第二幕「知らん、邪魔するな戯けがっ」
「……ふむ、妙じゃな。おい! 誰かおらんか?」
声を上げたのは長い銀髪の少女。
とある一室で、一人木造のテーブル前、イスの上に腰掛け、透き通るような青い瞳を不満げに揺らしている。少女の声を聞き、部屋に入ってきたのは赤茶色の髪をした一人のマトリョーシカだった。
「どうしました?」
「そろそろではないのか? 未だに何も運ばれて来ぬが」
「さあ、私は特に何も聞いていませんが」
「おかしい、ワシの感覚からするとそろそろのはずなんじゃが」
「そう言われましてもねぇ……」
言いつつ赤茶髪のマトリョーシカは後ろ手に何かを持っている。
言葉は丁寧ながら、素振りは不審、言動もどこか空々しい。
怪しいとにらんだ少女は問い質す。
「ヌシ、ワシに何か隠しておるのではないか?」
「いいえ? 精々あなたに対する卑猥な妄想くらいですよ」
問いに対し、毅然とした態度で変態発言をする。
どうやらこの赤茶は嘘を貫き通すつもりらしい。
しかし少女も引く気は無い。後ろで隠している何かを執拗に覗き込む。
「そうかー、妙じゃなー」
「何をしている」
と、不毛な攻防に終止符を打ったのは黒い髪の新たな入室者。
赤茶髪の姿を見るなり、その後頭部を拳で殴打する。
「いたい」
「またお前か、いい加減にしろ。さっさと渡すんだ」
下手に抵抗するともう一発いくぞ、と振り上げられた拳が語っているので、素直に隠していた物を少女に見せる。
「やはりヌシか。申し開きがあるならゆうてみよ!」
「ディーヴァの困った顔が堪らなくそそるからですっ!」
「死ねい!」
「ごふぉっ!」
小さな体躯から繰り出された掌底が赤茶髪のマトリョーシカこと、トキの顎を強烈に打ち砕いた。
「何がしたいんだお前は」
床に転がったそれを冷ややかに見下ろす黒い髪のマトリョーシカこと、ホムラ。
二人は冥界の長、ディーヴァを側で支える任を負う侍女マトリョーシカと呼ばれる存在だ。
能力的には二人ともずば抜けているが、外見は他の者と差は少ない。
全体は黒一色、二の腕から肩、それに腹部と太ももを露出させ、動きやすさを追求。
ホムラは右手を篭手で覆い、右肩にケープが掛からないよう小さめの物を左肩でまとめている。
トキのケープはやや長めで、網タイツのような網目のレギンスを片方だけ履いている。
冥界の衣装は大きく分けて二種類ある。
セツカや侍女マトリョーシカ達のような服装は戦闘装束として、些細な違いはあれど、基本的なコンセプトや機能が統一化されている。
一方もう一種類は非戦闘員の装束である。戦闘装束と比べ露出が少なく、スカートやパンツタイプなどさまざまだが、そのほとんどがフードを有する。
月性樹の森は黒一色が広がる常闇の森だ。
戦闘装束のケープも含め、魔物から姿を隠すには黒色を纏うのが最適である。
非戦闘員の装束は戦いを避け、魔物から逃れるために黒以外の頭髪でも隠せるようすっぽり覆えるフードが付いているのだ。
しかし、ここに例外の少女がいた。
「さて、では始めるとしようかの」
銀髪の少女ことディーヴァ。
彼女の服装は黒のワンピースに二の腕までの手袋と、太ももまで覆うレギンスに長靴を着用。
髪飾りに黒い蝶を象ったものを身に着けているが、フードのような物は見当たらない。
何よりも目立つ銀髪を彼女は隠さない。
何故ならそれが、ディーヴァという最たる者の証であり、強さの象徴だからである。
その一端、長にしか勤まらない役目を全うするために、トキから受け取ったバスケットを開き、中から黒い果実『黒死』を取り出した。そして徐に口へと運ぶ。
トキが隠し持っていたのは、採組のマトリョーシカ達の成果と言える、バスケット一杯の黒死だった。
次から次へ、外も中も真っ黒な果実を黙々と食すディーヴァに、いつの間にか復活を果たした侍女マトリョーシカ、トキが訊ねる。
「前々から思っていたのですが、それはどのような味がするのですか?」
「む、味か。そうじゃな……はむ、んぐあぐ……微かに甘い。あと見た目より瑞々しいかの」
「へえ、甘いんですかー。なるほど……」
口元に指を当て、何やら物思いに耽る赤茶。
