第十五幕「のりのりじゃなぁ……」
「戦いは終わったようじゃが、ワシらはどうする?」
「……え?」
ホムラとクローディア、トキとオルガの戦いを見届けて直ぐ、冥界のディーヴァが切り出した。
問われ、天界のディーヴァは思考の本音と建前を融合させた言葉の羅列を構築し、なんとか自分なりの言い訳を口にする。
「えと、この決闘は冥界が既に二勝したので、私達が戦う必要は、無い……と思います」
上目遣いで恐る恐る冥界のディーヴァの顔を見る。あまり納得しているようには見えなかったので、狡猾にも更なる建前を付け加えてみる。
「オルガとクローディアの手当ても……しなきゃいけませんし……」
正直に言えばこのままさっさと天界に帰りたかっただけだが、立場上長である自分がその部下である二人のことを心配をしている、という言い訳は使いやすく、本心としても心配は心配だったので口にするのに憚る要素は無かった。ところが、
「ふむ、それなら心配はいらん。少し待て」
と、何故か冥界のディーヴァが背を向けた。そして森に向かって唐突に叫んだのだ。
「おねぇしゃんたちぃ〜っ! だいしゅきぃ〜っ! いっしょにあそぼぉ〜っ!」
天界のディーヴァは目を丸くして我が耳を疑う。
あの常に毅然としていて老人を思わせる口調の彼女が、急に容姿相応の舌足らずで知性の欠片も無い言葉を、それこそ幼女のような甲高い声で発したのだ。
一体何が起こったのかと狼狽していると、森の方から黒い影が高速で二つほど接近し、冥界のディーヴァの前に並んで跪く。
「お呼びで」
見るとそれは二人のマトリョーシカだった。
「うむ、すまんが、そこいらに転がっとる者達を千迎樹へ運び手当てしてやってくれ」
「御意」
二人は素早くトキ、ホムラ、オルガ、クローディアの元へ駆け寄り、それぞれ両肩に一人ずつ担いで、また高速で森の中へと消えていった。
「ふう、これで一先ず怪我人への対処は完了じゃな。……ん? どうした、目が点になっとるぞ」
言われ我に返る天界のディーヴァ。
目の前で次々に起こった理解不能な事態に軽く思考が破綻しかけたが、とりあえず自身の為にも問うべきを問うてみることにする。
「あ、あの、今のはいったい……?」
「ん? ああ奴らか。『駆組』と言ってな、情報の伝達や物の運搬を任せとる速力や地理の把握に秀でる連中の集まりじゃ。衣服やらテントの素材に使う魔物の体の一部なんかも、わざわざ深い森まで行き、狩組から回収して来てくれるのじゃ」
「そう……なんですか」
それはそれで聞いておいて損は無い話だが、一番聞きたいのはそこじゃない。
それはなんとなく、この広大な森で暮らしているのだから、そういう役割や仕組みがあって然るべきだと思える範疇のことだ。
最も謎で違和感があったのはその前。
「あ、あのそうじゃなくて、その……えっと……」
「何じゃ、はっきりせんの。遠慮など不要じゃぞ?」
とは言うものの、聞いていいことなのかどうなのか分からないし、何だかもう喋り方も元に戻っているし、もしかしたら自分の聞き違いだったかもしれないし。
そう思うと余計に聞きずらくなり、いっそこのままこの記憶を自分の胸の内に封印してしまおうかとも思うのだが、
(……だめ、どうしても気になっちゃう!)
