エピソード5 真希 (中編)
スキーツアーの帰り道。
バスの中、タカさんの隣は当然のように私と愛莉の席だった。
それが私たちの定位置。五人グループの少し後ろ、熱狂の中心に一番近い特等席。
途中のパーキングエリアで休憩になったときも、いつもと変わらない光景だった。
「寒いー!」なんて言いながらコンビニへ走り、白い息を吐きながら笑い合う。
冬の夜の冷たい空気が、祭りのあとのような心地よい疲れに混ざり合っていた。
けれど、バスに戻った瞬間、私は一瞬だけ足を止めた。
タカさんは、もう席に座っていた。
でも、その隣にいたのは私じゃない。美波だった。
美波は私と同い年。同じ学年。
さっきまで私のいた場所に、彼女がごく自然に収まっている。
「あ、そっか……」
心の中でそう呟いただけなのに、胸の奥をざらりとした何かが掠めていった。
別におかしなことじゃない。美波はきれいだし、何よりあのゲレンデでの一件があったばかりだ。
遭難した彼女を探しに行くときの、あのタカさんの顔。
本気で焦って、本気で心配して……そして見つけた瞬間に、心底安堵していたあの顔。私はそれをずっと見ていた。
私には、学校の外に「ちゃんとした彼氏」がいる。
タカさんはあくまで、憧れの先輩で、仲の良い友達。
それなのに、なぜか視線をそらせなかった。
少しだけ。
ほんの少しだけ、隣を奪われたことが、どうしようもなく気になってしまった。。
それから数日後、愛莉がぷっつりと学校に来なくなった。
電話をかけても、ずっと留守電。何日経っても、折り返しの連絡すらない。
愛莉の一人暮らしのアパートに直接行こうかとも思ったけれど、なぜか私は、自分で行く代わりにタカさんに頼んでいた。
「……ちょっと、様子見に行ってくれへん?」
翌日、タカさんは愛莉を連れて学校に現れた。
聞けば、学校の外にいた彼氏に振られて、ボロボロになっていたらしい。
泣き腫らして赤くなった目。無理やり作った、今にも崩れそうな笑顔。
タカさんは、そんな愛莉を茶化すこともなく、かといって過剰に優しくするわけでもなく、いつも通りに接していた。
そこには、変に意識し合うような特別な空気なんて、これっぽっちもなかった。
なのに、私の胸のうちはずっとモヤモヤしていた。
「タカさんと愛莉、あの夜、何かあったのかな」
そんな疑いが、泥のように心の底に溜まっていく。
結局、何事もなかったと聞かされて、私は心の底からほっとしていた。
そんな自分に気づいた瞬間、猛烈な嫌悪感が襲ってきた。
親友の無事を喜ぶより先に、タカさんとの仲を心配するなんて。
自分には彼氏がいるのに。
タカさんのことを、ただの先輩だと思っていたはずなのに。
自分でも自分の心の居場所が、もうどこにあるのか分からなくなっていた。
その頃の私は、もう自分を騙せなくなっていた。
とにかく、理屈抜きでタカさんの隣にいたかった。
「夕方、ドラマの再放送やってるやん?」
「私、バイトで見れへんから。学校終わったら、タカさんの家でそれ見てから行くわ」
口に出しながら、自分でも苦しすぎる言い訳だと思った。
学校の外には彼氏がいる。そんなこと、自分が一番よくわかっている。
それでも、何かに吸い寄せられるように、私は彼の部屋へ向かった。
タカさんの住む、六畳一間のアパート。
お風呂もなくて、狭くて、どこか生活の匂いがする場所。
そこでドラマを見ながら、私たちは肩が触れ合うほどの距離で並んで座った。
そして、再放送の第5話を見ていた時。
不意に空気が、熱を帯びたように変わった。
ふと目が合って、どちらも逸らさなかった。
そのまま、自然に唇が重なった。
けれど、そのあと。
タカさんは少し照れたように笑って、静かに言った。
「……ごめん。真希、彼氏おるよな」
「付き合おう」とは言わない。でも「もう来るな」と突き放しもしない。
ただ、そこに一歩だけ、残酷で優しい線を引かれた気がした。
それからも、ドラマが最終回を迎えるまで、私は彼の部屋に通い続けた。
あの日以来、一線を超えるようなことは何もなかった。本当に、何も。
でも、何もなかったわけじゃない。
隣に座って、寄り添って、時には彼の肩に頭を預けることもあった。
タカさんは私を強く抱きしめるわけでも、それ以上踏み込んでくるわけでもない。
ただ、静かに、くっついていただけ。
あの時間は、どうしようもなく曖昧で。
痛いくらいに優しくて。
そして、二人して少しだけ、ずるかった。
ドラマの最終回。
エンドロールが静かに流れて、物語は終わった。
部屋の隅にある小さなテレビを消すと、不自然なほどの沈黙が降りてきた。
「……終わったな」
タカさんのその言葉が、ドラマの内容を指しているのか、それともこの曖昧な時間のことを言っているのか、私には判別がつかなかった。
「さぁ、バイトバイト。行かなあかんな」
立ち上がったタカさんの声は、いつも通りの軽さを装っているように聞こえた。
私は何も聞けなくて、ただ小さく頷くことしかできなかった。
けれど、なぜかその日に限って、タカさんは私のバイト先まで送ってくれると言い出した。
冬の終わりの、冷たい夜の空気。
駅までの道のりを、私たちはこれまでで一番近い距離で、ずっと寄り添ったまま手をつないで歩いた。
どちらからともなく肩を寄せ、まるで離れるのを惜しむみたいに、一歩一歩の感覚を確かめるように。
言葉を交わせば、何かが壊れてしまいそうで怖かった。
ただ、彼の体温がコート越しに伝わってくることだけが、今の私にとっての唯一の真実だった。
「じゃあな」
バイト先の入り口で、タカさんは短くそう言って、少しだけ笑った。
それは、線を引いたあとの優しさなのか、それとも、彼なりの「さよなら」だったのか。
私は彼を見送ったあと、自分の手のひらがまだ彼の熱を覚えていることに気づいて、泣きそうになった。




