道明寺の戦い
慶長二十年(一六一五年)、五月六日、子の刻(午前〇時)。
三千に少したりないくらいの軍勢が集結している。
将は後藤又兵衛基次だ。身長は六尺を超える巨漢。
又兵衛は大阪の役で豊臣方に属す、中心勢力だ。
又兵衛はここで真田信繁や毛利勝永などの味方を待っているが、いつまでたってもこないため業を煮やしていた。
「遅い。信繁たちは何をやっておるのだ。」
豊臣方は幕府軍の大和方面から進軍してくる水野勝成・松平忠輝・伊達政宗が率いる三万五千弱の軍を狭い隘路で迎撃する作戦を立てその先鋒として又兵衛は道明寺に軍を進めていた。
豊臣方の兵力は一万八千ほど。隘路でなら充分戦える。
そう又兵衛は思っていた。
又兵衛がイライラしながら床几に腰掛けること半刻、さらに四半刻、物見の兵が走ってきた。
様子がおかしい。全力で走ってきたらしく息をきらしていた。
「又兵衛様! 敵はすでに国分まで進出しております!」
又兵衛は愕然とした。
国分。そこは又兵衛が幕府軍を迎撃する予定だった場所だ。しかし、幕府軍がそこまできているなら又兵衛の作戦は破綻したといわざるをえないのだ。
「仕方がない。小松山まで進むぞ。」
小松山は国分の少し手前にある山だ。
孫子の兵法には『生を視て高きに処れ。隆きに戦いて登る無かれ。』や『高陵には向かう勿れ。』とある。又兵衛にもおそらく孫子の心得があったのだろう。しかしそれ以上に経験が又兵衛を動かした。
しかし唐土では馬謖が街亭の戦いにおいて高地に陣を置き大敗を喫した。それはなぜか。
馬謖が犯した失敗は主に二つだ。
まずは水を軽視していたことだ。馬謖は麓を囲まれ水の道を断たれたのだ。
もう一つは目的を考えていなかったことだ。その時の馬謖の目的は街道で魏の大軍を抑えるだけでよかったのに馬謖は大勝を得ようとした。
この二つが馬謖の大敗に繋がったのだ。
話を又兵衛に戻そう。又兵衛に必要なのは大勝である。味方を待つこともできたが又兵衛はそうしなかった。待ったところでまともに戦えば戦力が劣る方が負けることは目に見えているからであろう。
かくして又兵衛が山を登り始めたのは丑の刻。(午前二時)霧が深い山の中は行軍しづらい。
物見の兵がきた。
「奥田忠次隊を発見しました! 向こうもこちらに気付いたようです!」
「何! 行軍を速めろ! 先に山頂につくのだ!」
山頂を挟み両軍が衝突したのは空がようやく白み始めた寅の刻(午前四時)過ぎ。両軍鉄砲を放つ。銃撃が終わったと同時に山頂に向かい駆ける。
山頂についたのはほぼ同時。いや又兵衛がほんの少し早かった。
将と兵の気迫が勝ったというべきであろう。 いわずとしれたことだが合戦では高地にいる方が有利である。下り坂で勢いをつけることができるからである。
全軍が死兵とかした又兵衛隊はとにかく強い。瞬く間に忠次隊は壊滅し、忠次は戦死した。
「奥田忠次撃ち取ったぞ!」
山に雑兵の声が響く。
これを聞き将も兵も一人残らず勇み立った。
「北から松倉重政隊です!」
松倉重政とは後に島原城に入り、島原の乱を引き起こす原因となった人物だ。
重政に立ち向かったのは平尾久左衛門ら二百。
山道は狭く、これ以上の軍勢は展開できなかった。
忠次が来たのは東から。つまり又兵衛隊は忠次隊に手こずっていたら挟撃されていたのだ。
重政隊が襲いかかる。寡兵ながら久左衛門は奮戦する。
しかし所詮は多勢に無勢。
「久左衛門様討ち死にです!」
久左衛門は戦死したものの重政隊は壊滅。敗走寸前まで追い込まれていた。
「新手を差し向けろ。重政を撃破するのだ。」
このまま戦えばおそらく重政は戦死していただろう。しかし重政はついていた。援軍が来たのだ。
「水野勝成・堀直寄隊が寄せてきます。」
勝成は先鋒大将である。小松山にあえて登らず又兵衛を山にて迂回挟撃する作戦を立てたのもこの男だ。
「くそっ。全軍をまとめろ。」
しかし又兵衛は粘る。幾度も敵を跳ね返し、時刻はすでに辰の刻(午前八時)をゆうに越え戦闘開始から二刻と半刻が経過していた。
そこで戦況は大きく動いた。幕府軍が疲弊し動きがにぶくなっていたころ、奥羽の独眼竜、伊達政宗が動き始めたのだ。その数およそ一万。
「伊達政宗隊西から来ます。」
「伊達を蹴散らせば血路が開ける。者共、伊達の野郎どもをを叩き潰してくれようぞ。」
又兵衛隊は突撃するが、横の茂みから突然伏兵が現れた。
「撃て」
将の号令にあわせて数千の鉄砲が火を吹く。
実はこの伏兵、幕府軍の着陣直後に伊達政宗を支えた片倉景綱の息子、片倉重長が伏せさせていたものだった。
これにより勢いをとめられた又兵衛隊は包囲されてしまった。
しかし又兵衛隊の強さは驚異的だった。それからも幕府軍の猛攻をしのぎ、時刻は正午に達した。
「残る兵の数は何人か。」
又兵衛は側近に訊く。
「七、八十人かと」
「そうか」
又兵衛は雷鳴のような声で叫んだ。
「我が隊はこれより最後の突撃を敢行する。死にたくなきものは去れ。」
去るものはいない。誰もが死を覚悟した。
「行くぞ。」
伊達隊への突撃で山の半ばまできていた又兵衛隊は何とか山を下り平地に出て凄まじい勢いで一、二隊を撃破したが、丹羽氏信に側面を突かれた。
「落ち着け、一つにまとまれ。」
又兵衛は先頭に立って叫んだ。
目の前には伊達の鉄砲隊。
轟音が鳴り響く。
又兵衛は地面に倒れた。
体から鮮血が吹き出す。 幕府軍は一斉に鯨波をあげた。
これから大阪冬の陣の戦いを連作短編化し連載にして再編成するという野望を抱いています(^O^)