意を決して、訊ねてみる。
「あの……さっきの、駆組の人を呼ぶとき、なんか、その……へん……じゃなかったですか……?」
恐る恐る上目遣いで冥界のディーヴァの顔色を伺いながらそれでも疑問を言葉とした天界のディーヴァ。
先ず間違いなく、彼女にとって今年度最大の勇気を行使している瞬間だ。
(はわぁー! 言っちゃった! 言っ、ちゃった…………へんだなんて失礼だったかな……ああ……なんでへんだなんて言っちゃったんだろう私……へんだなんて……うぅ……)
一体どのような答えが返ってくるのだろう。
もしかしたら激怒させてしまったかもしれない。
微かに後悔と恐怖心を抱きながらフルフルと身体を震わせ答えを待つ。
「ああ、あれか。以前奴らにな、自分達を呼ぶときはああいう言い方をして欲しいと懇願されてな。なに、単なる合図のようなものじゃよ」
「合……図……?」
意外な答えが返ってきて逆に少し困惑した。
一体あの言い方に何の意味があるというのだろう、と天界のディーヴァは思うが、意味に関しては冥界のディーヴァも全く理解はしていないらしい。
「いやぁ、あれは長い戦いじゃった。それはもうしつこくてな。十年越しの戦いで遂にワシの方が折れたというわけじゃ。はははっ、可笑しな連中じゃろ?」
(十年越し……)
その人達もその人達だが、彼女も彼女だと思う。
決して器用そうには見えないのに、あんな柄にも無い台詞を臆面も無く、しかもかなり演技をしてまで言っていた。
たとえ全く意味の分からない頼みごとでも一度引き受けたら嫌がらず手抜かりしない。
真面目というか、愚直というか。
多分、彼女のようなタイプを器がでかいと言うのだろうと、天界のディーヴァは苦笑いしつつ思った。
「そういえばホムラに『あのろりこん共には近づくな、変態だ』と言われたことがあったのう。ろりこんの意味は教えて貰えんかったが、ワシにはトキ以上の変態には見えんし、杞憂ではないかと思うのじゃが……ん? どうした、顔色が優れんようじゃが」
ロリコンという言葉を聞いた瞬間、天界のディーヴァの苦笑いを浮かべた顔がピシリと固まった。
怪訝な顔を浮かべた冥界のディーヴァの呼びかけではっと我に返り、平静を装いつつ返事をする。
「い、いえ……別に……」
天界のディーヴァはようやく理解した。
そして一つの結論を導き出す。
トキを始めとした冥界の住人達とは、あまりお近づきにならない方がよさそうだ、と。
「はぁ〜……」
思えば、この冥界に現地調査が決定した時から、言い知れない不安が胸の奥でざわついていた。
その正体がなんなのか、未だに分からないが、この世界は自分の性に合わないという事だけは、現状確かなことだった。
「ふむ、何やらあんにゅいじゃな。いっそ剣でも交えてすっきりしてみるのはどうじゃ?」
天界のディーヴァの暗い表情を見かねて、そんな提案をした銀髪の少女。
外見的にはどちらも少女だが、天界のディーヴァの方が幾つか年上に見える。
そんなパッと見、幼い少女が自分のことを気遣ってくれるのは、嬉しいような、少し情けないような、そんな気がしてくるのは恐らく、彼女がネガティブな精神の持ち主だからだろう。
決して外見から冥界のディーヴァを幼子扱いしてのことではない。
「い、いえ、私は……」
その時だった。
「あっれー。まだ始めてなかったのぉ? 折角駆けつけたのにぃ」
駆けつけるという割にはズリズリと、森の茂みからほふく前進でノロノロやって来たクローディア。
「ヌシ、怪我の手当てはどうした?」
「断ってきたぁ。だって長同士のバトルっていう重大イベントを、欠席なんて出来ないでしょぉ? 解説キャラとして」
「いや……そこまで無理をせんでも」
「ウケケ」
クローディアが変な笑い方をして、やや沈黙の時が過ぎる。
始めそれを嵐の前の静けさ的な何かだと思って静観をしていたが、直ぐに何かが可笑しいと気が付いた。
「……何でバトらないのぉ?」
「ワシは別に構わんのじゃが……」
自然、二つの視線が天界のディーヴァ一人に注がれる。
「あぅっ……も、もう冥界が二勝してるんですから、私達は戦わなくても……」
「違う! それは違うよディーヴァ!!」
「ひゃうっ!」
言い訳をする天界のディーヴァを、地べたに横たわる姿勢から出したと思えない大声で一喝するクローディア。曰く、
「この世界で長って言ったら物語の中心、主人公みたいなもんだよっ!? 僕らのバトルなんて前座の前座、冥界と天界の真の勝敗は、二人のバトルにこそ掛かってるんだからぁっ!!」
ということらしい。
さすが、バトルものの解説キャラを志望するマトリョーシカは言うことが違う、とでも言わせたいのか、その表情は怒っているというよりドヤ顔に興奮の色を混ぜたような嬉々としたものだ。
というか、ホムラに敗北を喫するほどのダメージを受けているはずなのだが、やたら溢れているのは何故なのだろう。
その解説をしてくれるキャラは何処にもいない。
