あなた、音を立てて食べるのやめてよ! オヤジ、ガキみたいな喰い方するなよ。パパ、その食べ方汚いよ。結婚式以来、妻の両親とは絶縁状態、子供たちも父のせいで、学校でからかわれる日々。お前のオヤジ、食べ方汚いなよな。毎日のようにトイレの個室で泣く息子、引きこもりになりかける娘。そんな家族の抗議にも、仲上氏は意に反さず、反省する素振りも見せずに、食事中はベチャクチャペチャクチャ……」

 仲上くんの箸が震えている。顔色も青白い。

「そして、五十年後。定年を目前に控えた仲上氏に、奥さんは離婚届を差し出すの。あなたとは別れます。別の人と再婚するつもりです。彼はあなたと違って紳士だから、音を立てながら食べる下品な誰かとは違う。彼の娘も息子も反対しない。今まで隠してたけど、親父の癖のおかげで、俺は就職の面接で笑われたんだぞ。見合いの席で、お父さんの食事マナーが最低だったから、私の婚約も破談になったのよ。おかげで婚期を逃したわ。今まで苦しめられてきたのは、全部お前のせいだ。そして妻子は仲上氏から去っていくのだった」

「待ってくれよ! オレが悪かったから、頼むから戻って来てくれ!」

 すっかり仮想の未来に入り込んでしまった仲上くんの懇願をよそに、安西さんの語りは止まらない。

「そして、六十年後。家族のいない家で、一人で孤独な余生を送る仲上老人。食卓に上がるのはスーパーの閉店間際の半額シールが貼られた惣菜ばかり、一人では炊飯もできない。話し相手もなく、スズメの涙の年金暮らし。ある日、持病の発作が、老人に襲いかかる」

「ぐ、苦しい……誰か、医者を呼んでくれ!」

 仲上くんが胸を抑えながら、悲痛の声を絞り出す。完全に不幸な未来に入り込んでしまっているようだ。僕や池沢くんとしては、老いた親友を助けてやりたいのは山々なのだが、たぶんどちらも医師免許なんか持ってないだろうし、彼より一足早く往生しているかもしれない。

「誰にも看取られず、気づかれる事もなく、仲上くんの亡骸は家の片隅で朽ちて、腐敗して、死臭に気づいた隣人に一週間後に発見されるの」

「いやだぁぁぁっ! そんな人生送りたくねえよおおぉぉぉっ!」

 仲上くんは頭を抱えながら、机に突っ伏した。

「仲上くんはもっといい人生を送りたいよね?」

「うん」

「じゃあ……静かに音をたてないように食べてね。分かった?」

「はい」

 安西さんの荒治療により、彼は慣れない食べ方をしながら静かにするのを心掛けた。あんな豪快だったのに、牙と爪を折られた狼みたく、ちびちびと食べて、牛乳もゆっくりと飲んでいる。

 ああ、哀れな仲上くん。せめて、彼の人生が華やかになりますように。

 一方、僕も慣れないお箸の持ち方に悪戦苦闘していたし、池沢くんも未だにうらみ節をつぶやきながら淡々と食べている。他の班は楽しく談笑しているというのに、僕らの班は、まるで葬式みたいに厳かで暗く静かだった。

 ある人物が干渉してきて、淀んだ空気が変わった。


「あれれ、安西さん?」

 門脇さんが僕らの机の前で止まった。

「ワカメ漬けを残してるけど、食べないの?」

「苦手なの」

 押しの強い相手に話しかけられている安西さんは、縮こまってぼそぼそしている。まさに青菜に塩である。僕らの時のような強さと陰険さはない。彼女は教室の中では普段からそうであり、いち生徒、その他大勢に扮している。

「安西さん」

 門脇さんは怖いほど優しい声音で言った。

「ワカメはね、食物繊維が多く含まれているのよ。おまけに、コレステロール値を下げる効果があって、動脈硬化とか心筋梗塞を防ぐ効果があるの」

 どちらも危険な病気かもしれないけど、今の僕らには縁が遠い。

「ワカメは苦手なの」

「さっきも聞いたわ。いい、安西さん。世界にはね、食べたくても食べられない人がたくさんいるのよ。紛争地帯、発展途上国、独裁国では、道に落ちてる米粒を奪い合う事さえあるの。今の私達は、とても恵まれているのよ」