「食おうとは思うなよ。ディーヴァでもなければ浄化しきれず魔物になるやもしれん」
いたずらっ子に言って聞かせるような物言いのホムラ。
正直本当にやりかねないのではと半ば本気で忠告するが、
「いえ、別に黒死には興味ありませんが……」
と返され要らぬ杞憂だったと一瞬思うも、
「ただ……少しうらやましいな……って」
「……ん? うらやましいだと?」
「はい……ディーヴァは……私と黒死……どっちが甘くて瑞々しいと……はぁはぁ……思い……ますか?」
何故か頬を紅潮させ、瞳を潤ませながらディーヴァにそう迫る姿を見て、ああやはり駄目だこいつは、と回帰するのであった。ちなみディーヴァの反応は、
「知らん、邪魔するな戯けがっ」
食事を邪魔すると機嫌を損ねるらしく、がるるっとうなり出しそうな形相でそう返していた。
「ふぅ〜」
バスケットの中身を平らげた幼げに映る唇から息を吐く。
リンゴ位の体積を持つ黒死をおよそ二十も食らい尽くしたその腹は、不思議と膨らんでいる様子もなく、至って平常時のまま。
そもそも人間に例えると精々小学校低学年くらいにしか見えない幼女が食す量ではない。しかも、ものの数分で平らげたのだから、宛ら熊か虎の所業である。
「誰が猛獣じゃ」
「何か言いましたか」
「いや、失礼なことを言われた気がしてな」
「気のせいだろう。それよりも具合はどうだ?」
ホムラに問われ、繁々と腹部を摩るディーヴァ。
もちろん消化吸収に不備はないか、などと訊ねているのではなく、黒死を食らうという行為によってもたらされる〝あるもの〟についてである。
「うむ、問題はない」
「なら直ぐにでも浄化の儀を始められるか? 馬鹿のせいで時間がない」
「おお、そうじゃったな」
ぱあっと想起を表情に浮かべ、徐に立ち上がる。そして部屋の出口がある方とは逆、壁側の黒い窓のような部分に視線を向けた。
「そうじゃ、時間が無いのならあそこから行かぬか」
妙案じゃろう? そう言わんばかりのディーヴァにホムラは首を振る。
「まて、そこは出入りするような場所じゃない。普通に出口から……聞けよ話を」
すたすたと窓のほうへ歩いていく銀髪の後ろ髪を見送るその視界から、それはフッと映らなくなってしまう。
窓を開閉するような動作は無かったが、近づき触れた途端にディーヴァの姿は消え去ってしまった。
「と、本当にそこから行きましたか。では私も後に続くとしましょうか」
音も無く、また黒い窓は赤茶の色彩を飲み込み、この部屋の住人を減らす。
「……困った姫君だ……」
三度窓は……否、窓とは違った。
それが繋いでいた二つの世界の内、一方は意外な景色を誇っている。
それは絶景。
俯瞰に広がったのは茂る森の頂部が立ち並んだ光景。そこは足場の無い中空だったのだ。
今飛び出したばかりの方を見る。黒い四角形などは見当たらず、ひたすら上下に樹皮の壁が聳えている。
「相変わらず完璧なカムフラージュだな、この樹は」
ホムラの見上げる大樹は、ただの大樹では無く、様々な機能を備える不可思議な樹だった。
内部は居住スペースになっており、しかし決してその中を窺い知ることは出来ない。
何故なら出入り口や窓の一切が外からは樹皮にしか見えない特殊な膜によって、隠蔽されているからだ。
『千迎樹』と冥界の住人は呼んでいるが、実の所その正体は定かではない。
月性樹と同様、誰が種を撒き、どのようにして成長、現在の森の姿となったのか、ディーヴァすら知らない。
ただ、明確に分かっているのは、冥界の住人たちにとってこの樹は間違いなく有益な存在であるということだ。
流石に全てのマトリョーシカを住まわせることは出来ないが、少なくとも中の居住スペースは野宿するより遥かに快適な空間であり、またこの樹はマトリョーシカと魔物を区別、後者を拒絶する性質もある。
それ故に、黒死の捜索と魔物の討伐、冥界の住人たちに課せられた役割を果たす拠点として、千迎樹は彼らに選ばれ、長たるディーヴァを中心とした住人達が住まうこととなったのである。