「で、でも、私達はバトルをしに来たわけじゃ……」
「ディーヴァは僕らの仇を取ろうとは思わないの!? 僕らが負けて怪我して恥をかいてもディーヴァは少しも心を痛めてくれないんだ!?」
「そ、それは……」
実際は自分達で勝手に盛り上がって、天界のディーヴァの意志をないがしろにした上での末路なので、心を痛めるという感情は希薄であったが、その、自分がまるで薄情であるかのような責め方をされると、不思議と仇を取ってやらなければならないのだろうか、という気がしてくる。
押しに対する弱さ、意志の薄弱さがそういう気持ちにさせるのは自分でも分かってはいたが、オルガやクローディアは自分にとって間違いなくかけがえのない仲間達である。
彼女達の望みを叶えるという行為と、傷ついた彼女達を慰める行為が目の前の人物、冥界のディーヴァに勝利することで成就させられるなら……。
そう考えが揺さぶられ始めた時だった。
「熱心に言うが、ヌシの狙いはどうせ解説……なんじゃろ?」
呆れ顔を浮かべて、必死に説得しようとするクローディアに水を差す銀髪少女。
「正解っ!?」
「ふぇぇっ!?」
としかしあっさりと肯定する解説キャラ志望。
「なんじゃ、さほど説得する気は無かったのか」
「いんや、解説に関して僕は嘘をつかないだけ。解説の為にも君たちには何としても戦ってもらいたいんだよ!」
地面を這い蹲りながら、一人強く訴えるクローディア。
解説の為にと言われても、長二人にその価値観に対する理解など最初から微塵もないので、単なるワガママに振り回される形となったが、このままだらだらと押し問答するのも時間の無駄だろうと、二人は意を決するのだった。
「さて、では始めるとしようかの」
「あ、はい。お願いします……」
ペコリと天界のディーヴァがお辞儀をしたのを合図に、二人の決闘は火蓋を切った。
何だかんだ言っても、冥界対天界という構図で始めてしまった以上、長二人が勝負をつけなければ収まりが悪く、何より実際に雌雄を決した四人が後々うるさそうだったので、とりあえず適当に折り合いをつけることとした。
十メートル程距離を開け向かい合って立つ長二人。
その中間地点から直線ライン上の離れた所にクローディアが転がっており、三人の配置はトライアングルを描いていた。
「さあ、やってまいりましたディーヴァ決定戦! 解説はオンザ僕! 果たしてこのデスマッチを制するのはどちらの長なのかぁ!?」
「デ、デスマッチっ!? そ、そんなの聞いてな……」
「のりのりじゃなぁ……」
呆れ果てながら、冥界のディーヴァは凝負練刃で長刀を具現化する。
静かに構えを取った。
「天界の、まあ奴のことは気にするな。戦いをさっさと終わらせればいいだけの話じゃろう」
言われ、クローディアの方を一瞥してから天界のディーヴァは頷いた。
「そ、そうですよね」
その両手にフォトンを収束させる。
白き原型の力『マトリックス』で作り出したのは剣と盾という彼女にしては意外な、戦士を思わせる武器チョイスだった。
「ほう……」
感心の声を漏らす冥界のディーヴァ。
疑っていたわけではないが、この弱弱しく見える少女もまた一世界の長であり、戦う為の力と技術を備えている。
外見は変わらず頼りなさそうに見えるのだが、武器を構える仕草や姿勢の安定がそのポテンシャルを滲ませる。
「ではこちらから行くぞ」
駆け出す冥界のディーヴァ。
焦翼は無いがその速力は少なくともその幼く映る華奢な体躯から繰り出されるには、規格外のもの。
一息で間合いを詰めると、挨拶代わりと言わんばかりの、長刀による振り下ろし攻撃を繰り出す。
速度は速いものの、実に単調な攻撃と言えたそれを、果たしてこのか弱きディーヴァは如何にして防ぐのか、試したつもりだった。
身を反らすか、剣で弾くか、はたまた盾で受け止めるのか。予測しうる攻防の定石は、次なる動作で覆される。
先ず天界のディーヴァは両腕をクロスさせ、左手の剣を右脇腹で構える。そして右手の盾を駆使し高速で振り下ろされる黒き長刀の腹を、軽く殴打してその軌道を外させた。
そこから流れるような動作で踏み込み、居合い抜きのように右脇腹から勢いよく剣を振り抜いた。
「っと!」
寸前で一歩下がり、白き剣の一閃をかわそうとする。
「む、かわしきれんかったか」
ワンピースの腹部に切れ目が付いた。そのスリットから素肌が見えるが、切られたのは服だけで済んだらしい。
(どうやら手加減も力試しもいらんようじゃ)
紛れも無く、目の前に立ちはだかったのは今までで最強の相手。
どんな魔物よりマトリョーシカより強い、自分と同じディーヴァという名を冠する存在。
それを改めて実感出来た、そのことが彼女に火を付ける。
「面白い!」
長刀を脇に構え、踏み込みと同時に左上から右下へ斜めに切りかかる。
やや距離は離れているが、冥界のディーヴァの使う長刀は刃渡り二メートル近く、当たり前の如く攻撃が届く。