 お得意の食糧問題を語り出す門脇さん。幅、身長、奥行きともに、三人の中で一番小柄な池沢君の二倍はある。女の子の体型をあれこれ言うのは失礼だけど、世界の食糧問題を心配するには、少し説得力の欠けるスタイルだと思った。ダイエット器具のセールスを売るのも不向きである。

「で、でも」

「好き嫌いはよくないよ。食べた方がいいと思うけど」

 小さな子供を諭す母親みたいにだが、門脇さんによる言葉の圧力に押しつぶされ、安西さんに仕方なくワカメ漬けを口に入れた。まずそうに顔をしかめながら、何とか飲み下したようだ。

 しかし、門脇さんは空になった器に、新しくワカメ漬けを追加した。

「お代わりするよね、安西さん」

 その時の安西さんは、首を傾げながら口元をヘの字に歪ませ、前髪の隙間から瞳は今にも泣きそうになっていた。その時の彼女の顔を、僕はおそらく、大人になっても忘れる事はないだろうと思った。

 まあ、下校する頃には思い出せなくなっていたんだけど。


「門脇……絶対に許さない。殺してやる……呪い殺してやる。門脇……時間をかけて、じわじわと。事故に見せかけて……屋上……いえ、あんな重い奴、落とすのは難しい。門脇、自動車で……バックして、二度轢いてやる。ど根性ガエルみたいに平面にしてやる……でも、わたしは免許がない。クソッ。じゃあ、給食に一服盛って……門脇、カニみたいに口から泡を吹かせて、あの世へ。待って、毒物はどうやって入手するのよ? 当局に動き出したら、足がつくじゃない……」

 その日の帰り道、安西さんは何度も呪詛を繰り返していた。僕ら三人は後ろからそれを聞く羽目となった。下校中も葬式の帰りのように沈んでいた。

「安西、かなりキテるな」

「うん。門脇さんにあれから何回もワカメを食べさせられたからね」

「オレさ、あの後で安西の奴がトイレに入って行くのを見たぜ。あれはきっと、食ったやつを吐いたんだぜ」

「安西が吐いた……」

 池沢くんが妙な点に拘っている。鼻息も荒い。眼鏡が曇っているように見えるのは気のせいではないだろう。

「女の子も嘔吐ってするもんなんだね。唾液を口の端から、つつぅと垂らして……しかも、あの安西が。あの安西が……」

「池沢、おめえ少し変だぞ」

「妄想は無限の可能性を秘めているんだよ、仲上」

「でも、なんで、門脇さんは安西さんにワカメを無理やり食べさせたのかな?」

「給食係の特典目当てなの」

 今まで呪いの言葉を吐いていた安西さんが、僕らの後ろから言った。

「特典?」

「給食係は週に一度の集会があるの。そこで各クラスで給食の残飯の量を集計するの。ここまで言えば、門脇の狙いが分かるでしょ?」

「そうか。残飯の一番少ないクラスの給食係は表彰される」

「その通り。門脇は自分の就任する間、残飯の少ないクラスの給食係に授与される、残さず食べて偉いで賞を連続で手に入れるつもりなのよ」

 そんな物のために安西さんが犠牲になるなんて気の毒だと思ったけど、同時に疑問が湧いた。

「ちょっと意外だったな。安西さんはワカメが嫌いだったんだね」

「当たり前じゃない。あんなペラペラな後味の悪い、グロテスクな色をした物体を口に入れるなんて、ゲテモノ好きじゃあるまし」

「でも、好き嫌いはよくないよ」

「世の中には星の数ほど食べ物があるの。野菜だってそう。ワカメぐらい食べられなくたって、他で補えばいいの」

「でも、箸の持ち方とか、食べる順番とか、音を出さないとかのマナーと同じぐらい、好き嫌いしないのは大事だと思うけど」

「山野辺くんは、わたしが食事マナーに欠けていると言いたいわけ?」

思わず失言してしまった。安西さんに睨まれて、慌てて目を伏せた。

「だいたい、食べ物の好き嫌いなんてね、今のうちだけよ。大人になったら、そんなものは曖昧になっていくものなの。むしろ、あんなに無理やり食べさせられたら、トラウマになって一生食べたくなる方が多いわ」

