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僕はこうしてつくられた  作者: rion_so_so


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エピソード6 美波 (後編)

スキーツアーのあとの日常は、何事もなかったかのように動き出した。

大学の講義と、実家の小さな居酒屋での手伝い。


私の家は商売をしていて、夜は店に立つのが当たり前。それが、親に学費を出してもらうための約束だった。

前の彼氏には「会う時間も遊ぶ時間もない。寂しすぎる」と言われて、あっけなく終わった。

悲しいというより、「まあ、そうなるよね」と冷めた自分がいた。今の私には、恋愛にうつつを抜かす余裕なんてないから。


でも、あの雪山の日から、私の心の真ん中にタカさんが居座るようになった。


学校で見るタカさんの隣には、いつも真希ちゃんと愛莉ちゃんがいた。

三人の隙間のない空気が、あまりに自然すぎて。

「真希ちゃんと付き合ってるのかな」

そう思うたびに、胸の奥がざらりと波立つ。


けれど、すれ違いざまにタカさんは必ず私を見つける。

「おー、美波やん」

それだけで、モノクロだった一日が少しだけ色づくのがわかった。


ある日、廊下でばったり会ったとき、彼は「ちょっと待って」と足を止めた。

ついていた真希ちゃんと愛莉ちゃんに「先行っといて」と笑って手を振る。

彼が私一人のために時間を作ってくれた。ただそれだけのことが、特別な儀式みたいに感じられた。


「次の授業、サボろーや」


不意にそう言われて、私たちは近くのカフェに逃げ込んだ。

本当は、真面目な自分が顔を出して「親に申し訳ない」なんて罪悪感がよぎる。でもその日は、どうしても首を横に振ることができなかった。

タカさんと話していると、時が止まるような、あるいは加速するような、不思議な感覚に陥るから。


「真希ちゃんも愛莉ちゃんも、学校の外に彼氏おるらしいで」

友達からその話を聞いた瞬間、自分でも呆れるくらい、心の底から安堵していた。

誰のものでもないタカさん。

まだ、誰の手も届いていない場所に彼がいる。

そう思うだけで、居酒屋の忙しい夜も、少しだけ足取りが軽くなった。





1990年、大阪。

街中が「国際花と緑の博覧会」一色に染まり、どこか浮足立った熱気に包まれていた。

そんなざわめきの中、キャンパスでタカさんに声をかけられた。


その日は珍しく、彼の周りにあのアホ五人組も、真希ちゃんや愛莉ちゃんの姿もなかった。


「美波が忙しい子なん、知ってるけどさ」


少し照れたように、でも真っ直ぐに私を見てタカさんは笑った。


「たまには店休んで、オレと花博行こーや」


それは、あの大ヒットドラマの再放送が最終回を迎えた、ちょうど翌日のことだった。


私は一瞬だけ、実家の店の忙しさや親の顔を思い浮かべて迷ったけれど、気づけば小さく頷いていた。この誘いを断ったら、一生後悔する気がしたから。


鶴見緑地の会場は、どこを見渡しても人、人、人。

咲き乱れる珍しい花々や、世界中から集まったパビリオン。

けれど、私の視界に入っていたのは、そんな華やかな景色なんかじゃなかった。


人混みに流されないように、私の腕を引いてくれるタカさんの手。

「はぐれんなよ」と笑う、その横顔。


ヒマラヤの青いケシよりも、最新の立体映像よりも、隣を歩くタカさんの存在のほうが、ずっと現実味があって、ずっと私の心を揺さぶっていた。



あの日から、私たちは磁石が引き合うように、自然と一緒にいる時間が増えていった。


実家の店で忙しい私と、バイトに明け暮れるタカさん。

二人ともまとまった時間は取れなかったけれど、少しでも空きができれば、私は彼の部屋へ向かった。


あの、六畳一間のアパート。

小さなテレビをつけて、今日あったくだらない話をして、ただ隣に寄り添う。

やがて、ごく自然に肌を重ねるようになった。


けれど、私たちの間に「付き合おう」という言葉は一度も交わされなかった。

私も、あえて聞こうとはしなかった。

形のない今の関係に名前をつけてしまったら、魔法が解けて、すべてが壊れてしまいそうで怖かったから。


私はもともと、恋に全力になれるタイプじゃない。学校があって、家の仕事があって、その隙間でしか息ができない。

でも、タカさんのことは、ちゃんと好きだった。


タカさんは、ひどく寂しがりやで、みんなの人気者で、時々子供みたいに無邪気で。

でもその反面、びっくりするほど冷めた大人の顔を見せることがあった。


何より、彼は私とのことを、誰にも言わなかった。

あんなに仲の良い真希ちゃんにも、愛莉ちゃんにさえも。


それは、私を守るための優しさなのか。

それとも、彼にとって私は、誰にも見せない「隠れ家」のような存在だったのか。


二人の秘密が増えるたびに、六畳一間の空気は濃くなり、外の世界がどんどん遠くなっていく気がした。



長くは続かなかった。


燃え上がるような何かが起きたわけでも、決定的な別れの言葉があったわけでもない。

ただ、季節が移り変わるように、少しずつ、本当に少しずつ、二人の間の距離が開いていっただけ。


忙しい日常に追われる私と、相変わらず誰かの中心にいるタカさん。

六畳一間の部屋へ向かう足取りが、一度、二度と止まり、気づけばあの密やかな時間は、思い出という名前の引き出しに収まっていた。


でも、不思議と気まずくなることはなかった。

学校で会えば、タカさんはまた「おー、美波」と、あの頃と同じ屈託のない笑顔で手を振ってくれる。

私も、それに応えて少しだけ微笑む。


あの静まり返った雪山の冷たさも、暑い夏の花博の喧騒も、窓から差し込む夕日の中で重ねた体温も。

すべては、二人の間だけの秘密のまま。


「付き合う」と言わなかったからこそ、「別れる」という苦しみもなかった。

それは、大人になりきれない私たちが選んだ、一番優しくて、一番卑怯な幕引きだったのかもしれない。


私たちは、元の「先輩」と「後輩」に戻った。

ただ、お互いの胸の奥に、誰にも触れさせない小さな傷跡を一つずつ残したまま。




大学の卒業式が終わったあとの記念パーティー。

華やかなドレスや袴姿が溢れる会場で、タカさんはやっぱり、真希ちゃんと愛莉ちゃんの隣にいた。その光景があまりに自然で、ああ、これが本来あるべき形だったんだなと、どこか遠い目で見ている自分がいた。


ふいに、タカさんが私を見つけて歩み寄ってきた。


「美波、ちょっと話せる?」


連れ出されたのは、賑やかな喧騒が少しだけ遠のく会場の隅。

タカさんはいつものおどけた表情を消して、ひどく真面目な顔で私に問いかけた。


「……なぁ。なんで美波は、オレと付き合ってくれへんかったん?」


あまりに唐突で、それでいて彼らしいストレートな質問に、私は少しだけ笑って答えた。


「付き合ってたよ」


タカさんは一瞬、きょとんとした顔をしたあと、記憶を辿るように少しだけ考えて、こう言った。


「……そーだね」


それで、終わり。

それ以上、答え合わせをする必要はなかった。


雪山で迷子になったあの星空から始まって、

花博の雑踏の中、二人で未来を探して歩いて、

六畳一間の静かな部屋で、互いの体温だけを頼りに寄り添って。


形にはならなかったけれど、

誰にも証明はできないけれど、

あそこには、ちゃんと二人の時間があった。


私たちは、ちゃんと、恋をしていたよ。



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