第三幕「なら、お姫様抱っこでもしましょうか」
歌が止み、それまで静聴していたマトリョーシカ達が一斉に、小さき歌い手『歌姫』へ賞賛の拍手を贈っている。
奏でられた歌は、ディーヴァという存在に与えられた特別なものだった。
各界の長ディーヴァの奏でる歌は歌であると同時に、それぞれの世界に於いて最も重要な役割に依存した力を発揮する。
この冥界では役割に沿い、歌には浄化の力が反映され、その歌は『ダークラプソディ』の名を冠する。
単なる歌でしかないはずの音と、詩に込められた意味や情念の連なりが引き金となり、ディーヴァの体内で浄化、蓄積した黒死を媒体とする浄化の力を開放。
冥界全土にも及ぶ波動を生み出す。
冥界全土にまで効力の及ぶその巨大な波動は、黒死や魔物を滅ぼすには至らないが、森や新たに送られてくる死者の魂の浄化には打ってつけである。
「……始まったようですね」
その言葉を合図に、一同は空を見上げた。地上に灯りが無いせいか、星月が凄絶なほど眩く輝いて見えた。
ぽつり、またぽつりと夜空を走る光。
それが次第に増え、流星群など比較にならないほど、降り注ぐ星々が空を埋め尽くす。
いつからかそれは天の川のような光の道となって夜空に横たわっていた。
それはこの世界ではこう呼ばれている。
「魂海、綺麗……」
見上げるは空ではない。燦然と輝くもまた星ではない。
星のように輝くのは死者の魂。それを浮かべるのは魂海と呼ばれる冥界から天界へと続く魂の通り道なのだ。
定期的に行われる冥界のディーヴァによる浄化の儀に合わせ、浄化の済んでいない大量の死者の魂が送られてくる。
そのため、歌の直後の魂海はこのような状態となる。
無論それは粛々と行われるべき重要な役目であったが、冥界の住人はディーヴァの歌とともに、唯一のエンターテイメントとして浄化の儀を楽しみにしていた。
「幾度繰り返せば、我々の苦労が報われるのだろう。私はこれを見ると少し気が滅入るよ」
そう嘆息しながらも、ホムラは魂海を眺めるのを止めるわけでは無い。
「相変わらずの苦労性ですね。ディーヴァの歌も、魂海も、もっと気楽に楽しんだらいいのに」
「ふい〜」
見下げると、肩が凝ったというような仕草で疲労感をアピールするディーヴァ。
「言っとくが、結構しんどい思いをしとるんじゃぞ、ワシは」
「なら、お姫様抱っこでもしましょうか」
両手を広げ、歌姫に歩み寄るトキ。侍女マトリョーシカとして長を気遣うのは当然のことだったが、
「いや、断る」
と拒否される。セクハラ常習犯のお姫様抱っこに危険が潜んでいないはずは無い。
案の定その目論見も七対三くらいで大いにあったのだが、ディーヴァの身を案じてか、単に欲望に取り憑かれたのか、歩み寄るのを止めない。
「ぬおっ…そ、そんなにワシをお姫様抱っこしたいのか…正気か、変態か」
信頼されるべき長にドン引きされながら、それでもトキはディーヴァの元へ歩み寄る。
ふと、その視線が違うところへ向いたかと思うと、突然広げられた両手には二本の黒い短剣が凝負され、真剣な面持ちを携える。その歩みが加速した時、ディーヴァの背後へ黒い一撃が走った。
それに先んじて気付き、誰よりも速く駆け出していたトキは、ディーヴァの背後に身を乗り出し、大勢のマトリョーシカ達の方から飛来したそれを弾く。
硬質な音を立てて地面に転がったそれは黒い槍。凝負されたであろうそれは、主の制御から解き放たれ、散る。
「誰だ!!」
事態を把握したホムラがすさまじい剣幕で大衆に咆哮する。
ディーヴァの元へ駆けつけながら、問われ騒然とするマトリョーシカ達の中に怪しい者はいないか目を配る。
先程まで浄化の儀を和やかに楽しんでいた者達の中にこんな馬鹿げたまねをする者がいるなど、あまり考えたくは無いが、アタラクシアによる攻撃を受けた、ということは相手が冥界のマトリョーシカであることを何よりも証明している。
(たとえ仲間であろうと、ディーヴァを傷つけるなら容赦はしない)
僅かな沈黙の後で、一人が前に出る。
「その姿は狩組に属する者か。どうゆうつもりだ、事と次第によっては…」
「黙れ。雑魚に用は無い」
問い詰めるホムラをそう一蹴するのは、狩組所属、通称『眼帯のセツカ』。
「……気に入らないな。一介のマトリョーシカ風情が、我々侍女マトリョーシカを雑魚呼ばわりか」
辺りは俄かに殺気立つ。ホムラは片手で後頭部を掻くような動作一瞬、その手に身の丈ほどの大剣を凝負させ、臨戦態勢を取る。
「まあ、まて」
と、長を守護しようと構える二人の前に逆に踏み出て、セツカと対峙するディーヴァ。
「ディーヴァ!」
強く諌めるような、或いは悲痛を訴えるような叫びを上げるホムラとトキ。
「落ち着け。皆は手を出さんでくれ」
そう周囲を制してから、突然の襲来、その訳を聞く。