 安西さんは恨み事を漂わせながら、僕らの前を行き過ぎて行った。嵐が過ぎると逆に静かになるものだ。

「しかし、困ったな」

 池沢くんが一枚の紙を広げた。今週の給食のメニュー表だった。

「明日のメニュー、おかずはワカメスープだ」

「安西も運が悪いな」

「さらに明後日は、ワカメご飯。そのまた次の日は、ワカメサラダ。その次の日は、ワカメ巻きの卵焼き」

「安西、悪過ぎだろ!」

 仲上くんは腹を抱えて爆笑した。人の不幸を嫌う男だが、相手が相手ならメシウマの感覚なのだろう。

「うちの学校にはハゲが多いようだな。とにかく、安西の不運はまだ続く。門脇がほってはおかない。だが、問題なのは別にある」

「問題って何だよ?」

「安西の災難に、僕達が巻き込まれてしまうかもしれないという問題だ。どうか、杞憂に終わってほしい」

 生憎、池沢くんの嫌な予測の的中率は、テストのヤマよりも正確だった。つまり、杞憂で終わらなかったのである。


 翌日の給食のワカメスープは、いつもより多く残っていた。誰もお代わりしないせいだった。

安西さんはワカメだけを避けながら、出汁だけ啜ってしまった。後に残ったのはワカメの残骸だった。

「安西さぁぁぁん!」

 門脇さんがキティちゃんを両手で抱きながら、農作物を踏み荒らす巨人みたいにドスドスとやって来た。便の中の牛乳も揺れるほどだった。安西さんは肩を震わせて縮こまる。

「今日は、ワカメを残すつもりなのね」

「あ、あの、ワカメは苦手で……」

「昨日も聞いたわよ」

 僕らの前では居丈高に接する安西さんも、教室の中では善良で目立たない小市民を演じている。そのせいか、門脇さんが図に乗ってしまうのだ。

「駄目よ。ワカメはね……」

「食物繊維も多く含まれているんだよね?」

「そうよ。それに髪の毛も生えやすくなるの」

 安西さんの髪は肩まで伸びているので、今のところ脱毛の心配はない。その説を盲信じているものが一人いた。仲上君である。一人でワカメスープを三回もお代わりしていたが、それでもまだ、おかずの器の底が見えないほど残っていた。皆はあまり好きではないので、配膳をする給食当番に頼んで、寮を少なくしてもらっているのだ。

「私は思うの。ワカメが嫌いなあなたが好き嫌いをなくすには、嫌いなワカメを食べるのが、一番いいと思うのよ」

 門脇さんが自信ありげに力説した。言われた側としては、納得できそうでできない考えだろう。しかし、今の安西さんは牙を抜かれた狼であり、反論する立場にはなりえなかった。

 結局、安西さんはワカメスープを二回もお代わりさせられた。その様を、門脇さんは何度も頷きながら観察していた。僕は気の毒に思いながらも、哀れな悪友を見守るしかなかったのだ。

 一方、僕の隣に座る池沢くんは、机の端からスマホを覗かせていた。レンズの先には、大嫌いなワカメを口に運んではむせる安西さんの姿があった。三人の頭脳は事もあろうに、嫌いな食べ物に苦しむ女の子を盗撮していたのだ。

 半開きに歪む口元、そして眼鏡の奥から光る奇妙な輝き。変わり果てた親友の痴態を、僕は大人になってもきっと忘れない。

 間違いなく、性犯罪者の顔だった。


 三日目。今日の給食にはワカメご飯が出てきた。三連続で同じ食材を使うのは、給食のおばちゃんの思いやりや手抜きかのどちらかは不明だが、ワカメを嫌う生徒には拷問に等しいだろう。

 安西さんはとりあえず策を打った。

 協力者は仲上くん。彼は、ワカメは育毛効果があると知ってからワカメ好きになった。ひたすら食べるようになった理由は、彼の家系にある。祖父と父親はどちらも三十代ぐらいから髪の毛が薄くなり始めたらしい。そう、仲上くんは若ハゲという遺伝子の宿命に抗おうとしているのだ。