千迎樹の上部から飛び出した三人は、とある儀式を遂行するため、屋外へと出る必要があった。ただ流石にこのまま落下していくと地面に叩き付けられ、月並みに大怪我を負う事になるので、まずはそれを何とかする。
具体的には、アタラクシアの行使。
黒き浄化の力アタラクシアは基本的に攻撃能力に長けたものであるが、力の根源である負の情念を御することで様々な使い方が出来る。
負の情念を圧縮することで擬似的に黒死のような物体を具現化する『凝負』。
使い方としては武器の姿で凝負させる『練刃』が主だが、高等技術として翼を具現化する『焦翼』という技がある。
文字どおり焦げたように真っ黒な翼は、その外観に反しない飛行能力を有している。
トキ、ホムラ、ディーヴァの三人は、落下しながらも『凝負焦翼』を一斉に展開した。
順に鳥、蝙蝠、蝶の黒翼をはためかせ、ゆったりとした滑空降下へと移行する。
数十秒くらい経過したところで地面が近づき、着地した。
千迎樹の根元周辺は開けた空き地のようになっており、やや樹から離れたところに黒布のテントがぐるりとサークル状に連なっている。
何のテントかと言えば無論、千迎樹を狩りや採取の拠点としているマトリョーシカ達の住居である。
マトリョーシカは基本食事を取る必要は無いが、体力やアタラクシアの力を消耗するため、休憩や睡眠は取らねばならない。
しかし森から常に魔物が発生、襲来してくる危険性が絶えない為、難しい。
故にこの拠点は多くの者が安全に休眠を取れる唯一の希少な集落だった。
「焦翼を使う分、かえって手間が掛かった……」
「なかなか愉快じゃった! の、ホムラ」
小言を言うホムラに、ぽんと肩を叩いて微笑んだディーヴァ。
物言いこそ老人のような趣を醸すことが多いが、時折彼女は外見に見合った無邪気な行動や、あどけない仕草を見せる。
年齢などを宛がえば、外見は幼いままでもゆうに数千歳は下らないことになるのだが、老人であろうと幼女であろうと、どちらにしても世話を焼かせる存在にはまあ違いない。
「おや、ギャラリーが……」
トキに言われ辺りを見ると、マトリョーシカ達が集まってきていた。
それを見て、ホムラは視線を空に上げる。
「ぎりぎり間に合ったな。ディーヴァ、刻限だ」
「……うむ」
数歩踏み出て、ギャラリーの前に立つディーヴァ。
目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。皆一様に何かを期待するような眼差しで、そんな銀髪の少女の姿を見つめている。
深く息を吸う。吐く息は無く、代わりに溢れ出た声。
それは歌だった。
紡ぐは沈黙よりも重い旋律。
語るは無情よりも軽い詩情。
この冥界と呼ばれる地で、その中心の中心に佇んで少女はただ、詩を歌うのだった。
『退廃の骸』
嗚呼
堕ちて涙は何処へ行く
腐って己は何処へ行く
抗い願うは誰の為
敗れて棄てるは我侭に
九つ数えて価値も無く
八つ数えりゃ淡々と
未来に怯え
過去に囚われ
狂った心に言葉を添えながら
必死に抱くは
もう面影の無い理想の成れの果て
だけどもう見えない……
意味さえ価値さえ希望さえ絶望さえ夢さえ理想さえも
孤独に呑まれ今にも背骨から瓦解しそうだ
嗚呼軽い
薄れ逝くこの存在よりも何よりも
ただ……
死する命の虚しきことよ……
骸抱いて星となれ
嗚呼
あの銀河の彼方を墓としよう……
「この歌は……」
「きっとディーヴァね。浄化の儀が始まったみたい」
アイとクイナの先導で狩組セツカは千迎樹近く、マトリョーシカ達の集落の入り口付近まで来ていた。
辺りに人気は無い。皆ディーヴァの歌を聞きに出払ってしまっている。
「ところで千迎樹にはどんな用があるの?」
無邪気に訊ねるアイ。また答えずらそうにはぶらかすのかと思いきや、セツカは答えた。
「……ディーヴァに会わねばならない」
「ディーヴァに? でも今ちょうど浄化の儀が始まったみたいだから、少し時間を置いた方が良いんじゃない?」
「いや、今だ。今が好機なんだ……クク……私は運がいい」
一瞬、顔を歪めたセツカの異様な目付き。それがアイとクイナが彼女を見た最後の姿となった。
「待っていろ銀華……ククク……」