対し天界のディーヴァは再び盾を駆使し、直接受けると言うよりは軽く小突くようにして刃の軌道を反らす。
そんな、わざわざタイミング合わせが難しくなるような防御法を取るには、理由がある。
当然のことながらそれは武器の質量の違いだ。
冥界のディーヴァの扱う長刀は巨大で、かつ重い。
比べて天界のディーヴァの武器は長さ八十センチ程度の普遍的な片手剣と、手首に装着するタイプで大きさ三十センチ程の丸盾という、非常に軽量な装備だ。
これではまともに防御したり、鍔迫り合いなどをしても分が悪いだけ。
故に直接剣や盾を合わせずに済むよう、捌きや回避で反撃の隙を見出す戦い方をしているのだ。
だがそれで容易く反撃を許したりはしないのが冥界のディーヴァである。
彼女は長刀の間合いと攻撃力を存分に活かし、長いリーチを保ったまま素早い連撃を繰り出した。
斜め切りの直後、天界のディーヴァにその軌道をずらされたが構わず、刃を返して瞬時に横切りへと繋ぐ。
盾を装備している右側から迫る刃。
これまで通り軌道を反らすようなやり方は出来ず、止む無く回避の動作に移った。
その場で跳躍する。しかし高くは無い。
高く飛ぼうとするとその予備動作だけでも十二分に刃が届いてしまう距離と速度、何よりその後が隙だらけになり、格好の的だ。
故に低く、横薙ぎに過ぎていく刃の上をぎりぎり浮かび上がるよう、飛び方も垂直ではなく、身体を捻って空中で横に転がるように一回転して着地。
完璧かつ流麗な動作の先、またも長刀の刃を返した冥界のディーヴァは今度は斜めに切り上げる攻撃モーションに入った。
(すごい、あんなに長くて重そうな刀をこんなに何度も切り返して振るえるなんて……)
怪力もあるが、刀の扱いに誰より秀で、それを絶え間なく練磨し続けた正しく達人の成せる太刀筋だった。
三撃目の切り上げに対し、天界のディーヴァは盾で受け止めるという下策を取るしかない。案の定、攻撃を受け止めきれず、大きく弾き飛ばされてしまう。
片膝を突いてなんとか着地姿勢を取ることが出来た。そこへ追い討ちをしようと冥界のディーヴァが駆けてくる。
長刀を受け止めた盾はまだ無事だが、身体に走った衝撃は相当なものだ。
盾を介しても車に追突されたかのような反動が腕や肩や腰に痺れを覚えさせる。
だがどうしてだろう。
普段は臆病な彼女自身が不思議に思うほど、恐れはなく、むしろ高揚すら覚えていた。
こんなにも強い相手、こんなにも追い詰められている自分。
言い聞かせるように、或いは何処かで得た教訓を記憶の中から引きずり出すように、心の中で唱える。
(如何なる時も……敵を前にして剣は引かない……強さとは……最後まで戦い抜く覚悟のこと)
目に覚悟を宿し、少女は剣を振り上げ駆け出した。
「うわぁぁぁっ!!」
駆ける二人の少女が、白と黒の刃で交わったその瞬間、目の前が真っ白になり、響いた金属音が木霊しながら遠くなっていくように聞こえ、次第に意識もそれに引っ張られるように遠くなっていき、僅かな暗転の後に、夢を見ているかのような感覚と、古い映像が二人の頭の中で再生され始めた。
(なに……これ……)
ここは何処だろう、そう思い辺りを見渡そうとしても、身体がまるで言うことを聞かない。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。
でもそれが何故なのか分からない。
自分が一体何をしているのか、分からない、いや、覚えていない。
「のう、セルフィ」
誰かが自分を呼んだ気がした。
顔を上げようとすると、視線が上がった。
身体を自由に動かせたのではなく、声に対する身体の動きと自分の意志がたまたま一致したらしい。
見ると、サラサラとした長い銀髪をした女の人の後姿がそこにある。
一瞬冥界のディーヴァかと思ったが、背丈や体型が異なることを、薄ぼやけた意識の中で確認する。
「こんなことをして一体何になるんじゃろう。ワシらのやろうとしていることは本当に正しいのか……」
銀髪の女の人は暮れ色の空に向かって腕組みをし、そう語りかけてくる。
「分かり……ません」
自分と思われる自分が、意図せず勝手にそう答える。
「でも」
視線が上がる。
恐らくそれまでは前屈みの姿勢だったのだろう。
今は垂直に立った状態で、自分の声に顔半分振り返った銀髪の女の人を真直ぐ見据えている。
やはり何所と無く冥界のディーヴァを思わせる容姿をしているが、一メートル程離れていても自分より背丈が高いと分かるため、同一人物とすると違和感がある。
「あの人の力になりたい。私達はあの人の為に存在しているようなものだから……銀華が言ったんですよ? 私も……同じ気持ちです……」
「セルフィ……」
自分はそこに居るが、まるで記憶に無い情景、やり取り。
他人の回想を覗いているかのような曖昧な感覚。
だが、何処かとても懐かしいような、とても大切な何かが、この映像には含まれていると、天界のディーヴァはおぼろげな意識の中で感じているのだった。