 僕らが大人になるまでに、万能な毛生え薬が発明されてほしいものだ。

 さて、本題に戻ろう。

 給食の時間、安西さんの指示で、仲上くんは急いでワカメご飯を平らげた。そして、安西さんに合図する。彼女の器にはまだワカメご飯が大盛り(配膳したのは、門脇さんだ。少しでいいと言ったが無視されたらしい)のまま残されている。

 安西さんは仲上くんに合図した直後、お互いの器を交換した。そして、彼は手つかずのワカメご飯を勢いよく食べ始めた。安西さんは何事もなく、デザートのプリンにスプーンを伸ばす。

 この後どうなるのか、容易に予想できた。

「安西さぁぁぁん!」

 進撃の門脇さんが、また僕らの集落に攻めてきた。人類(四人)の歴史は終わろうとしている。

「今日はちゃんと食べたみたいね」

 その手には新しいワカメご飯を乗せた器を持っている。それを無造作に彼女の目の前に置くと、「お願いね」と言い残して立ち去った。

 安西さんは目で指示すると、また、自分の器と食べ終わったばかりの仲上君の器を交換した。彼の顔は少し、苦しそうに見えた。

 やっと二杯目を食べ終わると、門脇さんが通りざまに再び、新しいワカメご飯を残していった。

 彼女は安西さんが、自分と同じ大食漢だと思っているのだろうか。

 ところが三杯目になって、仲上君は腹を押さえながら、教室を出て行ってしまった。大盛りのご飯を二杯も食べさせられたのだから無理もない。安西さんの機転は早かった。斜め向かいの池沢君に小声で言った。

「食べて」

「僕は胃袋が小さいから無理だよ」

 さらに声をひそめて言った。

「池沢君は、ストーカー規制法って知ってるよね」

「う」

「迷惑防止条例」

「うう」

「勝手に私を盗撮した罪は軽くない。きっと、池沢くんは変態呼ばわりされる。家の塀にも『出て行け、犯罪者』。他の女子にも罵られる。『近寄らないでよ、キモいのが移るでしょ』。親には折檻される。『お前みたいな異常者は、私達の子なんかじゃない』。そして、少年Iは少年院へ……」

 池沢君の顔が固まった。やっぱり、隠し撮りはバレていたのだ。

「うわぁぁぁ! 許してくれ、悪気はなかったんだ! ほんの出来心なんだ。録画した分は消すから見逃して」

「もし、ワカメご飯を食べてくれたら、私から一枚の画像を送ってあげる。口にワカメをつけて、よだれの糸を垂らしているアップ」

「本当?」

「撮影するのに苦労したから、欲しいと思う人に見てほしいな」

 池沢くんは自分から安西さんの器をひったくると、ワカメご飯を勢いよくかっ込み始めた。一杯目、二杯目と止まらない。僕ら三人の中で一番小柄な彼から、どこにそんな力があるのか。欲望が為せる技だろうか。

 しかし、何事には終わるはある。三杯目を食べ切ったところで、とうとう池沢くんはダウンしてしまった。またやって来た門脇さんは「ラスト二杯ね」と新しい器を置いていく。

 もう僕らの班は態のいい残飯処理になり下がってしまった。

「安西、僕はもう駄目だ……約束の画像」

「後で送るわ。さてと――」

 安西さんは無造作に新しいワカメご飯を僕の机に置いた。

「まさか、僕も?」

「当然じゃない。四人は一蓮托生なんだから」

 負担だけ三人に偏っている。

 僕もあまり食べる方ではない上に、お箸の持ち方を直すのに苦労している最中だった。しかも、おなかも一杯だった。ましてや、安西さんほどではないものの、ワカメ類はあまり好きではない。

