花嫁探しは空を見て
風間弥子は、小学一年生の時自分の特技は? の質問に、
「空を泳げます!」
と答えた強者だった。その後弥子がクラス中で嘘つき女と笑い者にされたのは、言わずもがなの話である。
裕も、鼻で笑って嘘つき女と弥子をからかった一人だった。
ーー数年がたち、裕は高校生になった。弥子とは中学まで同じだったが、高校生で私立を選んだ裕は、自然地元の者たちとは別れることになった。
別段、裕はその事を寂しいとも思わなかったし、新しい出会いに期待する気持ちの方が何倍も大きかった。
小一の時、電波発言をしてクラス中の笑い者になり、その後もどこか変わった雰囲気で人を寄せ付けずクラスからういていた弥子の事は、記憶として残ってはいても一々思い出したりしなかった。
第一、裕は弥子のあの時の言葉は嘘だと思っていたのだ。それを疑うことの方が可笑しいと、今の今まで思っていた。
だから、裕はその光景をみた時ただ目を見張るしかできなかった。
(嘘だろーー)
裕は、呆然と弥子がオレンジ色の空でクロールして気持ちよく泳ぐ姿を見た。
嘘じゃなかった。そう思う前に、裕はまず良識ある人間として自分の視覚と脳に疑いを向けた。
「あ……ひろくん」
「よ、よう」
弥子がこちらに気付く。裕はそれにぎこちなく、なんとかの態で挨拶をした。弥子は、自分が空に浮かぶ姿を見られた事に焦る様子もない。しかも、裕のことを小学生の頃のあだ名で呼んだ事にも驚いた。
弥子と裕は親しくなかったしそう呼ばれたのも、そもそも弥子が誰かを呼ぶという行為事態、しているのを見た事がなかった。
「今帰り?」
弥子が頓着なさそうに話しかけてくる。裕は逃げ出したい衝動をこらえ、なるべく普通に返した。
「ああ、風間は?」
「私? 私は空中遊泳中だよ」
「そっか。邪魔したな。じゃ」
内心空中遊泳って何だよ!? と事も無げに宣った弥子の異常性に、ばっくんばっくんしながら、裕は何気なくその場を去ろうとした。
その時、後ろでくすりと微笑の吐息が聞こえた。
「見られちゃったね」
「見てない」
厄介そうな展開に即座に逃げの一手を決め込んで、裕はさかさかと足を動かした。裕は初めて脚が極めて長くない事を腹立たしく思った。
「嘘、悪あがきは止めなよひろくん」
まるで耳元に囁かれているみたいに、静かに心を暴く声。
「いやいやいやいや。ほんとほんと。俺超目が悪くて。もう周りなんてグッニャグッニャで何が何だか」
「あれだけ凝視しといてよく言うよ」
(気付かれてたのか……)
裕は盛大に舌打ちしたい気分だった。あれを目撃して二度見もしくは凝視しないでいれるほど、裕は現実から逃げてはいない。
諦めもまじえて、後ろの気配に訊ねた。決して振り向かずに。
「やっぱ見たらまずかった、とか?」
「うん」
じゃあ人の通学路で飛んでんじゃねーと、裕は叫びたかった。
「……俺、殺られちゃう?」
「う~ん……それはひろくん次第かな?」
「俺次第?」
「うん」
足音の無かった気配が(飛んだまま着いてきてやがった)すとん、と地面に重みを預ける音がした。裕の前に小走りになって弥子が進み出た。
「ひろくん。私と結婚して」
裕は目の前に立った、しっかり観るのはこれが初めてかもしれない弥子を見詰める。
黒々と肩まで伸びた髪は量が多く重たそうだが、艶々と光を跳ね返し触ると気持ちよさそうだった。
意外な程、意志の強そうな丸い瞳は幼く見える要因となり、小さな顔を占領している。
日本人らしい高くない鼻に、厚くも薄くもない唇。
突出した容貌ではなかったが、正面から見た弥子は年頃の娘として申し分なく溌剌とし可愛らしかった。
陰気臭いだろうという予想が見事に打ち砕かれ驚いていた裕は、弥子の爆弾発言に遅れて絶叫した。
「ええぇぇぇー!!?」
*
「天女の末裔?」
「そう」
「風間が……?」
「うん私が」
自らを天女の子孫だという弥子に胡乱な視線を隠さず、裕はジュースを啜った。
まさか、弥子とワクドナルドで喋る日が来ようとは……と人生の数奇さを裕は実感していた。
数奇なのはそれだけじゃない。裕は今まさに天女の子孫とやらの弥子の、空中遊泳シーンを観てしまったがために、結婚を迫られているのだ。手っ取り早い口封じの手段として。
「ごめんね? やっぱり急だよね。でもさ、私の泳いでる姿が見えたって事は、ひろくん素養があったってことだし。遅かれ早かれこうなったと思うな」
「あれって普通は見えないのかよ」
「当たり前じゃない。見られたら私嘘つき女所じゃ済まないよ。どっかの研究所に連れてかれちゃう」
当たり前って……。お前の存在が当たり前じゃねーよ。と裕は物凄く思ったがあえて何も言わずスルーした。短い時間で何となく、弥子は天然だと気づいていたからだ。天然に細かく突っ込んではキリがない。
「遅かれ早かれって?」
「相手が私じゃなくても、他の人が空泳してる場面に出くわしちゃったと思うよ」
それにどう言えばいいのかわからず、裕は何とも言い難そうに正面に座る弥子を見た。
「今すぐ結婚じゃなくてもいいよ? 多分高校卒業ぐらいは待ってくれるはず」
自分の結婚話をしているとは思えぬけろりとした態度で、裕のご機嫌を伺うように弥子は首を傾げた。
「うん……。まぁ、取りあえず、さ。風間」
「何?」
「嘘つきって言ってごめん」
弥子はまあるい目を更に丸くした後、くしゃりと顔を崩して、破顔した。
「いいよ。気にしてない」
裕は、弥子の笑顔がまさかのどストライクで、結婚話も別に満更ではなくなった単純な自分に、小さく苦笑した。