従妹
「大丈夫だよお兄ちゃん。入院と言っても大したことないから心配しないで」
そんな従妹の言葉にしかめっ面をしながら「でもな~」と布団の前で目頭を押さえながら呟いた。
「大したことないって言っても、ぜんそくは辛いだろ。昔から自分の体が辛いのに全部一人で背負い込んで。俺だって心配なんだからそういうのはなぁ……」
青年、三鷹 操一は苦笑いしながら、まるで座布団に座るかのように布団の上で胡坐をかいて座る従妹の若干色素が抜けて茶色くなった髪を持つ少女、三鷹 友香に語りかけていた。
先日のことだ。
その日もいつものように夜中に友香のぜんそくの発作がおこった。ただ、その発作はいつものと比べると酷いものだった。現にビップスベポラップを喉元と背中に塗り、首にタオルを巻き安静にしていたのだが、一向に収まる気配がなかった。それどころかさらに様態は悪化し、咳に交じって喀血までし始めた。
操一は慌てて救急車を呼び、かかり付けの病院まで連れて行ってもらった。
診察の結果は、どうやら友香は肺炎になりかけらしい。そのことを聞いた操一は顔を蒼くしながら医師に相談を持ち掛けた。
「そうですね。とにかく、空気がきれいなところに行くことを、私ならばお勧めしますね。体が冷えることによる免疫力低下を防ぐのならば温かい所がいいです。
ちょうどこんなチラシが届いているんですよ」
そういいながら先生は一枚の紙をディスクにあげた。
「あ……あの。これは」
操一は怪訝そうな顔で担当の医師の顔と『沖縄移住案内』と書かれている紙を交互に見つめた。
現在の千葉県の松戸に【松戸奇術会】というものがある。その歴史は六十年にもなるそうだ。
その時期の【松戸奇術会】はどのような名前で呼ばれていたのかわ知らないが、二人は三十年ほど前の【松戸奇術会】付近に住んでいたのだ。
その当時はバブルと言われるものすごい経済成長起こっていた。
当然東京に近い千葉もその影響がはっきりと表れていた。
工場新しく次々とできていき、煙突から上る煙は大気を汚染していく。
まさにぜんそくの人にとったらつらい環境だ。
もちろん医師も友香の様態は環境という名の根本的なものをどうにかしないとなかなかよくならないと悩んでいたらしい。そんなときに舞い込んできたのが『沖縄移住案内』という案内だったのだ。
「要するに友香君を沖縄の病院に入院させるということが必要なんだよ」
操一の顔色は愕然に染められた。それはつまり。
「この町の思い出を捨てろ……ということですか」
操一は半ば睨むかのように眉間にしわを寄せながら言った。
操一と友香は二人で一軒の家に住んでいる。
普通は従妹同士で生活をするというのは婚約者やら夫婦などの特別な理由がない限り一緒の部屋で生活することは少ない。
特に友香は今年で中学一年生だ。それは友香の身の回りが大きな原因だった。
友香は小さいころから病弱で、ぜんそくの発作をよく起こしていた。喉元からヒューヒュー音を鳴らし、首にタオルを巻きながら布団で大半を過ごし、学校には行けずに寂しい思いをしていた。だが悲しくはなかった。それは偏に友香の両親のおかげかもしれない。
友香の両親は病弱な友香を愛した。
人並みの幸せを娘にあげたいと、生きていてくれてありがとうとただひたすら愛し続け父は夜遅くまで働き、母は夜な夜な娘である友香の様態が崩れたなら一晩中彼女の看病をし続けた。
そのことを友香は知っていたから寂しいとは思っても、けして絶望したり悲しみを感じたりしなかったのだ。
だが、それは友香が十歳のころ、突然訪れた。
両親は交通事故に巻き込まれて他界したのだ。
その後、友香は操一のもとに預けられた。
操一の両親は絵にかいたように仲が悪かった。
父は酒癖が悪く、酔うと酷く母に当たり暴力や罵倒をふるうことがよくある。そのため母は父のことを嫌い、ある意味憎悪すらしていた。だからなのか、母は一人で働きながら操一のことをかまってあげることができず、半ば育児放棄していた。
しばらくして二人は離婚した。父は浮気、ギャンブル、酒、様々なことをしていて、母はとうとう我慢しきれずに家を飛び出したのだ。
だが、父はアルコール過剰摂取による心筋梗塞で死亡した。
幸いに、母は操一を心配しているのか一人で生活する分には十分なお金を振り込んでいた。
だが、それは操一が高校に上がるころにはお金が振り込まれることがなくなっていた。それはつまり、もう一人で勝手に生きろということなのだろう。
修一はアルバイトは掛け持ちをし、お金を稼ぎながら高校へ通った。
ちょうどそのころ知り合いの友達に誘われて手品を勉強し始めた。
そんなある日、友香は操一のもとに訪れた。
それからは、今まで色褪せていた世界が色づき、操一にとってかけがえのない生活へと変わっていった。
くすんで見えていた人の優しさも、人のぬくもりも、そのすべてがかけがえのない物になっていたのだ。
今まで嫌いだった家は次第に操一の大切な居場所になり、趣味で通い始めた近くにある松戸奇術会という習い事は次第に友香を楽しませるためにというものに変わっていった。
もう、操一にとってこの町は嫌悪感を抱く象徴ではなく、大切な思い出があちらこちらに散らばった大切な場所に変わっていたのだ。
だが。
「一つ聞かせてください。
友香の治療をするには沖縄に行くのが現状で“一番いい場所”なんですね?」
操一は覚悟を決めたかのように医師の目をまっすぐとらえ、ごまかしは許さないとばかりに確認した。
「あぁ。その通りだよ」
「でもお兄ちゃんも思い切ったことするね。私の為なんかにわざわざ沖縄まで行かなくてもいいのに。お兄ちゃんはいいの? 大好きな手品を習うことができなくなっちゃうんだよ?」
「なに、気にすることはないよ。もういろんな手品を覚えたからね。ここまで覚えたら、あとは自分で作るだけだよ」
「でも……いいの? 沖縄だよ? とってもお金かかるよ?」
友香はうつむきがちになりながら心配そうに操一を見つめた。
それを見た操一は、顔をクシャっとして笑い「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。
「この家には僕にとって悲しい思い出が多すぎるし、何の未練もないんだ。だったら、沖縄に行く前にこの家を売り払えばいい。
幸い、今まあでためていた貯金もある。何とかなるって
それでもお金がないんだったらあっちで働けばいい。そうすればお前の入院費ぐらいにはなるだろ?」
「そう……だよね。
うん。分かったよ。だったら私はお兄ちゃんを信じるよ」
友香はそういうと小さく微笑んだ。
こうして無事、友香は沖縄の病院に入院することに納得してくれたのだった。