「明日もこんな感じだったら、給食の時間だけ保健室に通いたくなるかも」

「安心して。門脇の横暴も今日で終わりにする」

 今の安西さんは教室での大人しい彼女ではなかった。ほほ笑みをこちらに浮かべ、怪しく光る瞳を向ける。長い前髪をかき分けていた。

「何をするつもりなの?」

「仕掛けてやるの。だから、お願い。あと二杯」

 こんもりと盛られたワカメご飯を眺めた。選択の余地はないと思い、僕は覚悟を決めた。そして、箸でぎこちなく運びながら食べ始めた。


 午後の授業からの最悪だった。

 ワカメご飯を食べ過ぎたせいで、僕ら三人は腹痛で保健室に行く羽目となった。生憎、一床分しか残っていないベッドを三人で共有した。真ん中になった僕は、両サイドの男臭さと生臭さに挟まれていた。

「山野辺、もっと真ん中に寄ってくれよ」

 池沢くんが迷惑そうに言った。鼻孔をくすぐる臭いを放つのはそちらの方なのに。彼は今、苦しさで呻きつつ、安西さんから送られてきた画像を眺めていた。あまり嬉しそうではなかった。

「安西ってこんなババアだったっけ?」

 池沢くんの携帯の画像を見せてくれた。すぐに目をそむけた。収まりかけた吐き気がこみ上げてきて、僕はベッドから飛び出すと、そばのバケツに顔を埋めた。

 映っていたのは、ギリギリ人間の妖怪みたいな老婆が、ヘラヘラしながら黄ばんだ歯をのぞかせ、涎を垂らしている。

 画像の下のはこうあった。


 彼氏募集中

 条件:財産多し、家と土地あり、家族親戚なし、七十五歳以上で持病あり。


 さらに、安西さんの警告が追加してあった。


 私を撮った分はすべて削除してね。明日、確認するから。一枚でも残っていたら、老けメイクさせて画像の人に会わせるから、そのつもりで。


「どこかのアダルトサイトから貼り付けて送ったんだ」

「ひどい……僕、トラウマになって女の人と付き合えなくなるかもしれない。女の人って皆こうなっちゃうの?」

「分からない。一つ言えるのは、安西は悪魔の生まれ変わりだという事だ」

「いや、昔は優しかったが、心を忘れてモンスターになってしまったっていうパターンだぜ、あれは。昼ドラでやってたぞ」

 安西さんは、ずっと先の世界からやって来た未来人なんだ。きっと、未来では思いやりも優しさもなくなっているに違いない。他人を陥れて、騙して、恐怖を抱かせるのだ。もしかすると、ターミネーターかもしれない。銃器の代わりに、精神的に人を殺す機械なのだ。

 僕はさっきの画像を思い出した。

「僕、あんなものを見せられたら、もう女の人が怖くなるかもしれない」

「だったら、男を好きになればいいだろ」

 仲上くんが吠えた。

「オレはよ、女はもちろん、男からも好かれるような、そんなアツくてイイ男になりてえぜ」

 僕と池沢くんは彼からやや距離を取った。彼は男気のある親友だが、今後の付き合い方を少し改めようかと思った。

「にしてもさ、明日もこんな目に遭うんなら不登校になろうかな」

「安西さんの約束は破らない方がいいよ、池沢くん」

「ああ、そうだった。明日は学校に行かないと悪夢が現実になる。じゃあ、給食時間までに早退してやる」

「たぶん、もうおかわり地獄はないと思う」

「なんでだよ、山野辺?」

「安西さんが本気になったから」

 池沢くんは少し考えた末、携帯にある盗撮写真を一斉に削除した。百枚を軽く超えていた。

「明日は少し楽しくなるといいな」

 友人が引きこもりにならずに済んで、僕は少しほっとした。


 翌日の給食でとうとう悲劇が起きてしまった。

 ただし、安西さんにではない。

 配膳が終わった直後、ワカメオムレツの鍋ごと引っ提げて、自分のトレイを持って、門脇さんがやって来た。彼女の歩く振動でいつ来るのが察知できるようになっていた。

「安西さん、苦手なワカメでも卵と一緒なら食べられるでしょう」

「うん」

「あら、今日はやけに素直なのね」

「今日は、私達の班と一緒に食べてほしいの」

「私と?」

「門脇さんといると給食がおいしく感じるの。ねえ、みんな?」

「うん」

「そうだな」

「たぶん」

 僕ら三人は事前の打ち合わせ通りに相槌を打った。門脇さんが同席していては、昨日のような小細工はできない。安西さんはどんな策を打つのか?

「あれ、門脇、いつものウサギはどうしたんだ?」

 今日の彼女は、お気に入りのウサギを抱いていなかった。

「それがね、キティちゃんが小屋からいなくなっちゃったの。いたずらっ子だし、どこかで遊んでると思う。食べ終わったら探しに行こうと思うの」

「見つかればいいね」

 安西さんは心配そうに言った。前髪で隠れていたが、一瞬、口元に笑みが広がるのが見えた。何かが起こる、と僕は予感した。猫事件の時だってそうだった。安西さんが笑うと、誰かが泣く。

 門脇さんはブルドーザーみたいに自分の机を押して来て、僕らの班に合体すると席に着いた。そして、いつものようにメニューを読み上げていく。

「ええと、本日のメニューは、白ご飯、福神漬け、安西さんの大好物になってほしいワカメのサラダ! それにカレー……ん、あれ?」

 門脇さんが突然、顔をメニュー表に向けたまま眉をひそめた。厚ぼったい口は半開きのまま硬直していた。

「何これ? ウサギ肉入りのカレーですって」

「ホントだ。でも、ウサギ肉入りのカレーって珍しいよね」

「そ、そうよね、はは」

 門脇さんがワナワナと震えている。他の班からもどよめきが起こる。そりゃあ、ウサギ肉のカレーなど珍しいだろうし、そんな珍品を学校で口にするとはだれも夢にも思っていないだろう。

「いただきます」

 いつの間にか号令が終わり、周りのクラスメイトがウサギ入りとされているカレーを口に運ぶ。門脇さんはそんな様子を茫然と眺めていた。

「門脇さんは具合でも悪いの?」

 安西さんが意地悪く聞いた。

「いえ、そうじゃなくて……」

「じゃあ、食べなきゃ。午後の授業に身が入らないし、健康にも悪いわ」

 門脇さんがスプーンでカレーのサイコロ肉をすくい上げる。

「好き嫌いはよくないよ」

「そうじゃないの。ウサギって食べられるのかなって……」

「私の親は仕事で海外にいるけど、ヨーロッパではウサギの肉は伝統食として食べる人もいるよ」

「そうなの、安西さん?」

「ええ、日本でも東北でも食肉にされているのも珍しくないの」

 そう言いながら、安西さんはワカメサラダに頑張って口に運んだ。自分もこうやって嫌いな物を食べているのだから、あんたも食べなさいよ。そう言っているような気が僕にはした。

 門脇さんは恐る恐るカレーを口に運んだ。

 同時に安西さんは口元を手で覆いながら、また笑みを浮かべるのを、僕は見逃さなかった。獲物が餌に食らいついたのが嬉しいようだ。

「門脇さん、このカレーとってもおいしいよ。まさか、給食係の門脇さんが食べ残す訳ないよね。他の皆も普通に食べてるのに」

 確かに五年五組の皆は当たり前のように、ウサギカレーを食べている。門脇さんの顔色はますます悪くなる。

「食べますよ。給食係は食べず嫌いなんてするもんですか!」

 門脇さんは目をつぶりながら、カレーを口に運んだ。

「変わった味じゃないわね。いつものカレー見たい」

 門脇さんが三口ぐらい食べたところで、安西さんは言った。

「あ、そうそう忘れてた。給食のおばさん達がこれを門脇さんに渡してほしいって言ってた」

 机から取り出したのは、ウサギの首輪だった。そこには《キティ》と刻印されている。分かりやすく、所々にべったりと赤い染みが付いていた。誰もが血を考えるに違いない。

「キティちゃん! それはあの子の首輪よ!」

「門脇さんには隠していたけど、うちの学校のウサギ達は、このメニューのために飼育されていたの」

「そんな……そんな……嘘でしょ?」

 安西さんは顔を下げた。その演技力は子役以上だった。

「私も事情を知って止めようとしたの。門脇さんの大事なキティちゃんだけでも助けようとして。でも、あの子、生きたままかっさばかれちゃって」

 門脇さんが泣き始めた。昨日まで可愛がっていたウサギがカレーの肉に変ったのだから無理もない。

「せめて、食べてあげましょう。キティちゃんは門脇さんの栄養として、血と体脂肪になってくれる」

 門脇さんが号泣しながらカレーを食べ始めた。それも高速に、二杯目三杯目と平らげても留まる事を知らない。

「キティちゃん、可愛いキティちゃん……キティちゃんが私の中に、私の体の一部になるの……」

 うわ言のように繰り返す門脇さん。彼女はカレーの鍋まで行くと、おかわりしようとした他の生徒を押しのけ、そして、器をスプーン代わりにして鍋のカレーを食べ始めたのである。あまりにも豪快な食いっぷりに、担任もクラスメイトも呆然と眺めるしかなかった。

 しばらくして、大きな音が響いて、教室が小さく揺れた。門脇さんが床に倒れたのだ。

「門脇さん! 大変、誰か、保健室に!」

「あんなに食うからだよ」

 大柄な彼女は、保健係の四人の他に二人の助っ人と共に、担架に乗せられたが、あまり使われていなかった担架が古いのか、子供であるはずの患者の重量が規定外だったのか、一人の持ち手が根元から折れてしまい、彼女は背中から床に倒れてしまった。

「うわあぁあぁぁ! きてぃぃぃちゃあああんんんっっ!」

 せきを切った喚き声を教室に残し、門脇さんは大人用の担架で運ばれていった。その絶叫は、今も僕の耳に残っていて離れない。


 門脇さんがいなくなってしばらくすると、教室はいつもの賑やかさを取り戻しつつあった。

「すげえな、あの門脇を撃退させちまった」

「鎧袖一触といったところね。ちょっとは疑ってほしかったな」

「でもお前もえげつないな。あいつに大好きだったウサギの肉を食わしちまうなんて。カチカチ山のタヌキみてえだな」

「本物のウサギは入れてないよ」

 安西さんはそう言うと、机に欠けたランドセルの蓋を開けた。中からぶくぶく太った白い兎を取り出した。門脇さんの愛したキティちゃんである。

「ウサギの肉いりなんて嘘。門脇は簡単にだまされて、ただのカレーを暴食したの。メニューだって偽物だし、首輪の血も絵具。ああいうボランティア好きな人はね、自分に酔うタイプなの。ワカメが嫌いな安西さんを矯正する自分って偉い。ころっとだまされる典型ね」

 彼女に頼まれて、僕達は教室に貼られたメニューはもちろん、体育の授業に抜け出して、教室にあったクラスメイトの分も偽のメニュー票にすり替えたのだ。五組だけがウサギ肉入りのカレーだと思うだろう。

 そして、安西さんが用意した合い鍵と使って、ウサギ小屋のウサギ達とキティちゃんを拉致した。

 その時、僕はある事に気がついた。安西さんが当たり前のようにワカメのみそ汁をすすっているのだ。

「安西さん、ワカメを食べられるようになったの?」

「うん。さすがに慣れちゃったみたい」

「じゃあ、門脇さんの荒治療も悪いわけじゃなかったかもしれないよ」

「もちろん、ワカメは今も嫌いなの」

「じゃあ、なんで今は食えるんだよ」

「門脇の姿を思い浮かべると、やけにおいしく感じるの。きっと、あれかな。楽しい事を思い浮かべると食事が楽しくなるってやつ」

 窓からサイレンが聞こえてきた。重病人の門脇さんを乗せて、救急車が病院へと搬送していった。

「自分の身を挺して、クラスメイトの好き嫌いを直そうとするなんて、給食係の鏡だね。ねえ、思わない?」

 安西さんはそう言いながら、無邪気な笑顔を浮かべた。いつもの彼女から想像もできないかわいさがあった。いつもそうして、言動がまともだったら、僕らの班にはいなかっただろう。

 僕は食欲がほとんどなかった。仲上君でさえ、好きな牛乳をちびちび飲んだままだった。隣を見ると、そんな彼女の無邪気な笑顔を盗撮しようとする、鼻息の荒い池沢くんの姿があった。

 やっぱり、安西さんは未来人。

 僕ら凡人より先を歩いてる。

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